◇SH2623◇弁護士の就職と転職Q&A Q83「法律事務所に『ビジョン』や『ミッション』を求めるべきか?」 西田 章(2019/06/24)

法学教育

弁護士の就職と転職Q&A

Q83「法律事務所に『ビジョン』や『ミッション』を求めるべきか?」

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 法律事務所も、インターネット上にHPを持つことが一般的になりました。企業法務系事務所がHPで掲げる「理念」は、「クライアント・ファースト」「依頼者のために全力を尽くす」といった文言ばかりでしたが、最近、新たに設立された事務所には、その理念に「イノベーション」「テクノロジー」「依頼者と共に併走/伴走」といったキーワードを付加する先が見られるようになってきました。そして、これらのキーワードに惹かれて就職先を検討する新人も増えて来ています。

 

1 問題の所在

 伝統的には、学部時代に(就活ではなく)司法試験を受験するのは、「サラリーマンになりたくない」「官僚にもなりたくない」という消去法的選択をした層の学生が中心でした。「組織に属さず、個人でも社会にインパクトを与えられる重要な仕事ができる職業」の代表例が弁護士でした(「数学が苦手」又は「血を見るのが苦手」で医者を選ばなかった層とも重なります)。その世代にとってみれば、「自由・独立」が職業的キーワードですので、(個人のポリシーとは別に)法律事務所としてビジョンやミッションを掲げる必要性を感じていませんでした。

 そうして生まれてきた「個人事務所」の限界を、半世紀前に指摘したのが、長島安治弁護士(修習5期)でした。同弁護士は、ジュリスト318号(1965年3月15日号)の「弁護士活動の共同化――ロー・ファームは日本にできるか」で、「大多数の弁護士が、一人一人民刑商事一般を取り扱い、無計画にかつ非能率的に経験を積んでは消えて行き、その僅かな経験さえ蓄積整理されないという状態を何時までも繰り返して行くことは、その社会全体からみた場合、大変な損失である」と述べて、その後、長島・大野法律事務所を設立し、自ら「インスチチューションとしてのロー・ファーム」の先駆的な代表例を築き上げました。前記指摘がなされたのが、長島弁護士がまだ30歳代(弁護士登録13年目)だったことに着目すると、その若さに驚かされると共に、「革新的な活動をするのは、ベテランではない」ことに気付かされます。

 その指摘から50年以上が経過した現在では、日本でも、所属弁護士数400名を超える事務所が5つ存在しています。とすれば、日本に「インスチチューションとしてのロー・ファーム」を作るというミッションは既に達成されており、次のステージに進んでいる、と考えることもできます。

 「次のミッション」として注目を集めているキーワードが、リーガルサービスに「テクノロジー」を組み込む、いわゆる「リーガルテック」であったり、イノベーションを起こそうとするスタートアップと「併走/伴走する」というコンセプトです。若手弁護士は、このような新しい流れに身を委ねることにキャリアを見出すべきなのでしょうか。

 

2 対応指針

 これまでの共同事務所は「ボス弁の人間的魅力」で所属弁護士を束ねて来ました。しかし、ネームパートナー世代が引退時期を迎えて、法律事務所にも「ビジョン」や「ミッション」がなければ、その結束を維持することができなくなってきています(唯一の求心力であるネームパートナーがいなくなってしまうと、「ひとりで食べていける弁護士」は独立し、「仕事がない弁護士」だけが残留する、という展開が予想されます)。

 ただ、弁護士が担うべきリーガルサービスは、過去50年以上の企業法務の蓄積の上に成り立つものですから、若手弁護士にとって、「まずは、スキルを磨くための修行が求められること」に変わりはありません(若手起業家をクライアントとするにしても、取引の相手方には大企業や金融機関も含まれますので、権威や先例を重んじる組織体及びそれを代理する大手事務所等を説得できるだけの理論武装が求められます)。実際にも、新興の法律事務所に対して、(ⅰ) クライアントから「『攻めの法務』とか謳っているけど、実際のアドバイスは、選択肢を並べてリスクを指摘するだけで超普通」とか、(ⅱ)相手方代理人となった大手事務所から「経験もないのに自分たちが扱えもしない大規模のディールに出て来ないでもらいたい」という批判の声も聞かれます。

 リーガルマーケットにおいては、「立派なビジョンを掲げているけど、凡庸な外部弁護士」よりも、「ビジョンは明確でなくとも、傭兵として、その場その場で自社の利益に適うアドバイスをしてくれる外部弁護士」のほうに価値があります。そのため、若手弁護士にとっては、「ビジョンはさておき、まずは、他の(同世代の)弁護士よりも得意な分野を確立することを優先する」というのも、自己実現の幅を広げるために有力なキャリア戦略となります(「本人の希望に合致しない分野に嫌々取り組んでも、修行の成果が出にくい」という点では、主観的要素も重要ですが)。

