著者に聞く! 長島安治弁護士「日本のローファームの誕生と発展」
(後編)
弁護士 長 島 安 治
(聞き手)西 田 章
前回の長島安治弁護士インタビュー記事(前編)では、まずは、現在、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長についての刑事事件手続がメディアの注目を集めているところでもありますので、コーポレートガバナンスの観点から、これまでにいくつもの著名企業の社外取締役・社外監査役を務めてこられた長島弁護士に対して、社外役員の使命、任期や人選についてのお考えをお伺いしたところから紹介させていただきました。それに続き、学生時代に司法試験を受験するに至ったきっかけ、若手弁護士時代、そして、米国に留学されたところまでを掲載しています。
前回のお話の中では、長島弁護士が、日本の法律事務所にはまだ先例もない中で、タイムチャージ形式でのリーガルサービスを始められたのが留学前のことだったとのお話には、驚かされました。そこで、今回の後編では、長島先生が、依頼者に対する営業活動、法律事務所における弁護士間の信頼関係の構築、新人弁護士の採用について、どのような考え方を持って取り組まれて来たのかをお尋ねしています。
90歳を過ぎてから、「挑戦なきところに進歩なし」という言葉を座右の銘に選ばれて、歩みを続けようとする長島弁護士の姿勢には、インタビュー担当者も強い刺激を受けました。本サイトを通じて、それがほんの少しでも読者に伝えらえることができることを願います。
第5部 法律事務所の営業
- 次に、法律事務所における営業のあり方についてお尋ねしたいと思います。長島先生が、クライアント開拓で意識していたことはありますか。
- 振り返ってみると、二つあります。ひとつは、「他の事務所がやらないことをやる」というのは意識していました。これは、私のメンターの言葉がヒントになっています。
- メンターとはどなたでしょうか。
- 司法修習生1期の裁判官である田辺公二さんです。
- 長島先生が、「自由と正義」1999年12月号に「日本のロー・ファームの合併と大規模化について――故田辺公二判事への報告」をご執筆された名宛人の田辺判事ですか。
- そうです。私は、田辺さんのことを非常に尊敬しています。田辺さんのお写真は、以前は事務所の執務室にも飾っており、今は自宅に飾っています。
- 田辺先生からは、何という言葉をかけられたのですか。
- 田辺さんによく言われたのは、「たたき大工になっちゃいかんよ」という言葉です。
- 田辺先生は、それで具体的にどういうことを助言してくださったのですか。
- 田辺さんには、それ以上に突っ込んで聞けませんでした。「たたき大工とはどういうことですか?」と尋ねればよかったのですが、田辺さんに「そんなことも分からないのか!」と言われるのが嫌だから(笑)。
- 長島先生は、どう解釈されたのでしょうか。
-
私は、「たたき大工」という言葉を「その日その日の仕事をこなしていくだけで満足してはダメだ」ということだと理解しました。
つまり、大工の中には、一軒の家を作り終わったら、すぐに「終わった。さぁ、二軒目の現場に行くぞ」と、次に取り掛かる人もいるでしょう。でも、それではダメだ、と。一軒、作り終わったところで、「この仕事に何か至らなかったところはないか?」をしっかり考えろ、と。そういう意味だと考えました。 - 確かに、田辺先生もそうでしたが、法律家の中でも、裁判官であれば、自分の判決を、上級審で見直されることもあるし、判決文が公表されたら、研究者や学者からも評釈される対象になりますよね。その点、弁護士であれば、ひとつの仕事が終わっても、それがレビューされることもなく、次に移ってしまうことこともありえますよね。
- というか、むしろ、レビューされないことが普通じゃないでしょうか。
- そのような考えの末に、長島先生は「他の事務所がやらないことをやる」と決意されたのですね。
