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本件は、東京都渋谷区内にある温泉施設において、温泉水から分離処理されたメタンガスが、ガス抜き配管内での結露水の滞留により漏出・滞留した上、引火して爆発したため、本件温泉施設内にいた従業員3名が死亡し、2名が負傷し、通行人1名が負傷した事故について、本件温泉施設の建設を不動産会社から請け負った建設会社に所属する施設の設計者である被告人が、情報伝達(説明)義務違反の過失があったとして、業務上過失致死傷罪に問われた事案である。
本件温泉施設の設計担当者である被告人においてガス抜き配管内からの結露水の水抜き作業に係る情報を説明すべき業務上の注意義務の有無が争点となった。
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被告人は、本件温泉施設の保守管理全般を統括していた不動産会社の取締役と共に本件で起訴され、原々審の東京地裁は、被告人については、争点であった本件爆発の機序に関する予見可能性と情報伝達に関する予見可能性をいずれも認定し、被告人を有罪とした上で禁錮3年、5年間執行猶予の刑を言い渡した。一方、不動産会社の取締役については、保守管理の実施義務違反やメタンガス検知器の設置義務違反の過失が問われたが、結果の予見可能性を認めるには合理的な疑いが残るとして無罪を言い渡した(原々審で確定)。これに対し、被告人が控訴したが、控訴審の東京高裁は、原々審判決を是認したため、被告人が上告した。
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上告審では、被告人は、過失の有無について、本件爆発の機序に関する予見可能性がなかった、信頼の原則の適用により水抜き作業に係る情報につき不動産会社に対する説明義務がなかったなどと主張していた。
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過失犯について因果経過の予見可能性の有無が問題となった判例として、近時のものでは、生駒トンネル火災事件に関する最二小決平成12・12・20刑集54巻9号1095頁、明石砂浜陥没事故事件(第一次上告審)に関する最二小決平成21・12・7刑集63巻11号2641頁などがある。
これらをみると、判例は、予見の対象としての因果経過はある程度具体的なものである必要があるものの、現実の結果発生に至る経過を逐一具体的に予見することまでは必要ではなく、ある程度抽象化された因果経過が予見可能であれば、過失犯の要件としての予見可能性が認められるという立場を採っているものと思われる。
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また、組織内における担当者の不作為による過失犯において業務上の注意義務の有無が問題となった判例として、近時のものでは、薬害エイズ事件(厚生省ルート)に関する最二小決平成20・3・3刑集62巻4号567頁、明石花火大会歩道橋事故事件に関する最一小決平成22・5・31刑集64巻4号447頁、トラック欠陥放置事件に関する最三小決平成24・2・8刑集66巻4号200頁、明石砂浜陥没事故事件(第二次上告審)に関する最一小決平成26・7・22刑集68巻6号775頁などがある。
これらをみると、判例は、業務上の注意義務の有無に関し、被告人の地位や職責等に加え、その職務の遂行状況の実態等の諸事情を前提として、結果発生の危険性や、それに対する支配、管理性などの事情を総合的に考慮し、刑法上の注意義務として結果回避義務を肯定できるかどうかを判断してきたと思われる。
本件では、本件温泉施設の設計担当者としての被告人の立場や本件への関わりなどの事実関係から、注意義務主体として当然に被告人が想定され、その業務上の注意義務の有無や具体的内容が問題となる。
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本決定は、まず、原々審判決、控訴審判決の認定事実から、被告人の職責や立場、本件温泉施設の構造、メタンガス爆発事故防止のための結露水排出の意義と被告人によるその認識可能性、本件爆発事故の因果経過、被告人による建設会社の施工担当者に対する説明状況、水抜きバルブの開閉状態の変更指示等の事実関係を確認している。その上で、本件が前記のとおりの爆発事故であることを前提として、被告人が、本件温泉施設の建設工事を請け負った建設会社におけるガス抜き配管設備を含む温泉一次処理施設の設計担当者として、職掌上、同施設の保守管理に関わる設計上の留意事項を施行部門に対して伝達すべき立場にあり、自ら、ガス抜き配管に取り付けた水抜きバルブの開閉状態について指示を変更して結露水の水抜き作業という新たな管理事項を生じさせたこと、同作業の意義や必要性を施工部門に対して的確かつ容易に伝達することができ、それによって爆発の危険の発生を回避することができたことなどの事情の下では、被告人には、同作業に係る情報を、建設会社の施工担当者を通じ、あるいは自ら直接、不動産会社の担当者に対し確実に説明し、メタンガス爆発事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があると判断した。本件の具体的な事実関係に応じて、被告人の立場や新たな管理事項の創出に加え、結果回避措置の容易性を指摘している点が注目される。
弁護人は、本件温泉施設が不動産会社に引き渡されてから、メタンガスが室内に漏出した後、排気ファンが停止していたためにガスが滞留し、また、排気ファンの異常を知らせる警報ブザーが鳴らなかったなどの事実関係を前提として、予見可能性を争っていた。法廷意見は、メタンガス爆発事故防止のための結露水排出の重要性についての被告人による認識可能性などを確認した上で、情報伝達を怠ったことによってメタンガス爆発事故が発生することを予見できたと判示している。この点に関して、ガス抜き配管設備という本来的排出装置と排気ファン等の二次的装置の関係、被告人がそのシステムの設計担当者であることという本件事案の特質を指摘して、予見可能性の判断の在り方について問題を提起する大谷直人裁判官の補足意見が付されている。
また、設計担当者である被告人は施工担当者から不動産会社に対して水抜き作業の必要性について適切に説明されることを信頼することが許される旨の、いわゆる信頼の原則に関する主張については、本決定は、施工担当者に対して水抜き作業の意義や必要性に関して十分な情報を伝達しておらず、そのように信頼する基礎が欠けていたことは明らかであるとして、これを排斥している。
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本決定は、これまでの判例と基本的に同様の考え方に基づいて業務上の注意義務の有無を判断したものと理解されるが、当該事案に即してどのようにして注意義務の具体的内容を設定するかについて重きを置いた判示をしている点に特色がある。本決定は、具体的な事実関係を前提とした事例判例であるが、特殊過失事案において業務上の注意義務が認められた一事例として先例価値があり、類似事案の判断においても参考になると思われる。