◇SH3336◇日産元会長ゴーン氏の有価証券報告書虚偽記載罪についての法的考察(下) 小島秀樹(2020/10/09)

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日産元会長ゴーン氏の有価証券報告書虚偽記載罪についての法的考察(下)

小島国際法律事務所

 弁護士 小 島 秀 樹*

承前

4.取締役報酬請求権の成立要件

 旧商法269条と現行会社法361条の下で多くの学説とそれほど多くない判例が存在しているが、取締役報酬成立要件につき、会社法は旧商法を本質的に改正したものではないと一般に考えられている。しかし全て同じというわけではない。例えば旧商法の下で認められていた取締役の賞与は、利益処分の一形態として、株主総会決議の要件とは別枠で認められていた。現行法上、総会決議の要件は、利益処分としての賞与にも適用されると解釈されている。またストック・オプションにつき、旧商法下では総会決議要件の埒外とされていたが会社法上は、総会決議要件は適用されると解されている[20]。「取締役の報酬・賞与その他の職務執行の対価として会社から受け取る財産上の利益」を「報酬等」と定義し、定款又は株主総会承認決議をその成立要件とした。問題は実務の世界では、総会では全取締役の年間報酬総額の最高限度額のみを決議し、具体的な各取締役の報酬額を総会で定めず、取締役会に委ねることが広く行われていることである。更に多くの場合、取締役会がその決議により、社長や会長の一取締役又は複数取締役の決定に委ねる旨決議している。最高裁はこの実務慣行を有効として認めている。[21]株主総会決議を取締役の報酬請求権成立の要件としているのは、「お手盛り禁止」の趣旨で、総額の最高限度額を株主が承認すれば、会社法上の要件は充たすことになる。会社の利益剰余金や当期利益は配当源資である。当然取締役の報酬は、損金算入が可能であり、利益剰余金や当期純利益を減らすことになる。しかし、株主が取締役報酬総額限度額を決めた以上、その限度でどのような配分をしても、配当原資の額や利益剰余金の額に影響はない。従って取締役会が決議により一取締役への権限委譲をすることは、会社法上無効ではないというのが多数説である[22]。反対説は、社長・会長を監視・監督する機能を期待されるその他取締役の会社法上の権限義務と相容れないので、権限委譲は無効だと主張する。一部の学者に多い意見である。10人の取締役がいたとして、最高限度総額が決められている以上、その限度の範囲内で、1人への増額は即、残り9人への報酬原資の減額を意味する。自己の利益主張を控えることを美徳とする我々の文化は恐らく文学や社会学から得られる示唆にヒントをもらうと100年200年のことではなく、500年1000年単位で室町・鎌倉時代から続いた文化ではなかろうか[23]。同時に国や組織のリーダーたる者、組織を機能的集団として動かす為には、内的道徳律としての美徳のみではなく、組織を活性化するためリーダーとして、先輩にも自分にも後輩にも、社長・会長としての地位を魅力あるものに作り上げていく必要がある。美徳を犠牲にしてでも組織活性化の為に、リーダーの報酬を魅力あるものにしていく決断が必要である。1人又は一部取締役に具体的な報酬額の決定を委ねることは、必ずしも監視機能と矛盾するとまでは言えないと思う。従って、違法とまでは言う必要はないと思うが如何であろうか。実務では、社長・会長に委ねる方式が多いようである。ゴーン氏のケースでは、報道ではゴーン会長一人に委ねられていたとするが、「(日産の)2011年以降は、他の代表取締役と協議することを条件に、ゴーン氏に具体的な報酬額の決定を委ね、……ゴーン氏は取締役会の決議に従って、ゴーン氏自身を含む各取締役の報酬額を決めていたとする。」[24]会社法上課せられた報酬請求権の成立要件は、第一次的には定款の定め、定款に定められていない場合は株主総会で、総会の決議が最高限度額のみで取締役会に委ねている場合は、取締役会の決議がそれぞれ会社法が認めた機関決定となり、成立の要件を充たすことになる。取締役会が、ゴーン氏が、もう一人の代表取締役との協議を条件に、各取締役の各報酬額を決定することを委ねたのであれば、かかるゴーン氏の決断が会社法上の機関決定となる。ではゴーン氏の決裁を経た個別役員の報酬額の決定とは具体的には何を意味するのか。その要件は法律に書かれていないのみならず、会社法学者も触れていない。ゴーン氏が日記に書いても機関決定ではない。機関決定が認められることによって、会社法上報酬請求権が成立する。成立すると日産の支払債務となる。翌日会社を退任しても、一旦成立した報酬請求権は、日産にとっての債務であり、裁判上も裁判外でも支払義務を負う。会社法上の機関決定[25]がなされたと言える為には、如何なる行為をもって機関決定ありとみるのが妥当かを特定する必要がある。一番認めやすいのは、会長に権限を託した取締役会への会長からの書面による決定の通告であろう。この方式の難点は、各取締役が役員各自の報酬額を知ることになる点である[26]。しかし機関決定としての権限行使と認めることに一番問題がない方法である。各取締役にその取締役のみへの金額を開示し、他の取締役の報酬額を開示しない方式での通告はどうか。各取締役はこうした実務慣行を知った上で、会長に託しているのであれば、権限行使の一形態として認めてもよいように思う。

