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本件は、Yに雇用され管理職である副主任の職位にあった理学療法士であるXが、労働基準法65条3項に基づく妊娠中の軽易な業務への転換に際して副主任を免ぜられ(以下「本件措置」という。)、育児休業の終了後も副主任に任ぜられなかったことから、Yに対し、本件措置は「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」(以下「均等法」という。)9条3項に違反し無効であるなどと主張して、管理職手当及び損害賠償の支払を求める事案である。本件は、妊娠中の軽易な業務への転換に際して副主任を免ぜられたことが均等法9条3項に違反して無効となるか否かが主な争点となったものであり、マタニティー・ハラスメント訴訟(いわゆる「マタハラ訴訟」)として、マスコミ等からも注目を浴びた。
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労働基準法65条3項は、母性保護の目的から、使用者は妊娠中の女性が請求した場合には他の軽易な業務に転換させなければならない旨を規定している。この規定について、旧労働省の行政解釈では、「原則として女性が請求した業務に転換させる趣旨であるが、新たに軽易な業務を創設して与える義務まで課したものではない」としている(昭和61・3・20基発151号、婦発69号)。
そして、均等法9条3項は、女性労働者の妊娠、出産、産前産後の休業その他の妊娠又は出産に関する事由であって厚生労働省令で定めるものを理由として、解雇その他不利益な取扱いをしてはならない旨を定めており、これを受けて、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律施行規則」2条の2第6号は、労働基準法65条3項により他の軽易な業務に転換するよう請求したこと、又は他の軽易な業務に転換したことを規定している。したがって、使用者は、妊娠中の女性が他の軽易な業務に転換したことを理由として、不利益な取扱いをしてはならないことになる。なお、「理由として」の意味については、妊娠、出産等の事由と不利益な取扱いとの間に因果関係があることをいうとする見解がある(公益財団法人21世紀職業財団編『詳説 男女雇用機会均等法』(21世紀職業財団、2007)147頁以下)。
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本件の事実関係の概要は、次のとおりである。
Xは、平成6年3月、Yとの間で、理学療法士として業務に従事することを内容とする労働契約を締結し、A病院の理学療法科(その後、リハビリテーション科に名称が変更された。以下、名称変更の前後を通じて「リハビリ科」という。)に配属された。その後、Xは、診療所等での勤務を経て、再びリハビリ科に配属され、平成16年4月には、リハビリ科の副主任に任ぜられた。
当時、リハビリ科には、患者の自宅を訪問して業務を行う訪問リハビリチームとA病院内において業務を行う病院リハビリチームがあり、Xは、当初、病院リハビリチームの副主任であったが、その後、訪問リハビリチームの副主任に異動した(なお、訪問リハビリ業務の方が、病院リハビリ業務よりきつい仕事であると一般に認識されていた。)。Yは、平成19年7月、リハビリ科の業務のうち訪問リハビリ業務を訪問看護ステーションB(以下「B施設」という。)に移管し、Xは、B施設の副主任となった。
Xは、平成20年2月に妊娠し、労働基準法65条3項に基づいて軽易な業務への転換を請求し、病院リハビリ業務への転換を希望した。これを受けて、Yは、同年3月1日、XをB施設からリハビリ科に異動させた。その当時、リハビリ科においては、Xよりも理学療法士の職歴の3年長い職員が、主任として病院リハビリ業務の取りまとめを行っていた。
その後、Yは、Xに対し、手続上の過誤により上記異動の際に副主任を免ずることを失念していたなどと説明して、副主任を免ずることにつき渋々ながらもXの了解を得た上で、同年4月2日、Xに対し、同年3月1日付けで副主任を免ずる旨の本件措置に係る辞令を発した。
Xは、同年9月1日から産前産後の休業をした後、引き続いて育児休業をし、平成21年10月、育児休業を終えて職場に復帰した。Yは、あらかじめXの希望を聴取した上、職場復帰の際に、Xをリハビリ科からB施設に異動させたが、その当時、B施設では、Xよりも理学療法士の職歴の6年短い職員が副主任として訪問リハビリ業務の取りまとめを行っており、Xが再び副主任に任ぜられることはなかった。上記の希望聴取の際、職場復帰後も副主任に任ぜられないことをYから知らされたXは、強く抗議し、その後本件訴訟を提起するに至った。
