SH4123 新規分野で企業から信頼されている司法修習60期代のリーガルアドバイザーは誰か? 第1回 皆川克正弁護士インタビュー 西田章(2022/09/06)

法学教育そのほか

新規分野で企業から信頼されている司法修習60期代のリーガルアドバイザーは誰か?
第1回 皆川克正弁護士インタビュー

Kollectパートナーズ法律事務所
弁護士 皆 川 克 正

聞き手 西 田   章

 

新規分野で企業から信頼されている司法修習60期代のリーガルアドバイザーは誰か?

 今年も間もなく司法試験の合格発表が行われます。既に内定先が決まっている合格者は、実務修習地の希望を考えるなど司法修習の準備が最大の関心事になっていきそうですが、これから就活を始める合格者の中には、「企業法務系弁護士になりたいのに就活に出遅れてしまった」「大手の法律事務所はもう採用活動を終えてしまっている」という後悔を感じている方もいるでしょう。でも、これからでも良い事務所と巡り合うチャンスはあるはずです。大手でなくとも、中小の事務所でも、新興の事務所でも、優れた企業法務系弁護士が活躍しています。より大胆に表現すれば、「大手ではないが故に、早期に独り立ちして、新規の分野でクライアント企業からの信頼を勝ち取るチャンスに恵まれる」という側面すら存在すると言えると思います。

 では、中小の事務所、新興の事務所への就職を考えた時に、どこから手を付けたらよいでしょうか。どこが企業から信頼されている事務所なのか。弁護士仲間からも尊敬されるような弁護士が活躍している事務所はどこにあるのか。大手事務所に比べると、情報が圧倒的に不足しています。2018年5月に連載した「一流企業が真に信頼する法律事務所はどこか?」も、それを改善するための取組みでしたが、情報がもっと提供されれば、司法試験合格者にとって、目指すべきロールモデルとなる弁護士がいる新しい事務所と巡り会う可能性を広げていくこともできるでしょう。

 ロールモデルを何年くらい上の先輩に求めてみるのが適切なのか。それには諸説がありますが、私は、「10年先輩説」をひとつの指標に置いています(これには、私が、1995年4月に大学院修士課程に進学した際に、民事訴訟法の高橋宏志東京大学名誉教授よりお伺いした話が影響を及ぼしています。高橋教授が、20年以上歳の離れた助手1年目と修士1年生に対して語った「最先端の議論を学びたければ、10年先輩である、松下淳一さんや山本和彦さん(当時助教授)の世代から学びなさい」という言葉が頭に残っているからです。)。

 そこで、本シリーズでは、(「一流企業が真に信頼する法律事務所はどこか?」(2018年5月)において、既に評判を確立していた中堅事務所の司法修習50期代の採用担当パートナーを対象としてインタビューを行ったのとは異なり)司法修習60期代を中心に、新規の分野に関するリーガルアドバイザーとして、クライアント企業からの信頼を獲得されている弁護士を厳選して、お話をお伺いしていきたいと思います。実務で活躍されている新進気鋭の弁護士たちが、どのようなスタンスで弁護士業務に取り組み、どのような理念に基づいて事務所経営に参画しているのかについての物語が、今年の司法試験合格者を含め、司法修習70期代のキャリア選択の参考になることを期待しています。

 

2022年9月6日

西田 章

 

 

第1回 皆川克正弁護士インタビュー

 今年の6月16日に、東京地方裁判所において、韓国料理・焼肉KollaBoを運営する株式会社韓流村が、株式会社カカクコムに対して、同社が運営するレストラン検索・予約サイト「食べログ」においてアルゴリズムの変更により来店者数の減少により生じた損害の賠償を求める請求が一部認められる判決が言い渡されました。被告(カカクコム)は、同判決が不当であるとして、その是正を求めるために控訴しています。

 この訴訟(「食べログ」訴訟)の原告(韓流村)の主任代理人を務める皆川克正弁護士は、社会人経験を持ってロースクールに進学した1期生(司法修習新60期)で、今年1月にKollectパートナーズ法律事務所を創設したファウンディングパートナーの一人です。このように社会的に注目を集める第一審判決を導くに至った、ロースクール1期生である皆川弁護士のキャリアについて深掘りしてお聞きしてみたいと願い、インタビュー取材を申し込んだところ、皆川弁護士からは「『食べログ』訴訟の判決については、閲覧制限が申し立てられており、その範囲が審議されている途中であるため、判決内容についてのコメントは控えさせていただきたい」との条件の下に取材に応じていただくことができました。本稿では、そのインタビューの内容を、「第1 『食べログ』訴訟の手続面について」、「第2 皆川弁護士の経歴について」、「第3 Kollectパートナーズ法律事務所の設立と求める人材」の項目に分けて、以下、紹介させていただきます(取材日:2022年7月6日。場所:Kollectパートナーズ法律事務所会議室)。