- はい、そして、渉外の仕事を始めました。当時、日本人の法律事務所ではやっておらず、日本にいたアメリカ人弁護士が担っていた分野でした。
- アメリカ人弁護士と競争しなければならないのですね。
- そうです。そこで、前にお話ししたとおり、留学から戻ってくる際に、私のホストスチューデントだった、スピード・キャロルに一緒に日本に来てもらったのです。
- 渉外業務を始めようとする事務所にとって、スピード・キャロル弁護士の存在は大きかったのですね。
- はい。スピード・キャロルと2人だったからこそ、日本の法律事務所では手掛けることができなかった案件を受けられるようになりました。例えば、外資系の航空会社の従業員が一斉にストライキを起こした事件は、普通の法律事務所では手も足もでなかったはずです。ただ、私のところには、スピード・キャロルと私、そして、労働専門で仕事をしていた福井富男弁護士がいたので非常に良いサービスを提供することができました。
- なるほど。それでは、営業で、もうひとつ、意識されていたことは何ですか。
- それは、「クライアントにおもねってはいけない」という点です。
- 具体的にはどのようなことでしょうか。
- クライアントが、弁護士から耳障りの良いことばかりを聞いていますと、「この弁護士は、本当のことを言ってくれているのだろうか?」という疑念を抱かれるようになるわけです。弁護士が、そのクレディビリティに疑念を持たれたら、これはもうおしまいなんです。だから気を付けなければならない。
- これも、田辺先生の言葉がヒントになっているのでしょうか。
- いえ、これは自分自身の経験から考えたことです。前にもお話ししましたが、私は、大学を卒業してから、すぐに弁護士にならずに、家庭の事情もあり、一旦、三菱化成という会社に就職しました。この会社には、3人の顧問弁護士がいまして、私も意見を聞きに行きましたが、その回答に満足できなかったことがきっかけになりました。
- クライアントにおもねってはいけない。確かに、重要なことですね。ただ、他方では、「弁護士もサービス業である」「クライアントのニーズを汲み取らなければならない」という点との線引きが難しいこともあるかと思います。先生は、長島・大野・常松法律事務所のHPに掲載されている連載(「第18回 帰国、林修三顧問のこと」)でも書かれておられますが、既存のクライアントが締結していた国際契約を無償でレビューしたことがあるのですよね。
- そうです。すでに締結済みの契約にコメントをしてあげることで、クライアントのほうで「他の種類の問題でも相談に乗ってもらえるかもしれない」「こいつは役に立つかもしれない」と期待してくれました。
- 同じ連載では、留学前には、タックスを扱っていなかったが、留学中に、金子宏先生とも知り合って、帰国後は、タックス関連の相談も受けたと書かれていますね。
- 金子宏さんは、文化勲章を授賞されましたね。大したものです。尊敬します。
- 長島先生が金子先生と知り合われたのは、まだ金子先生が助教授の頃ですか。
- 金子さんと親しくなったのも、田辺さんのご紹介です。私がハーバード・ロースクールに留学することが決まったと報告したときに、田辺さんから「同じセメスターに、東大の助教授の金子さんも留学される」「君といい友達になれると思うよ」と言われました。
- そのようなご縁があったのですね。留学から戻られた時に、渉外業務はゼロからスタートされたのですか。
- ゼロからです。
- 既存クライアントの国際契約のレビューの他にも、何か営業活動はなされたのでしょうか。
- それ以外に特に営業活動をしたという覚えはないですね。
- 広告宣伝的なこともされなかったのですか。
- 一切していません。すべて口伝てですね。
- そういえば、『日本のローファームの誕生と発展』84頁以下には、東京ヒルトンの事件は、ブレークモア先生からのご紹介だと書かれていますね。
- そのとおりです。ブレークモアさんは、東京大学の商法の教授である矢沢惇先生と友達なんですね。矢沢先生が「渉外弁護士というのがどんなことをやっているか、学んだら良いだろう」として、ブレークモアさんの事務所に連れて行ってくださいました。
