企業結合・業務提携の独禁法上のガイドライン・審査制度におけ る
日本の傾向とその実務的示唆
~2019年経済産業省委託調査に おける国際比較より~
企業結合編(上)
NERAエコノミックコンサルティング
石 垣 浩 晶
矢 野 智 彦
竹 田 瑛史郎
筆者らの属するNERAエコノミックコンサルティングは、2019年度の経済産業省委託調査において「我が国及び主要国での企業結合審査等における経済分析の活用等における調査」と題する調査報告書(以下「NERA調査報告書」という。)を作成した。
NERA調査報告書は「企業結合編」と「業務提携編」から構成される。「企業結合編」では、日本及び海外の企業結合審査の基本方針、ガイドラインやその運用、そして、公取委が令和3年度概算要求にて増額を要望し話題となった企業結合審査における経済分析の活用状況について、具体的な事例をもとに詳細な検討を行った。「業務提携編」では、日本の業務提携の審査の仕組みを簡単に紹介した後、欧州と米国のガイドラインの内容を詳細に紹介し、日本と米国の公表事例の検討を行っている。また、企業結合編・業務提携編ともに、調査内容をもとに、企業実務及び今後の政策への示唆をまとめている。
本連載では、特段の基礎知識を前提とせず、独禁法(競争法)に関心がある実務家・企業の法務担当者の方を主な対象として、各編における主要な調査結果について解説する。また必要に応じて、関連する独禁法上の企業結合規制及び業務提携に関わる規制およびその関連分野(経済学等)に関する解説も行う。
1. 企業結合編
「企業結合編」では、日本及び海外の企業結合審査の仕組み・制度設計を整理しながら市場画定(企業結合により競争上の問題が生じるかどうかを判断する単位を定めることを指し、取引の対象となる商品・サービス、取引を行う需要者と供給者の範囲を定めることを含む。)及び競争評価(画定された各市場において、企業結合により競争上の問題が生じることとなるかどうかを評価することを指す。)の考え方をまとめ、企業結合審査における経済分析の活用状況について具体的な事例をもとに詳細な検討を行った。また、調査内容をもとに、企業実務及び今後の政策への示唆をまとめた。
本稿においては、「企業結合編」の主要な調査結果として、各国の競争当局が企業結合審査に用いるガイドラインにおける市場シェア・集中度に対する考え方、審査結果の公表、経済分析の活用の3点に関する、調査対象である日本、米国、EU、英国の合計4つの国・地域間の比較調査の結果を紹介する。これらはいずれも今日の企業結合審査を特徴づける重要な要素であると同時に、近年大きな変化が見られる点でもあり、各国・地域の状況を理解することは実務的にも有益であると考えられる。なお、NERA調査報告書では、これらに加えてドイツ・カナダについての調査結果も報告している。さらに、調査結果を踏まえて実施された有識者による研究会においてまとめられた、企業結合審査に臨む企業に対する示唆について紹介する。
1.1. 企業結合ガイドラインにおける市場シェア・集中度の位置づけ
1.1.1. 企業結合ガイドラインにおける市場シェア・集中度の位置づけの変遷
企業結合計画が独禁法上の企業結合規制に違反するリスクを評価する基準として真っ先に想起されるものが市場シェア及び(市場)集中度である。実際、従来の企業結合審査実務においては、市場支配力と直結するものとして市場シェア、および、市場の寡占度の高さを表す指数である市場集中度が最重要視されていた。例えば、1968年に司法省反トラスト局(以下「DOJ」という。)により制定された米国初めての合併ガイドラインでは、市場における上位4社の合算シェアが75%以上のとき、シェア15%の会社によるシェア1%の会社の買収に対しては通常差し止めの提訴がなされるといった、市場シェア・市場集中度の数値に基づく画一的な基準が明記されていた。
しかしながら、ゲーム理論に代表される1980年代以降のミクロ経済学、及び、ゲーム理論・ミクロ経済学を応用して企業間競争の分析を行う研究分野である産業組織論の発展が、企業結合審査の実務にも取り入れられていく中で、企業結合審査における市場シェア・集中度の位置づけも大きく変化してきた。例えば、1982年に改定されたDOJの合併ガイドライン(DOJによる企業結合審査のガイドライン)は、市場集中度を最重要視するのではなく、「市場支配力」という概念を中心とし、市場支配力を生み出す、又は強化する合併を禁止するという基本的な考え方に改められた。1992年にDOJと連邦取引委員会(以下「FTC」という。)が初めて共同で改定を行った水平合併ガイドライン(同じ市場で事業を行う企業間の合併に関する審査のガイドライン)では、合併により生じ得る「単独効果」(各企業が単独に市場支配力を行使することによる競争制限効果)についての詳細な議論が導入された。すなわち、差別化された商品・サービス市場(すなわち、各企業の商品・サービスに価格だけでなく需要者から見て質的な差異がある市場)においては、カルテルのような企業間の協調による競争制限的な行動がなくても、当事会社間の競争圧力がなくなることそれ自体により、競争の実質的制限(当事会社による価格引上げや品質低下等を、需要者が受け入れざるを得ないという意味で、当事会社が市場を相当程度支配している状況)が生じ得るとされたのである。より厳密には、競争の実質的制限とは、日本の判例においては「競争自体が減少して、特定の事業者または事業者集団が、その意思で、ある程度自由に、価格、品質、数量、その他各般の条件を左右することによつて、市場を支配することができる形態が現われているか、または少くとも現われようとする程度に至つている状態」(東宝スバル事件・東京高判昭和26・9・19高民集4巻14号497頁)をいうと解されている。