 

第1 「食べログ」訴訟の手続面について
西田
西田

お忙しいところ、インタビューに応じていただきまして、どうもありがとうございます。本音を申し上げると、「食べログ」訴訟に関しては、判決の詳細をお聞きしたいところではあるのですが、本日は、訴訟については、手続的な点についてだけ簡単に確認させてください。

皆川
皆川

ご配慮ありがとうございます。

西田
西田

商事法務ポータルでは、東京地裁・高裁の開廷情報を掲載しています。2020年9月22日に東京地裁の民事44部で、「『食べログ』によるチェーン店差別に関する損害賠償請求」という事件名の期日が記載されています。このような事件名を付した意図はどこにあったのでしょうか。

皆川
皆川

世の中に広くこの問題を知ってもらいたいという気持ちでこのような事件名を付しています。第1回期日の後には記者会見も行いました。

西田
西田

不勉強で恐縮ですが、当時は、この訴訟のことを存じ上げませんでした。

皆川
皆川

それも仕方ないと思います。実は、第1回期日の日に、有名芸能事務所に所属していたタレントの交通事故があったために、本件訴訟の記者会見を報道していただく予定のニュース番組が急遽、タレントの事故に差し替えられてしまったりして、当時のメディアでの扱われ方は小さなものでした。

西田
西田

今回の判決については、テレビのニュース番組でも全国紙でも取り上げられていました。ところで、東京地方裁判所は、「食べログ」運営会社側への損害賠償請求を一部認めたものの、アルゴリズムの差止請求を棄却したと報じられています。「食べログ被害者の会」のHPに掲載されている訴状では、損害賠償のみが請求されており、差止請求は記載されていません。差止請求は、後から請求を追加された、ということなのでしょうか。この点と、先生が判決後の記者会見で「韓流村の主張がほぼ全面的に認められた」というコメントとの関係を教えていただけないでしょうか。

皆川
皆川

ご指摘のとおり、当初の請求では、損害賠償のみを求めて、訴訟は民事の通常部に係属しました。これは、原告の訴訟提起に伴う経済的負担を抑えるため、具体的に言えば、印紙代を安く抑えるために選んだ手法でした。しかし、通常部において、数回の期日を重ねていくうちに、原告側としては「通常部では、普段から、契約法理に基づく判断に慣れているが故に、原告が本件で問題提起している独禁法上の論点を十分に審理していただくことが難しいかもしれない」という不安が芽生えてきました。そのため、依頼者と相談の上で、独禁法上の差止請求を追加致しました。

西田
西田

差止請求を追加したのは、差止請求そのものを認容してもらうためだけでなく、裁判所に「本件は独禁法上の論点が主たる争点である事件であること」を認識してもらうことに主たる目的があったわけですね。それが故に、判決後の記者会見でも「ほぼ全面的に認められた」というご発言があったわけですね。

皆川
皆川

もちろん、原告としては、差止請求を認めてもらいたいと考えておりますので、第一審の判決に100%満足しているわけではありません。だからこそ、原告側からも第一審判決には控訴しています。ただ、差止請求を追加したことにより、本件は、通常部から商事部に移送されて、独禁法に詳しい裁判長の訴訟指揮の下で審理していただくことができました。そして、独禁法79条(差止請求に関する訴えについての委員会への通知等)に基づいて、本件に関して、公正取引委員会の意見を出してもらうこともできました。

西田
西田

そこまで狙って差止請求を行われたのでしょうか。

皆川
皆川

はい、そこを狙って差止請求を行いました。ただ、独禁法79条は「裁判所は、前項の訴えが提起されたときは、公正取引委員会に対し、当該事件に関するこの法律の適用その他の必要な事項について、意見を求めることができる。」と規定しているだけなので、裁判所が意見を求めてくれるかどうかは不確実なところがありました。そのため、実際に裁判所が公取委に意見を求めてくれた時には、当職らの意図していた通りの展開だったので、ホッとしました。