- それは、長島先生が留学されるよりも前のことですか。
- 留学前です。
- ブレークモア先生は、当時、日本の渉外業務では、最も幅広く活躍されていたと聞いています。
- 英名がありましたね。
- それだけ評判が高いブレークモア先生の事務所でも、日本の裁判所における紛争案件で、長島先生をご紹介されたのですね。
- ブレークモアさんの事務所にも、日本法弁護士はいましたが、紛争案件は扱っておられなかったのだと思います。
- 事件のことは覚えておられますか。
- あのときのことは、よく覚えています。私がヒューストンに出張していたのですが、朝、ヒルトンのニューヨーク本社のジェネラルカウンセルから電話がかかってきて、「明日の飛行機で日本に戻って来てくれ」と頼まれました。
- そして、ブレークモア先生の期待に応える活躍をなされたのですね。
- 結果的にはそうなりました。東急側と仮処分の打ち合いになりましたが、こちらの仮処分の申立てが通って、相手方の仮処分の申立ては却下されました。
- アメリカのメディアには、悪口を書かれた、とも執筆されていますね(『日本のローファームの誕生と発展』85頁以下)。
- そうです、ワシントンポストに、「日本の裁判官は保守的で、かつ、日本の裁判は、ノトーリアス・スロウ、悪名高いほど遅い」と書かれたと思いますが、結果的にはその逆になりました。
- 日本の裁判所も捨てたものじゃないですね。
- 決して捨てたものではありません。日本の裁判所の中立性というのは、先輩たちが築き上げて来たものであり、立派なものです。
- 法律事務所の営業、という点で言えば、やはり、ご縁があったクライアントから引き受けた仕事を一生懸命にやることが最も大切なのですね。
- いい仕事をすると信頼される。それで、段々、口コミで広まっていく。それ以外に方法はないですね。そう思います。
- これまでに長島先生が相談に乗って来たクライアントの中で、最も印象深い先、と言えば、どこになるでしょうか。弁護士冥利に尽きる、というか、やりがいがあった案件として。
- その点では、時代はずっと下りますが、徳島県の阿南市にある、日亜化学工業という会社の大きな訴訟の代理人を務めたのですが、これは、印象深いです。
- 中村修二博士が青色LEDに関する職務発明に関連して提起した訴訟ですね。
- はい。あの訴訟代理人は、日亜化学が初めて私に依頼してきた事件でした。
- それが初めての事件だったのですか。
- そうだったと思います。そのときに、日亜化学は、本当に私のことを信頼してくれているのが分かって、一生懸命にやりました。
- あれだけ大規模に事業を展開しながら、地元を大切にしている会社ですよね。
- そうです、立派な会社です。
- 長島先生のご経験の中でも、特に優れた会社なのですね。経営者がしっかりしている、ということでしょうか。
- そうです、正直なんです。話をしていると、この人達は正直だ、という印象を強く抱きました。決して自分達に有利なように話を曲げて伝えたりはしない、と。
-
経営者から信頼されて、代理人もそれを意気に感じてよい仕事をして、また依頼者からも信頼される、という循環があるのですね。
ところで、やはり、日本企業の依頼者のほうが気持ちは入りやすいのでしょうか。それとも、外資系企業のほうがやりやすいこともあるのでしょうか。 - それは、会社によりけりです。日系か外資系かという区別はありません。経営者次第。本当のことを告げてくれるかどうか、の問題です。
- 自分に都合がよいことだけを語るクライアントもいるのですか。
- そういうクライアントがいても、ちっとも不思議ではない。私だってクライアントの立場だったらそうなってしまうかもしれない(笑)。
- 今度は、逆に、好きにはなれないクライアントのことについてもお尋ねしたいと思います。依頼を断ることもあったのですか。
- そうですね。
- 何か「こういう相談は受けない」というルールは決められていたのでしょうか。
