弁護士の就職と転職Q&A
Q60「修習生は弁護士会による勧誘自粛要請をどう解釈すべきか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
今年も、弁護士会から「第72期司法修習生等に対する採用のための勧誘行為自粛に関する協力について(要請)」が届きました。「平静な司法修習環境を維持し、司法修習の実効を期し、また司法修習生の職業選択の自由を尊重するため」に、司法修習の開始から3ヵ月間(来年2月末まで)は、採用の勧誘を行ってはならないものとされています。しかし、人気の高い企業法務系事務所ほど、修習が開始する前に事実上の採用活動を終えている、という皮肉な現実もあります。
1 問題の所在
要請文書は、「平静な司法修習環境」や「司法修習の実効」を目的に掲げていますが、これにはあまり説得力はありません。内定を持っているほうが、落ち着いて修習に専念できますし、休暇を取って就職活動をする必要もなくなるからです(以前は、「企業法務系事務所への就職が決まっていると、刑事系科目が疎かになる」という議論もありましたが、昨今の「危機管理ブーム」は、図らずも、企業法務系事務所に就職する者が刑事系科目を習得することの重要性を認識させています)。
とすれば、この要請文書の「肝」は、「司法修習生の職業選択の自由」を尊重するために、法律事務所は、内定受諾まで至っていても、「司法修習生等が撤回することを妨げてはならない」という部分にあると考えるべきです(その反射効として、裁判所と検察庁における優秀な人材の確保にも資することになります)。実際のところ、修習前に法律事務所の内定を受諾していても、弁護士登録後に担うべき業務の具体的イメージまで思い描けている人はいません(当然ながら、その業務に対する適性が自分にあるのかどうかも未知の世界です)。内定受諾で了承したのは、「毎日、あのオフィスで深夜まで働くことになるんだろうな」という勤務の外形的なイメージです。
これに対して、司法修習に入れば、事件記録を読み込んだ上で、裁判修習では証人尋問を傍聴して判決を起案し、弁護修習では準備書面を起案し、検察修習では、被疑者の取り調べを行います。業務に対する適性という観点からは「これこそ自分の天職だ!」とまで確信できるところまでは至らなくとも、少なくとも「この仕事は自分に向いていなくもない」という程度には自信を抱くことはできます。
そのため、法律事務所の内定を持って司法修習をスタートするということは、「先攻で、外観的イメージだけで法律事務所への就職を決めた暫定的判断に対して、後攻で、実際に、弁護士業務、裁判官業務、検察官業務を体験することで、その暫定的判断を維持できるかどうかを確認するプロセス」が待っているということになります。ここで、要請文書が掲げる「職業選択に関する自由な意思」を重視すれば、ゼロベースで、他の選択肢への乗り換えも検討できることになります。
2 対応指針
進路を決定するのは自分ですが、「自分の意思」と思われる価値観は、それほど確固たるものではなく、直近の体験と入手した情報に大きく影響を受けます。
裁判修習や検察修習で、「裁判官又は検察官の業務内容」に惹かれたのであれば、裁判官又は検察官の指導担当との間で、その進路に進むことについて真剣に話してみるべきです(指導担当からは、裁判官又は検察官の仕事の面白さとは別に、企業法務系事務所のネガティブ情報(ハードワーク、パートナー選考の厳しさ、売上げプレッシャー等)が指摘されがちです)。
他方、「後出しジャンケン」で内定承諾先事務所を負かせることにも配慮が必要です。少なくとも、(事後報告ではなく)撤回を決める前に、内定先事務所を訪ねて、反論の機会を与えるべきです(内定取得前よりも本音ベースの質問をすることができます。事務所に裁判官又は検察官出身者がいれば、役所勤めの実際のところや退官理由を教えてもらうこともあります)。
なお、「内定承諾の撤回」を、他の法律事務所に乗り換える場合でも自由に行使できる、とまで考えるのは行き過ぎかもしれません。個人的には、実務修習先事務所は(内定先を断っていくべき先ではなく)一旦、勤務した後にミスマッチが発覚した場合の「転職先候補」として確保することをお勧めしています。