 

3 解説

(1)「ビジョン」又は「ミッション」不在の事務所の限界

 人材紹介業をしていると、「法律事務所は、ワンマン事務所のほうが成長しやすい」という事実に気付かされます。共同事務所でアソシエイト選考にも合議している先は、パートナー間での意見がまとまらずに、優秀な人材の応募に対しても、ひとりのパートナーの反対で、採用を逃してしまう事態が生じます(その反対票が事務所全体の利益のために投じられたならば構いませんが、当パートナーが自身の利益を最適化するため(競合者の排除等)の判断であることもあるのが紹介者としては残念です)。ワンマン事務所であれば、ボスが気に入った人材に早期にオファーを出すことができるために(経済条件も柔軟に設定することが可能であるために)採用では優位です。

 営業面でも、ボス弁を中心にクライアント開拓がなされるために、利益相反のおそれも少ない(ボス弁ひとりの希望でクライアントに優先順位を設定できる)という利点もあります。 

 ただ、ボス弁の下で育って来た、第二・第三世代たちは、必ずしも、ジュニア・パートナー以下の弁護士間での信頼関係が築かれているわけではありません。自らのクライアントがおらずに、もっぱらボス弁のクライアントのメンテナンスに従事してきたパートナーにとっては、クライアントを承継して事務所を維持していくことに強い関心を抱きます。他方、自らのクライアントを着実に開拓して来たパートナーは、「自分を育ててくれたボス弁への恩義だけでここまで尽くして来たが、義理立てすべきボス弁が引退するならば、自分も事務所を卒業させてもらいたい」と願う光景に遭遇することが増えています。

(2)「ビジョン」を支える経験・スキル

 M&Aでベンチャー企業を代理するコーポレート・ロイヤーからは、「大手法律事務所の弁護士の法的センスが高いわけじゃない。彼らが代理する金融機関や総合商社のビジネス上の交渉力が強いから、彼らは、リスクを指摘して正論を述べていれば足りるが、交渉力の弱いベンチャーを代理する自分たちには、プラスαの、より高いレベルの主張を組み立てることが求められている」と聞かされます。また、近時のAIブームでは、大企業をユーザとして交渉しなければならないベンダ側であるベンチャー企業に対して、AIの特性を踏まえて(通常のシステム開発契約とは異なる)AIベンダの立場に配慮した法的助言をできる弁護士に人気が集まっています。

 ビジョンやミッションを掲げることは、それに共感してくれる、若手起業家等の相談を受け、潜在的クライアントを開拓するきっかけにはなります。ただ、実際に、そのクライアントのビジネスモデルを実現するためには、その取引の相手方たる大企業や金融機関(及びそれを代理する権威のある法律事務所)、そしてサービスを所管する監督官庁に対しても通用するだけの理論武装ができることが求められます。それができなければ、事業を成長させていくクライアントは離れていってしまい、事務所としては、いつまでもアーリーステージのベンチャー企業を開拓し続けなければならないことにもなりかねません(もちろん、経験値を得るためには、「案件に関与する」「打席に立つ」ことが重要です。ディールの中で、相手方の代理人弁護士等からノウハウを吸収して、事務所としても(クライアントに負けないスピードで)成長していくことが求められます)。

(3) 二段階キャリア形成

 弁護士のキャリアを「アソシエイト時代=修行」「パートナー時代=自己実現」とすれば、(少なくともジュニア)アソシエイト時代には、自分自身のビジョンやミッションを抱くのは一旦脇に置いて、「将来、自分を信頼してくれるクライアントから事件を依頼されるときに備えて、まずは、修行に専念する」「そのためには、今は自分の主義主張を貫くことは棚に上げておく」という方法もありえます。

 例えば、「労働者の権利を守りたい」と考える若手弁護士であれば、将来的に、労働者側弁護士として活躍するためには、修行時代においては、まずは、使用者側代理人として著名な労働事務所に入所して、「使用者側の手の内を知る」ことに専従することも有益です。「相手の手の内を知る」という意味では、アクティビストファンド側を代理した経験が、敵対的買収を防衛する側を代理するために役立つこともあります。

 また、倒産系事務所で、債務者側で倒産事件に関与しておいてから、管財人側のノウハウを生かして、金融機関側の債権回収業務の専門家になるキャリアモデルも存在します。

 クロスボーダー案件についても、「日本企業の海外進出を手助けしたい」と考えるならば、いきなりアウトバウンド案件に専従することが良いのかどうかもわかりません。まずは、対日投資のインバウンド案件で、自らが「現地(日本)でDDを担当して、本国側のニーズを受け入れて現地法(日本法)の規制に即した契約交渉をする下請け側の立場を経験する」ことで、今度は、「新興国の法律事務所にDDを外注する際にも、下請け側の気持ちを理解した上での適切な指示ができるようになる」というキャリアも十分に考えられます。

以上

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