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控訴審は、本件措置は、Xの同意を得た上で、Yの人事配置上の必要性に基づいてその裁量権の範囲内で行われたものであり、Xの妊娠に伴う軽易な業務への転換請求のみをもって、その裁量権の範囲を逸脱して均等法9条3項の禁止する取扱いがされたものではないから、同項に違反する無効なものであるということはできないと判断した。
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最高裁第一小法廷は、Xの申立てに基づき事件を受理した上、要旨次のとおり判断し、原判決を破棄して本件を控訴審に差し戻した。
(1) | 均等法の規定の文言や趣旨等に鑑みると、同法9条3項の規定は、これに反する事業主の措置を禁止する強行規定として設けられたものと解するのが相当であり、女性労働者につき、妊娠、出産、産前産後の休業又は軽易業務への転換等を理由として解雇その他不利益な取扱いをすることは、同項に違反するものとして違法であり、無効であるというべきである。 |
(2) | 女性労働者につき妊娠中の軽易業務への転換を契機として降格させる事業主の措置は、原則として均等法9条3項の禁止する取扱いに当たるが、当該労働者につき自由な意思に基づいて降格を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき、又は事業主において当該労働者につき降格の措置を執ることなく軽易業務への転換をさせることに円滑な業務運営や人員の適正配置の確保などの業務上の必要性から支障がある場合であって、上記措置につき同項の趣旨及び目的に実質的に反しないものと認められる特段の事情が存在するときは、同項の禁止する取扱いに当たらないものと解するのが相当である。 |
(3) | Xは、Yから本件措置による影響につき不十分な内容の説明を受けただけで、育児休業後の副主任への復帰の可否等につき事前に認識を得る機会を得られないまま、副主任を免ぜられることを渋々ながら受け入れたにとどまるものであるから、本件措置による影響につき事業主から適切な説明を受けて十分に理解した上でその諾否を決定し得たものとはいえず、自由な意思に基づいて降格を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するということはできない。 |
(4) | YにおいてXにつき降格の措置を執ることなく軽易業務への転換をさせることに業務上の必要性から支障があったか否か等は明らかではなく、これらのYにおける業務上の必要性の内容や程度、Xにおける業務上の負担の軽減の内容や程度等が明らかにされない限り、均等法9条3項の趣旨及び目的に実質的に反しないものと認められる特段の事情の存在を認めることはできない。これらの点について更に審理を尽くさせるため、原判決を破棄して本件を控訴審に差し戻すべきである。 |
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本件は、妊娠中の軽易業務への転換を契機として女性労働者を降格させる事業主の措置が均等法9条3項の禁止する取扱いに当たるか否かについて、最高裁が初めてその判断基準を示したものである。同項が強行規定と解されることからすれば、これに違反する不利益な取扱いは労働者の同意の有無にかかわらず無効というべきであるところ、本判決は、労働者が自由な意思に基づいて降格を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき、又は降格の措置を執ることなく軽易業務への転換をさせることに業務上の必要性から支障がある場合であって、その業務上の必要性の内容や程度等の諸事情に照らし、上記降格の措置が同項の趣旨及び目的に実質的に反しないものと認められる特段の事情が存在するときは、妊娠、出産等を理由として「不利益な取扱い」をしたものには当たらないと解したものと思われる。
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なお、育児休業からの復帰の際にXを副主任に任じなかったYの措置の適否については、予備的請求原因として位置付けられたため多数意見では判断が示されていないが、均等法9条3項及び「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」10条の禁止する取扱いの該当性の観点から、櫻井裁判官が補足意見を述べている。