 ではゴーン氏が取締役会又は各取締役には通告しないが、役員室を通して財務担当取締役にのみ通告した場合はどうか。これが機関決定としての権限行使として認めることができるギリギリの線であろう。財務担当取締役は会社として個別の取締役報酬債務と総額を認識できるからである。また各取締役は、財務担当取締役に自己の報酬額を問合せすることもできる。しかし権限委譲された取締役会への通告ではない点で、異論もあろうし、組織としてのガバナンスの観点から分かりにくいと言わざるを得ない。会社機関や財務担当役員への通告がない場合に、会長による機関決定がなされたと認識することは困難であろう。役員の報酬債権の成立は、会社法上の機関決定の時と考えると、会長による通告が会社機関としての取締役会又は財務担当取締役に対してなされた時であって、その通告に基づいて損益計算書に記載された時ではない。会社の外から窺い知れない授権に基づく権限行使による機関決定の時期の特定は困難な作業である。少なくとも、財務担当取締役への通告は、行為の客観的観察から、会長の権限行使の意思が明瞭である。それが機関決定として認める実質的根拠である。実際は、会長秘書室が用意した報酬一覧をゴーン氏が修正して(またはそのまま)署名し、その文書を秘書室長が財務担当取締役に持参することをもって、機関決定としてよいであろう。一旦成立した報酬請求権は日産にとっての債務である以上、財務担当取締役は財務部長に指示して、PL上の販売費及び一般管理費の中の取締役報酬として記載することになる。もし当事業年度に何らかの理由で支払われないが、将来支払われるべき報酬債務として機関決定されたとみることができる場合、BS上の取締役未払報酬として認識することになる。しかしそもそも将来の支払期日が特定されないと債務として認定できるか疑問である。単に退社してから10年間、年10億円を払うという決定は違法な権限行使ではないか。その有効性は大いに疑問である。取締役会からの権限委譲の趣旨や慣習で認められる裁量権の範囲を逸脱していると思われるからである[27]。権限委譲は機関決定の方法を指示したものであって、一取締役個人への一身専属性を持つものではない。一取締役への報酬額の決定権限の委任は、裁量権の逸脱行為や濫用があれば、違法となる旨の下級審判例がある[28]。日産の場合、逮捕当時未払の約91億円がPL上もBS上も認識されていなかった。それは取りも直さず、日産はゴーン氏への将来の報酬約91億円を債務とは認識していなかったと言ってよい。即ち、91億円は会社法上成立していない法的な支払義務のないゴーン氏個人の報酬願望にすぎなかったとみるべきではなかろうか。もしBS上未払の支払債務として認識され記載されていれば、逆に適正に機関決定もなされていたと見る余地もあろう。BSへの記載が会社法上の機関決定だと言うのではない。BS・PLに載っていないが支払義務が認められる買掛金や売掛金はあり得ると思う。しかし通常、BS・PL上の記載は、会社としての正式な債権・債務の認識である。機関決定がなされているか否かを判断する場合の最重要な手がかりなのではなかろうか。債務の存在、成否に確定か否かの表現は必ずしも適当とは思わないが、表現を短く分かり易くする為にあえて使うと、機関決定がなされれば確定債務となり、なされていないなら、確定債務ではない。

