弁護士の就職と転職Q&A
Q68「転職エージェント経由が直接応募よりも効果的なことはあるのか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
若手弁護士の転職活動の基本形は「直接応募」です。日本のリーガルマーケットに商業ベースの人材紹介業者が参入したのはわずか15年前であり(2004年に起きた三井安田法律事務所の分裂が契機となっています)、いまだに多くの優良事務所が「やる気がある者ならば、直接に応募してくるべき」であり、「エージェントの広告宣伝費を賄うための費用を支払わされるのは不愉快」と考えています。
1 問題の所在
企業間の転職を扱う大手人材紹介会社には、TVのCMで「転職は慎重に」というキャッチフレーズで候補者の信頼を得ようとする取組みがあります。弁護士を扱う事業者にも「本人のためにならない時期の相談には転職を止める助言をする」と主張する方もありますが、それは「当社には、今、適当な紹介先がないから、しばらく現職で我慢しておいてください」というメッセージに過ぎません。真に相談者のキャリアを考える誠実なコンサルタントであれば、「当社への依頼はありませんが、この事務所は良いと聞いているので、直接に応募されたらいかがですか?」という提案まで含めて助言すべきです。
転職エージェントは、あたかも「適切な採用ニーズがある先はすべて当社が扱っている」「エージェントに依頼しないのは、金銭的余裕がないケチな事務所だけである」と相談者を信じ込ませようとします。しかし、法律事務所が転職エージェントに依頼しないのは、「紹介手数料負担を免れたい」という理由だけではありません。一部のエージェントが、事務所の了解もなく、求人情報をメーリングリストで回覧したり、問題がある事務所も混在した「求人事務所一覧」を配布したりするために、「事務所名がエージェントに濫用されてブランドイメージを損うこと」が嫌われています。
また、事務所における現実の選考過程においても、「直接応募だから却下する」ということはありません。履歴書や職務経歴書に光るものがあれば、きちんと審査してもらえるため、「エージェント経由で採用された人材は、直接に応募しても、ほぼ間違いなく合格していたはず」と言えます(逆に、事務所側が「このエージェントとは関わりたくないため、エージェントからの問合せに返事しない」こともあるため、「エージェントなど利用せずに、直接に応募していたら合格していたかもしれないのに」と感じさせられる、残念な事例をいくつも見聞きします)。
それでは、(情報収集やコンサルティングという意味を超えて)特定の法律事務所への志望動機が固まっている段階において「直接応募よりも、エージェントを経由することが本人のメリットになる」というのはどういう場合にありうるのでしょうか。
2 対応指針
エージェントの利用が応募者にとってメリットとなる場合としては、(1)進め方に配慮が求められる場合、(2)内定を取得しても、回答期限の延長を求めたり、結果的に辞退しなければならない場面が想定される場合、(3)条件交渉が求められる場合等があります。
まず、「進め方に配慮が求められる場合」(1)とは、「真実の転職理由をエントリーシートにそのままは記載しづらい場合」(例えば、現事務所で弁護士倫理に反する事件処理が行われているとか、金銭・人間関係の深刻な問題がある等)や「応募先事務所の判断が一枚岩でないときに、まず、特定のパートナーを推薦人として確保することを狙う場合」などです。
また、「内定取得後の対応」(2)には、「即答しなかったら、内定を取り消された」とか「内定辞退を連絡したら、返事も貰えなかった」ということが起きることもあります。そこまで極端でなくとも、当事者間に「気まずさ」が生じることは確かですので、「適当な理由を付けて検討期間を確保してもらいたい」とか「まずは辞退の結論だけエージェント経由で伝えておいて、直接の謝罪は時機を改めて行いたい」というのは当事者の精神的負担を軽減する工夫にはなります。
なお、「条件交渉」(3)については、エージェントは「採用側の使者」という位置付けのため、「応募者側を代理して採用側と交渉する」ということはありません。ただ、応募者が直接に条件面の希望を伝えることには「それを呑んでもらえなければ、ディールブレイクしてもいいか?」というリスクを伴います。そこで、エージェント経由で事情(現職で想定されている昇給、個人事件の収入、他社オファーの条件等)を柔らかく伝えることで、条件の引上げについて、採用側における自主的な検討を促すこともあります。
3 解説
(1) 進め方に配慮が求められる場合
法律事務所の採用選考では、応募者について「優秀かどうか(基本スペックは? 良い経験を積んでいるか?)」、「なぜ現職を辞めたいのか」、「なぜうちで働きたいのか」、「当事務所のニーズに合うか」が問われます。このうち、「優秀かどうか」は、履歴書・職務経歴書でスクリーニングにかけられます。また、「なぜうちで働きたいのか」は、面接で詳しく尋ねられることになります。
