◇SH4094◇最一小決 令和3年5月12日 準強姦被告事件(山口厚裁判長)

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 原審が被告人質問を実施したが、被告人が黙秘し、他に事実の取調べは行われなかったという事案につき、第1審が無罪とした公訴事実を原審が認定して直ちに自ら有罪の判決をしても、刑訴法400条ただし書に違反しないとされた事例

 準強姦の公訴事実につき、第1審が、被害者が抗拒不能であったことは認めたものの、被告人にその認識があったことには合理的な疑いが残るとして無罪を言い渡し、原審が、被告人において被害者が抗拒不能状態にないと誤信するような事情がなかったかなどについて質問する必要があるとして、職権による被告人質問を実施したが、被告人が黙秘し、原審は他に事実の取調べを行わず事実誤認により第1審判決を破棄したなどの事情(判文参照)の下では、第1審が無罪とした公訴事実を原審が認定して直ちに自ら有罪の判決をしても、刑訴法400条ただし書に違反しない。

 刑訴法400条

 令和2年(あ)第343号 最高裁令和3年5月12日第一小法廷決定

 準強姦被告事件(刑集第75巻6号583頁)棄却

 原 審:平成31年(う)第134号 福岡高裁令和2年2月5日判決(刑集75巻6号630頁)

 第1審:福岡地裁久留米支部平成31年3月12日判決(刑集75巻6号620頁)

1 事案の概要

 本件は、被告人が、被害者が飲酒酩酊のため抗拒不能であるのに乗じ、同人と性交をしたという、準強姦の事案である。

 第1審判決は、被害者が抗拒不能であったことは認められるが、その認識(以下「本件認識」という。)がなかった旨を述べる被告人の公判供述の信用性は否定できず、被告人に本件認識があったことには合理的な疑いが残るとして、被告人を無罪とした。

 検察官が控訴して本件認識についての事実誤認を主張し、原審では職権による被告人質問が実施されたが、弁護人は質問を行わず、検察官及び裁判官の質問に対して、被告人は黙秘した。そして、原審は、他に事実の取調べを行わず、結審した。

 原判決は、被告人質問で被告人が終始黙秘したため、原審で取り調べた実質的証拠は存在しないとしつつ、訴訟記録及び第1審において取り調べた証拠に基づき、被告人に本件認識があったことは明らかであり、第1審判決の判断は論理則、経験則に反するとして、事実誤認で第1審判決を破棄し、被告人を懲役4年に処した。

 被告人が上告し、弁護人は、原審が実質的な事実の取調べのないまま第1審の無罪判決を破棄して有罪の自判をしたのは、判例(最大判昭31・7・18・刑集10巻7号1147頁及び最一小判令2・1・23・刑集74巻1号1頁)に相反するなどと主張した。

 本決定は、弁護人の上告趣意は刑訴法405条の上告理由に当たらないとしたが、原判決に刑訴法400条ただし書違反がない旨職権判示して、被告人の上告を棄却した(裁判官全員一致の意見によるものである。)。

2 問題の所在

 第1審判決が事実の証明がないとして無罪を言い渡した場合に、控訴審がこれを事実誤認により破棄して有罪の自判をする場合について、弁護人が引用する前掲最大判昭31・7・18(判例①)は、控訴審にも直接審理主義、口頭弁論主義の原則の適用があり、控訴審が訴訟記録及び第1審で取り調べた証拠のみによって直ちに犯罪事実を確定し有罪の判決をすることは許されない旨判示した。判例①と、最大判昭31・9・26・刑集10巻9号1391頁(判例②)を併せ、控訴審が、事実の取調べを行わないで、第1審の無罪判決を事実誤認により破棄し、有罪の自判をすることは、刑訴法400条ただし書に違反するという判例法理(以下「本件判例法理」という。)が確立し、その後実務の運用として定着している。

 本件では、原審において被告人質問が実施されたが、被告人が終始黙秘し、他の事実の取調べは行われなかった。そこで、原審が第1審の無罪判決を破棄して有罪の自判をしたことに、刑訴法400条ただし書違反があるか否かが問題となる。

3 判例及び学説の状況

⑴ 判例

 本件のような場合についての判例はないが、関連する判例としては以下のものが挙げられる。

 最二小判昭32・3・15・刑集11巻3号1085頁(判例③)は、刑訴法400条ただし書は、控訴審が事実の取調べをしたときは、その取り調べた証拠と訴訟記録及び第1審で取り調べた証拠とあいまって、被告事件について判決をするに熟している場合は控訴裁判所自ら判決をすることを許した規定であるとした。

 最一小判昭33・2・20・刑集12巻2号269頁(判例④)は、控訴裁判所が事実の取調べを行った場合、第1審判決を破棄して有罪を認定するに当たり、たとえ第1審で取り調べた証拠のみを判決に掲げたからとて何ら妨げないと判示した。

 最二小判昭36・1・13・刑集15巻1号113頁(判例⑤)は、事実の取調べの結果が、争点に直接触れるところにおいて第1審で取り調べた証拠以上に出ないとしても、判例①に違反しないとした。

 最二小判昭34・5・22・刑集13巻5号773頁(判例⑥)は、事実の取調べが「事件の核心」についてのものでない場合には、刑訴法400条違反となる旨判示した(最一小判昭43・12・19・集刑169号721頁も同旨。最三小判昭57・3・16・刑集36巻3号260頁は「争点の核心部分」との語を用いるが、同旨である。)。

