◇SH2663◇コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(177)コンプライアンス経営のまとめ⑩ 岩倉秀雄(2019/07/12)

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コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(177)

―コンプライアンス経営のまとめ⑩―

経営倫理実践研究センターフェロー

岩 倉 秀 雄

 

 前回は、筆者の全酪連牛乳不正表示事件における組織風土改革運動の経験と教訓をまとめた。

 全酪連は、新設した全酪連長岡工場、宮城工場で、無調整牛乳に「還元乳」を混ぜて「成分無調整牛乳」と表示して販売した表示違反事件を平成8年3月に発覚させ、法人及び事件に関与した者が食品衛生法および不正競争防止法違反で刑事処分を受けるとともに、景品表示法違反として排除命令を受け、社会的信用を失墜、市乳の売上げは半分以下になった。

 筆者は、事件当時、研究開発部門の管理職だったが、事件発覚後は、本所危機対策本部事務局を兼務し、危機管理・信頼回復・経営刷新策を立案・主導し、後に日本ミルクコミュニティ(株)の設立にも関与した。

 筆者は、牛乳不正表示事件発覚時に、社会的信頼の回復と今後の組織の在るべき姿を全職員の議論と行動で実現するために、組織風土改革運動「チャレンジ『新生・全酪連』運動」を立ち上げ推進した。

 現場の若手管理職が、やむにやまれぬ気持から運動を立ち上げ、不祥事で交代した経営トップ(生産者出身の新会長、信頼回復を目指す組織の象徴)が承認するという形をとり、不祥事の発生原因や組織のあるべき姿、組織の今後の取り組み方向等を、各現場(牛乳・乳製品の製造・販売現場や飼料の製造・供給現場等)で議論し、運動ニュースにまとめてステークホルダーに配布するとともに、全国会議で行動宣言を採択した。

 運動1年目は、現場の燃えるような熱い想いが組織を席巻し、組織の信頼回復を目指す参加者が自らのこれまでの仕事を見直し、どうすれば社会に信頼される仕事や開かれた組織を実現できるのかについて熱い議論を交わし行動したので、行政、取引先、出資者、金融機関、生産者、消費者団体等は、「この組織は、不祥事を発生させたが、組織としては自浄作用を働かせることができる健全な組織である」と評価し、信頼回復と取引再開を実現した。

 しかし、2年目以降は、「ガット・ウルグアイ・ラウンドによる農業の国際化の進展を踏まえ、この運動を、全酪連の未来の姿を構想するための公式活動に昇格させて継続する」と訴えた筆者の提案が理解されず、運動の事務局は総務部門に引き継がれたが、組織成員のコミットメントが薄れ運動は消滅した。

 今回は、事件の発生原因をまとめる。

 

【コンプライアンス経営のまとめ⑩:組織風土改革運動実践からの教訓②】

1. 事件の発生要因

(1) 全酪連のサブカルチャーの対立など

  1. ① 全酪連の事業は、酪農生産者を対象とする購買・生産部門と酪農生産者の生産物である生乳を処理・加工して付加価値をつけてスーパー等を通じて消費者に販売する乳業・酪農部門に、大きく分類され、両部門が互いに競ってきた。(BtoBとBtoCの対立)
     両部門の売り上げは同じくらいだが、購買・生産部門は組織を通じて安定的に利益を上げ、乳業・酪農部門は激しい市場競争に対応するために、常に赤字基調(原料乳買入価格が高く市乳部門は他社も赤字:一物多価、用途別乳価)であったことから、利益の上がらない乳業・酪農部門はいつか見返したい気持ちが強かった。
  2. ② 当時、筆者の開発したブランドアイデンティティが成功し、乳業部門は売上600億円から1,000億円に拡大し利益も出るようになったので、長岡、宮城に新工場を連続して建設、これを担当したやり手の常務が、乳業部門を叱咤激励し、新工場に早期黒字化の圧力をかけた。
  3. ③ 当時は、無調整牛乳と調整乳が販売されていた(大手メーカーは調整牛乳、農系は無調整牛乳が主流→この事件後、メーカーも無調整牛乳が主流になった)ので、白い牛乳の両者を混ぜてもはた目には解らず、健康被害が発生することもないので、表示違反への罪悪感が少なかった。

(2) 地域定住会社の弊害

 事件が発覚する少し前から、全酪連は、地域定住希望者を対象とした労働派遣会社を設立(筆者が労組委員長時には撤回させたが、その何代か後の委員長が労働派遣会社の設立を容認した)、もともと同じ組織に所属していた者が移籍し同じ業務を行っていたが、次第に全酪連と派遣会社の待遇の格差が明らかになり、労働派遣会社に移籍した者の間に格差への不満と身分への不安が渦巻き、外部への通報を誘発した。

(3) 品質管理体制の不備

 当時、乳業工場の品質管理部門は工場長の指示命令下にあり、製造の責任者に対する牽制が働きにくい体制になっていた。

 事件後、筆者は、製造部門に強いけん制機能を持つ品質保証部を設立し、工場の品質管理課を品質保証部長の指揮下に置いて牽制機能が働くようにした。(この体制は、今では当然の体制と受け止められているが、当時は、旧体制になじんだ者からの反対も大きかった)

(4) 理念と行動規範が不明確で内向きの閉鎖的組織文化

 全酪連は、酪農専門の協同組合の全国連合会であり、出資者が農協、飼料や仔牛等の酪農生産資材の供給先および牛乳・乳製品類の原料である生乳の仕入れ先も農協であることから、社会や消費者という外部よりも酪農・乳業界の価値観と判断基準で行動しがちで、組織体質は内向きになり易かった。

 また、事件当時の全酪連には、カリスマ経営者であった第六代会長大坪藤市の信念である「酪農民の心を心として……」という言葉が浸透していたが、明確な理念と行動規範が示されておらず、その教育も行われていなかった。

 そのために、筆者は、下記の理念と行動規範[1]を策定し職場討議を通して浸透させるとともに、開かれた組織にするために別会社化した乳業会社に評議会制度(消費者代表、流通代表、生産者代表、学識経験者)を設定した。

 

<組織理念>

「全酪連は、酪農生産者のロマンと、消費者の安心をつなぐスペシャリストになります」

 

<行動規範>                ⇒今日に続く

  1.組織人である前に、常識ある社会人になろう

  2.酪農家の心と消費者の目をもって行動しよう 

  3.プロとしての自覚を持ち専門能力を高めよう

  4.変化をチャンスととらえ前向きに挑戦しよう

  5.多様な価値観を認め開かれた職場を作ろう

 


[1] この理念と行動規範は、見直しを検討したが、変更する必要が無いとの意見が大勢を占め、今日でも全酪連の理念と行動規範として続いている。

 

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