人的資本経営の実践と情報開示の実務対応
第3回:人的資本政策の狙いと政策の全体像
日比谷タックス&ロー弁護士法人
弁護士 堀 田 陽 平
第1部 総論
第3回:人的資本政策の狙いと政策の全体像
【今回の狙い】 連載第3回では、前回まで解説してきた課題意識と我が国企業の現状を踏まえ、人的資本政策の狙いとするところと、政策の全体像を整理しておきます。 人的資本政策は、幅の広い議論であることから、その狙いと、全体像の中での位置づけを意思しつつ各論的内容を理解することがポイントになります。
【今回の主なターゲット】
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1 人的資本政策の全体像を理解する意義
次回から第2部に入り、人的資本経営の実践についての解説に入っていきますが、人的資本政策は複数の指針、ガイドラインを併せて読み、理解する必要があります。
しかし、人的資本経営の実践と情報開示に関する多くの解説では、言及すべき指針、ガイドラインに言及がされていないものや、これらの関係性が十分に整理されていないものが散見され、これもまた企業担当者の頭を悩ませる一つの要因となっているように思われます。
そのため、第1部の最後に、人的資本政策の狙いと、関連する指針、ガイドラインの関係性を整理し、人的資本政策の全体像を解説します。
2 狙いは「経営戦略と人材戦略の連動」を図り企業価値を向上させること
これまで第1回と第2回で述べてきたとおり、我が国を取り巻く外部環境の変化から、経営戦略上の課題と人材戦略上の課題とは密接に関連するに至っています。しかしながら、経営戦略は外部環境に照らして変化しているものの、人材戦略が慣行の下でなかなか変えられておらず、結果、イノベーションが創出されず、さらには人材の獲得も困難な状況にあります。
したがって、持続的な企業価値の向上を実現するには「経営戦略と人材戦略の連動」が不可欠となっているのです。
人的資本政策の狙いは、「経営戦略と人材戦略の連動」を図り、持続的な企業価値を向上させることにあります。
(図)人材戦略の再構築イメージ
出典:経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」第1回 事務局説明資料
(経営戦略と人材戦略)15頁
この狙いは、人材版伊藤レポートにおいて明確に示されていますが、人材版伊藤レポートは、その後、人材版伊藤レポート2.0、人的資本可視化指針につながるものですから、人的資本経営の実践と情報開示の双方、すなわち人的資本政策全体の狙いであるといえます。
3 「人的資本経営の実践」と「人的資本の情報開示」は車の両輪
人的資本政策は、大きく「人的資本経営の実践」と「人的資本の情報開示」(「人的資本の可視化」とも言うことがある。)に分けられます。
前者の「人的資本経営の実践」は、企業においてどのように経営戦略と人材戦略の連動を図っていくかという内部での戦略構築と実行であり、この指針となるのが、経済産業省の「人材版伊藤レポート」(2020年9月)および「人材版伊藤レポート2.0」(2022年5月)です。
後者の「人的資本の情報開示」は、「人的資本経営の実践」について資本市場(や労働市場)との対話を図るものであり、この指針となるのが、内閣官房の「人的資本可視化指針」(2022年8月)です。
人的資本可視化指針で示されている下図のとおり、人的資本経営の実践と人的資本の情報開示は、双方を一体として進めることで相乗効果を生むものであり、「車の両輪」として進めていくべきものです。
(図)人的資本経営の実践と人的資本の情報開示による相乗効果
出典:内閣官房、非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」(2022年8月)3頁
それぞれの指針、レポートについては、今後解説していきますが、上記で述べたような「人的資本経営の実践」と「人的資本の情報開示」の関係性からすれば、まずは人的資本経営の実践から着手すべきことになります。
情報開示は対外的な目に触れることや、有価証券報告書の記載への対応の観点から、企業にとっては情報開示に意識が向きがちです。しかし、人的資本の情報開示は、資本市場からの評価を加えることで、人的資本経営の実践をよりブラッシュアップすることを目的とするものであり、このことは人的資本可視化指針においても前提とされています。
(図)人的資本経営の実践と人的資本の情報開示の関係
出典:内閣官房、非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」(2022年8月)2頁
4 価値協創ガイダンスの参照が不可欠
上記のとおり、人的資本経営の実践と人的資本の情報開示の観点からは、人材版伊藤レポート、人材版伊藤レポート2.0及び人的資本可視化指針が参考すべき指針等となります。
しかし、忘れてならないのが、「経営戦略」全体の観点です。なぜなら、冒頭に述べたとおり、人的資本政策の狙いは、「経営戦略と人材戦略の連動」を図ることであるので、「経営戦略」全体の中における人材戦略の位置づけを明確にする必要があるからです。
そして、この点に関する指針となるのが、経済産業省の「価値協創ガイダンス」ということになります。
価値協創ガイダンスは、経済産業省の(人材版でない)「伊藤レポート2.0」と共に公表されたものであり、人材に限らない経営課題全体について企業と投資家との対話の共通言語を示したものです。人材版伊藤レポート、人材版伊藤レポート2.0が策定された後、2022年8月には「伊藤レポート3.0」と「価値協創ガイダンス2.0」が策定され、人的資本への投資や人材戦略の重要性をより強調する構成へと見直しがされています。
経営課題全体の中で、冒頭に述べたとおり人的資本の重要性が高まっていることから、“人材版”の伊藤レポートが策定されたのです。
5 全体像を意識した上で各レポート、指針を読む
さて、上記を整理すると、以下のようになります。
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実際、人材版伊藤レポート、人材版伊藤レポート2.0には、価値協創ガイダンスを参照すべき旨が明記され、価値協創ガイダンス2.0では、人材版伊藤レポートを参照すべき旨が明記されています。
また、人的資本可視化指針にも、人的資本への投資と競争力のつながりの明確化(経営戦略との統合的ストーリーの構築)にあたっては、価値協創ガイダンスを参照することが明記されており、情報開示の前提となる人材戦略の構築(人的資本経営の実践)にあたっては、人材版伊藤レポート及び人材版伊藤レポート2.0を参照すべきことが明記されています。
私が知る限り、人的資本に関する解説の多くは、この全体像の視点が欠如しているものが多く、(よく読めばそのように明記されていますのが)「人材版伊藤レポート」のみを参照し、人材版ではない「伊藤レポート」や価値協創ガイダンスを参照していないものが多い印象があります。
6 まとめ
本連載第1回から述べてきたとおり、人的資本政策の狙いは、「経営戦略と人材戦略の連動」であり、このことは、今後本連載で度々言及することになるので、しっかりと理解いただきたいです。
7 次回について
次回以降、「第2部 人的資本経営の実践」として人材版伊藤レポートの解説に入っていきますが、今回述べた各指針等の関係性を意識しながら読んでいただければ、迷子にならずに読むことができると思われ、随時今回の記事を参照いただきたいです。
第4回につづく
(ほった・ようへい)
2016年弁護士登録(第69期。第二東京弁護士会)。2017年鳥飼総合法律事務所入所。
2018年7月現在の事務所へ移籍。2018年10月から経済産業省経済産業政策局産業人材政策室(当時。現在は「課」)に任期付き職員として着任。
経済産業省では、兼業・副業の推進、テレワークの推進、フリーランス政策等の柔軟な働き方に関する政策立案や、人材版伊藤レポートの策定等の人的資本経営の推進に関する政策立案等に従事。経済産業省から帰任後も人的資本経営の実践・開示に関するセミナーや寄稿を行う。