さらに、現行のガイドラインである2010年水平合併ガイドラインにおいては、市場シェア・市場集中度の重要性はさらに低下し、事案に応じて最適な手法を柔軟に用いるとされた。過去のガイドラインにあるような市場画定や競争効果などの固定的な項目別に判断するという固定的なプロセスで審査を行うのではなく、競争阻害の理論(Theory of harm to competition)という概念を中心に、競争阻害の理論(どのような理路によって競争が制限されるか)の特定と、その理論を支持または棄却する証拠の検討というプロセスにより審査を行うとされた。
1.1.2. 市場シェア・集中度に対する考え方の現状:国・地域間の比較
このように現在では、企業結合が競争にもたらす影響については競合他社との競争等の実態を踏まえて多面的に評価すべきであり、市場シェア・集中度は市場支配力を判断する上での有用だが限定的な指標の一つという考え方が各国・地域で共有されている。しかしながら、市場シェア・集中度の指標としての重要性は、国・地域により多少の違いがあり、また、1つの国・地域でも市場環境や当事会社の競争の状況等によってその重要性は異なる。複数の国・地域において並行して企業結合審査に臨む必要がある国際的な案件が増加している今日において、こうした差異を理解することは非常に重要である。以下では、企業結合審査に際して各国・地域の競争当局が用いるガイドライン(以下「関連ガイドライン」という。)における市場シェア・集中度に対する考え方を紹介する。
まず、日本においては、市場シェアは競争の実質的制限の判断要素の一つと位置づけられ、他の判断要素と合わせて総合的な判断が行われるとされており、更に踏み込んで濃淡をつけた記載にはなっていない。企業結合による市場シェアの変化の算定に当たっては、最新の市場シェアの数値を用いるとした上で、長期的な販売数量や売上高の変化、需要者の選好の変化、技術革新の速さや程度、商品の陳腐化の状況、市場シェアの変動の状況等を踏まえて競争への影響の評価を行うとされている。
他の調査対象地域も、市場シェア・集中度に対する考え方の大枠は日本と大きく異ならず、有用だが限定的な指標であるという位置づけである。しかしながら、以下に紹介する通り、他の国・地域の関連ガイドラインには、市場シェア・集中度の有用性の限界や他の評価要素との重要性の比較に踏み込んだ記載が見られ、日本よりも更に踏み込んで濃淡をつけた記載になっている。
米国においては、市場シェア・集中度を競争評価の一部として検討する。市場シェアが大きい企業は、そうでない企業と比べて新規顧客獲得のための価格引下げを行うインセンティブが弱い可能性がある一方、生産量を急速に拡大出来る可能性もある等、市場シェアの大きさが競争に与える影響は多面的であることが指摘されている。また、合理的に予測可能な市場環境の変化がある場合、現在の市場シェアは企業の将来の競争力を過小/過大評価することとなる可能性があるとされている。例えば、長期的な競争力に関わる新技術が特定の企業にのみ利用不可能な場合、過去の市場シェアは当該企業の将来的な競争力を過大評価していることになる。さらに、市場を同質財市場(すなわち、需要者から見て各企業の商品・サービスに質的な差異がない市場)と差別化された商品・サービス市場のどちらと捉えるかによって、市場シェア・集中度の重要度が変わってくる。差別化された商品・サービス市場における単独効果(各企業の市場支配力が高まることによる競争制限効果)を診断する上では、転換される売上の価値(企業間の代替性を示す指標であり、市場画定や市場シェア・集中度の値なしに算出することができる。後記の通りヤフー(Zホールディングス)・LINE統合での審査においても使用された。)を市場集中度(より具体的にはHHIと呼ばれる代表的な集中度の指標)よりもはるかに重視するとされている。
EUにおいては、市場シェア・集中度は、市場構造と当事会社や競合他社の競争上の重要性を測る有用な最初の指標であるとされている。市場シェアに関しては、通常現在の値を用いるが、予想される将来の参入や退出による市場の変化、イノベーション等による市場構造の不安定性を織り込んで市場シェアの解釈を行うこともあるとされている。市場集中度に関しては、水準・企業結合による変化分ともに有益な情報であり、(セーフハーバーとして)競争への懸念がないことの最初の指標として用いられるが、競争への懸念の存在や不存在を推定する根拠とはならないとされ、有用性には限界があることが指摘されている。
