◇SH3334◇日産元会長ゴーン氏の有価証券報告書虚偽記載罪についての法的考察(上) 小島秀樹(2020/10/08)

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日産元会長ゴーン氏の有価証券報告書虚偽記載罪についての法的考察(上)

小島国際法律事務所

 弁護士 小 島 秀 樹*

 

1.事件の概要と法的争点

 事実について断りがない場合は、新聞で報道された事実を検察の発見した事実として論じることとする。2011年3月期から2018年3月期の8年間のゴーン氏の取締役としての報酬につき有価証券報告書(有報)[1]上、合計78億9千1百万円が開示され支払われた[2]。年平均で約10億円弱を報酬として受領していたことになる。同期間中、合計約91億円[3]を受け取ってはいないが何らかの方法・手段を用いてゴーン氏は受け取ろうと画策していたらしい。画策とは、2年毎に2種の文書を作成していたことである。第1文書は報酬合意文書で、「総報酬」、「既払報酬」及び「未払報酬」に区別した上で、受け取り分約10億円と先延ばしされた分約10億円を区別して記載しており、ゴーン氏の署名と秘書室幹部の署名がなされている[4]

 第2文書はゴーン氏退任後の支払名目を記載した文書で、コンサルティング及び競業避止目的での支払を記載している。第2文書にはゴーン氏の署名はなく、ケリー前代表取締役及び西川前社長の署名がなされていた[5]。約91億円分は未払いながら自己への支払が将来予定されていたのであるから各年の有報上、個別開示が適用される1億円以上の報酬[6]の一部として受け取り報酬約10億円弱と共に開示されるべきであった。かかる不開示を金融証券取引法(金商法)の開示義務違反として公訴提起した。事実についての争いはほとんどなく、争われているのは法的解釈である。法的争点は以上の事実関係の下で、金商法上の開示義務違反の犯罪が成立するか否かということに尽きる。

 

2.金商法の歴史と開示義務の目的

 1929年のウォール街の大暴落は、経済史としても、日本の昭和恐慌とも連動して第二次世界大戦への序章としてのブロック経済への引き金にもなり、映画や文学でも広く取り上げられてきた[7]。ペコラ委員会[8]が大暴落の原因を探求した結果、再発を防止すべく立法されたのが連邦法としての1933年証券法[9]、1934年証券取引所法[10]であった。日本の敗戦後、連合国統治下の日本において経済民主化の名の下になされたのが、財閥解体、農地改革、労働改革であったことはよく知られている。

 同じ頃、日本の証券取引市場再開の条件として、GHQの要請により制定されたのが、1948年証券取引法(昭和23年法律第25号)であった(33年法の発行市場規律及び34年法の流通市場規律の双方を日本では単一の法でカバーしていた)[11]。日本の証券取引法は紛れもなく、米国連邦2法を母法として継受している[12]。現在でも我々実務家は、米国法人の実体を大掴みで理解しようとする時は、「フォーム10-K」を取り寄せてその会社の全体像を捉えようとする。1934年証券取引所法上の開示義務としてのフォーム10-Kは、日本の証券取引法を改正して引き継いでいる金商法上の有報の開示義務に匹敵する[13]。流通市場の重要な規制である開示の目的は両国とも、一般投資家やプロの投資家を含めて、投資対象である上場企業の株や債券に投資をするか、売却するかないしは所有を維持するかを投資対象企業の実体に基づいて知的な判断を可能とするための基礎情報を提供することであり「効率的資本市場仮説」と呼ばれる。占領期の初期には米国に習い、大蔵大臣所轄の行政官庁として、ある程度の独立性を付与された「証券取引委員会」が日本にも存在した。多数の改正を経て現在日本では「証券取引等監視委員会」が米国証券取引委員会(SEC)[14]の機能の一部を担っている。

 