3 解説
(1) 裁判所及び検察庁の指導担当との対話
実務修習では、裁判官又は検察官の仕事を実際に体験することができます。これは、法律事務所への就職活動よりも、より具体的に自分の指向や適性を確認するために有意義な作業です(司法試験受験生としての修習前の就活では、守秘義務の問題もあり、法律事務所で実際に動いている事件に関与することはできません)。
判決の起案や被疑者の取り調べに使命感を覚えたならば、裁判官又は検察官になることを真剣に考えるべきです(偶に、裁判官や検察官の他省庁への出向(法務省での立案担当業務を含む)に興味を抱く修習生もいますが、これらは、本業ではありませんので、そこに憧れを抱くのは的外れに終わるリスクがあります)。合わせて、公務員としてのライフスタイル(特に転勤)が自分に受け入れられるものかどうかについては確認しておくべきです。
なお、裁判官や検察官の指導担当が誘ってくれる際に、企業法務系事務所のネガティブ情報として、「ハードワークである」「パートナーになれないリスクが高い」「パートナーになってからも売上げプレッシャーがある」という点が指摘されることもあります。ただ、裁判官又は検察官は、企業法務系事務所の勤務実態を知りませんので(耳学問に過ぎませんので)、鵜呑みにすることなく、内定先事務所に個別に確認することをお勧めします。
(2) 内定先事務所との対話
内定先事務所と内定承諾者との関係は、修習開始後は「遠距離恋愛」に例えられることがあります。その「距離」を埋めるために、大規模な事務所では、修習期間中に、採用担当パートナーが実務修習地を回ったり、内定承諾者を集めたイベントを開催したりしていますが、中小の事務所にはそこまでする余裕はありません。
「内定承諾の撤回」を自由に行使できるといっても、手続的には、事後報告は無礼であり、事前相談が求められている、と解するべきです。内定先事務所としても、司法試験受験生の立場よりも、司法修習生になってくれた後のほうが、開示できる情報も増えています(改めて実質的なインターンを実施することもあります。そこでは、秘密保持を誓約してもらった上で、具体的事件の資料を閲覧させることもあります)。また、内定承諾者(修習生)にとっても、「就活では、弱気な姿勢を見せたら、内定を貰えないかもしれないために、建前の質問しかできなかったが、内定を貰った後だからこそ、本音ベースで、ワークライフバランスや将来のキャリアについての不安を尋ねられる」という利点もあります。
内定先事務所からは、「内定承諾の撤回」を防ぐために、「裁判官又は検察官に関するネガティブ・キャンペーン」をすることもあります。生え抜きのパートナーからは「きっと転勤が大変だよ」といった抽象的な批判しか出て来ることはありませんが、所内に、裁判官出身者又は検察官出身者がいる場合には、その方々から、役所勤め時代の苦労話(特に退官して弁護士に転身した理由)を聞くことができるのは有益です。
(3) 内定先以外の法律事務所
要請文書は、「内定承諾の撤回」の自由を認めており、文理上、そこには「裁判官又は検察官になる場合」と「他の法律事務所に入所する場合」の区別はありません。しかし、だからと言って、「他の法律事務所に乗り換えるのも自由だ」と考えるのは早計です。裁判官や検察官になるのは、「キャリアの方向性の転換」であるが故にやむを得ない側面があるのに対して、法律事務所間の乗り換えには、その要素を見出し難いために、「いい加減な人間」という社会的評価を受けるおそれはあります(別の地域にある法律事務所に乗り換えるならば、生活スタイルを理由とする正当性を認めてもらいやすい傾向はあります)。
また、内定者にとっても、「敢えて、新卒入所先を変える必要があるか?」という点は考えてみる必要があります。裁判官や検察官であれば、修習修了時のタイミングを逃すと、任官できる機会は著しく減るため、「今、任官しなければ、もうなれないかもしれない」という切迫感があります。これに対して、他の法律事務所への移籍であれば、「一旦は、内定先に就職して、少し仕事をした後で、それでもミスマッチを感じるならば、改めて、その時に中途採用で雇ってもらうことをお願いする」という選択肢も現実的に存在します。
以上