国際契約法務の要点――FIDICを題材として
第64回 第11章・紛争の予防及び解決(5)――仲裁(2)
京都大学特命教授 大 本 俊 彦
森・濱田松本法律事務所
弁護士 関 戸 麦
弁護士 高 橋 茜 莉
第64回 第11章・紛争の予防及び解決(5)――仲裁(2)
3 建設紛争の特色と仲裁への影響
民事紛争の中でも、建設分野における規模の大きい紛争が「建設紛争」あるいは「大規模プロジェクト紛争」として類型化され、他の紛争と区別されるのは、それに足りるだけの特色を備えているからであろう。もちろん、建設紛争と一口に言っても、具体的に問題となる論点は事案ごとに異なり、ケースバイケースの判断が求められる点においては他の紛争と変わりはない。しかしながら、多くの建設紛争に共通して見られる特色があることは、先例を通して広く認識されてきている。本稿では、建設紛争の主な特色と、それが仲裁にどのような影響を及ぼし得ると一般に考えられているかを紹介する。
⑴ 高度の技術性
建設紛争の最も分かりやすい特色は、高度に技術的で複雑な内容となることが多い点である。たとえば、Contractorによる工期延長や工事の変更に関する請求がEmployer側に認められず、紛争になったとき、場合によっては数十件以上の請求について仲裁廷が判断を下さなければならないことがある。そのような場合、各請求について事実関係を正確に把握し、論点を洗い出し、請求権の存否及び請求額の妥当性を判断することは容易ではない。したがって、これを可能にするような手続的工夫が必要となる。一例としては、当事者が提出する通常の主張書面に加え、各請求の要点をまとめた表(Scott Scheduleなどと呼ばれるが、詳しくは後の回で取り扱う)を作成して手続を管理することが挙げられる。
また、技術的な論点に関する当事者の主張立証や仲裁廷の判断を助けるため、多くの場合、専門家による分析が必要となる。専門家についても、詳しくは後の回で解説する。
⑵ 随時対応の必要性
建設契約の当事者間の紛争は、工事の進行中に随時発生するのが通常である。その中でも、工事等を先に進められるか否かに関わる紛争は、後回しにはできず、その都度対応しなければならない。
すなわち、たとえば工期延長に関する紛争が解決できない場合は、やむなく工事等を先に進め、後からDelay Damagesやprolongation costsの問題として解決することも選択肢としてはあり得る。これに対し、設計に問題があることが発覚し、どのように修正するべきかについて当事者間に技術的な争いがあるような場合、この紛争を後回しにして工事等を先に進めることは実際上できないと思われる。このような紛争を解決するのに、相当の時間と労力のかかる仲裁を逐一行うことは現実的でないため、DAABのサポート(informal opinionを含む)や、独立専門家による決定(third-party determinationなどと呼ばれる)等、仲裁以外の手段を利用することの重要性が増すと解される。また、既に当該プロジェクトに関する仲裁が係属している場合には、新たに仲裁を申し立てるのではなく、既に組成されている仲裁廷に対して暫定措置や一部判断等を求めることも検討に値する。
⑶ 多数の関係者の存在
大規模な建設プロジェクトには、EmployerとContractor以外にも多くの関係者がいる。Subcontractorや調達に関わるサプライヤーはその代表例であり、これらの関係者との間で紛争が起きることも珍しくない。同じプロジェクトに関する争いは、相互矛盾を防ぐためや、効率的な解決という観点から、一括して取り扱うのが基本的には望ましいため、それぞれの契約における仲裁条項を互換性のある形で定めておくことが重要となる。つまり、EmployerとContractorとの間の主契約で、ICC規則に基づく仲裁を定めるのであれば、ContractorとSubcontractorとの間の下請契約でも、他の仲裁機関の規則ではなく、ICC規則に基づく仲裁と定めておくなどの考慮が必要である。
さらに、プロジェクトファイナンスを利用している案件では、レンダーの存在にも留意する必要がある。すなわち、EmployerがContractorを相手取って仲裁を提起するのに契約上レンダーの承諾が必要となることもあるし、その後もレンダーが仲裁戦略に意見することを希望する場合もある。これらはレンダーに対して仲裁に関する情報を共有できることが前提であるため、仲裁の秘密性との調整が必要となる。当該案件で適用される仲裁法及び仲裁規則に基づいて、レンダーへの情報開示が仲裁における秘密保持義務違反とならないか確認し、違反となる疑いがある場合には、情報開示に対する相手方当事者の同意や仲裁廷の許可を得るなどの手段を講じるのが望ましい。さらに、Employer及びContractor間の契約書の仲裁条項において、レンダーへの情報開示が秘密保持義務に抵触しないことを予め定めておけば、この点が問題になることを確実に避けることができる。
⑷ 標準書式の利用
大規模プロジェクトでは、FIDICをはじめとした標準契約書式(またはこれを基にして作成されたカスタマイズの契約書)が使われることも多い。必然的に、これらの書式の解釈に関する裁判例が各国で蓄積されてきており、ある国においては特定の文言について確立した解釈が存在することもあり得る。たとえば、建設紛争等を専門に取り扱う裁判所であるTechnology and Construction Courtを擁するイギリスでは、FIDICやInstitution of Civil Engineers(ICE)による書式の文言を解釈した判例が多く見られる。したがって、当事者としては、当該契約の準拠法のもとで確立した契約解釈がないか確認し、これと矛盾しないように主張を組み立てることが重要となる。なお、契約準拠法のもとで確立した契約解釈がない場合でも、他の国における確立した解釈が仲裁廷の検討を助ける証拠となる可能性はあるため、自らの解釈と整合する他の国での解釈を探すことには一定の有用性がある。特に、準拠法がコモン・ロー系である場合には他のコモン・ロー系の国における解釈が、シビル・ロー系であれば他のシビル・ロー系の国における解釈が、仲裁廷に対して説得力を持つことはあり得る。
⑸ 建設分野固有の法令による制限
契約自由の原則により、建設契約の紛争解決条項についても、基本的には当事者がその内容を自由に決定することができる。しかしながら、国によっては、建設分野に固有の法令が、この当事者の自由を制限していることがある。
具体例としては、イギリスのHousing Grants Construction and Regeneration Act 1996で導入されたstatutory adjudicationが挙げられる。これは、Contractorのキャッシュフローを守ることを主目的として設けられた、支払い等に関する建設契約に基づく紛争を、原則として28日間という短期に解決するための手続である。そのスピード感ゆえに、「支払いが先、争うのは後(pay first, argue later)」などと表現されることもある。
この手続によって下された決定は、訴訟や仲裁または当事者の合意によって変更されるまで有効となり、執行も可能である。そして、当事者はこの手続を契約によって排除することはできない。したがって、イギリスを建設現場とするプロジェクトにおいては、契約に仲裁合意があったとしても、Employerはそれを理由にContractorによるstatutory adjudicationの利用を阻むことはできない。現在では、イギリス以外にも、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、マレーシア、アイルランドなどで同様の制度が採用されており、このような国で建設を行う当事者は、当該制度の利用可能性があることを念頭に置いておくべきである。
adjudicatorの選任は、契約における当事者による指名や、専門の団体による指名等の方式で行われるが、いずれにしても、建設紛争専門の法廷弁護士やコンサルティングファームのパートナーなど、極めて高度の専門知識を有する人物が選任される傾向にある。このような人物による判断への信頼度は高く、特に発祥の地であるイギリスでは、一般的には成功した制度と捉えられている。