西田
西田

ロジックについては、被告側と意見が分かれるところだと思いますが、原告側にとって、本件第一審における立証上の課題は何だったのでしょうか。

皆川
皆川

やはり、過去におけるチェーン店の評点の推移をどう収集して証拠化するか、という点ですね。

西田
西田

それは、原告のチェーン店の評点が、2019年5月21日頃に下がったことですか。

皆川
皆川

いえ、原告のチェーン店の評点の推移は、原告であるKollaBoを運営する韓流村の社長が問題意識を持っていたので、すべて保管してくれていました。原告の請求は「原告だけでなく、チェーン店一般をターゲットにしたディスカウントが行われた。」という仮説に基づくものです。その仮説を立証するためには、原告以外の他の飲食店チェーン店についても、2019年5月21日頃に、評点が下がっていることを証拠に基づいて明らかにする必要がありました。

西田
西田

それをどのように克服されたのでしょうか。

皆川
皆川

「Internet Archive」というウェブサイトの「Wayback Machine」というサービスを利用しました。非営利団体「インターネットアーカイブ」が、インターネット上のウェブページをアーカイブしているので、このサービスを使えば、現在は閲覧不能の過去のサイトでも、アーカイブされた過去の日時におけるウェブページの表示を確認することができます。

西田
西田

Internet Archiveのサービスを利用して取得した情報にも信用性が認められているのでしょうか。

皆川
皆川

はい、知財高裁を含めて複数の裁判例で、Internet Archiveは信用性あるものとして認められています(たとえば、知財高裁令和1・10・24等)。

西田
西田

先生は知財にも詳しいのですね。

皆川
皆川

クライアントから知財についての相談もよく受けていますが、今回の訴訟の証拠化については、桃尾・松尾・難波法律事務所のアイディアと尽力が大きく貢献してくれました。

西田
西田

松尾剛行先生とそのチームですね。技術にお詳しいため、商事法務ポータルでも「リーガルテックと弁護士法72条」の連載をご執筆いただいています。本件は、皆川先生のクライアントから受任した事件について、桃尾・松尾・難波法律事務所にもお声がけして代理人チームを組まれたのでしょうか。

皆川
皆川

そうです。松尾弁護士と外部の研究会で知り合ったのはもう10年近く前のことになりますが、その後、共同して訴訟を受任したことが何件もあります。今回も、私が、韓流村の社長からご相談をいただいて「これは提訴を検討する価値があるのではないか」と代理人の受任を検討し始めた時に、「桃尾・松尾・難波法律事務所の知見も借りたい」と願って声をかけたところ、快く引き受けてくれました。

西田
西田

両先生には「独禁法の専門家」というイメージを抱いておりませんでしたので、今回の訴訟代理人を先生方が務められておられると知って、少し驚きました。

皆川
皆川

私自身、弁護士業務では、独禁法に関しては、予防法務的に、契約書のレビューに際して条項の修正等をアドバイスすることがメインで、訴訟代理人を務めたことはありませんでした。

西田
西田

今回は、勝てる見込みがあって訴訟代理人を受任されたのでしょうか。

皆川
皆川

2019年に、韓流村の社長さんから初めて本件のご相談をいただいた時には、正直に申し上げて、私も「訴訟で勝つことは難しそう」という印象を抱きました。しかし、2020年3月18日に、公取委が「飲食店ポータルサイトに関する取引実態調査について」という報告書を公表しました。この報告書が指摘する問題事例にも該当すると考えて、韓流村の社長の主張を法的にも裏付けた請求に結びつけてあげたいと思いました。

西田
西田

しかし、公取委は報告書を出しても、具体的に、排除措置命令を出したわけではないのですよね。公取委ですら、具体的なアクションを取れなかった類型について、民事訴訟を提起することに躊躇はなかったのでしょうか。

皆川
皆川

その点は、私が「独禁法のスペシャリスト」として弁護士をしているわけではないことがよかったのかもしれません。依頼者の主張に合理性があり、その主張を裏付ける法的構成が考えられるならば、私自身の評判リスクを考慮する必要はありません。勝てない可能性もあることを依頼者に説明した上で、それでも依頼者からお願いしますとの要請を受けたので、民事訴訟を提起した、というだけのことです。

