◇SH3214◇弁護士の就職と転職Q&A Q122「企業法務から一般民事への転向で何に留意すべきか?」 西田 章(2020/06/29)

法学教育

弁護士の就職と転職Q&A

Q122「企業法務から一般民事への転向で何に留意すべきか?」

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 新型コロナウイルスの感染がまだ収束していなくとも、経済活動の再開が進められています。この折に、企業法務系事務所のアソシエイトには、「ゼロベースで自分のキャリアを見直したい」と考える人も現れています。ひとつには、「労働法の保護を受けて安定的にワークライフバランスを保ちたい。」というインハウス転向の流れがありますが、もうひとつ、「弁護士を目指した原点に立ち返って、困っている人を助けられるような仕事も守備範囲に加えたい。」という一般民事転向の流れも聞かれるようになってきました。

 

1 問題の所在

 司法試験受験生の間では、企業法務の人気は高いですが、かといって、「企業法務以外をやりたくない。」というよりも、「企業法務も、一般民事も両方できるのが理想」という人が多数派です。ただ、就活では、「企業法務から一般民事には転向できるけど、その逆はない。」という俗説が説得的に語られるため、「まずは、人気が高い企業法務系事務所に就職しておきたい。」と願うのが、優秀層によく見られる傾向です。

 そして、実際に働き出してしまえば、(就職先事務所で個人事件が禁止されているわけでなくとも)事務所案件である企業法務系の業務に忙殺されてしまい、個人を依頼者とする事件を受ける機会がないままに年月を過ごしてしまいがちです。一般民事系の事務所に就職した同期の中には、早々に独立して自分の事務所を構えたり、同世代で集まって事務所を作る者たちが現れるようになってきます。そんな風に同世代の弁護士たちが独り立ちしていく姿を、秘かに少し憧れていたアソシエイトにとって、このコロナ禍におけるステイホーム期間は、「自分のキャリアをゼロベースで考え直してみたい」という契機となりました。そして、「所属事務所での業務に再び専従することにやりがいを見出せない。」「事務所からの承認やフィーの制約を気にすることもなく、友人や親戚からの相談を受けられるようになりたい。」「クライアントはいなくとも、まず、シェアオフィスを借りて独立することから、弁護士キャリアを再スタートしてもよいのではないか?」というプランを真剣に考え始める若手も出てきています(独立ではなく、一般民事系事務所に移籍する方法もありますが、東京弁護士会が、ベリーベスト法律事務所に懲戒処分(業務停止6月)を下したことや、第一東京弁護士会が東京ミネルヴァ法律事務所に破産申立てを行ったことなども影響して、「他人の運営する事務所に参加すること」に伴うリスクが強く認識されるようになっています)。

 確かに、独立が軌道に乗れば、「儲からなくとも、企業法務でも、一般民事でも、自分が好きな事件だけ受けて生活していく」という、ひとつの理想的弁護士ライフを実現できるチャンスはあります。他方、一見さんをメインにする個人依頼者対応のノウハウがないままに、拙速な独立をすることにはリスクも伴います。

 

2 対応指針

 一流企業をクライアントとする企業法務系事務所ほど、弁護士業務について「クライアントの経済的利益を最大化できる偏差値70以上の、最高品質のサービスを提供する」という意識が強く見られます。しかし、一般民事初心者は「偏差値50〜55の、平均点よりもちょっと上程度のサービス」を目指して仕事に取り組むほうが無難です(事件関係者は、必ずしも経済合理性に基づいた行動をするわけではないため、アブノーマルな事件処理に対して過敏な反応を受けるおそれもあります)。

 加えて、個人依頼者に対応する事務所ほど、経費を節約しすぎることなく、オフィスの物的セキュリティを確保して、スタッフも雇って、「敷居の高い、昔ながらの弁護士先生イメージ」を維持するほうが安全です(依頼者のクレームから自分を防御する場面も想定しておかなければなりません)。

 また、当面の節税ニーズ等を優先して、自己流の会計処理を行うよりも、スタッフや外部サービスを入れて、透明性のある帳簿管理を行うことが望まれます(そのほうが、将来の事務所移籍や他事務所との合併等をスムースに進められる選択肢が広がります)。

 

3 解説

(1) 偏差値70を目指すサービスのリスク

 企業法務系事務所では、一流クライアントからの依頼ほど、「クライアント内の担当者も法的リテラシーが高い。」「クライアントは他の一流法律事務所ともつながりがある。」ために、「本に書いてある定石通りの助言をしても評価されない。」「プラスαの付加価値を提供できなければ、リピートしてもらえない。」という専門家意識を持って仕事に取り組んでいます。