3.財務諸表は有報上の最重要情報

 商法中会社法編の時代から現存の会社法の時代まで、会社の財務状況を表す損益計算書(Profit and Loss Statement、”PL”)と貸借対照表(Balance Sheet、”BS”)は財務情報の根幹である。会社法は明文をもって取締役への作成義務と株主総会での承認決議を義務付けている[15]。PLとは一事業年度(通常は1年)内の売上高から売上原価(製造費及び、又は仕入費等(売高上から売上原価を控除したものを「粗利」とか「売上総利益」と呼ぶ))、販売費及び一般管理費(粗利から控除したものを『営業利益』と呼ぶ)を控除し、更に営業外収益・費用に含まれる受取利息や支払利息を合算したものを「経常利益」と呼び、更に特別利益・損失を合算したものを「税引前当期純利益」、法人税・法人住民税・事業税等を控除したものを「税引後当期純利益」と呼んで事業の全体像を表している[16]。いわゆる自己資本利益率、ROE[17]はこの税引後当期純利益と資本金との比率を表すものであり、投下資本に対して一事業年度の成果(収益性)を計る尺度である。取締役の役員報酬はPLの中の販売費及び一般管理費の営業費用の一項目である[18]。当然、特定金額が「全取締役報酬合計」として記載されている。一事業年度の売上高、粗利率、営業利益、経常利益を知ることは全ての契約交渉において相手の実態を知ることになるし、M&Aの方針決定、値付け、事業部門別PLを学習することによる全事業買収か部門切離し買収かの方針決定に役立つ。1年間の収益規模、利益規模、収益率を計るのには必要な情報である。しかしPLのみでは、会社の純資産額は開示されていない。一事業年度の期間ではなく、一定日(例えば毎年3月31日)時点での総資産、総負債、資本金、資本及び利益剰余金合計を表示しているのがBSである。総資産から総負債を控除すると資本金や利益剰余金等を含めた純資産額が算出される。会計上の企業価値の尺度はこの純資産額が表している。この額より高く買収する例は多い。その買収額とBS上の純資産額との差額を「のれん」として買収した企業の資産として計上し取締役の未払報酬があればBS上の負債の部に記載される。企業価値を計る際、会社が支払義務を法的に負っている役員報酬を記載しなかったらその分純資産額は多く算出され、法が求めている投資家への開示義務の目的を逸脱することになる。PL及びBSに限ってみても、会社法上、正確なPL及びBSを会社機関(定時株主総会又は取締役会等)の承認を得て確定維持し、開示することの重要性の度合いは、企業家にとって単なる法令順守のみならず、金商法が求める有報の継続的開示の目的そのものでもある[19]

)につづく

 


* 弁護士、ニューヨーク州弁護士、小島国際法律事務所代表パートナー

[1] 有価証券報告書とは、上場企業に金融商品取引法によって課せられる事業年度終了後3か月以内に内閣総理大臣に提出する定期的開示の報告書であり、法24条1項に基づく。EDINETでの電子提出によって内閣総理大臣に対する書類の提出があったものと見做される。黒沼悦郎=太田洋編著『論点体系 金融商品取引法1』(第一法規、2014)447頁-448頁。

[2] 日本経済新聞(「日経」)2018年12月8日付朝刊43面

[3] 朝日新聞取材班『ゴーンショック 日産カルロス・ゴーン事件の真相』(幻冬舎、2020)53頁「2010-2014年度の5年間で約50億円、2015-2017年度の分を合わせて、2010-2017年度の8年間で計約91億円の報酬を隠した」旨記載されている。

[4] 朝日新聞(「朝日」)2019年3月17日付朝刊35面、2019年1月10日付朝刊31面

[5] 前掲4)朝日2019年3月17日付朝刊35面、2019年1月10日付朝刊31面

[6] 2010年(平成22年)の企業内容等の開示に関する内閣府令等の一部を改正する内閣府令(平成22年内閣府令第12号)によって、1億円以上の役員報酬につき個別開示の記載が義務付けられた。谷口義幸「上場会社のコーポレート・ガバナンスに関する開示の充実等のための内閣府令等の改正」商事1898号(2010)21頁-27頁、江頭憲治郎編『株式会社法大系』(有斐閣、2013)295頁-296頁。

[7] 日本でも上映された1961年の映画『草原の輝き』“Splendor in the Grass”は、ウォーレン・ベイティ演ずる主人公。その父親が1929年のウォール街の大暴落で経済破綻する中、主人公の恋人(ナタリー・ウッド)との恋が破れる過程を描いたエリア・カザン監督の名作であった(筆者は高校生の時に観て、感動した記憶がある)。

[8] ペコラ委員会とは1929年のウォール街株価大暴落の後、1932年に米国での証券市場調査のために設置された、上院の銀行・通貨委員会の小委員会の通称。この小委員会の顧問(chief counsel)として委員会をリードしたのがフェルディナンド・ペコラ(Ferdinand Pecora)であったので、この名が付けられた。New York 州の検事出身で、委員会の12,000頁に及ぶ報告書に基づき、1933年法と1934年法が成立し、証券取引委員会(SEC)が創設された。発足後、ペコラがSECの委員(Commissioners)の一人に就任した。竹内文則『日本版ペコラ委員会――日本型金融システムを総括する!』(経済法令研究会、2000)は、ペコラ氏の活躍を紹介している。