- おそらく、実際に会ってみての直感じゃないでしょうか。
- 話を聞いて受任を断ったこともあるのでしょうか。
- あったと思いますね。
- コンフリクトがない場合でも。
- コンフリクトがなくても、断ることはありますよ。さっき言ったように、本当のことを話してくれていると思えなかったら。
- そこは、クライアントの資力、お金ではなく、正直さ、誠実さですか。
- もちろん。正直に話してくれなければ、おそらく依頼を断ります。
- 一旦、受任した案件を、途中で辞任されることもあったのでしょうか。
- そういう記憶はありませんね。
- とすれば、受任前に直感が働いていたのですね。
第6部 法律事務所内における弁護士間の信頼関係
- 次に、所内の弁護士間の信頼関係をどのように構築されたのかをお尋ねしたいと思います。『日本のローファームの誕生と発展』91頁では、まず、「週例会」を挙げておられますね。
- はい、事務所を大きくしていく上で、一番、不味いことは、仲間の間で「あいつは一体、何をやってるんだろう?」という不信感が募ることです。それを避けるために私がやったことが、毎週、月曜日の朝に、朝礼会を開くことでした。
- それが「週例会」ですね。
- そうです。そこで、各自が「私は、先週、こういうことをやりました」「今週は、こういうことをする予定です」というのを、みんなに披瀝するわけです。
- そうすれば、「あいつは何やってるんだ」という疑念を持たなくなるわけですね。
- はい。それだけではありません。同僚の知識、経験をその報告の中で聴くことができるので、各弁護士の知見が増えていくのですね。これは成功でしたね。
- それまでは、各弁護士が持っているクライアント名やノウハウは、各自が抱え込むのが通常だったのでしょうね。クライアントやノウハウを開示してしまったら、同じ事務所の弁護士でも、盗まれて独立される危険があるので。
- 「弁護士になった以上は、一国一城の主にならなければ、弁護士になった甲斐がない」という人がいるわけですよ、少なからず。でもね、クライアントから見れば、「長島が一国一城の主かどうか」なんてまったく関係ない。要は、いかに誠実に助言してくれるかどうか、だけが問題。
- 確かに、「ノウハウを盗まれる云々」は、「弁護士側の事情」ですよね。できるだけ良いサービスを、早く提供することを最優先すべきですね。
- 私は、「ひとつの頭で考える」という手法には限界があると思っています。仲間とディスカッションして、いくつもの頭で、あっちから見たり、こっちから見たりして、磨き上げた意見をクライアントに提供すべきです。
- よく理解できました。ところで、週例会は、長島先生が発起人ですか。
- 私が弁護士の中で一番シニアでしたからね。
- 週例会を始められたのは、留学に出られる前ですか。
- 留学する前からですね。
- 事務所の全弁護士が集まるのですか。
-
そうです。全弁護士、と言っても、当時はたいした数ではありませんでしたから。
留学から戻ってからは、NYのMilbankで行われていた、「ティータイム」の制度を導入しました。 - それはどういうものですか。
- 事務所内で、時間を決めて、コーヒーを飲みながら、15分〜20分ぐらいを過ごすわけですよ。その良いところは、その間に、事務所の中で、どんな案件が動いているのか、どの弁護士がどんなことをやっているのかが自然に耳に入ってくることです。すごく為になりますよね。
- 正式には、案件をアサインされていないパートナーとも話す機会があるのですか。
- インフォーマルな場のほうが、若い弁護士は積極的に話をしやすいですよね。
- 仕事を依頼しているパートナーから「俺の頼んだ仕事をサボって、こんなところで時間を潰しているのか!」と叱られないでしょうか。
- はっはっは。それは言わない約束です(笑)。ティータイムの方針があるから。意思の疎通をよくすることが大事です。
