契約の終了
第20回 使用貸借契約の諾成化と借用物受取前の貸主の解除権(下)
明治大学法学部准教授
有 賀 恵美子
Ⅳ 検討
1 要物契約が諾成化されたことに伴い新設された解除権と無償契約の多様性
⑴ 改正前民法では要物契約とされていた使用貸借と寄託について、改正法はこれらを諾成契約とし、無償であっても書面によれば有償契約と同等の法的拘束力を認める一方、書面によらない使用貸借と無償寄託については、目的物受取前の解除権を認めた。その理由は前述したとおり、使用貸借については、無償の合意は軽率に行われるものも少なくないとして贈与の550条を引き合いに出し、貸主保護の見地から軽率な使用貸借を予防し、貸主の意思の明確を期す必要があるからとしている。無償寄託の場合は、好意的契約[29]であることから、合意のみで受寄者に対して寄託物を引き受ける義務を負わせることは適当ではないとし、さらに使用貸借との整合性から同様の解除権を認めるに至ったとされている[30]。
このように、改正法は無償性という共通項に着目し、贈与に関する550条の規律を使用貸借については直接的に、無償寄託についても間接的に及ぼそうとしている。しかし、既に審議会でも共通理解となっていたが、市場における経済的取引という意味で広く共通性を有する有償契約とは異なり、無償契約について無償という共通項で括れる部分はそれほど多くはない。無償契約の拘束力の問題にしても、当事者の意思内容は様々でありうるのだから、その契約類型や背景を考慮することなしに無償というだけで一律にその拘束力を弱めようとすることは説得力を欠く。本稿で検討している目的物受取前の解除権も、いったん有効に成立した契約からの解放がどのような場合に認められるかという意味で無償契約の拘束力に属する問題である。したがって、その解除権が認められる範囲を考察するにあたっては、贈与に関する550条を無償契約一般に通用する典型的な規律と捉えてその内容や解釈論を他の無償契約に当然に及ぼしていくのではなく、当該契約の背景と当事者意思の内容を精査したうえで決することが必要である。
⑵ それでは、使用貸借契約が締結される背景と当事者意思とはどのようなものであるのか。改正法が使用貸借を諾成契約に改めたのは、使用貸借が今日では親族間などの情義的な関係で用いられるだけでなく、ビジネスでも多用されていることを重視してのことであった。つまり、改正前民法下では使用貸借のモデルケースとして情義型が想定されていたのに対し、改正法はビジネス型を重視していると言える。情義型の使用貸借の場合には解除の余地を広く残す方向が望まれるのに対し、ビジネス型の場合にはできるだけ自由な解除を制限したいという要求が強いものと考えられる。それにもかかわらず、これらをまとめて贈与の550条に倣い「軽率な使用貸借の予防」のために解除権を認めたと説明することには無理があろう。すなわち、前述した贈与契約における類型に照らして言えば、情義型の使用貸借は、①徳義上の合意か、②自然債務の発生にとどまる場合が多いのに対し、ビジネス型の使用貸借は、③完全な契約として法的拘束力を認めるべき場合がほとんどなのではないか。
もっとも、実際に紛争が多いのは、従来から使用貸借の典型例と考えられてきた情義的な人的関係に基づく不動産使用貸借である[31]。このことから、森山見解は、法制審議会における議論について、使用貸借としては特殊な取引的な事例をもって要物性の不合理さを説明したものであるとして、その不十分さを指摘している[32]。それにもかかわらず、使用貸借契約の諾成化が是認され得るのは、諾成化と併せて593条の2で貸主の解除権が新たに認められたからである。この解除権が認められる範囲は、同条にいう「書面」性の判断に左右されるところ、情義型の使用貸借とビジネス型の使用貸借とでは、後述するようにその判断に差を設けることが考えられてもよいのではないだろうか。
2 593条の2にいう「書面」の意義と解除による契約の終了
⑴ 改正法の立案担当者の解説によると、539条の2にいう「書面」とは、目的物を無償で貸す旨の貸主の意思が明らかにされていれば足りるとされる[33]。潮見見解も、使用貸借契約は要式行為ではなく、書面が要求されるのは専ら貸主の熟慮(真意性)を使用貸借契約の書面化により確証するとともに、権利関係を明確化しようとする趣旨に出たものであるから、貸主の意思が書面に示されていて、かつ、権利関係が明確化されているものであれば、593条の2ただし書にいう書面にあたるという[34]。
これに対して中田見解は、前述した「基本方針」を踏襲した中間論点整理案を支持し、法制審議会においても贈与と使用貸借との違いを指摘して、使用貸借では解除の余地を広げた方がよいと繰り返し主張されていた。そして、使用貸借における書面は、使用貸借契約の成立とそれを履行する意思を、より明確に示すものであること(解除権放棄の意思が表示されているものなど)を要するとされている[35]。森山見解も中田見解に賛同したうえで、取引の一環としての使用貸借に書面があれば、当事者はこの合意の法的拘束力の認識を持ち、それを明らかにする趣旨で作成されたことが推定されてよいが、特殊な人的関係にある一般人の間で合意があり書面が作成されたとしても、それだけでは強制可能なものとする趣旨で書面が作成されたと認めるべきではないとされる[36]。