 先に紹介した第一文書は秘書室幹部とゴーン氏の未払分の年約10億円の確認をしており署名もなされていることをどう見るか。やはり会社法上の機関決定とは言えないのではないか。機関決定されたと言うなら、取締役会、少なくとも、財務担当取締役への権限行使の通告は必要ではないか。BS上の記載は、組織としてかかる権限行使がなされたことを強く推認させる。BS上未払の債務として認識していない以上、権限行使の推定は困難なのではないか。日産は未払報酬債務を負っているとは言えない。第二文書は、将来の支払名目の確認とケリー氏、西川氏の署名があるという[29]。しかしこれもBS上記載がない以上、会社法上の機関決定されたことの推認は働かないと考える。同じ理由から日産に支払義務を負わせていないと考える。筆者は、両文書とも原本もコピーも見てはいない。あくまで報道された事実からの推定である。機関決定に基づく報酬債権の成立は認められない。

 契約としての側面はどうか。どちらの合意文書によってもゴーン氏は日産に将来、報酬債権の支払を要求することは法的にできないであろう。ゴーン氏と日産の間のゴーン氏の報酬に関する合意は、会社法上、利益相反取引の関係にあり[30]、全て開示に基づく取締役会の承認決議が有効性の要件である[31]。この規制は旧商法時代も現行の会社法時代の今も一貫して同じである。従って契約文書としても全く直接当事者間では有効性を欠いており、日産は今も将来も未払い分約91億円の支払を法的に否定できることになる。日産は最近になって約91億円の未払報酬について、BS上、記載して訂正したという趣旨の報道がなされている。刑事訴追が全て完了した今から会社法上の機関決定がなされて訂正されたことは、過去の時点(ゴーン氏会長時代)に遡及して会社法上の機関決定をなされたことにして刑事犯罪の成立を首肯するという解釈はあり得ないことは言を要しないであろう。

 

5.有報の虚偽記載の犯罪構成要件

 金商法197条は、「次の各号のいずれかに該当する者は、10年以下の懲役……に処」する旨規定する。同条1号では「……第24条第1項……の規定による有価証券報告書若しくはその訂正報告書であって、重要な事項につき虚偽の記載のあるものを提出した者」と規定する。ゴーン氏の報酬のうち、(1)受け取っていない約91億円を有報に記載する義務があり、(2)その不記載を虚偽と認定でき、(3)重要な事項と認定できる時に、犯罪構成要件を充足することになる。当然故意犯である[32]

 法24条1項は、上場企業の有価証券につき、「内閣府令で定めるところにより、事業年度ごとに……必要かつ適当なものとして内閣府令で定める事項を記載した報告書(以下「有価証券報告書」という)を……内閣総理大臣に提出しなければならない」旨定める。

 内閣府令15条[33]は、法24条1項に基づき有価証券報告書を提出すべき会社は各号の区分に応じ、第3号様式による有価証券報告書を提出しなければならない、と規定する[34]。第3号様式は注意書を含めてA4サイズで19頁からなる書式である。第3号様式4「コーポレート・ガバナンスの状況等」につき(1)の【35】との注意書きが記されている。【35】「コーポレート・ガバナンスの概要」の下、「第2号様式[35]記載上の注意【54】に準じて記載すること」と記されている。第2号様式【57】(b) には、役員の報酬等につき連結報酬等の総額が1億円以上である者に限り、氏名、役員区分、提出会社の役員としての報酬等の総額、種類別の額について記載することと説明されている。以上が有報虚偽記載罪の犯罪構成要件特定の為に必要とされる法文である。