- そういえば、長島・大野の文化では、先輩弁護士でも「●●先生」ではなく、「●●さん」と、「さん付け」で呼んでいたのが印象的でした。これは、長島先生が「コミュニケーションの形はこうあるべきだ」と思って導入されたことなのでしょうか。
- いつ始めたという記憶はないのですが、長い間、そのとおりですね。特に変えた記憶はありません。
- 先生が新人弁護士として、所沢道夫法律事務所に入られたときからなのでしょうか。
- 私は、所沢道夫さんのことは「先生」という敬称で呼んでいました。私よりも、ふた回り年上で、大学の先輩でもあるし、事務所の創始者ですから、別格扱いでした(笑)。
- 長島先生ご自身は、年下の弁護士から、「先生」という敬称を付けずに呼ばれても構わなかったのですか。
- 私は、そういうことが全然気にならないんですよ。
- 後輩に、「自分を『さん』付けでいいよ」と許可されたのですか。
- いちいち「さん付けで呼んでいいよ」と許可を与えた覚えはないのですが、「先生と呼ばれて喜ぶほどのバカでなし」というところかな(笑)。
-
確かに、「先生」と呼ばれて喜んでいるような弁護士ではダメですね。
ところで、『日本のローファームの誕生と発展』91頁には、「週例会」に続けて、「パートナー間の利益配分の合理性」についても言及されています。概して、先輩パートナーは、既得権の確保に走ってしまいがちなので、未来のパートナーのためにも、フェアな制度を作る、というのは、すごいことだと思いました。 - フォーミュラを覚えていないので、詳しいコメントはできませんが。
- 利益配分の仕組みとしては、当該事業年度に売上げを立てた人に多く配分をする、米国的な方式が、インセンティブ設計としては合理的とも言われますが、売上げには波もあるので、パートナーのシニョリティに従って分配する、英国的な方式のほうがフェアであると言われますね。
- 自分で作ったフォーミュラを覚えていないので具体的なことはお答えできないのですが、そういうことを色々考えた上でフォーミュラを作りました。色々なファクターにウェイト付けをして。
- それは、米国の事務所の仕組みを模範にされたのでしょうか。それとも、長島先生のオリジナルなのでしょうか。
- アメリカの事務所を参考にしたかどうか……、ぼくは、アメリカでは、ボストンとニューヨークの二箇所で働いたのですが、利益配分の仕組みを調査することまでやったかなぁ……、そこまでの記憶はないですね。
- 事務所の他の先生方と相談して決められたのですか。
- ぼくが原案を作って、それを他の弁護士に見てもらって賛成してもらいました。
- 考え方としては、「お客さんを最初に開拓した弁護士」と「今年度、そのお客さんのために実際に手を動かした弁護士」のどちらに配分すべきか、という問題がありますよね。
- そうですね。だからこそ、それぞれのファクターにどういう風にウェイト付けするかが難しい問題です。
- 最近、他の事務所では、「何十年も前にクライアントを開拓したオリジネーターが、まったく手を動かしていないにも関わらず、最大の分配を受けるのはおかしい」という議論もあるようです。
- 実働している弁護士に不満が募る方法はあまり感心できないですね。
- 昔は、まだ、顧問弁護士がおらずに、開拓できる企業がたくさんあったのでしょうが、今は、上場企業はどこもすでに法律事務所の顧問が付いているので、新規開拓ができなくて、若手が新規開拓をしづらくなっているとも言われます。
- すでに顧問事務所が付いている企業であっても、新陳代謝はあるのではないでしょうか。開拓の余地がないとはとても言えない。
- 会社にも色々な部署があり、新しい事業にも取り組んでいますし、法律事務所を使い分けていますよね。それだけに、若手パートナーのやる気を失わせるような利益分配を続けているのは良くないですね。
- そうですね。
第7部 法律事務所の採用
- 次に、法律事務所の新卒採用についてお伺いしたいと思います。新司法試験の下では、受験生には合格順位が通知されるので、就職活動は、司法試験の合格順位を提出する慣行が進んでいるのはご存知ですか。
- 本当?