西田
西田

第一審判決は、勝訴とは言える結果でしたが、賠償金額は一部しか認容されていません。ここに至るまでに多大な労力を要したと思うのですが、弁護士費用は、タイムチャージで算定されているのでしょうか。

皆川
皆川

いえ、本件は、着手金・報酬金ベースで受任しています。日弁連の旧報酬規程にしたがって弁護士費用を計算すると着手金が高額になりすぎるため、着手金を通常より低額に設定し、その分、報酬金を若干高めに設定する形式を採用しています。

西田
西田

判決における認容額をベースに報酬金を算定すると、提訴から2年以上に及ぶ代理人業務に投じたコストを回収することが難しくなってしまうのではないでしょうか。

皆川
皆川

本件の原告訴訟代理人は少数精鋭のチームで対応してきましたので、多人数のチームで生じるようなコストが生じているわけではありません。本件のような訴訟のご相談で、タイムチャージ形式で、結果に関わりなく、要した時間に応じて弁護士費用を請求することで、提訴の機会を奪ってしまうことの方が問題だと思いました。

西田
西田

「食べログ」訴訟については、判決文が公開された後に、また改めて内容面についてお話を伺いする機会をいただきたいと願っております。

 

第2 皆川弁護士の経歴について
西田
西田

それでは、皆川先生のご経歴に話題を移させて下さい。皆川先生は、早稲田大学高等学院、そして、早稲田大学法学部とご卒業されて、早稲田大学大学院の法学研究科の修士課程に進学されています。ご専攻は何だったのでしょうか。

皆川
皆川

刑事訴訟法で田口守一教授(早稲田大学名誉教授、法学博士)が、愛知学院大学から早稲田大学に移って来られてきて研究室を始められた1期生でした。ティーチング・アシスタントを務めて、刑事訴訟法の研究の傍らに、書籍の校閲や論文執筆の資料収集、ゼミ生に配る資料の作成等をしていました。

西田
西田

刑事訴訟法の研究者を目指しておられたのですね。

皆川
皆川

はい。ただ、私が修士課程にいた頃に父が倒れました。田口先生にも相談したところ、「研究者になったら、30歳になっても定職を得られないかもしれない」という助言を頂いたため、急遽、企業への就職活動を始めました。

西田
西田

1990年代後半は、就職市場はあまりよくなかったですよね。

皆川
皆川

そうですね。当時、日本の金融機関の採用は「浪人や留年は2年間まで」という暗黙のルールがありました。私は、高校時代に1年間留学して、大学の法学部は5年生まで在籍し、その後、修士課程に進んでいたこともあり、日本の金融機関は年齢制限に抵触するため面接すら受けられませんでした。

西田
西田

留学経験があるならば、外資系企業はご検討されたのでしょうか。

皆川
皆川

実は、外資系の金融機関から内定をいただいており、一時は就職するつもりでいました。

西田
西田

それを蹴って、三菱商事に就職されたのですね。

皆川
皆川

三菱商事から内定を得た時に、母が、週刊誌の「働きやすい会社」の特集記事で、三菱商事が1位にランキングされているのを見つけてきました。それに加えて、近所に、外資系証券会社に勤めている方が居て、その方から「外資系企業は新卒で入っても使い捨てられてしまう人もいる。自分も日本企業から転職してから外資系に来たおかげで長く勤務を続けられている」というアドバイスをもらいました。それらを踏まえて、家族会議の結果、三菱商事への就職を決めました。

西田
西田

三菱商事は、法務部への配属を予定して採用されたのですか。修士課程で刑事訴訟法を専攻していたことはプラスに働いたのでしょうか。

皆川
皆川

当時は、まだ企業法務においてコンプライアンスの重要性が認識される前でしたので、面接で「刑事訴訟法の研究をどう活かすか?」の辻褄を合わせるのに苦労しました(苦笑)。自分の場合は、英語が得意だったこと、それから、旧司法試験の択一試験には合格していたことのほうが評価されたのではないかと思います。