 ただ、「偏差値70のサービス」は、クライアント側の法務担当者との共同作業の上で(言葉は悪いですが、「連帯責任」又は「共犯関係」とも呼べるような絶妙な連携と役割分担に基づいて)立案した作戦において、それぞれの役割を果たし、その法律的構成の正当性を関係者が受け入れてくれることが前提となっています。しかし、この前提が一般民事で成り立つことは期待できない、と覚悟しておくべきです。アブノーマルな事件処理には、相手方(メンツを潰された相手方代理人弁護士を含む)が尋常でない反発をしてくるリスクもあります(経済合理性が認められなくとも、当方に迷惑を及ぼすこと自体が目的化されてしまうこともあります)。さらに言えば、「依頼者のためを思って講じた奇策」が、事後的に、依頼者から梯子を外されてしまうことで、弁護士が窮地に陥ってしまうような事例も散見されます(「法律の素人である依頼者」との間ではチームプレーは成立しないので、当方の奇策の分が悪くなった場合には、依頼者が、自己の責任回避のために「自分は弁護士に指示されただけである。」という主張をしてくるリスクも想定しておかなければなりません)。

(2) 敷居の高さ

 企業法務の世界では、「クライアントから、なるべく早いタイミングで相談を受けること」がきわめて重要だと言われています(のんびりしていたら、他の弁護士に案件を奪われてしまうので)。そのため、クライアントの担当者に、自己の携帯電話の番号を知らせている弁護士も大勢います(夜間や週末における緊急の連絡ほど、重要な相談であることが推認されます)。

 しかし、その「クライアント・ファースト」の姿勢を、個人依頼者に対しても貫いてしまうと、精神的に疲弊し、ひいては事務所経営にも打撃が及んでしまうリスクが伴います(深夜の電話対応は睡眠不足を招きますし、長時間の拘束を受けてしまうと、より収益性の高い事件に投じるべき時間と集中力を奪われてしまいます)。例えば、一般民事系の弁護士の中には、初めての相談者との打合せに際しては、スタッフに対して「1時間経っても会議室から出て来なかったら、会議室に内線電話又は電話メモを入れて様子を見に来てくれ。」という指示を出している先もあります(見るからに警戒の対象となる相談者だけでなく、一見すると上品そうに見える相談者でも、自己が執着している案件に関する話題になると、平静を失ってヒートアップして、攻撃的な性格に転じることもあります)。

 懲戒申立ての実務において、懲戒請求者の典型例が「元依頼者」であることも念頭に置いておかなければなりません。企業法務系弁護士の中には、タイムチャージに慣れてしまっており、「クライアントに請求できない作業に時間を使いたくない」と考える者もいますが、チャージできない作業であっても、「将来、依頼者からクレームを受けた場合」に備えて、自分が善管注意義務を尽くしたことを証拠に残すための記録化業務も忘れないようにしておきたいところです。

(3) 経理処理の透明性

 タイムチャージに慣れているアソシエイトは、「経理業務」も怠りがちです(手間がかかる割には、直ちに売上げにつながる業務でもないため)。ある程度の規模がある事務所であれば、経理スタッフを雇うことが通例ですが、独立したばかりの事務所には、スタッフを常に忙しくさせておくほどの仕事量もありません。事務所経営者は、資金繰りをショートさせないために、案件を受注して、それを処理することに追われているので、つい、タイムリーに経理を処理することを疎かにしてしまいがちです。そして、領収書等の資料をひとりで抱え込んだままで確定申告の時期を迎えて、慌てて、税理士に相談する、という光景をよく見かけます。

 しかし、事務所経営において「経理内容が自分にしか理解できない状態に陥っている」というのは、健全ではありません。これは、別に道徳的な問題を指摘しているわけではなく、将来のキャリアの選択肢を狭めるリスクを懸念するものです。「雇われ人」であるアソシエイトとは異なり、一旦、自分の事務所を運営した事業主の移籍は、規模は小さくとも、「M&A」的な色彩を帯びてきます。パートナークラスの受入れを真剣に検討する際には、「クライアントの一覧表」と共に「過去の財務諸表を見せてもらいたい」という要求がなされることが通例です。ただ、「自分ひとりで自己流に処理してきてしまった財務諸表」は、もはや他者に見せることが憚られるものとなってしまいがちです。受け入れ側が「守秘義務契約を結んでも、資料を見せられない理由が理解できない。」と判断するのも止むを得ないところですから、「財務諸表を開示できないが故に、移籍話が破断になってしまう。」ということも起こり得ます。

以上

 

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