弁護士の就職と転職Q&A
Q118「業績が不振だとパートナー昇進は厳しくなるのか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
日本経済新聞5月25日付け朝刊の法務面に、法律事務所を特集する記事が掲載されました。記事中に「パートナーも人数を増やせるだけの余裕がなくなり、昇進がさらに厳しくなるという見方がある」との記述に疑問を抱いた読者から、同じ欄でコメントを紹介してもらっていた筆者に対して「なぜそうなるのか?」という質問が届きました。記事の根拠とは異なっているかもしれませんが、筆者も同じ予想を立てているので、私見を解説してみたいと思います。
1 問題の所在
質問者の疑問は、「売上げが減少したら、むしろ経費負担者であるパートナーを増やす方向に動機付けが働くのではないか?」という発想に基づくものでした。これは、中小規模の事務所で、「アソシエイト時代に個人事件で売上げを立ててから、個人事件の収入が給与を超える頃にパートナーになる」という昇進モデルにおいては、その通り、「個人事件の売上げを事務所に取り込む」効果をもたらすと思います。しかし、規模が大きな事務所における「シニア・アソシエイトはパートナーが受任した事件を下請けして、ジュニア・アソシエイトを束ねる番頭役を担う」という階層構造の下では、当てはまりません。これまで所内の下請け業務に専従してきたシニア・アソシエイトに対して、「来年からパートナーになって、これからはすべて自分で外から案件を引っ張ってこい」と要求するのは酷です。
この状況は、「鶏が先か? 卵が先か?」的に、「売上げが立てられることを条件にパートナーに昇進させるのか? それとも、パートナーの肩書き(=対外的信用力)を先に与えてあげることで、受注しやすい環境を整えてあげるのか?」という問題として認識されていました。その解決策として、業績が好調である限りにおいては、「パートナーになったからといって、いきなり、先輩パートナーからの下請け業務をなくすわけではない。」「先輩パートナーからの下請け業務も継続しつつ、徐々に自分の案件を増やしていく。」という段階的な成長プロセスを設けることが機能しつつありました(人事制度的には、収益分配に預かる権利やパートナー会議での議決権を得られるのは、シニア・パートナーに昇進するまで留保する設計等が考案されてきました)。
しかし、業績の落込みが大きく、その回復時期の見通しも立たなくなってしまうと、シニア・パートナーにとっても、自己の売上げを確保するだけでも手一杯で、新人パートナーに売上げを分割するまでの余裕がなくなってしまいます。新人パートナーに対してどのような待遇を設定すべきか。これが高過ぎれば、事務所経営を傾かせかねませんし、これが低過ぎたら、健全な野心を秘めた「将来のレインメーカー候補」が事務所を離れていくリスクも存在します。
2 対応指針
今回の新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経済の低迷は、「売上げを立てる自信がある層」にも、「売上げを立てる自信(又は意欲)がない層」にも、それぞれ別の形で「パートナーへの内部昇進をキャリア目標に据えたままでいるべきかどうか」を考え直す契機となっています。
「ピンチをチャンスに」という発想に基づいて、これから売上を立てていきたいと考えるシニア・アソシエイト層は、「今、知名度を高める活動は、パートナーへの内部昇進手続を進めることと両立できるのか?」「現事務所の人事制度の下でも自分にアップサイドが回ってくるか? あと何回、内部審査を受ける必要があるのか?」という問題意識を抱いています。
逆に、ステイホーム期間において、私生活の満足度を維持することに価値を見出したシニア・アソシエイト層は、「事務所の収益に貢献するためにハードワークを続けることにどれだけの意味があるのか?」という悩みを(「感染症対策」という正当化事由を得たことで)より一層に膨ませています。
3 解説
(1) 感染症対策による経済低迷の影響
