◇SH3186◇弁護士の就職と転職Q&A Q119「平穏なキャリアを求めたら、インハウスになるのが正解なのか?」 西田 章(2020/06/08)

法学教育

弁護士の就職と転職Q&A

Q119「平穏なキャリアを求めたら、インハウスになるのが正解なのか?」

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 6月になり、通勤・通学する人々の数が目に見えて増えてきました。その裏では、「コロナ禍が来る前のハードワークにはもう戻りたくない。」というアソシエイトからのインハウスへの転職相談は増えています。キャリアのためにプライベートをすべて犠牲にするのではなく、ある程度のプライベートを確保しつつ、安定した生活を送りたい、という希望を抱くことはよく理解できます。ただ、大学受験における「志望校の偏差値を下げたら、合格しやすくなる。」という発想は、キャリア形成には当てはまらないことにも留意しなければなりません。Q47「『インハウスになれば安定できる』との発想に見落としはないか?」で取り上げた論点を、コロナ禍を踏まえて、改めて整理してみたいと思います。

 

1 問題の所在

 20年以上前、筆者が渉外系事務所への就活をした頃には、「渉外弁護士は企業法務の最先端を担う業務であり、入所者全員が生き残れるわけではない。」という認識の下に、「自分にこの仕事が向かないと気付いたら、地元に戻って独立開業しよう。」というセカンドキャリアを予防線に張る姿が多く見られました。言わば、ゴルフの世界で、「ツアープロがダメだったら、レッスンプロに転向しよう。」といったシナリオです。レッスンプロにはレッスンプロとしてのコミュニケーション能力が求められるのと同様に、独立には一流事務所とは異なるスキルが求められるであろうことは容易に想像できるのですが、「自分は企業法務の最先端に挑戦している」というプライドを持っていなければ、ハードワークを肯定するモチベーションを維持できない、という事情もありました。

 しかし、司法制度改革における弁護士人口の増加は、「弁護士資格さえ持っていれば、刑事の国選事件もあるし、食いっぱぐれることはない。」という期待を打ち砕くことになりました。「独立開業というセーフティネット」を失った企業法務系アソシエイトにとって(もともと幻想に過ぎなかったとしても)、次に、セーフティネットとして期待されたのがインハウスへの転向です。トップ・ローファームにおける激務に耐えてきたアソシエイトにとってみれば、「インハウスへの転向」は、言わば、「全国大会で優勝するような強豪校の体育会系から同好会にランクダウンして部活を続ける」ようなイメージで捉えられがちです。ただ、現実には、企業は、同好会ではなく、その事業分野において、市場での生き残りをかけて真剣に戦っています。会社の従業員として、クライアントを1社に絞って働けば、「稼働時間が過剰になる」というリスクを払拭することはできるかもしれませんが、自己が担うべき業務の守備範囲が広がり、かつ、人間関係が固定化することに伴って(ロー・ファーム時代には想定していなかった)キャリアリスクにも遭遇します。

 

2 対応指針

 キャリアは、「所属した組織が市場で勝ち残ってくれること(対外競争)」と「所属した組織内で自己のポジションを確保すること(社内競争)」の2つの条件を満たすことができないと安定しません。伝統的に言えば、社内競争に疲れたサラリーマンが「自分の腕っぷしだけで食って行きたい」として、司法試験に挑戦したものであり、「弁護士資格」は、サラリーマンとして安定した生活を支援するツールではありませんでした。

 日本企業も、「ホワイトカラーの人余りによる生産性の低さ」が意識されるようになり、「メンバーシップ型からジョブ型へ」の移行を課題とする中では、「安定した一流企業の『窓際族』として、のんびり働きたい」という希望は叶えられません。労働者としてのジョブ・セキュリティを確保するためにも、「年次に応じたスキルと経験を身に付けていくこと」が求められていることを意識しなければなりません(また、自己評価と会社からの評価を一致させるためには、事業/経営陣/上司との相性が合うことも重要です)。

 

3 解説

(1) 対外競争と社内競争

 一流のロー・ファームで生き残るのは、才能がある若手弁護士にとっても楽な道ではありません。事務所は、他の競合するトップ・ファームに負けないだけのサービスのクオリティを維持するために、毎年、優秀な新人を確保することに熱心です。毎年、全国有数の新人弁護士が参入してくる組織において、自己のポジションを確保するためには、才能に加えて、ハードワークが求められます(さらに「運」も必要と言えるかもしれません)。