- はい。そのため、司法試験の合格順位が1桁、2桁だと、法律事務所から簡単にオファーが出る一方で、合格順位が1000番以下、4桁だと、面接に呼んでもらうことも一苦労となっています。
- へぇ~。
- このように、現在の新卒採用の書類選考は、司法試験の順位や学業成績が高い比重を示しているのですが、学力には、弁護士としての資質・潜在能力との相関関係があると思われますか。
- 成績が悪い人が、良い弁護士になる、ということは稀だろうと思います。成績が良くても、直ちに良い弁護士になるとも限らないでしょうが。
- それは、学力が高いだけでは足りず、さらに、弁護士になってからも努力を続けることが必要、という、アンド条件ということですか。
- そうだと思います。どれくらいハードワークを厭わないか、というのは、大きいでしょうね。
- 長島先生は、長島・大野法律事務所では、長い期間、直接に面接官を担当していたのでしょうか。
- はい。
- 面接を担当された中で、誰か印象に残っている修習生はいらっしゃいますか。
- 宮崎裕子さんのことは、はっきりと覚えていますよ。
- どのように覚えておられるのでしょうか。
- 私の部屋に入って来て、私の机の前まで歩いてくるときに、まず、直感的に「この人を採らなきゃいかん!」と思いましたね。
- まだ、一言も話す前に、その所作からだけですか。
- そうですね。
- 宮崎裕子先生は、今年1月に、最高裁判所の裁判官に就任されましたね。
- 私も誇りにしています。
- 修習生時代から、光る才能があったのでしょうね。
-
そうですね、オーラがありましたね。
宮崎さんが最高裁判事になられると聞いて、お手紙を出したんですよ。そうしたら、ご主人と2人でわざわざうちにお越しになりました。 - 長島・大野の新卒採用で、必ず、修習生にこういう質問をする、というような決め事はあったのでしょうか。
- マニュアルを作っていたわけではないですよ。ひとつは、司法研修所の教官をしている友達もたくさんいたので、教官からの推薦にはウェイトを置きましたね。
- 修習生を直接に知っている教官の評価は信頼できますね。
- 2年も見ているわけですからね。
- 長島先生は、オフィスで面接をされていたのですか。事務所によっては、修習生を連れて食事に行って、その食べっぷりを見るところもある、という噂も聞きますが。
- 私が、食事に行った記憶がある修習生は、木村寛富さんだけですね。あの人は、お酒が強いですからね。食事の前に、一杯飲もうと言って、バーに行って、「先生、このお酒は強いですか?」と尋ねられたことがあって、それでよく覚えています。それ以外は、食事に行ったことはないですね。食事に行くのは、私以外の、原壽さんとか、そういう連中が担当していました。
- 面接では、長島先生は、修習生の何を見ていたのでしょうか。法律の勉強の中身を聞いたりもするのですか。
- 勉強の中身は聞きませんね。
- 将来、どういう仕事をしたいとか、キャリア・プランとかでしょうか。
- おそらく、一番重きを置くのは、人間としてのインテグリティでしょうね。
- それをどうやって面接で見分けることができるのでしょうか。
- 難しい質問ですね(笑)。まぁ、しかし、長年やっていますから、話しているうちになんとなくわかるものじゃないでしょうか。
- 正直さ、誠実さとか、表面的に受け答えしているのかどうか、とかですか。
- そういうことを含めてね。
- 面接で感じた長島先生の直感は、当たっていたのでしょうか。
- 外れたな、と思った記憶はないですね。少なくとも、「当たらずとも遠からず」とは言えたのでしょう(笑)。
- 逆に、「この人はたいしたことはないな」と思っていたのに、その後に伸びた、という人はいるのでしょうか。
- 原壽さんなんてそうですよ。本人が聞いたら怒るかもしれないけど(笑)。
- 周りから愛される魅力を持っている先生ですよね。
- あります、あります。原さんは、宮崎の人なんですけどね。誰かに聞いたことがあるのですが、宮崎の人は、喧嘩しないんだそうですね。だから、争い事には、宮崎の人を加えると、うまくまとまる、と言われているそうです。
- 元々の長島・大野が想定していたような、カチッとした人でない新人が入って育つことで、事務所の幅も広がって行ったのでしょうか。
- そういうことは言えるでしょうね。カチッとした人、の意味にもよりけりですが(笑)。
- 『日本のローファームの誕生と発展』にも、弁護士の採用に、1人でも反対すると採用しないことが長く続いたために、採用すべきであった人を逃してしまったこともある、と述べられていますね(同書92頁)。ところで、長島先生が経験弁護士を中途採用したこともあるのでしょうか。
- なかったですね。
