弁護士の就職と転職Q&A
Q87「法律事務所に『後継者育成』を求められるか?」
西田法律事務所・西田法務研究所代表
弁護士 西 田 章
法律事務所の「退職者にどんな弁護士がいるか?」を洗い出していると、「これら卒業生がすべて事務所に残っていたら、すごく良い事務所だっただろうに……」と思わされる、「人材輩出事務所」がいくつかあります。これら事例からは、40歳代で、営業面では企業からの信頼を得て活躍をするスタープレイヤーになることができても、「後継者を育てる」という面ではまた別の才能やスキルが求められていたんだなと感じさせられます。
1 問題の所在
伝統的には、法律事務所は、「イソ弁としての修行を積ませてもらい、一人でも案件を回せるようになったら、独立する」「独立して『一国一城の主』になってこそ一人前」というキャリアモデルが王道とされていました。共同事務所が広がり、「所属事務所でパートナーに昇格する」というモデルも市民権を得てきたとはいえ、油断すると、「自ら売上げを立てられる弁護士は独立し、売上げを立てられない弁護士だけが滞留する」という傾向は依然として存在します。
「日本最高の事務所を作る」というような理想を掲げるならば、本来的には、一から事務所を立ち上げるよりも、既存の事務所のインフラを活用して、これを発展させることに取り組む方が、事務所の人的及び物的設備を整える面においても、顧客基盤を維持する面においても、採用面における優位性を保つ面においても、効果的なように思われます。しかし、現実には、「稼げる弁護士」であるほどに、所属事務所に対して、「自分の売上げに見合った配分を得られていない」とか「能力不足のパートナーや職員と一緒に仕事を続けたくない」とか「コンフリクトが案件獲得に支障になる」という不満を抱えがちであり、「だったら、負の遺産を引き継がないためにも、ゼロから事務所を作り上げたほうが手取り早い」という方向に意識が向かいます。
ただ、最近では、そのような問題意識を持った創業メンバーによって設立された事務所でも、皮肉なことに、そこで採用されて育った第二世代から同じような不満を抱かれることとなり、さらなる分裂を生む、という展開が起こりがちになっています。コーポレートガバナンス・コードには、「後継者計画の策定・運用への関与、後継者候補の計画的な育成の監督」(補充原則4-2③)が掲げられており、弁護士はそれに助言すべき立場にありながらも、自らの事務所の後継者問題については何も進歩が見られない、「医者の不養生」とも言える状況が続いています。これには、「既存クライアントをメンテナンスしている番頭役と、新規顧客を開拓できる営業力ある弁護士のどちらが優遇すべきか」という哲学的な問題を背景として、「弁護士業務は設備投資が要らないので、売上げを立てられる弁護士には独立が現実的な選択肢になる」という事情も絡んで画一的な解を見出すことができていません。
2 対応指針
抽象的に言えば、「営業力がある若手パートナーに(経営陣を批判する『野党』の立場ではなく)『与党』の一員としての意識を持ってもらうためにはどうすればいいか?」という課題を設定することができます。最も端的な方法としては、経営陣批判をする若手パートナーであっても、優秀ならば、権限の一部を委譲して、経営の意思決定を担う執行部の一員に招き入れることが考えられます。ただ、この場合は、組織体としての継続性を維持することはできても、第二世代の執行部の意向によっては、創業者の意思やDNAが排除されていくリスクも受け入れなければなりません。
中長期的な視点からは、「事務所を中途採用者ばかりの寄せ集め所帯にしない」ということは多くの事務所が意識しているところです。事務所設立当時は、「新人を教育しているだけの余裕がない」のが通例ですが、「即戦力の中途採用者には愛社精神が乏しい」「他により条件がよい先があれば、躊躇なく辞めてしまう」というリスクの認識は必要です。その点、新卒には、「教育コスト」が必要となりますが、それを乗り超えてパートナーにまで育て上げることができれば、そのような「生え抜きパートナー」に対しては、「自分を育ててもらった恩義がある」という「御恩と奉公」的な発想に基づく「与党意識」を期待しやすい面があります。
短期的に問題を解決できる処方箋がないことを前提として、(問題が深刻化する前の早い段階から)次世代を担うパートナーと情報交換や意見交換を行うことが、とりあえず、採りうる現実的な対応策となりそうです(分裂や独立の計画にも相応の日数を要するために、その計画が煮詰まる前に、不満分子に対して、現事務所における改善策も並行して考えてもらえるように仕向けることが分裂を防ぐこともあります)。
3 解説
(1) 次世代への権限委譲
弁護士には、優秀であるほどに、「自身特有の主義主張がある」というよりも、「自分が置かれた立場に応じて相手方を批判する能力に長けている」という傾向が見られます。それが故に、「力を付けてきた次世代の弁護士」を、いつまでも「経営陣を批判する野党」の立場に置いておくのは、事務所経営的にはリスクが伴います。
