法のかたち-所有と不法行為
第十六話 古代・中世の定住商業における所有権の観念化
法学博士 (東北大学)
平 井 進
6 占有と所有-ローマ法との対比
前18世紀のハンムラビ「法典」には、所有・不法行為・契約という私法の基本に関することがらが述べられていた。前述のように、遠隔地貿易に関して、「占有できない対象を所有する」と構成することができる法関係のモデルは、古代メソポタミアを起源としている。
その法関係は、古代ギリシャに伝えられたが、本来的に農業国家であった古代ローマに伝えられた時には、海事法という分野においてであった。農業国家においては、現実的な占有と観念的な所有は重複する概念となる。
ここで検討していることは、占有と所有の理論的モデルを、一つの法関係における側面(その事実と権利)としてではなく、異る法関係とするものである。すなわち、占有の権利は、その物理的な占有を基本として、それが失われたときにそれを回復する請求権であるのに対して、純粋な所有の権利は、物理的な占有を前提とせず、その権利を観念的に取得または維持するものである。ただし、広義の所有の権利は、占有における場合を含む。(例えば、前述のように、A地の者がB地である物を購入させ、それをC地に運ばせて売却する場合、所有者はその所有物を見ることすらないが、その物がA地を経由すれば、それを占有することはありうる。)
その観念性において、「必要かつ有益」な展開を示していたのは、純粋に観念的な所有権概念であり、第一話で見たように、「絶対」性や「無限」性という法概念上「必要でも有益でもない」イデオロギーを展開していたのは、占有を前提とする土地の上の所有権概念であった(そこに、社会関係が入り込んでいた)。この後者の所有権概念が、パンデクテン法学の体系において唱えられていたものである。
第四話で見たように、パンデクテンは、そもそもヨーロッパ中世におけるローマ法の理解によるものであった。[1]ここで、ローマ法における占有の概念との対比を検討しておきたい。
第五話で述べたように、ローマ法におけるactio in remは、あるものが自己に帰属するという主張を確認する手続であり、その結果、そのものが自己に帰属すると判断されたときは、それを取り戻すためには別に対人的なアクティオを必要としていた。その後、占有を失った所有物の返還を求めるrei vindicatioの訴訟が発達する。
ローマ法における占有(possessio)の保護のあり方が明らかになるのは、帝政期頃からの法務官の行政的な措置による特示命令(interdictum)に始まるものである。これは、実力・暴力による占有妨害を禁止する命令であって、自ら占有するものを自力(暴力)によって守ることを禁止するものであった。この占有保護は、上記のactio in remの行使のためではなく、警察的な治安維持のためのものである。[2]
この占有保護は暴力を排除するためにあったので、すでに占有を奪われている場合にその所有者を保護することには向いていない。従って、このような場合に所有者を保護するためには、(1)それを占有概念で行うのであれば、占有を所有の請求権的なものとするか、あるいは、(2)それを所有概念で行うのであれば、所有に直接に対人請求権を認めるか、いずれにせよ新たに所有と関係する請求権的な法的構成をとる必要性が生ずる。帝政期の時代に占有の概念は混乱していたが[3]、それは、所有における請求権的な効力の形成について、新たな法的関係を模索していたことによるように見える。
帝政期までのローマ法においては、物の所有もその移転も、その帰属が正当か否かということを見ていたが、ユスティニアヌス帝のInstitutiones(法学提要)の時代には、その法体系において(取引等において)当事者の意思という概念が現われ、重視されるようになる。これは、ギリシャ法の影響によるとされる[4]。
330年にローマ帝国のコンスタンティヌス帝が旧ギリシャ圏であったコンスタンティノポリスに遷都し、その時期からいわゆるビザンチン法が始まり、529-534年のユスティニアヌス帝の法典編纂の時期は、そのビザンチン法におけるものである[5]。ビザンチン法は、それがギリシャ語で行われていたことに示されるように、ギリシャ法の伝統的思考を入れたものと見ることができ、ビザンチン法について従来、指摘されているのは、そこに「意思」的な要素が入ってくることである。[6]