 第3号様式第5「経理の状況」では貸借対照表、損益計算書、株主資本等変動計算書、キャッシュ・フロー計算書、附属明細書の記載が義務付けされている。この財務諸表の開示制度は、一般投資家に対する対象上場企業の直近の財務情報の提供を目的とする。投資家の対象企業の資料収集を容易にし、非効率な各自の情報収集努力を無用とすることにある。効率的投資市場仮説と言われる由縁である。財務諸表と異なる(矛盾する)内容を第3号様式が要求していると解釈することはできない。あくまで財務諸表と矛盾しない役員報酬の開示を求めていると解すべきである。それは会社法上の機関決定がなされた報酬である。財務諸表には成立した報酬を記載し、内閣府令の要求する1億円以上の報酬開示には、成立していない報酬も記載するべきであるという解釈は成り立たない。有報も米国のフォーム10-Kも同じ開示目的である。日本が独特の制度を開示目的に持ち込む必要があればそれを実行することは自由である。しかし国会でできた金商法の開示目的を変えるならば、内閣府令という省令ではできない。

 懲役10年という重罪犯罪の規定にしては、構成要件事実が重層的に規定され、不明確で、必ずしも一義的ではない。憲法31条の法定手続きの保障条項(いわゆるデュープロセス)との関係で異論が出かねない規定の仕方である[36]。特に「重要な事項」につき虚偽という構成要件事実は不明確であり、一義的ではない。PLやBS上の売上高や当期純利益、純資産額を大きく偽った場合、(例えばエンロン事件のような)、懲役10年以下は妥当性があろうが、報酬額の年1億円以上の開示義務違反の場合に、妥当性のある法定刑とは思えない。重要な事項とはあくまで、開示目的の趣旨を重要な側面で偽るような虚偽情報を言うと限定解釈すべきである。一般投資家が対象企業の評価を大きくミスリードされるほどの重要性をもつ内容である。BSやPL上の数字で重大性があるのは、売上高、営業利益、経常利益、純資産額などで、誰からみても異議が出ないのではないか。しかし役員報酬の個別開示だけでその重要性には、全体的企業価値の評価を変えるほどの重要性はないと思う。

 経済法の刑罰法規としては、適用段階での法曹実務家の知恵が期待されるところである[37]

 

6.おわりに

 ゴーン氏の有価証券虚偽記載罪の成立はないと考える。会社法上、未払分報酬の約91億円について、報酬債権として成立していないからである。その理由は詳述したとおりである。成立していなくても、本人が願望していたのであり、将来債務として認めてよいとの考えに対しては、支払期日が定まっていない報酬債権を成立させる権限は、ゴーン氏は取締役会から受けていない。原則はその年の財源を前提として、一定の相場感及び過去の決め方に準拠して機関決定することを託されていると考えるべきであろう。そうであれば期日のない将来債務の成立はあり得ないと考える。会社法上成立していなくても、内閣府令に基づく第3号様式の有報の作成方法に関する注意書きは、「最近事業年度において受け、又は受ける見込みの額が明らかとなったもの」の記載を義務付けている。そもそも会社法上の計算書類と異なる基準で報酬額開示を義務付けているという解釈はとれない。省令で法律の継続的開示の目的を変更することはできないからである。金商法上の財務諸表と異なる基準で役員の報酬債権のみを開示させることは、ひとつの有報の中で異なる且つ矛盾した内容の会社債務を開示することになり、許されない。府令様式3の注意書きの意味は、退職慰労金について、その年のみの貢献ではなく、長期の役員勤務に対する報酬であっても、わざわざ「受ける見込みの額が明らかとなったもの」を開示しなさいと指示しているのである。これも成立した退職慰労金が前提である[38]