西田
西田

三菱商事の採用時の法務部長はどなただったのでしょうか。

皆川
皆川

大村多聞さんです。大村さんは京都大学のご出身だったので、東大出身者が多い組織には、他大学の出身者も必要だと考えて下さったのかもしれません。

西田
西田

三菱商事の法務部でのお仕事は忙しかったのでしょうね。

皆川
皆川

そうですね、当時は、まだ法務部には30人くらいしかいませんでした。その中で、「院卒=3年目」扱いで、たくさん仕事を振っていただき、1年目の終わりには、ひとりで海外出張にも行かせていただきました。2年目には、大手外資系企業の日本法人との間で業務提携契約を締結するという案件を任されたのですが、その道30年くらいに見えるベテランの法務部長と本社から派遣されてきた米国人弁護士を相手方に自分が会社を代表して交渉をして、その場で英文契約をどんどん修正していく、という厳しい現場を担当することもありました。

西田
西田

オン・ザ・ジョブ・トレーニングですね。総合商社の海外取引だと金額規模も大きな交渉もあるのでしょうね。

皆川
皆川

3年目に主担当として関与したM&A案件は、当時の経常利益の1年分に匹敵する規模のキャピタルゲインを会社にもたらすことに成功して社長表彰を受けられたことは、三菱商事時代の懐かしい思い出です。

西田
西田

入社3年目で社長表彰とは凄いですね。社長からも将来を期待されていたのですね。

皆川
皆川

社長表彰にはそのご厚意に応えられなかった申し訳ないエピソードがありまして。実は、社長から、料亭でのお祝いの席をセットしていただいたのに、私の新婚旅行の日程と重なってしまっていたため、新婚旅行を優先してお祝いの席を辞退してしまいました。

西田
西田

今ならば違和感はありませんが、20年前はまだ「家庭よりも仕事が最優先」の価値観が一般的だったので、「サラリーマン失格」と言われてしまいそうなエピソードですね。その頃、日本版ロースクールがスタートしたのですね。

皆川
皆川

ロースクールが始まる前から、1999年には、司法修習を終えて弁護士資格を取得した新卒で法務部に配属されていました。それまでも、会社から米国のロースクールに留学する制度はあったのですが、私としては、日本企業で法務のスペシャリストを目指すならば、米国法ではなく、日本法の資格を取りたいと考えるようになりました。

西田
西田

日本版ロースクールは、設立当初、「70%が司法試験に合格する」という宣伝文句でしたね(苦笑)。

皆川
皆川

はい。そして、成蹊大学の法科大学院には、2年間で卒業できる夜間の社会人コースが設置されることになったので、試しに受験してみたところ、奨学金も貰える形での合格を得られたので、進学を考えるようになりました。

西田
西田

最初から会社を辞めて進学することを考えていたのでしょうか。

皆川
皆川

いえ、最初は、会社勤務を続けたままで通学することを考えていました。しかし、18時(午後6時)に吉祥寺での授業に出席することは、当時のワークロードを踏まえると、両立は難しいことが判明しました。

西田
西田

会社を辞めてロースクールに進学することについて、ご家族の反対はなかったのでしょうか。

皆川
皆川

妻は、大学時代からの付き合いだったので、ロースクールへの進学についても理解を示してくれました。

西田
西田

当時のロースクールは、教員も学生も質が高かったですよね。

皆川
皆川

はい、成蹊ローの社会人コースの同期には、IT企業の代表取締役をされていた松尾明弘さん(現在は松尾千代田法律事務所代表、前衆議院議員)や公認会計士をされていた眞鍋淳也さん(現在は南青山M’s法律会計事務所代表)がいました。また、教員側には、WTOの上級委員も務められた、松下満雄教授が独禁法のゼミを持たれていたのですが、1年目は私以外に参加する学生がいなかったので、松下先生と1:1という、とても贅沢なゼミを経験させていただきました。

西田
西田

そして2年間のロースクールを終えて、司法試験を受けられたのですね。

皆川
皆川

そうです。司法試験が終わった時に、三菱商事の法務部の先輩で、ソフトバンクの法務部長をされていた須崎將人さんから「司法試験に落ちたら、うち(ソフトバンク)で採用するから」と声をかけていただいたのはありがたかったです。幸いにも司法試験には合格できたので、お世話になることはありませんでしたが、昨年、須崎さんが若くしてお亡くなりになってしまったのは非常に残念です。

西田
西田

司法修習を終えた後は、日本の中規模事務所に就職なされて、それから、外資系事務所の東京オフィスに移られたのですよね。

皆川
皆川

はい。最初は、「三菱商事での実務経験もあるから、最初から自分でお客さんを取れる事務所に行こう」と考えて国内の中規模事務所を選んだのですが、実際に働き始めてみると、「弁護士としても渉外業務の経験を積んでおいた方がよい」と感じるようになりました。そして、英国系のアシャースト東京法律事務所に移籍しました。