539条の2の「書面」の意義に関する上記の考え方の違いは、使用貸借のモデルケースとして情義型とビジネス型のどちらを想定するかという点に起因している。実際の紛争は情義型の使用貸借に関するものがほとんどであることに鑑みると、中田見解のように、書面には使用貸借契約の成立とそれを履行する意思を明確に示すことが必要と解することには一理ある。しかし、だからといって解除権排除の合意がなければ常に書面性を認めないというように書面の意義を一義的に厳格に解釈するのではなく[37]、当該使用貸借契約締結の背景や目的を踏まえたうえで、その使用貸借の拘束力を認めるに足りるだけの貸主の拘束意思(私見では「裁判上の請求権を付与する意思[38]」)の存在が書面から明らかといえるか否かで書面性を判断すべきと考える[39]。
⑵ 以上をまとめると、書面によらない情義型の使用貸借は、①徳義上の合意か、②自然債務が発生するにすぎない場合であり、539条の2の解除権行使は550条と同様に、②の場合におけるその債権債務を消滅させるという意味での契約終了をもたらすものと考える。情義型の使用貸主の通常の意思を考えると、この場合の書面性判断は自ずと厳格になされることになろう。これに対してビジネス型の場合には、原則として③完全な契約として法的拘束力を認めるべきであり、当該使用貸借自体についての書面があれば当事者の拘束意思の存在を推定してよいのではないか。
3 593条の2の強行法規性
石川見解は、書面によらない使用貸借における貸主の受取前解除権を放棄する旨の特約の効力は否定すべきとし、書面によらない贈与の解除権や書面によらない無償受寄者の受取前解除権を放棄する特約の効力についても同様という[40]。その理由は、諾成的合意の効力を補完すべき書面の方式性を解除権放棄特約という当事者の合意のみによって代替することを認めるのは規律構造上の背理と言うべきであるからとする。つまり、受取前解除権に関する規定は、「書面の方式性に依拠することによって借用物受取り前における諾成的合意に十分な拘束力を付与するという、要式的な規律構造を採用したもの[41]」であるとし、「使用貸借と寄託については要物契約から諾成契約へと改められたものの、旧法下での要物性の要請の趣旨は、書面の方式性に依拠しつつ当事者意思の確実性・明確性を合意の外側から担保する受取前解除権の制度によって、新法下でもなお引き継がれているものと見ることができる。[42]」とされる。そして、「契約の成立要件たる冒頭規定のレヴェルに属さないその傘下の典型契約規定の中に、以上のような要式的な規律構造を備えた規定が配置されることは、方式に関する規律方法をより多様なものとし、もってより事態適合的な方式規定の派生的形態の構想を可能にするという点において、積極的な意義が見出されよう。[43]」と評価している。
たしかに、書面という方式を要件として要式契約とされているものについては、当事者の合意でその方式要件を不要とすることはできず、強行法規とみることが適切とも考えられる[44]。しかし、わが民法の贈与、使用貸借、寄託は、その冒頭規定でいずれも諾成契約とされている。改正前民法の起草者も、贈与については諾成契約とすることの必要性を強調していたし[45]、使用貸借についても理論的には諾成契約とする方が相応しいとしていた。つまり、比較法的にはどうであれ、贈与と使用貸借の契約成立については方式自由の原則が妥当するというのが、わが国固有の理解として成り立つのではないだろうか。このように考えると、少なくともここでの書面は契約成立要件として必要とされているわけではないので、これを契約成立の方式と捉えることができないのはもちろんのこと、諾成的合意の効力を補完するものとの位置づけが適切なのかも疑問である[46]。そもそも、「要式契約ないし要物契約」という規律と「諾成契約+書面によらない未履行契約の解除権」という規律は同じではない。形式的に見れば、前者で契約が不成立とされる範囲と後者で解除が可能とされる範囲は一致しそうだが[47]、550条に関する判例を見れば明らかなとおり、「書面」性や「履行」の解釈次第で両者の範囲には違いが生じうる。石川見解が「方式に関する規律方法をより多様なものと」するとして積極的評価をされているのはこの点をも含めてのことかもしれないが、そのような「柔軟な方式」が許容されうるのかは、契約の方式[48]や冒頭規定の意義といった問題にも関わる。解除権を放棄したいのであれば書面により契約を締結すれば足りるので、実際上はあまり問題にならないであろうが、書面がなくても任意に履行することは妨げられないはずであることを考えると、550条や593条の2の解除権放棄を殊更に否定する必要性はないように思われる。
Ⅴ おわりに