(了)

 

  1.  《あとがき》
  2.    20代の新婚時代に、家内と二人で家の食卓で会話した時のこと、社会が間違った方向に走ろうとしていると感じた時、一体どうしたらいいのかに話題が及んだ。筆者が口ごもっていると、「それを正すのは貴方がたの仕事ではないのか。法律を駆使して問題を指摘できるのは貴方がた法律家ではありませんか。貴方がたがしなかったら、一体誰ができると言うんですか。」という趣旨のことを言われた。以来40年以上経つが、筆者はひたすら国際企業法務専門弁護士として生きてきた。この論文が、初めて家内のその時の期待に応えた、一法律家として法律を駆使した社会の改革や社会が軌道修正することへの私なりの試みである。
     という訳で、この論文を家内淑子に捧げたい。


* 弁護士、ニューヨーク州弁護士、小島国際法律事務所代表パートナー

[20] 伊藤靖史「役員の報酬」江頭憲治郎編『株式会社法大系』(有斐閣、2013)284頁-285頁

[21] 株主総会が、取締役の報酬等の最高限度額のみを決議し、個々の取締役の具体的な支給額の決定を取締役会に委ねたところ、取締役会が取締役会長などに各報酬額の決定を委ねたというケースについて、当該株主総会及び取締役会の決議が現在の会社法361条1項に違反するかどうかについて、判例は、退職慰労金、報酬のいずれについても、以下のとおり、適法と認めている。退職慰労金(最三小判昭和58・2・22判時1076号140頁)、報酬(最二小判昭和31・10・5下飯坂常世=伊達昭「判批」商事51号(1957)13頁)、使用人兼取締役の取締役としての報酬(最三小判昭和60・3・26判時1159号150頁)。

[22] 前掲20)伊藤「役員の報酬」286頁

[23] 余談ながら日本の伝統芸能の「能」は700年近く続いていると言われる(「Fole」みずほ総合研究所9月号(2020)18頁)。能の感情表現や主題自体、現代の我々にも理解できる。現代人と鎌倉時代の人の感情・意識はそれほど隔たってはいないのではないか。因みに鎌倉時代は平家滅亡1185年から、足利尊氏が六波羅探題を攻略し新田義貞が鎌倉を滅亡させたのが1333年。北条泰時が作った1232年の御成敗式目は武士階級が初めて作った法だが、現代の我々から見ても内容の合理性を感じられる裁判規範である。参考文献:山本七平『日本的革命の哲学 日本人を動かす原理・その1』(祥伝社、2008)

[24] 前掲2)日経2018年12月8日付朝刊43面

[25] 取締役会から託された一取締役の権限行使は、その「行使の事実」によって、会社法361条1項の要件を充たし、具体的な特定金額の報酬債権が特定の取締役につき成立することになる。何をもって行使されたとみるかについては条文化された規律はない。この権限行使による報酬債権成立の効果に照らして、託された一取締役の権限行使を会社法上の「機関決定」がなされた、と表現することが分かり易いと筆者は考える。

[26] 筆者の職場ではパートナーシップ制の下、代表パートナーがパートナー会議で決定された分配可能利益を、各パートナーへの利益分配額として提示し承認を取る方式を採用している。当然、全員が各自の取り分を知ることになる。

[27] 将来発生する蓋然性が高い債務(会社が第三者から提訴されている場合が典型例)の場合、引当金名下に一定金額をBS上の負債の一部として記載することが会計原則上求められる。しかし引当金は確定した債務でないから引当金としている。そもそも引当金なら債務は成立していないことになる。未払債務はこれとは異なり、既に成立した債務で支払期限未到来のものである。取締役会から会長への授権は、総会決議で限定されたその年度の総額の最高限度の枠内でのその年に支払うべき役員報酬である。期限のない将来債務については、授権の範囲を越えるものであり、成立した報酬債務とは言えないように思う。次項[28]で引用した名古屋地裁と東京地裁の判例は、社長、会長等一取締役への授権は無条件のものではなく、裁量権の逸脱や乱用があれば、違法な権限行使となり、無効であることを示唆している。