西田
西田

アシャーストにおられた頃にリーマンショックがあったのですね。

皆川
皆川

そうです。アシャーストでは、最初の1年間は充実した日々を過ごしていたのですが、リーマンショックの影響で、東京オフィスの日本人弁護士チームは、パートナーも含めて人員が削減されました。その途中で、私自身も退職して、外資系の事業会社のインハウスに転職しました。

西田
西田

外資系企業のインハウスはどうでしたか。

皆川
皆川

先輩が勤務している外資系企業だったのですが、私が入って2ヵ月もしたら、私を誘ってくれた先輩が転職してしまいました。勤務条件は悪くなかったのですが、仕事内容が総合商社や外資系法律事務所に在籍していたときと比べると、どうしても特定の分野に限られてしまうため、長くは続けられないと感じていました。

西田
西田

そこで、次は転職ではなく、独立という選択をされたのですね。

皆川
皆川

その通りです。成蹊ローの同期である松尾さんや眞鍋さんは、既に、事務所を経営して成功されていました。彼らからは「今後、弁護士はどんどん増えていくので、早く独立して、今のうちに顧問先企業を確保しておくべきだ。5年後に独立しても手遅れだ」といった助言を受けました。そんな助言にも背中を押されて、2010年9月に独立して、皆川恵比寿法律事務所を設立しました。

西田
西田

外資系事務所からインハウスへというご経歴からは、ご自身のクライアントは持ちづらかったのではないかと想像するのですが、独立当時、安定収入の源泉となる顧問先企業はあったのでしょうか。

皆川
皆川

クライアントはゼロでした。そのため、半年間は収入がなくても生きていけるだけの貯金があることだけは確認して独立しました。

西田
西田

クライアントはどのように開拓していったのでしょうか。

皆川
皆川

開業当初は時間があったので、事務所近くの司法書士、行政書士、社会保険労務士の先生方の事務所にあいさつ回りに行きました。また、三菱商事時代の同期が偶然、事務所の近くの会社の代表取締役をしていたこともあり、その会社から仕事を依頼してもらったり、後輩の親族の方が近くで経営している会社の紹介を受けるなど、周りの人達に助けてもらったおかげで、当初の半年もたたずに、事務所の売上もある程度安定してきました。その後は、クライアントが別のクライアントを紹介してくれるということで、1年もすると一人ですべての仕事を行うのが時間的に難しくなってきました。

西田
西田

2010年9月から2021年12月まで、11年3ヵ月間、個人事務所を経営されていたのですね。

皆川
皆川

経営弁護士はずっと私一人でしたが、最盛期はアソシエイトが3人いたときもありました。残念ながら、私の力不足で、その中からパートナーに育ってくれる弁護士は現れませんでした。

西田
西田

11年以上も続けてきた個人事務所を継続する形ではなく、新たな共同事務所の設立に参画されたきっかけはどこにあったのでしょうか。

皆川
皆川

最後に雇っていたアソシエイトが辞めてしまったのが契機となりました。私も彼の成長を期待して、きっちりと教育して、本人のスキルも随分と上がってきたように見えたので、「これから戦力になってくれるだろう」というイメージが描けるようになった矢先に、本人から、大規模な法律事務所に移籍したい、という退職相談を受けてしまいました。

西田
西田

それは残念ですね。後任を探そうとは思わなかったのでしょうか。

皆川
皆川

実は、後任を採用しようと思って、転職して行くアソシエイトに対して「ロースクールや修習時代の友人でいい人がいたら、紹介して」と尋ねたことが、Kollectパートナーズの設立に参画することにつながりました。

 

第3 Kollectパートナーズ法律事務所の設立と求める人材
西田
西田

Kollectパートナーズ法律事務所を共同で設立した他の先生方とは、元々のお知り合いだったのですか。

皆川
皆川

転職していったアソシエイトから紹介されたのが、現在、Kollectパートナーズ法律事務所のアソシエイト弁護士の一人でした。もともと、こちらが自分の事務所に勧誘しようと思って話してみたところ、逆に、その方から「うちの事務所のパートナー数名が、今度、新しく事務所を立ち上げるので、一度、お会いしてみませんか?」という提案をいただき、「会ってみるだけだったら、別に構わないけど」と応えたのがきっかけでした。