本連載企画は「契約の終了」に関するものであるが、本稿でその一部を検討対象とした「書面によらない未履行無償契約の解除権」は、確かに契約の終了に関わる問題ではあるものの、無償契約の拘束力という問題領域において、①有効な無償契約の成立を認めるためには、どのような要件を必要とするかという問題と、②いったん有効に成立した契約からの解放が、どのような場合に認められるかという問題とが交錯するテーマである[49]。たとえるなら、改正法は、使用貸借について今までよりも入口を広くしたうえで(要物契約から諾成契約へ)、出口を増やした(593条の2の新設)ということができる。その出口の広狭は、主として書面性判断にかかってくるものと思われ、今後の判例による解釈を注視していきたい。
以 上
[29] 本来は無償性と好意性は別概念であるし、必然的に両者が結びつくわけでもない。この点について、岡本詔治「無償契約という観念を今日論ずることには、どういう意義があるか」椿寿夫編『講座・現代契約と現代債権の展望 第5巻 契約の一般的課題』(日本評論社、1990)33頁以下。好意性については、平野裕之「無償契約についての新たな試みとしての債権法――有償契約と無償契約の棲み分けの必要性」近江幸治先生古稀記念『社会の発展と民法学[下巻]』(成文堂、2019)388頁も参照。
[30] 「部会資料73A」11頁。
[31] 第81回議事録における中田委員発言、森山浩江「債権法改正における使用貸借の諾成化をめぐって」大阪市立大学法学雑誌66巻1=2合併号(2020)61頁。埼玉弁護士会編『使用貸借の法律と実務』(ぎょうせい、2021)28頁によると、裁判で使用貸借の成立が争われる事例は、親子関係などの特別な人的関係を前提に、明示の合意によらない使用貸借が問題になることがほとんどであるとされている。黙示の使用貸借契約の問題点については、橋本恭宏(山川一陽監修)「無償契約と黙示の意思表示による契約の成立――使用貸借契約を中心として」民事法情報251号(2007)80頁以下、前掲『使用貸借の法律と実務』40頁以下参照。
[32] 森山・前掲注[31] 42頁以下。
[36] 森山・前掲注[31] 73頁。
[37] 中田見解も、「書面」性について常に制限的に解釈すべきという立場ではなく、特に情義的な関係に基づく不動産使用貸借契約を念頭に置かれているものと思われる。中田・前掲(上)注[1] 378頁参照。
[38] 先に贈与者の意思に関して、「契約成立に向けられた意思(債権債務を発生させる意思)」と「裁判上の請求権を付与する意思」とを峻別する試論を提示したが、この試論が妥当するのはあくまでも例外的な場合である。保証契約のように融資という経済取引の安定性を図る必要がある場合はもちろんのこと、通常の典型契約でも、契約成立に向けられた意思があれば、裁判上の請求権を付与する意思もあると考えてよい。しかし、前述したように、贈与の場合は贈与者が常に完全な法的拘束力のある債務を負担する意思を有しているとは限らない。使用貸借(特に情義型)についても同様である。
[39] この点については、潮見見解も、「書面」概念を一般的・論理的に操作するのではなく、個々の使用貸借において、貸す意思の存在を担保するに足りる記載が明確にされているかどうかを事実に即して判断すればよいとされており(潮見・前掲(上)注[25] 319頁以下)、その見解から導かれる具体的帰結は、中田・森山両見解からの帰結と大差ないのではないかと思われる。
[40] 潮見・前掲注[25] 318頁も、593条の2本文を強行法規としている。
[41] 石川博康「要物契約の諾成化」大村=道垣内編『解説 民法(債権法)改正のポイント』(有斐閣、2017)467頁。
[42] 石川博康「典型契約規定の意義――典型契約冒頭規定を中心として」安永正昭=鎌田薫=能見善久監修『債権法改正と民法学Ⅱ 債権総論・契約(1)』(商事法務、2018)426頁。
[43] 石川・前掲注[42] 427頁。
[44] 伊藤進「要式行為規定の強行法規性」椿寿夫編『強行法・任意法でみる民法』(日本評論社、2013)19頁参照。
[46] 竹中悟人「無償契約と方式について」安永正昭=鎌田薫=能見善久監修『債権法改正と民法学Ⅲ 契約(2)』(商事法務、2018)191頁以下は、549条により贈与契約の諾成的効力を認めたうえで、550条により当該贈与契約の効力を制限しているという条文構造に着目し、条文上は「書面」と「履行」による制約は、既に成立した契約の拘束力を否定する例外として扱われるに過ぎないとされる。
[47] 「部会資料52」2頁参照。
[48] 「方式」をどのように捉えるかについては、古くから見解の相違がある。550条の書面は方式ではないとする見解としては、神戸寅次郎『註釈民法全書』(巌松堂書店、1915)171頁以下、吾孫子勝「豫約論」法学志林14巻3号(1912)21頁等がある。反対説として、末弘・前掲(上)注[12] 33頁。
[49] 無償契約におけるこの2つの問題の関係については、引き続き検討していきたい。