[28] 下級審ではあるが、退職慰労金の個別の支給額の決定を再委任された代表取締役の支給決定には明らかな裁量権の逸脱乃至濫用があったとして、会社の不法行為に基づく損害賠償請求が認められた事例(名古屋地判平成14・1・17 金判1151号45頁)。株主総会が、取締役の報酬等の最高限度額のみを決議し、個々の取締役の具体的な支給額の決定を取締役会に委ねた事案において、取締役会が代表取締役に各報酬額の決定を再委任することを排除するものではないとしつつも、「退職慰労金の額に関する内規は、単に支給し得る額の上限を定めるのみでは足りず、一義的に定まるものか、又は裁量の幅が相当狭いものでなければならないのであって、」「内規が……広範な裁量を認めており、かつ退職慰労金の額の決定権者が内規による裁量権を逸脱ないし濫用して不当に低額の退職慰労金を決定した場合には、その決定は違法であ」る、とした。
 また、東京地裁判決(東京地判平成21・3・31平成20年(ワ)第9116号)で、退職慰労金の個別の支給額の決定を再委任された代表取締役は、株主総会の委任の趣旨に従い、所定の基準に従った退職慰労金額を決定する義務を負っているから、所定の基準を無視する等株主総会から与えられた裁量権を逸脱ないし濫用して減額決定をした場合には、善管注意義務違反又は忠実義務違反を構成することが明示された事例がある。しかし、役員退職慰労金規定には「当社の業績不振により前2条に基づき算出された金額を支給することが困難であると認められるとき」には減額を可能とする規定があったところ、当時、被告会社は経営状況が悪化しており、原告に規定上算出される退職慰労金を支払えば直ちに他の取締役の退職慰労金の支払に窮する結果となる状態にあったことを踏まえ、減額の決定は善管注意義務違反又は忠実義務違反を構成するものではないとされた。

[29] 朝日2019年1月10日付朝刊31面、2018年12月6日付朝刊31面

[30] 会社法365条が取締役会設置会社における利益相反取引を規制する。

[31] 違反に対しては当事者間では無効で余り争いはない。第三者との関係では、有効とする考え方が一般的である。しかし悪意(取締役会の承認の有無につき)の第三者まで保護されるという説は見当たらない。中村均『利益相反取引の先例・判例と実務〔全訂第2版〕』(金融財政事情研究会、2001)82頁-85頁、江頭憲治郎『株式会社法〔初版〕』(有斐閣、2006)448頁、鈴木竹雄=竹内昭夫『会社法〔第3版〕』(有斐閣、1994)291頁-292頁、青竹正一『新会社法〔第4版〕』(信山社、2015)297頁、酒巻俊雄ほか『逐条解説会社法 第4巻機関・1』(中央経済社、2008)430頁-435頁、最大判昭和46・10・13民集25巻7号900頁。

[32] 自然人を罰する規定である。法人処罰規定(207条1項)もある。身分犯ではない。有報をまとめあげて作成すれば、代表者印を借りてきて押印するのは、総務部長や財務部長又はそのスタッフであろう。従って虚偽についての表象認容がある担当部長に有報虚偽記載罪の正犯が成立することになる。代表者も虚偽につき認識があれば共同正犯となる。逆に部長は取りまとめのみで、代表者のみが認識していれば、代表者にのみ間接正犯が成立する。

