契約の終了
第13回 「契約の終了」と「契約の尊重(favor contractus)」思想(上)
明治大学教授
長 坂 純
Ⅰ はじめに
「契約の終了」と端的に称しても、契約が何時終了するかについては、理解が一致しているわけではない。債権が消滅した時か、給付義務が履行された時か、契約の締結が完了した時かなど、必ずしも明らかではない。契約の終了の可能性としては、まず、「その契約上の債権債務関係(以下では、「契約関係」と称する。)が発生しなくなったとき」(例、賃貸借契約の期間の満了、解約申入れなど)である。また、「その契約上の債務の履行が完了したとき」にも終了する。ただし、この場合には、「主たる債務が履行されたとき」(例、売買目的物の引渡し、代金の支払いなど)の他、「従たる債務が履行されたとき」(例、売買目的物の据え付け・組立、用法説明など)や「その契約に関連するその他の義務が消滅したとき」(付随的義務・保護義務の履行)など[1]、段階的な局面として捉えられる。さらに、債務の履行が契約内容に適合しなかったり、不履行につき契約が解除されたような場合には、原状回復義務や損害賠償義務なども発生するが、これらの債権債務関係と当初の契約関係との関連性も問題となる。このように、「契約の終了」概念や終了へ向けたプロセスは一義的には定まらない[2]。
他方で、ある契約の終了原因が発生した場合に、契約関係の解消・清算へ向かうのではなく、当初予定していた契約関係ないし契約利益を可能な限り維持・確保する方向での処理も考えられる。このような志向は、一般に「契約の尊重(favor contractus)」と称され、近時の国際取引法規律の検討を通して注目されてきた思想である[3]。例えば、契約の成立に関して申込みと承諾の完全な一致は要件とされず、原始的不能も契約の無効原因とはならず、契約の解除に関しては、可能な限り本来的な履行請求権(催告)を義務づけて契約関係を維持し、解除権の発生には厳格な要件が課される。また、事情変更の原則やハードシップ(履行困難)が生じた場合の再交渉義務や契約改定権の承認、不完全な履行に対する追完請求権や追完権(治癒権)の付与等が導かれる。このように、「契約の尊重」は、契約の不成立・無効・解除などを制限し、可能な限り契約を成立・維持させ、当事者間において設定された契約規範(債権債務関係)に優位を与える考え方である。
わが国の改正前民法の規定やこれまでの判例・学説においても、「契約の尊重」思想に沿う規律や理論動向が認められる。また、今回の改正民法にあっても、債権法改正の問題群を抽象化すれば「契約の尊重」問題に集約される、との指摘もされる[4]。
このような傾向は、これまでの契約の成立・終了のルールや債務不履行ルールに修正を加えるものとして、伝統的な契約法規範の変容として捉えることもできるであろう[5]。そこで、本稿では、「契約の尊重」思想の国際取引法規律における展開とわが国における理論動向を整理した上で、同思想の意義・機能を検討する。とりわけ、改正民法(契約債権法)における基本原則との関係如何を検討対象としたい。本テーマは、実務雑誌の性格には必ずしもそぐわないであろうが、改正民法の施行が迫っている現時点において留意しておくべき論点であると思われる。
Ⅱ 「契約の尊重」思想の展開
1 「契約の尊重」思想の定義・射程
「契約の尊重」とは、当事者が契約の維持を志向するなら、たとえ障害があってもなるべく契約を維持、存続させていこうとする考え方である[6]。この思想は、ユニドロワ国際商事契約原則(PICC)の起草と改定において中心的な役割を担ってきたボネルの所説を通して注目され、わが国にも既に紹介されている[7]。
ボネルによれば、「契約の尊重」とは、可能な限り契約を維持し、その存在や有効性が疑問視されたり、履行期前に解消されるような局面を制限することであるとする。それは、契約の成立・履行の過程で不測の事態が生じた場合、通常は、市場に代替の財・サービスを探すよりも、もともとの取引を維持する方が両当事者の利益になる、ということがこの思想の背景にある理由である[8]。そして、「契約の尊重」は、(a)拘束的契約の尊重(Favouring binding agreements)、(b)契約効力の尊重(Favouring contract validity)、(c)履行困難における取引維持の尊重(Favouring keeping the bargain alive despite hardship)、(d)契約違反における取引維持の尊重(Favouring keeping the bargain alive despite breach)に類型化される[9]。(a)(b)は、契約の成立及び有効性に関わる「契約の尊重」であり、(c)(d)は契約責任に関わるものが含まれる。
2 契約法の国際的潮流
PICCにおける「契約の尊重」思想は、国際物品売買契約に関する国際連合条約(CISG)を承継したものであり、さらに、ヨーロッパ契約法原則(PECL)に代表される契約法の国際的調和に向けられた傾向として紹介されている[10]。そこでは、契約の成立及び有効性に関する局面と契約責任に関わる局面に分けて説かれている。
⑴ 契約の成立・有効性に関する「契約の尊重」
一般には、契約は、申込みと承諾が主観的にも客観的にも合致しなければ成立しない(mirror image rule)。これに対し、申込みに対する承諾としてなされた応答が、付加的な条項や申込みと異なる条項を含む場合であっても、申込みの内容を実質的に変更するものではないときは、申込者が異議を述べない限り承諾となり、その変更を加えた内容で契約の成立が認定される(PICC2.1.11条(2)、CISG19条(2)、PECL2:208条(2))。また、当事者が契約を締結する意思を有するならば、ある条項の内容を将来の交渉による合意または第三者の決定に委ねたとしても契約の成立は妨げられない(PICC2.1.14条(1)。なお、PECL6:104条)。