この時期に、ローマ法の占有は権利化して「所有権」と近似するようになったといわれるのであるが[7]、上記のギリシャ法思考によると見られるこの動きは、実は、前述の古代メソポタミア以来の「通商ネットワーク」体制における「占有できない対象を所有する」(これは、「意思による所有」である)という法概念が、二千年以上遅れてローマ法に伝えられたたものであると見ることができる。
我々は、「法」について、明治以降は近代ヨーロッパ的な観点から見てきているのであるが、人間社会において共通の基礎となる法関係の理論を構築することは、法学の最も重要な課題の一つである。[8]ここで所有という古来、人間社会に共通する現象に関して検討していることは、K. ポランニーが経済史的な側面から行っていたことを、法概念の歴史という側面から取り組んでいるものである。
[1] パンデクテンとは、ユスティニアヌス法典のうちのDigestaが、ギリシャ語のΠανδέκται(ラテン語ではpandectae、全書を意味する)と見られていたことによる。
[2] 参照、船田『ローマ法 第五巻』(岩波書店, 1972)351-377頁。初版は1943年。
[3] ユスティニアヌス帝の時代には所有と占有の概念が曖昧になっているといわれているが(船田・前掲, 372、377頁)、実際にはそのような接近は帝政期の時代に始まっており、占有に関する概念の混乱はその時期の法学説に見られる。占有の請求権的な効力を見る場合、それは法的なものとして見られる。パピニアヌスが「占有は単に形体上の関係であるだけでなく、法律上の関係でもある」と述べるのはこのような例である。一方、所有が請求権的な効力をもつように見る場合、占有はそのための事実的な要件となる。パピニアヌスは別のところで、占有を事実関係として述べており、他にパウルス、ウルピアヌスも同様に述べている(同上371-372、378-379頁)。フェストゥスは、土地の所有の訴訟はそれが「自分のものである」というものであって、それを占有することでは訴訟を提起できず、占有は所有と異なっていて使用であるとする。ウルピアヌスも所有と占有を区別する。
[4] ギリシャ法では、代金の支払が所有の移転を定めており、引渡がなくとも支払があれば買主の所有物になったとされる。次を参照、ARW Harrison, The Law of Athens: Procedure, Oxford University Press, 1971. 松尾弘「ローマ法における所有概念と所有物譲渡法の構造-所有権譲渡理論における『意思主義』の歴史的および体系的理解に向けて (1)-」『横浜市立大学論叢』41巻社会科学系列3号(1990)305頁注15。
[5] 栗生武夫は、ローマ法の時代区分としてコンスタンティノポリスへの遷都において固有のローマ法史は終わるというミッタイスの研究(Ludwig Mitteis, Römisches Privatrecht bis auf die Zeit Diokletians, Bd. 1, 1908)を紹介する。10-12世紀がビザンチン法学の隆盛期であった。参照、栗生武夫『ビザンチン期における親族法の発達』(清水弘文堂, 1928)1-2章、1-43頁、同『西洋立法史 第一分冊』(弘文堂書房, 1929)1章1・2節、10-29頁、船田享二『近代訴権理論形成の史的研究』(刀江書院, 1930)126-127頁。
[6] ユスティニアヌス帝の時代には、法的に保護される占有は、所有に基づくものと善意による占有を対象とするようになる。後者は、占有において外形的要素とは別に、所有者の意思(animus domini)という心的要素が入るようになったとされる。参照、船田・前掲, 367頁。
[7] 参照、原田慶吉「占有は権利か事実か-ビザンチン期に於ける占有概念-」『筧教授還暦祝賀論文集』(有斐閣, 1934)38-45頁。原田はこの動きをギリシャ法とも対応させている。
[8] 「法人類学」もそのことを目指しており、その概観について次を参照。千葉正士「法人類学の可能性」国士館法学, 31 (1999)。なお、千葉は、西欧主義の既成法学が人間性を無視しており、所有権の処分概念を持主の自由としてきたことが環境問題を生じさせてきたとして、その理論の抜本的改革の必要性を述べている。同上173, 179-180頁。