ISSB気候関連開示基準草案の産業別指標
西村あさひ法律事務所
弁護士 安 井 桂 大
旬刊商事法務2301号(7月25日号)に掲載された「ディスクロージャーワーキング・グループ報告と国際開示基準の策定動向を踏まえたサステナビリティ情報開示」では、本年6月に公表された金融審議会「ディスクロージャーワーキング・グループ(令和3年度)」の報告書におけるサステナビリティ情報開示に関する内容を概説しつつ、IFRS財団の下に設置された国際サステナビリティ基準審議会(International Sustainability Standards Board。以下「ISSB」という。)から本年3月に公表された国際的な開示基準の草案について、そのポイントを紹介した。
本稿では、上記誌面では紹介しきれなかったISSBの気候関連開示に係る開示基準の草案(以下「気候関連開示基準草案」という。)で示されている産業別指標について、その概要を解説する。
1 産業別指標の構成等
気候関連開示基準草案においては、一般的な記載枠組みとして、TCFDで用いられている「ガバナンス」、「戦略」、「リスク管理」、「指標と目標」の4つの構成要素に基づく情報開示を求める枠組みが示されているが、「指標と目標」の開示については、産業横断的な指標や企業により設定された目標に向けた進捗を測定するために用いるその他の指標等に加えて、産業別の指標についても開示することが求められている(気候関連開示基準草案20項)。
産業別指標については、気候関連開示基準草案の付録Bに関連する規定が定められており、SASBの枠組み等を参考に別冊で68業種の指標が具体的に示されている。企業はSASBが公表している産業分類等も参考にしつつ特定の業種を選択する必要があるが、複数の業種にまたがって事業を営む企業においては、そうした複数業種に対する要求内容を全て適用する必要がある場合があり得るとされている(同B8項、B9項)。
具体的な指標等の内容は業種ごとに異なるが、ISSBの産業別指標は、いずれも以下の共通する枠組みで構成されている(同B4項)。
|
2 産業別指標の例
⑴ 自動車産業および自動車部品産業の例
産業別指標の例をいくつか紹介すると、たとえば、自動車産業については、以下の開示トピックや指標の開示が求められている(気候関連開示基準草案付録BのB63)。
開示トピック | 指標 |
燃費および使用段階の温室効果ガス排出 | 販売量で加重平均された燃費(地域別) |
⑴ゼロエミッション車、⑵ハイブリッド車、⑶プラグイン・ハイブリッド車の販売台数 | |
燃費および温室効果ガス排出に関するリスク・機会を管理するための戦略の説明 |
それぞれの指標については詳細な説明が付されており、たとえば、ゼロエミッション車、ハイブリッド車およびプラグイン・ハイブリッド車についての定義が定められているほか、平均燃費については規制上求められているモデル年度ごとに計算しなければならず、また、日本国内で販売した乗用車についてはキロメートル当たりのガソリンのリットル数(L/km)、欧州で販売した乗用車等についてキロメートル当たりの二酸化炭素グラム数(gCO2/km)といったかたちで、地域ごとに異なる単位で開示され得ること等も示されている。
加えて、関連するリスク・機会を管理するための戦略の説明においては、既存の車両および技術の改良、新技術の導入、先端技術の研究開発の取組み、ならびに同業他社および学術機関または顧客との連携のほか、顧客需要の充足や、事業を営むまたは将来に営むことを計画している市場の規制上の要求の遵守状況など、燃費および温室効果ガス排出に関する取組みに影響を与える要因について説明しなければならないものとされている。
他方、自動車部品産業については、以下の開示トピックおよび指標の開示が求められており、気候変動に対する影響の与え方や産業の特徴を踏まえて、自動車産業のものとは異なる内容が定められている(気候関連開示基準草案付録BのB62)。
開示トピック | 指標 |
エネルギー管理 | ⑴エネルギー総消費量、⑵電力供給網からの電力の割合、⑶再生可能エネルギーの割合 |
燃費設計 | 燃費の向上および/または温室効果ガス排出の削減を目的として設計された製品から生じる売上 |
⑵ 日用品産業の例
消費財のうち家庭用・個人用のいわゆる日用品を製造する産業については、以下の開示トピックおよび指標の開示が求められている(気候関連開示基準草案付録BのB5)。
開示トピック | 指標 |