さらに、原始的不能給付による契約の無効という法理が廃除されることも近時の特徴である。原始的不能と後発的不能の峻別を否定し、両者を同等に扱うことにより契約の有効性が維持される(PICC3.1.3条、CISG79条、PECL4:102条)。
⑵ 契約責任に関する「契約の尊重」
契約の解除権行使の中核的要件を「重大な不履行(fundamental nonperformance)」(PICC7.3.1条、PECL9:301条(1))ないし「重大な契約違反(fundamental breach of contract)」(CISG25条、49条(1)(a)、64条(1)(a))に求めつつ、他方で解除の前提としての履行の猶予期間を設けている(PICC7.1.5条、CISG49条(1)(b)、64条(1)(b)、PECL8:106条)。解除権の行使を重大な不履行(契約違反)が存する場合に限定し、かつ催告解除制度を堅持することにより、両当事者間の契約関係の発展的な維持が図られる。
また、契約の不適合が顕在化した場合、買主には追完請求権が認められるが(CISG46条(2)(3))、売主にも追完権(治癒権)を認め、解除に優先する(PICC7.1.4条、CISG48条、PECL8:104条)。売主も契約を維持させた上で契約不適合を治癒し反対債権を得ることの利益を有するが、買主との間の利益調整が問題となる。
さらに、当事者の履行費用が増大したことにより、または当事者が受領する履行の価値が減少したことにより契約の均衡に重大な変更がもたらされた場合、その効果を解除に限定せず、当事者に対し、変更した事情に当初の契約の内容を適応させるための再交渉を義務づけるとともに司法的契約改定権を認める(PICC6.2.2条、6.2.3条、PECL6:111条)。事情変更・ハードシップにおいては、当事者間に当初の契約関係を自律的に変更・再構成させる形での「契約の尊重」思想が機能する。
3 「契約の尊重」思想の展開
契約の成立・有効性に関する場面では、「契約の尊重」と「契約は守られなければならない(pacta sunt servanda)」という原則(パクタ原則)との間にズレが生じるが、当事者間の合意から切り離して契約の成立・効力を広く認めた上で、紛争解決を志向することになる[11]。また、契約責任に関する場面では、当初当事者間で合意された契約関係を維持するだけではなく、新しい状況下で当事者に紛争解決へ向けた自律的な交渉が求められる。したがって、この局面においても、当初の契約意思(合意)から乖離した契約規範が設定されることになる[12]。
「契約の尊重」思想は、既にローマ法において契約の有効性に関する契約解釈の規律として認められ[13]、今日、国際的な契約法規律において承認されてきている[14]。また、わが国の改正民法においても「契約の尊重」思想を体現する制度が設けられた。
(下)へつづく
[1] 契約上の債務(義務)構造の詳細は、拙著『契約責任の構造と射程』(勁草書房、2010)13頁以下参照。
[2] 中田教授は、契約終了のプロセスを①「その契約から債権債務がもはや発生しなくなったとき」、②「その契約から発生した債権債務が当然に消滅するとき」、③「その契約の履行が完了したとき」(さらに、ⓐ「その契約から発生した第1次的な債務がすべて履行されたとき」、ⓑ「その契約から発生した第2次的な債務もすべて履行されたとき」、ⓒ「その契約に関連する義務がすべて消滅したとき」に細分)に類型化する(中田裕康『契約法』(有斐閣、2017)181~182頁)。
[3] 円谷峻「ファヴォール・コントラクトス(契約の尊重)」好美清光先生古稀記念『現代契約法の展開』(経済法令研究会、2000)3頁以下、森田修「『契約の尊重(favor contractus)』について」遠藤光男元最高裁判所判事喜寿記念『実務法学における現代的諸問題』(ぎょうせい、2007)199頁以下、曽野裕夫「Favor contractusのヴァリエーション」藤岡康宏先生古稀記念『民法学における古典と革新』(成文堂、2011)255頁以下など。
[4] 森田・前掲注[3]199頁。
[5] 改正民法における「契約の尊重」思想の意義・機能に関しては、拙稿「改正民法における『契約の尊重(favor contractus)』思想」法律論叢91巻2=3合併号(2018)127頁以下参照。
[6] 円谷・前掲注[3]3~4頁。
[7] 円谷・前掲注[3]3頁以下、森田・前掲注[3]199頁以下、曽野・前掲注[3]255頁以下など。
[8] Michael Joachim Bonell, An International Restatement of Contract Law, 3rd. ed, 2005, at 102.
[9] Bonell, supra note 8, at 103-126.
[10] 各規律の起草過程及び特質に関しては、円谷・前掲注[3]25頁注(1)参照。また、Bertram Keller, Favor Contractus Reading the CISG in Favor of the Contract, in : Sharing International Commercial Law across National Boundaries, 2008, p. 247-266.
[11] 円谷・前掲注[3]16~17頁、森田・前掲注[3]201~202頁、曽野・前掲注[3]267~268頁参照。
[12] なお、森田・前掲注[3]203頁以下参照。
[13] Bertram Lomfeld, Die Gründe des Vertrages, 2015, S. 297f.
[14] 「共通参照枠草案(DCFR)」(2009)、「共通欧州売買法提案(CESL)」(2011)、ドイツ債務法現代化法(BGB)(2002)、フランス債務法(2016)などにも規定が置かれている(拙稿・前掲注[5]133頁参照)。