大規模な法律事務所でも、過去に分裂を回避するために、「独立しようとする若手パートナーに経営権を委ねる」という人事を断行したが故に、事務所の永続性を維持することに成功した事例も存在します。逆に、中規模事務所には、代表弁護士が、力を付けてきたパートナーからの「自分のチームの採用権を委ねてもらいたい」という要求を受けても、人事権の一部を渡すことすら拒否してしまったが故に、伸びしろのあるチームの分裂を招き、業界におけるプレゼンスを大きく損なってしまった事例も見受けられます。
30歳代、40歳代で事務所を設立した創業者達にとってみれば、そもそも「自由」を求めてリスクをとって独立していますので、敢えて、自分たちの裁量を損なうような「権限委譲」には心理的な抵抗が伴います。しかし、50歳代後半になれば、会社にいる同世代にも一線を退き、後輩に役職を譲る者たちが現れてきます。また、産業界でイノベーションを起こすスタートアップには、自分よりも下の世代の経営者が活躍するようになってきます。後継者育成には、長い年数を要することを考えれば、自分自身が一線級のプレイヤーとして次世代から尊敬を集めているうちに、後継者育成の意味合いを込めて、権限の一部委譲を真剣に検討することも、「事務所の永続性」のためには必要なことだと思われます。
(2) 新卒採用の費用対効果
企業法務系の事務所において、「新人の採用と教育」のコスト負担は大きくなっています。司法修習を終えた新規登録弁護士の全員に、企業法務系の業務の適性が備わっているわけではありません。能力又は適性に欠けた新人を採用してしまうミスマッチは、事務所にとって「無駄な労力」を投じるだけでなく、採用された新人にとっても嫌な記憶を残します。ただ、大手法律事務所が、司法試験合格発表前に、大量の優秀層を囲い込んでしまう、現在の新卒採用市場において、「優秀な新人を一本釣りすること」は非常に難しい作業となっています(受験生には、「寄らば大樹の陰」的発想が強まっていますし、運良く内定者を確保できても、優秀な人材であるほどに裁判所・検察官からも勧誘されるため、修習期間中の「内定辞退リスク」も大きく存在します)。
また、奇跡的に優秀な新人を採用できても、「教育コスト」をクライアントに転嫁しづらくなっているという問題があります。新興事務所にとっては、潜在的クライアントに対して「大手事務所よりも優れている」と訴求できる最大のセールスポイントは「少数精鋭で無駄なタイムチャージは請求しません」という点にあります。それにも関わらず、「新人弁護士がオン・ザ・ジョブ・トレーニング的に取り組んだリサーチやメモのファーストドラフト」に要した時間を過大に請求してしまったら、クライアントにとっての「新興事務所を選ぶメリット」が失われたように感じられてしまうリスクがあります。
それが故に、新興事務所は、「マンパワーの確保先」に「即戦力の経験弁護士」を求めがちです。しかし、「出来上がった人材」ほど、所属先事務所に対して「単なる勤務先」としてのドライな意識しか抱きません。自分にとって、コンフリクトが少ない、とか、より経費率が低い、といった、経済的にメリットがある別事務所があれば、そこへの移籍は、現事務所での勤務を継続するキャリアと並列的に比較検討できる選択肢となります。この点、事務所に対して「育ててもらった恩義」を感じている生え抜きパートナーには、「現事務所を良くできるならば、それがベスト」と考えてくれる素地があり、「止むを得ずに、現事務所での勤務継続に決定的な問題があった場合に移籍又は独立を考える」という価値観を持ってくれる可能性が期待できます。そのため、どれだけのコストが見込まれるとしても、「優秀な新人を採用するための努力」を継続することにも十分な理由があります。
(3) 平時からの情報開示と意見交換
創業世代の経営陣にとって、「事務所経営の苦労」を、次世代を担う後輩にも情報開示すべきかどうかは、悩ましい問題です。これは、中小企業のオーナー経営者が、資金繰りや人事の問題をひとりで抱え込んでしまうのと変わりません。実際、事務所経営面の課題を開示することが、「うちの事務所にはこんなに経営不安要素があるのか」という点を気付かせてしまい、次世代の若手に転職を考えさせる契機となることも懸念されるところです。
ただ、「野党」として、「自分はこんなに売上げているのに、これだけしか配分がない」「搾取されている」と主張している次世代の弁護士たちも、自ら事務所を経営する「与党」の立場になって初めて、「あぁ、事務所経営にはこんなにコストがかかるのか」と気付かされています。しかし、「独立したい」という気持ちが芽生えてしまったら、それは熱病のように本人の中に強まっていきますので、一旦、その意欲が固まった人材を引き止めることは非常に困難です(一時的に引き止めたとしても、その気持ちは潜伏して燻り続けます)。
そのため、もし、事務所の次世代を任せたいという若手パートナーがいるならば、若手が独立の意欲を固めてしまう前の平時の段階から、事務所経営面の情報を開示して、その意見を聞き入れていくことで、「与党」の側に回ってもらう工夫をすることにも合理性があります。
以上