[33] 企業内容等に関する内閣府令昭和48年1月30日大蔵省令第5号

[34] 内閣府令15条1項は、内国会社のうち、法24条1項の規定による場合(及びその他につき)第3号様式、と定める。

[35] 第2号様式が用いられるのは法5条1項の有価証券届出書を提出する場合である。

[36] 憲法31条は「法の適正な手続き」(いわゆる“due process”)を規定するのみならず、「実体もまた法律で定めること」(罪刑法定主義)、「その実体規定も適正でなければならないこと」を意味するとするのが通説である。実体の適正とは、法律の「規定の明確性」、「規制内容の合理性」、「罪刑の均衡」、「不当な差別の禁止」をいうとする。芦部信喜ほか『憲法〔第4版〕』(岩波書店、2007)229頁-230頁。最高裁は、徳島市公安条例事件判決で、ある刑罰法規が曖昧不明確な場合に31条に違反する可能性を認めており、猿払事件判決では、「刑罰法規の均衡……その他著しく不合理で許容し難いとき」は31条違反の可能性を認めている。松井茂記『日本国憲法〔第3版〕』(有斐閣、2007)517頁-518頁。

経済法規の規制が違憲とされたものには、薬事法違憲判決(最大判昭和50・4・30民集29巻4号572頁)及び共有林事件違憲判決(最大判昭和62・4・22民集41巻3号408頁)がある。

[37] 「重要」性の判断は有報全体からみて判断すべきであって、個々の有報の記載項目、例えば、「企業の概説」、「事案の状況」、「設備の状況」等の個別項目の中での重要性で判断すべきではない。それが刑事罰の有効性を担保する節度ではないか(私見)。

同じ金商法166条の内部者取引規約の中に、「重要事実」を知った会社関係者は、その会社の有価証券の取引が禁じられている旨の規制がある。5年以下の懲役刑もある。投資者の投資判断に及ぼす影響が重要なものが重要事項であると述べ、決算情報について内閣府令は増減幅が売上高については10%以上、経費利益・純利益は30%以上、余剰配当金は20%以上の場合に「重要事実」とされていることはひとつの参考にはなる(川村正幸編『金融商品取引法〔第5版〕』(中央経済社、2014)604頁参照)。有価証券の取引等の規制に関する内閣府令(平成19年8月8日内閣府令第59号)51条1号-4号参照。ちなみに日産の連結財務諸表を見ると、2001年3月期の売上約6兆円、純利益3310億円、2019年3月期の売上約11兆5000億円、経常利益5460億円とインターネット上で開示されている。役員報酬の開示義務違反そのものをその項目の中での「重要な事項」と認定すべきかは疑問である。有報全体から見て、投資者の投資判断に及ぼす影響が、重要性認定の本筋ではないかと考える。重要事項が投資者の投資判断に与える影響を基準として考える説として、小林史治「虚偽記載有価証券報告書提出罪は『形式犯』か否か」NBL1142号(2019)50-51頁。西武鉄道事件(刑事)(東京地判平成17・10・27平成17年(特わ)第1605号)や日債銀事件最高裁判決(最二小判平成21・12・7刑集63巻11号2165頁)を紹介している。

[38] 第3号様式の「当該事業年度において受け、又は明らかになったもの」という表現とそっくり同じなのが、会社法施行規則121条5号にある「当該事業年度において受け、又は受ける見込みの額が明らかになった会員役員の報酬等」である。公開会社は、会社役員に関する事項を、事業報告に含めることが定められている(施行規則121条4号)。事業報告における開示に上記表現が入れられた理由は、当該事業年度に係る会社役員の報酬等(下線筆者)とのみあり、退職慰労金については、当該事業年度との対応関係が必ずしもないことが問題とされた。その為、「当該事業年度において受け、(当該事業年度か否かに関わらず*括弧内は筆者の解説)又は受ける見込みが明らかとなった」(下線筆者)報酬等についても開示を要求することで、退職慰労金の開示義務を明確にしたとされる。第3号様式の表現もこれに平仄を揃えたと考えてよいと思う。前掲20)伊藤「役員の報酬」293頁-294頁。

 

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