西田
西田

それでトントン拍子にKollectパートナーズへの参画が決まったのですね。

皆川
皆川

そうです。Kollectパートナーズの設立を準備されていた、渥美優子さん、三枝充さん、佐藤亮さん、福島健史さんとお会いして話をしたところ、みなさんが若いのに実績もあって、やる気に溢れておられる姿に私も感化されて、「この人たちと一緒に事務所を作るのは面白そうだ」と思いました。

西田
西田

ご自身の名を冠した事務所の看板を下ろすことに対する抵抗はありませんでしたか。

皆川
皆川

個人事務所は、11年間、実質、ほぼひとりで経営を続けてきたので、「一通りやり切った」という達成感がありました。年齢的にも50歳になって、新しい挑戦をすることのほうが楽しみになりました。これからさらに自分の取扱い分野を広げて、事業を拡大していくためには、法律事務所の共同経営にも挑戦してみるべきだと思いましたし、そのパートナーとして、渥美さん、三枝さん、佐藤さん、福島さんの4人はご一緒させていただきたいと思えるだけの魅力のある弁護士でした。

西田
西田

事務所名である「Kollect」とはどういう意味なのでしょうか。

皆川
皆川

これは、事務所の理念である「ナレッジコレクティブ(Knowledge Collevtive)」から来ています。知識・経験といった知見の集合体を意味するものですが、「ナレッジコレクティブ」だと長すぎるので、これを略した造語が「Kollect」です。その名前のとおり、私を含めたパートナー5人が得意とする専門分野が、お互いの取扱い分野を補完する形になっています。設立してまだ半年ではありますが、例えば、私のところに資金調達の相談があった場合には、ファイナンスを専門とするパートナーにもチームに入ってもらって共同して案件に対応する、という体制ができています。

西田
西田

Kollectパートナーズは、他の専門家事務所とグループを形成されているのですか。

皆川
皆川

その通りです。Kollectパートナーズは、企業を主な依頼者とする法律事務所ですが、Kollectアーツは、個人を主な依頼者とする法律事務所です。刑事弁護も強く、代表の趙誠峰弁護士は多数の無罪判決を勝ち取っています。また、Kollectカウンティは、司法書士法人で不動産登記だけではなく、種類株の発行に関する登記の経験も豊富な司法書士が在籍しています。Kollectデザインは行政書士事務所です。これら事務所は、Kollectパートナーズと同じビルにフロアを分けてオフィスを置いています。

西田
西田

地方にもグループ展開されているのですね。

皆川
皆川

はい、関西ではKollect京都法律事務所、九州の福岡では、明神&Kollect法律事務所が活動しています。

西田
西田

グループ全体での調整も行われているのでしょうか。

皆川
皆川

守秘義務と利益相反の管理を行っています。すべての事務所間で相互に守秘義務契約を締結した上で、新規の依頼については、グループ全体にコンフリクトチェックを回しています。このシステムによって、「Kollect京都が、知らないうちに、Kollectパートナーズのクライアントの紛争の相手方を代理していた」なんていう事態が起きないようにしています。

西田
西田

今後も取扱い分野や事業領域を拡大される計画があるのでしょうか。

皆川
皆川

そうですね。別の、新たな専門分野を持ったパートナーが入ってきてくれることで、依頼者に対して、より良いサービスを提供していくことができると思います。

西田
西田

具体的には、どのような年次で、どのような経歴の人材を補強していくことを考えておられるのでしょうか。

皆川
皆川

年次的には、パートナーとアソシエイトの間が空いてしまっており、そこを埋められるような、中堅、シニアアソシエイト年次も補強したいと思っています。現在、司法修習中の75期にも複数名の内定を出しているのですが、育てるのに時間を要するので、即戦力のシニアアソシエイト年次の方にもぜひもっと参画して来てもらいたいですね。

西田
西田

先生も商社のご出身ですが、アソシエイトにも、メガバンク出身や公務員出身の方など、ご経歴が多彩ですね。

皆川
皆川

はい、私たちは社会人経験を積極的に評価しています。ただ、それに留まらずに、会社員的発想から脱却して、弁護士が「個人事業主」であることを理解して、自分自身のブランドを構築して、自分の顧客を開拓していこう、という気概を持っている方に参加してもらいたいと考えています。