[9] 1933年証券法(Securities Act of 1933)は米国における証券市場の発行市場を規律する初の本格的連邦法である。(15 U.S.C. §77a)

[10] 1934年証券取引所法(Securities Exchange Act of 1934)は米国における証券の流通市場を規制する初の本格的連邦法。(15 U.S.C. §78a)

[11] 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)。GHQの要求で昭和23年(1948年)証券取引法が日本にも導入された。鈴本恒一「戦後復興期の金融構造(5)―新しい証券市場の幕開け―」(文教大学国際学部紀要、2002)29頁。

[12] 江頭憲治郎「企業内容の継続開示」河本一郎先生還暦記念『証券取引法大系』(商事法務研究会、1986)193頁参照。第2回国会衆議院財政及び金融委員会議事録第10号(昭和23年3月24日)19頁の坂田政府委員の説明参照。

[13] フォーム10-Kは日本の有価証券報告書に相当する。詳細は前掲12)江頭「企業内容の継続開示」189頁-214頁。日本の金商法成立の経緯やその歴史と法改正の目的・規制対象の市場につき、松尾直彦ほか「金融商品取引法制の解説(1)金融商品取引法制の概要」商事1771号(2006)4頁-15頁。現行のフォーム10-Kは記入の仕方に関する“General Instructions” A4サイズ5頁、書式本体で7頁、更に”Executive Compensation” (役員報酬)の記入内容の説明のみでCorporate Governance3頁、Executive Compensation 68頁からなる。開示対象は“Compensation awarded to, earned by, or paid to the named executive officers”とされ、支払が決定され又は支払がなされた報酬を開示させようとしている。

[14] 米国SECは有報に相当するフォーム10-K、その他パブリック・オファーリング(公募)の登録申請の提出先でもあり、2007年時点3798人の職員を抱える巨大官庁である。捜査権や民事制裁金請求権限を持ち、同時に法執行の為の規則制定権も併せ持つ。日本の金融庁や証券等監視委員会、内閣府の権限を証券分野において併せ持っている(初代委員長はケネディ大統領の父親ジョセフ・P・ケネディで、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が任命している)。日本の証券取引委員会が大蔵大臣の管轄下にあったことは、(12)引用の坂田政府委員の説明にもある。

[15] 現行会社法(平成17年法86号)435条2項は計算書類として貸借対照表(“Balance Sheet”)、損益計算書(”Profit and Loss Statement”)その他、法務省令で定める書類の作成を義務付けている。同436条3項は、取締役設置会社においては、計算書類その他につき、取締役会の承認を義務付けている。同439条は、会計監査人設置会社においては438条2項の株主総会承認義務を免除し、定時株主総会への報告義務としている。上場企業は、会計監査人設置会社であろうから、同439条の総会への報告のみとなる。同328条で大会社は会計監査人設置を義務付けられている。

[16] 筆者の経験では、一般の法律家との会議で、逸失利益が争点となる事案の場合、「利益」とは何かとの問いに、粗利のことか、営業利益のことか経常利益のことか、税引き前利益のことか、税引き後利益のことかと尋ねると、黙ってしまう人が多い。法曹界の教育にはない分野である。逸失利益と利益の関係を分かり易く書いた小島国際法律事務所編『DISTRIBUTION AGREEMENTS 販売店契約の実務』(中央経済社、2018)171頁-175頁を参照されたい。

[17] Return of Equityの略。銀行預金の預金元本に当たる金額を資本金と捉えて、税引き後利益を銀行金利と比肩する考え方。この考え方が日本に紹介されてから会社保養所は、どしどし売りに出された。保養所買収や建設には多額の資金が投入されるが、利益(リターン)は0どころか維持費がマイナスの利益(経費のこと)を生むからである。経営者を株主の代理人(エージェント)と捉える経営思想からくる。会社は株主のもの、という会社観であり、新古典派経済学が基層にあるのだと思う。

[18] 味村治=品川芳宣『役員報酬の法律と実務〔新訂第2版〕』(商事法務研究会、2001)45頁

[19] 神田秀樹ほか「座談会 新しい投資サービス法制」商事1774号(2006)8頁は、金商法1条の目的として、(1)有価証券取引の公正、(2)流通の円滑化、(3)金融商品の公正な価格形成を図るとしている。

 

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