 ここで、「社内(所内)競争」から降りることを考えるならば、ひとつには、一流よりも下位にランクされる法律事務所に移籍するか、独立することが考えられます。業界内での評判を下げた組織に身を置けば、「優秀な新人が毎年続々入所する」という環境からは逃れることができますので、「社内(所内)競争」の激しさは緩和されます。ただ、「評判を下げた組織が対外競争に勝ち残れるのか?(市場で売り上げを立て続けられるのか?)」という問題が存在しています。

 この問題は、今、現在、自分が所属している弁護士業界において「トップ・ティアからセカンド・ティアに下げて、法律事務所を移籍する」というシナリオを想定すれば、リアルさを持ってイメージすることができます。他方、インハウスに転身することをシミュレーションする場合には、自らは、フロント部門で売上げ責任を担うことを期待されているわけではないが故に、リスク感度が鈍くなってしまう事例が多く見受けられます。

(2) 一流企業における社内競争の激化

 従前であれば、「欧米系企業は、給料が高い分だけ能力主義であり、リストラされるかもしれないが、日系企業は、なんだかんでいっても、終身雇用が維持されている。」という期待感がありました。実際、旧都市銀行等では、会社の人事に従っていれば、定年後の再雇用や転籍先の斡旋まで、事実上、保証されていたと言われています。ただ、ホワイトカラーの余剰人員が日本企業の生産性を下げている、という問題意識は、一流企業ほど強く認識され始めていたところであり、コロナ禍におけるリモートワークは、「人員を削減しても業務を回せること」を証明する機会ともなりました。

 ロー・ファームのアソシエイトには、企業法務のキャリアに関して、「法律事務所>インハウス」「弁護士資格者>無資格法務部員」という優越感を持っている人も少なくありません。そういうプライドを持って「資格と経歴に恥じないように良いパフォーマンスを残そう」という高い意識を保つこと自体は悪いことではありませんし、実際、採用の場面に限れば、「複数の候補者を見比べたときに、資格者/法律事務所経験者のほうが安心できる」と思ってもらえる比較優位のメリットは存在します。ただ、社内において、既存のメンバーの人事を決定する際に、最優先されるのは(資格や経歴ではなく)社内での実績に基づく評判です。ここで、「資格者であるにもかかわらず、パフォーマンスが低い」と認定されるのは最悪です(パフォーマンスは、法律知識だけで測られるわけでなく、それを前提としたコミュニケーション能力をベースに評価されるために、無資格者のほうが高い評判を得ることもまったく珍しくありません)。さらに言えば、インハウスが増えてくれば、「資格者と資格者との間の社内競争」も生じてきています。

 そのため、「置きに行く」つもりでインハウスへの転職活動をしてしまうと、「安定だけを求めて転職先を選んだにもかかわらず、結果的には、社内で評価してもらうことができずにキャリアが行き詰まってしまう。」という失敗例も現れて来そうです。

(3) 事業/経営陣/上司との相性

 トップ・ロー・ファームのアソシエイトが「平穏な生活」を目指して転職活動をするときには、「年収にも業種にもこだわらない」として、許容範囲を広げることでマッチングを成立させたいと願う傾向もあります。もちろん、転職活動は、「ご縁」や「タイミング」が重要なので、検討の入口段階では、年収や業種にこだわりを持つことなく、前広に検討してもらうことは大切です。ただ、実際に、後悔のないキャリアを選択できるかどうかについては、「許容範囲を広げる」の次の段階として、「この事業/この経営陣/この上司のためならば、ストレスなく働けそう」と思えるだけの相性の良さが重要となります。

 インハウスになれば、「労働法に守られるので、過剰労働を避けられる」というのは権利ではありますが、逆に言えば、「定められた時間内で期待されたパフォーマンスを挙げなければならない」という義務を課されているとも表現できます(法律事務所において、「気が乗らない仕事」であっても、やむを得ず、深夜までダラダラとリサーチや起案を続けていれば、タイムチャージベースでは、その稼働時間分だけ事務所の売上げに貢献できていたところからは、発想を変えなければなりません)。

 これまで、多数の一流企業や一流のビジネスパーソンと働いて来た若手アソシエイトにとっては、今更、自分が「社会的意義を感じられないビジネス」とか「尊敬できない経営陣や上司」のために働くことには、疑問や懸念が付き纏います。仮に、転職活動のきっかけは、後ろ向きなものであったとしても、「この事業には将来性がありそう」とか「この社長や上司の取組みを支援してあげたい」という気持ちを抱けるような環境に自分の身を置くことは、(クライアントを絞ることになる)インハウスの職場選択にとっては、きわめて重要なことだと思われます(入社後にその気持ちが砕かれてしまう事情変更のリスクまでは避けられないとしても)。

以上

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