キャリア・コンサルティングをしていると、「忙しい弁護士は、自己のキャリアをゼロベースで考える時間もない。」ということを痛感します。中学、高校、大学、そして、ロースクールへの進学は、年次さえ上がって受験資格が整ったら、進路選択の岐路に立たされます。キャリアも、新卒で就職するところまでは、「同期もみんな取り組んでいる」と急かされるままに、受け身のままでも乗り遅れないように対応することができます。ところが、そこから先は、「キャリアを考える機会」が一斉に与えられることはありません。職場の立場や私生活上のイベント等の個々人の事情に応じて、再考の機会に遭遇する人もいますが、「日々の仕事に責任感を持って取り組んでいる人」(かつ、それが現在の職場の同僚やクライアントからも評価されている人)ほど、「敢えて、周りに迷惑をかけてまで、働き方を変える」ことに踏み出すためのハードルは高いものとなっていました。
それが、今回、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛要請は、弁護士全般に対して、「考える機会」を強制的に与えることになりました。ここで、「これを機に、今こそ打って出るべきではないか?」という積極路線を志向する人もいれば、「がむしゃらに働いても、将来のリターンなんて当てにならない。」と考えて、今現在の幸福度の維持を重視する人も現れています。
(2)「ピンチをチャンスに」と考える野心家層
日本のリーガルマーケットにおいても、一流の法律事務所がいくつも育ったことで、若手弁護士にとってみれば、「新規参入の壁」は高くなっていました。そのため、30歳代の弁護士にとってみれば、「企業法務で最先端又は大型案件を受任する」ためには、「一流ファームのブランド」や「先輩パートナーとの協働」が必要という考えが強まっていました。
しかし、今回のコロナ禍によって、クライアントたる企業が求めるリーガルサービスにも、変化の兆しが現れています。好景気時においては、ビジネスは持続可能であろうという楽観を基にして、「見落としがないこと」「先例に照らして無作法がないこと」といった減点主義的な発想で行われていた外部弁護士選びも、今は、「先例のないコロナ禍の損失をどう乗り切るか? どうやって生き延びるか?」という、より切実に成果を求める姿勢に切り替わって来ています。社内においても、50歳代でバックオフィスに止まっている部長職よりも、30歳代で現場をよく知るリーダーが発言権を拡大する先が増えている中で、現場リーダーが頼りにする対象は(肩書きではなく)同世代で実質的に知恵出しに参画してくれる弁護士に広がって来ています。
紛争対応も含めたリーガルアドバイザーとしての役割を果たすことが求められる局面においては、コンフリクトの制約なく、柔軟な弁護士費用を設定することが受任獲得への重要な要素となってきています。
(3) ステイホーム期間に私生活の幸福度の重要性を再発見した層
一流と呼ばれる法律事務所の採用形態は、「一段階採用」と「二段階採用」に分けることができます。「アソシエイトとして採用した以上は、全員、パートナーになってもらいたい」と考える「一段階採用」事務所とは別に、「アソシエイトとして勤務してくれた者の中から、改めて、パートナーになるものを選別する」と考える「二段階採用」事務所も存在します(二段階採用事務所では、パートナー昇進時に初めて「ようこそ、当事務所へ」としてメンバーに迎えられることになります)。
「二段階採用」は、一義的に「事務所がアソシエイトを搾取する悪しき慣習」というわけではなく、アソシエイトのニーズに合致する部分もあります。すなわち、誰もが「パートナーになりたい」と願って入所するわけではなく、「この事務所でアソシエイトとして経験を積むことが自己の成長につながるだろう」と考えて、「この事務所で働いた経歴があれば、転職にも有利になるだろう」と考えるアソシエイトも少なからず存在します。ただ、好景気時であれば、事務所から評価されているアソシエイトにとっては、「敢えて職場に波風を起こしてまで別の道を模索する必要はない」と考えるのが自然でした。
しかし、今回のステイホーム期間は、優秀層に対しても、「自分はそもそもパートナー昇進までを目指してこの事務所に入ったわけではない」という就職時の気持ちを思い出させる契機となっています。単なる「企業法務への憧れ」だけで進路を決めた就活時とは異なり、「この事務所で『自分しかできない仕事』をしているわけではない。優秀な後輩もたくさんいる」「パートナーになれたところで、必ずしも、仕事が楽になるわけでもなければ、多額の報酬が約束されるわけでもない」という状況認識の下で、「だったら、ステイホーム期間の平穏な生活をできるだけ維持することを最優先して職場を選択するべきではないか?」という問題意識が芽生えています。
以上