 最一小判昭33・5・1・刑集12巻7号1243頁(判例⑦)は、詐欺の故意が問題となった事案で、被告人質問以外の事実の取調べをせずに第1審の無罪判決を事実誤認により破棄し、有罪の自判をしても刑訴法400条ただし書に違反しないとした。

 最一小判昭41・12・22・刑集20巻10号1233頁(判例⑧)及び最三小判昭45・12・22・刑集24巻13号1872頁(判例⑨)は、いずれも殺意が問題となった事案で、犯行後の情状に関する被告人質問がされたというだけでは、刑訴法400条ただし書に違反するとした。

⑵ 学説

 本件判例法理を前提に、控訴審で実施すべき事実の取調べの内容や程度をどのように解するかは、本件判例法理の理解によって異なり得る。この点についての考え方としては、㋐判例①のいう直接主義・口頭主義を手続保障の要請として捉え、本件判例法理の根拠を控訴審における手続保障とする理解(手続保障説)、㋑判例①のいう直接主義を実質的に捉え、本件判例法理の根拠を、控訴審における人証の取調べに関する直接主義の保障と理解する見解(実質説)、㋒本件判例法理の根拠は控訴審において書面審査だけで有罪の認定をすることに伴う危険を防止する政策的配慮と理解する見解(政策的配慮説)が挙げられる。

 このうち、実質説からは、控訴審で重要な証人を再度尋問することが必要とされ、控訴審の判断が新たな証拠資料に基づく必要があるから、本件のような場合には必要な事実の取調べが行われていないとの結論につながりやすいと考えられる。一方、手続保障説と政策的配慮説からは、要請される手続保障の程度や、「政策」の内容が自明でないことから、本件のような場合の結論は必ずしも明らかとはならない。

4 本決定の内容

 本決定は、本件が準強姦の事案であり、争点が、被害者が抗拒不能であったか、被告人にその認識(本件認識)があったかの2点であったこと、第1審判決が、本件認識がなかった旨を述べる被告人の公判供述の信用性は否定できないとして、無罪の言渡しをしたことを前提に、原審が、公判期日前の打合せで、検察官及び弁護人に対し、被告人において、被害者が抗拒不能状態にないと誤信するような事情や、被害者が性交に同意したと誤信するような事情がなかったかについて質問する必要があるので、職権による被告人質問を実施する見込みであると述べて質問順序や質問時間を告げ、検察官及び弁護人はこれを異議なく了承した(検察官も被告人質問のみを請求する見込みであるとしていた。)こと、第1回公判期日に被告人が出頭し、被告人質問が実施されたことなどを挙げ、このような事情の下では、原審は、争点の核心部分について事実の取調べをしたということができ、その結果が第1審で取り調べた証拠以上に出なくとも、被告事件について判決をするのに熟していたといえるから、第1審が無罪とした公訴事実を認定して直ちに自ら有罪の判決をしても、刑訴法400条ただし書に違反しないというべきであると判示し、前記判例①〜⑤を参照した。

 本件で問題となっているのは、本件認識の有無という被告人の主観である。被告人の主観が争点となった前記判例⑦〜⑨に照らせば、事実の取調べは被告人質問で足り得るが、それは「事件の核心」(判例⑥)についてのものである必要がある。

 本件では、第1審判決が、本件認識がなかったとする被告人の公判供述の信用性は否定できないとして被告人を無罪としたのに対し、原審では本件認識についての事実誤認が主張され、原審は、公判期日前に、被害者の抗拒不能状態や性交への同意について被告人が誤信するような事情の有無について聞くことを明示して被告人質問を実施する旨を告げ、弁護人もこれを了承した上で、実際に被告人が出頭して被告人質問が実施されていることなどから、被告人が終始黙秘したという事情があっても、本決定は「争点の核心部分」について事実の取調べをしたということができるとしたものと解される。

 そして、本件では被告人が終始黙秘したため、原審段階で新たな証拠資料は得られていないが、控訴審における事実の取調べの結果が、第1審で取り調べた証拠以上に出なくともよいことは判例⑤の判示するところであり、控訴審で有罪を認定するのに第1審で取り調べた証拠のみを挙げてもよいことは判例④の判示するところである。本件では、被害者が抗拒不能であったことは第1審判決でも認定されており、訴訟記録及び第1審で取り調べた証拠に基づき、本件認識を認定するに足りる間接事実が認定できることから、原審で新たな証拠資料が得られなくとも、「被告事件について判決をするのに熟していた」と本決定は判断したものと解される(判例③参照)。

 なお、前掲最一小判令2・1・23は、「直接主義・口頭主義」に言及して判例①、②の変更は不要であるとしているため、本決定との関係が問題となり得るが、わが国における直接主義・口頭主義は、訴訟運営上の理念であって、刑訴法上は証拠法則としての実質的な意味を持つものではなく、基本的に手続保障の要請であると解されることや、事後審である控訴審においては直接主義・口頭主義が第1審と異なる形をとると考えられることからすると、本決定は、被告人が終始黙秘したとしても、前記のような経緯の下では十分な手続保障があったと評価したものと解される。

5 本決定の意義

 本決定は、原審で被告人質問が実施されたが被告人が黙秘し、他に事実の取調べが行われなかったという事案で、原判決が第1審判決を事実誤認で破棄し、第1審判決が無罪とした公訴事実を認定して直ちに自ら有罪の判決をすることが刑訴法400条ただし書に違反するか否かにつき、最高裁判所が初めて判断を示したものであり、本件判例法理を前提とした控訴審での事実の取調べの内容、程度につき一事例を加えるものとして参照価値が高いと思われる。

 

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