この点、「なぜ現職を辞めたいのか」については、評判の良い事務所に所属しているほど「本人の側に問題があるのではないか?」という疑いを抱かれてしまうリスクがあります。だからと言って、応募者が「実は、現事務所は怪しいクライアントを代理している」とか「パートナーはこんな問題を抱えている」と、実態を文章で詳しく説明するのも適切とは思えません。そこで、守秘義務やビジネスマナーに反しないように、非公式又は口頭で事情を伝えるためにエージェントが利用されることもあります。
また、「当事務所のニーズに合うか」の判断は、必ずしも一枚岩ではありません。パートナー毎にその判断が分かれることもあります(例えば、パートナーの中には、年次が高い候補者をマイナス評価する人もいれば、自己と専門分野が被る候補者を歓迎しない人もいます)。そのため、「ネガティブなリアクションを示すことが予想されるパートナーの目に触れるよりも前に、所内に推薦人を確保する」ことを目指して、「誰を窓口として履歴書を見てもらうべきか? 面接してもらうべきか?」を応募者の利益に即して工夫することもあります(場合によっては、採用担当ではなく、「いきなり代表弁護士に会ってもらう」ということもあります)。
(2) 内定取得後の対応
法律事務所の採用選考は、会社以上にセンシティブな面があります。会社のように「採用担当者が職務として人事を担当している」のとは異なり、法律事務所では「経営者(パートナー)が『同じ船に乗ってくれる仲間』を集めている」という性質が強まります。そのため、会社の採用選考では、特に問題視されない「他社と比較検討するため、回答までに時間を貰いたい」という要望も慎重に行わなくてはなりません(会社では、人事担当者には内定を取り消す権限はありませんが、法律事務所では、パートナーの機嫌を損ねることが内定取消しにつながるリスクもあります。そのリスクが顕在化しなくとも「入所する=事務所の一員として参加する」ことを意味する以上、「滑り止め」という印象を与えるのは避けたいところです)。
また、結果的に、「せっかく内定を貰ったが、辞退しなければならない」という展開になった時には、「いつ辞退を連絡するか?」「どこまで辞退理由を伝えるか?」という問題に直面します。辞退の連絡が遅くなるほどに、事務所に迷惑をかけてしまうことにもなります(代わりとなる人材の採用を進めるためにも早いほうがありがたいです)。ただ、「別の事務所に行くことになりました」とだけ告げたら、断られた側も「うちを蹴ってどこに行くのか?」「他事務所はもっと高い条件を示したのか?」が気になってしまいます。狭い世界ですので、「別の事務所に行くことになっても、法廷やディールで会う」とか「今回、ジュニア・アソシエイトとしての転職先には選べなくとも、将来、シニア・アソシエイト又はカウンセルの転職先としては、検討先として留保しておきたい」こともあるかもしれません。そのため、「内定辞退をエージェントが失礼なく処理してくれるならば、それに委ねたい」というニーズも存在します。
(3) 条件交渉
弁護士を対象とする転職斡旋業は、「採用した側に、採用された弁護士の初年度年俸の●%の紹介手数料を請求する」というビジネスモデルで展開されています。つまり、エージェントは、「採用する側(法律事務所/会社)」を依頼者として行動しており、転職相談者は「Candidate」と呼ばれる「客体」「対象物」に過ぎません。そのため、形式上は、「エージェントが、転職相談者を代理して、給与条件をアップさせるために、採用側と交渉してくれる」ということはありません。
しかし、実態としては、メッセンジャー・ボーイという役割の範囲内で、給与条件を上げてもらうための働きかけをすることはあります。採用する側としても、「できれば、転職しなかった場合と比べて給与を落とすようなことはしたくない」「他のオファーを受けた場合に比べても遜色がない条件を提示してあげたい」とは考えています。ただ、「他のアソシエイトとのバランス」もあるため、客観的理由もなく、特別扱いをすることを躊躇います。
また、内定者の側としても、「条件交渉をすることで、オファーに不満があると思われたくない」という事情もあり(前記(2)のとおり、それが内定取消し等につながるリスクもあります)、「ディールブレイクは望まないが、これが最大限の条件なのかは確認しておきたい」と希望することもあります。
そのような場合には、本人がリスクを取って直接交渉をするよりも、エージェントを通じて、「現職では、昨年度よりも今年は●円の昇給が予定されていた」「今年は個人事件で●円の収入が見込まれていた」とか「他社からのオファーでは、●円の年俸が提示されていた」といった事実を伝えることで、採用側において、条件引き上げの余地があるかどうかを確認してもらえることもあります。
以上