西田
西田

一般論として、社会人経験者の場合には、年齢に比べて弁護士としての経験が浅くなってしまうために、給与水準で折り合いがつかなくなることも多いと思うのですが、その点はいかがでしょうか。

皆川
皆川

当事務所の給与体系でユニークなところは、アソシエイトの給与制度として、固定給制度だけでなく、歩合給制度も設けているところにあります。歩合給のアソシエイトは、パートナーから案件を受任したら、当該案件の報酬の一定割合を受け取ることができるようになっています。そのため、パートナーから認められたアソシエイトは、どんどん仕事が来て、分配される報酬額も増える、という関係にあります。1年目の新人弁護士も、歩合給制度を選択しているため、これまでの3ヵ月の実績からすれば、1年間を終えた時には、大手法律事務所の初任給とそう変わらない水準に達するだろうと予想しています。

西田
西田

自分に直接に依頼があった事件を個人受任することも、別途、認められているのでしょうか。

皆川
皆川

そうです。一定割合の経費を納めていただくことは必要となりますが、利益相反の問題がない限りは原則自由に、分野も絞らずに受任してもらっています。

西田
西田

逆に、仕事に遅かったり、案件を取るのが苦手な人には、歩合給は不利かもしれませんね。

皆川
皆川

当事務所も、歩合給制度だけではなく、固定給の制度と併存させて、本人の選択に委ねています。私も、もともとはジュニアなアソシエイトに歩合給制度を適用することに懐疑的だったのですが、弁護士がサービス業であることを理解して、お客さんのニーズを自分から考えて、それに合致するようなサービスを自分なりに工夫して提供する、という仕事のスタイルを身に付けるためには、早いうちから歩合給で働くことも効果的な面があると感じるようになりました。

西田
西田

確かに、「自分の給料は、毎年、昇給していって当たり前」と思っているアソシエイトは、パートナーになって「給料を貰う立場」から「経費を納める立場」に転じる時に、その転換に自分のマインドを切り替えられないことも多いですよね。そのタイミングで「インハウスに転向したい」という相談を受けることがあります。

皆川
皆川

そこで、パートナーになった時に一気にマインドを大転換するのではなく、アソシエイトのうちから、歩合給で働くことで、まずは、パートナーを自分の顧客と想定して、次第に、その顧客層を外部にも広げて行くことができれば、マインドを、パートナー的思考に段々に切り替えていってくれるのではないかと期待しています。

西田
西田

Kollectパートナーズに、さらに、優秀な人材が合流して、ますます事務所が発展されていくことを祈念しております。本日は、お忙しいところ、どうもありがとうございました。

<おわり>

 


(みながわ・かつまさ)

1996年早稲田大学法学部卒業、1998年同大学院法学研究科修士課程修了後、三菱商事株式会社に入社。法務部にて国内外の新規事業投資案件、M&A案件、コンプライアンス関連業務に従事。2006年成蹊大学法科大学院(社会人コース・特別奨学生)修了後、2007年弁護士登録(第一東京弁護士会)。
英国系法律事務所勤務等を経て、2010年に東京都渋谷区恵比寿で皆川恵比寿法律事務所を開業。2022年1月に東京都渋谷区代々木でKollectパートナーズ法律事務所を共同設立。現在、株式会社大塚商会及び株式会社ユビキタスAIの社外監査役。中央職業能力開発協会主催「ビジネス・キャリア検定試験(取引法務)」試験委員。

 

(にしだ・あきら)

✉ akira@nishida.me

1972年東京生まれ。1991年東京都立西高等学校卒業・早稲田大学法学部入学、1994年司法試験合格、1995年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程(研究者養成コース)入学、1997年同修士課程修了・司法研修所入所(第51期)。
1999年長島・大野法律事務所(現在の長島・大野・常松法律事務所)入所、2002年経済産業省(経済産業政策局産業組織課 課長補佐)へ出向、2004年日本銀行(金融市場局・決済機構局 法務主幹)へ出向。
2006年長島・大野・常松法律事務所を退所し、西田法律事務所を設立、2007年有料職業紹介事業の許可を受け、西田法務研究所を設立。現在西田法律事務所・西田法務研究所代表。
著書:『新・弁護士の就職と転職――キャリアガイダンス72講』(商事法務、2020)、『弁護士の就職と転職』(商事法務、2007)

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