水管理 | ⑴総取水量、⑵総消費水量、ならびに⑴および⑵のベースライン水ストレスが「高い」または「極めて高い」地域の割合 |
水管理リスクおよび当該リスクを軽減するための戦略・実務の説明 | |
パーム油に係るサプライチェーンの環境・社会への影響 | パーム油調達量、ならびに持続可能なパーム油のための円卓会議(RSPO)のサプライチェーンで認証された以下の割合:(a)アイデンティティ・プリザーブド、(b)セグリゲーション、(c)マスバランスまたは(d)ブック・アンド・クレーム |
水資源が豊かな日本に暮らしていると感じづらいが、気候変動による雨量の減少等により、水が希少な資源となっている国や地域が少なくない。日用品の製造に際しては、多くの水を使用するケースが多いため、そうした観点から水の管理に関する開示が求められている。企業においては、事業活動における水リスクを分析し、世界資源研究所(WRI)のツールである Aqueduct(アキダクト)によって、ベースライン水ストレスが「高い(40〜80%)」または「極めて高い(>80%)」と分類された場所における取水および水消費する活動を、識別しなければならないものとされている。
また、パーム油についても、その収穫過程において森林破壊や温室効果ガスの排出、その他の環境・社会問題の原因となるケースがあることが指摘されており、持続可能なパーム油のための円卓会議(RSPO)の枠組みに沿った開示が求められている。
⑶ 商業銀行の例
商業銀行については、以下の開示トピックおよび指標の開示が求められている(気候関連開示基準草案付録BのB16)。
開示トピック | 指標 |
与信分析におけるESG要素の組込み | 与信分析にESG要素を組み込むためのアプローチの説明 |
移行リスクのエクスポージャー | ⑴炭素関連産業への産業別のエクスポージャー、⑵全ての産業へのエクスポージャー合計、および⑶各炭素関連産業へのエクスポージャー合計の割合 |
ファイナンスに係る温室効果ガス排出の算出に含まれるエクスポージャーの割合 | |
各産業について、資産クラス別の⑴スコープ 1・2・3の総排出量および⑵エクスポージャー(ファイナンスに係る温室効果ガス排出) | |
各産業について、資産クラス別の⑴スコープ 1・2・3の総排出原単位および⑵エクスポージャー(ファイナンスに係る温室効果ガス排出) | |
ファイナンスに係る温室効果ガス排出を算出するために用いた方法の説明 |
商業銀行については、その産業の説明に係る欄において、商業銀行は金融の仲介者としてその融資実務を通じて様々な産業に属する企業や資産、プロジェクトに重要な影響を及ぼす可能性があり、投資家や規制当局から気候変動関連のリスクにどのように対処しているのかについての開示を求める圧力が高まっていること等が指摘されている。
そうした観点から、上記のとおりファイナンスに係る温室効果ガス排出について開示が求められているほか、与信分析にESG要素を組み込むためのアプローチについても説明しなければならないものとされている。
商業銀行に対してこうした開示が求められていることについては、銀行業を営む企業はもちろん、銀行から融資を受ける幅広い業種の企業においてもそうした状況を踏まえた対応を求められる可能性があるため、十分に認識しておく必要があると考えられる。
ディスクロージャーワーキング・グループの報告書においては、今後、ISSBにおける国際開示基準の策定動向を踏まえ、有価証券報告書における記載内容を追加する検討を行っていく方針が明確に示されており、企業においては、ISSBの開示基準草案の内容も視野に入れながら、実務対応を検討していくことが必要になる。
本稿で紹介した産業別指標は、産業別の特徴を踏まえた開示トピックや指標が具体的にまとめられたものであり、企業において具体的な取組みを検討していく際に、参照することが有益であると考えられる。
以 上
(やすい・けいた)
西村あさひ法律事務所パートナー弁護士(2010年弁護士登録)。2016-2018年に金融庁でコーポレートガバナンス・コードの改訂等を担当。2019-2020年にはフィデリティ投信へ出向し、エンゲージメント・議決権行使およびサステナブル投資の実務に従事。コーポレートガバナンスやサステナビリティ対応、M&A、株主アクティビズム対応等の企業法務全般を幅広く手掛ける。主な著作(共著含む)として、「サステナビリティ情報開示の実践」旬刊商事法務2292号(2022)14頁、『サステナビリティ委員会の実務』(商事法務、2022)、『コーポレートガバナンス・コードの実践〔第3版〕』(日経BP、2021)など。