英国においては、市場シェア・集中度の値を解釈する上では、商品・サービスの差別化の程度、市場集中度の時間を通じた変動の程度、画定された関連市場の広さ、変動利益マージンの水準を考慮するとされている。特に商品・サービスの差別化の程度に関しては、差別化の程度が大きい場合、市場集中度への過度の依存は、競争圧力が市場シェアに比例し、市場外の企業は一切の競争圧力を持たないという「二分法の誤謬」となることが指摘されている。
以上の通り、日本では、市場シェア・集中度を判断要素の一つとして総合的に勘案するという表現から、更に踏み込んで濃淡をつけた記載にはなっていないが、諸外国・地域では、市場シェア・集中度の相対的な有用性が低くなる場合として、商品・サービスの差別化、予想される参入・退出による市場構造の変化等が具体的に挙げられており、それらの場合における市場シェア・集中度よりも重要な指標や情報の可能性について言及されている。また全体として、市場シェア・集中度が競争の実態を反映しているのかどうかを注意深く解釈し、競争評価全体の中で必ずしも重要な位置づけとはならない可能性を示唆する記載がなされている。
1.2. 審査結果の公表
1.1節でその一部を紹介したとおり、各国・地域においては関連ガイドラインにより企業結合審査における競争当局の基本的な考え方が示されている。しかしながら、関連ガイドラインの記述だけからでは、各事例において実際にどのような情報を根拠に競争当局の判断が行われたかは明らかにはならない。そこで、各国・地域では、審査の透明性の確保及び企業結合を計画する会社等に対する情報提供の観点から、審査結果の公表が行われており、実際に競争当局がどのような判断を行うのかを知る上で貴重な情報源となっている。例えば日本では、毎年6月にその前年度に企業結合審査が完了した主要な企業結合事例の審査結果が公表されている(ただし2019年度の審査案件については今年(2020年)の7月22日に公表された。)。そこでは、主要な企業結合事例について、日本の関連ガイドラインである企業結合ガイドラインに従いどのような審査が行われたか報告されている。ただし、日本においては、公取委には審査結果を公表する法的な義務はないため、主要な企業結合事例は、当事会社の了承を得た上で公取委が自主的に公表するものとなっている。また、その内容についても、後述する経済分析を含めた証拠が審査においてどのように評価され、結論に至ったかについて詳細な記述は行われない傾向にあった。
以下では、他の調査対象地域における審査結果の公表状況を紹介する。なお、NERA調査報告書においては、各国・地域における具体的な事例を取り上げて、公表内容のより詳細な比較を行っている。
海外では、米国とEU・英国で対応が大きく異なる。
まず米国においては、競争当局による審査結果の詳細の公表はあまり行われていない。これは、裁判において競争当局と当事会社が争うことが通常のプロセスとして行われており、裁判における証拠資料が詳細に公表にされているという米国の状況に起因している可能性がある。
これに対しEUや英国においては、すべての事例の審査結果を官報及びウェブサイトで公表することが義務付けられている。さらに、公表内容も詳細である。審査の透明性の確保と当事会社以外の事業者への情報提供等のために、証拠の審査における評価や結論に至るまでの判断プロセスを競争当局が公表する取組が広く行われている。特に、当事会社側が提出した経済分析の結果について競争当局がどのように評価したかが詳細に説明されることがある点に特徴がある。具体的には、データソースに関する記述や、実施した分析(当事会社が実施したもの、競争当局が実施したものの両方)の統計学・計量経済学的な問題点に関する記述があり、第三者による分析内容の事後的な評価が行いやすくなっている。
以上の通り、調査対象国の中には制度として審査結果を公表する国も見られ、また、公表内容においても、最も詳細な公表が行われているEUや英国と日本の間では、従来相当程度の差が存在していたと言える。
しかしながら、日本においても、2020年7月22日に公表された令和元年度における主要な企業結合事例においては、特に経済分析に関して内容の充実化が行われている。公取委が経済分析を実施した2つの案件について、データソース、当事会社が実施した分析の詳細、その統計学・計量経済学的な問題点及び対応策等について従前には見られないほどに詳細に記載されており、分析内容の事後的な評価が非常に行いやすいものになっている。このような傾向が今後も続くのであれば、日本における企業結合審査の透明性がより高まり、将来の当事会社や社会全体にとって有益な情報の蓄積が進むと期待できる。また企業の側でも、審査においてどのような証拠を用いてどのような主張を行っていくことが有効かについてより理解が深まることと思われる。
(下)につづく