- 中途採用は、もっと時代が下って行われたものなのですね。例えば、リティゲイターの木村久也先生(修習37期)は、留学から戻って来たところで合流されましたね。
- 木村久也さんは早稲田大学出身でしたよね。木村さんを採用するときに、私は「今までとは違ったタイプだな」と思ったんですよ。「こういう弁護士も見逃さないようにしないといけない」と思ったのを覚えています。
-
中途/ラテラル採用には、新卒と異なり、事務所固有の文化とは違うものを取り入れる意味があるのですね。
次に、アソシエイトの教育についても、お伺いしたいと思います。最近、世間では、「働き方改革」が流行しています。「働き過ぎは良くない」という考え方も広がっていますが、弁護士の仕事は、なかなか、労働時間を決めて、オーバーワークしない、というわけにも行かないかと思いますが、この点は、どうお考えでしょうか。 - 「働き方改革」で言われていることは、普通の会社員について言えるかもしれませんが、プロフェッショナルには妥当しない。そこは区別しないと。
- 会社員とプロフェッショナルは違いますか。
- NHKが「プロフェッショナル 私の流儀」というテレビ番組で、その道を極めた人を選んで放送していますよね。ああいう番組を見ていても、「普通の会社員と、プロフェッショナルは違うんだ」というのを思いますね。
- 自分の中で設定している目標が高いでしょうか。
- 全然違いますよ。
- プロフェッショナル、というのは職人的イメージがありますが、弁護士も、皆、その括りに入るでしょうか。
- 「プロフェッショナルとしての誇り」を持っているかどうか、でしょうね。
- 弁護士であれば、1年目から持つべきものでしょうか。
- 早くて悪いことはないですよね。
- そういえば、私が、新人弁護士時代に、長島先生に「企業法務の弁護士として最も大切なものは何ですか?」と質問されていただいた時に、長島先生から「アベイラビリティだ」と教えていただいたことを思い出しました。「米国の東海岸のウォールストリートの一流弁護士は、休暇中でリゾートホテルのプールにいても常にクライアントからの電話がつながるようにしている」と。
- そうですね、その通りです。私もなかなか良いことを言ったな(笑)。
- それでは、次に、キャリアモデルについても、お伺いしたいと思います。ローファームでは、「パートナーになって、自分のクライアントを持つ」というのが目標とされてきたと思います。ただ、最近では、パートナーではなく、パートナー未満のポジション、「カウンセル」や「オフカウンセル」という肩書で、長く働く、というキャリアも生まれています。このように、クライアントに対して直接には責任を持たない、「ロイヤーズ・ロイヤー」のような働き方もありうるでしょうか。
- 今、「ロイヤーズ・ロイヤー」と仰られたけれど、「ロイヤーズ・ロイヤー」という言葉の意味は、正に、ロイヤーのロイヤーであって、むしろ、一段高いのではないでしょうか。
- 失礼しました。弁護士からも尊敬される、という意味ですね。
- そうですね、たとえ、ある特定の分野に限ったものであるとしても。
- シニア・アソシエイトの延長線とは違いますね。
- 全然違います。
- それでは、売上げという観点で質問を変えてもよろしいでしょうか。目指すべき弁護士像、パートナー像として、大きな売上げを立てるレイン・メーカーと、特定の法分野で尊敬される専門性を備えた、エクセレント・ロイヤーの両方があるかと思います。優れた弁護士を、何で測るべきか。その年の売上げか、それとも、論理的思考力や法律知識か。
- 評価の目的はなんでしょう。
- 若い人はどちらを目指すべきか、という方向性として。客商売がうまい人もいれば、学者タイプで研究が好きな人もいる。それぞれ、両方のタイプが居てもいいのでしょうか。
- そうですね、両方のタイプがいるファームが強いと思います。
おわりに
- この度は、長時間にわたり、インタビューに応じていただき、どうもありがとうございました。最後に、最近、先生がお考えになっていることがあれば、お伺いしておきたいのですが。
- 先日、テレビを見ていたら、「座右の銘」の話がありました。ある方が、「あなたの座右の銘は?」と尋ねられて、「『座右の銘』はないんだけど、父親が、いつも『経験は宝だ』と言っていた」と答えておられて、それは立派な「座右の銘だ」と思いました。そこで、私も「自分に『座右の銘』がないのは癪だな」と思って、作ることにしました。
- 90歳を過ぎて、座右の銘を新たにお作りになられたのですか。それは、どんな内容でしょうか。
- 「挑戦なきところに進歩なし」ということにしたんですよ。実行しようとするのは、なかなか大変ですね。挑戦しようと思っても、つい億劫になってしまう。でも、自分ではなかなか気に入っているんです。
以上