国際シンポジウム:テクノロジーの進化とリーガルイノベーション
第2部 テクノロジーの進化に対する工学×経営学×法学のアプローチ③
パネリスト ケンブリッジ大学法学部教授 Simon Deakin ケンブリッジ大学法学部教授 Felix Steffek 学習院大学法学部教授 小塚荘一郎 産業技術総合研究所人間拡張研究センター生活機能ロボティックス研究チーム主任研究員 梶谷 勇
一橋大学大学院経営管理研究科准教授 野間幹晴 ファシリテーター 一橋大学大学院法学研究科教授 角田美穂子 電気通信大学大学院情報理工学研究科准教授 工藤俊亮 株式会社レア共同代表 大本 綾 |
第2部 テクノロジーの進化に対する工学×経営学×法学のアプローチ③
● ビジネスの立場から
角田:
お待たせしました。ここでもう一人、ご登壇いただいている野間先生はビジネスの先生であられますので、ビジネスの観点からご発言をいただければと思います。レッドフラッグアクトに関するコメントがあれば、それについてもひと言いただけると幸いです。
野間:
はい。ご紹介に預かりました一橋大学の野間と申します。
まず、私の研究・教育活動について説明いたします。私は一橋ビジネススクール、つまり経営管理研究科の准教授として教鞭を執ると同時に、18年4月から一橋大学大学院フィンテック研究フォーラムの代表を仰せつかっています。フィンテック研究フォーラムは、フィンテックに関心のある金融機関と事業会社を合計20社集めて、産と学がフィンテックについて研究を行うフォーラムです。また、デジタルイノベーションに対して日本企業が遅れていることに危機感を持った経産省が音頭をとって、今年度からデジタルトランスフォーメーションの人材育成プログラムが開始されました。デジタルトランスフォーメーションのプログラムには30社から1名ずつが参加しており、私はこのプログラムのコア・ファカルティーを務めています。
我々パネリストの間である程度、事前に議論していますが、角田先生から自由に発言していいと許可を得ているので自由な発言をしたいと思います。普段、日本企業のデジタルトランスフォーメーションへ向けた取り組み、あるいは既存の金融機関やフィンテック企業の相談を受けていて、これまでの議論でずれているなと思う点が一点ございます。それは、先ほど小塚先生がおっしゃった、何か問題が起きてから法律を作ればいいという点です。
問題提起したいと思います。皆さん、エスカレーターに乗る時、左と右、どちらに立ちますか。どちらに立つかを規定する法律はありますか。自動車は、日本だと道路交通法の第17条第4項で左側通行と決まっています。そして人は右側通行しろと、同じく道路交通法の第10条第1項で決まっています。法律で決められています。ただ、エスカレーターの場合、東京だと急ぐ人は右側を登ります。左側に立った人は静止しています。大阪では左右が逆転します。これについて、法律はありません。なぜイノベーションが発生しにくいかというと、法律が決まっていないので、例えば「自動車はどっちを通るべきか法律でまず決めてくれ」となるわけです。ただ、法的な論点はこれだけではなく、法律が決めるべきことと、ここから先は法律が決めることではないこととの線引きが不明確だと私は考えています。エスカレーターで急ぐ人は右側に乗れというルールはありません。日本では1914年の東京大正博覧会の際に初めてエスカレーターが導入されたそうですが、当初はレッドフラッグとまったく同じように、エスカレーターガールがいたそうです。エレベーターガールではなく、エスカレーターガール。乗るところに女性が立っていて、利用者に対して注意を促していました。今は、エスカレーターガールはいません。ソフトローとハードローということかも知れませんが、法律が決めるべき問題についてちゃんと法律化して欲しいという思いがある一方、どこからが法律ではなく慣習で決めるべき部分なのかという線引きが、企業側にはわからないのではないかと私は考えています。先ほどの梶谷先生の議論をより整理すると、法律で決める部分と法律で決めなくていい部分の線引き、特に後者の方が大きな論点なのではないでしょうか。例えば、今月、フィンテック研究フォーラムの企業と一緒に中国に行って、アリペイ、アリババの子会社のアントフィナンシャルを視察しました。アントフィナンシャルに芝麻(ごま)信用というのがあります。芝麻信用というのは個人の履歴を集めて色々な信用情報を測定するのですが、そこでは過去の犯罪履歴なども全部集めます。先ほどの自動車の例というのは、安全性に関する論点、安全性について、どこまでどういう法律を作るのか、誰が責任を取るのかという論点でした。同じく、個人情報に関しても、どこまで集めてよいのか、誰がどのように集めるのが適当かといった点について法律的な議論が必要です。ただし、法律でどのようなルールを定めるのかという論点があると同時に、どこから先を明確に-明確になるのかどうかすらわかりませんが-法律が立ち入らない分野とするのかという論点があるはずです。特にイノベーションを興す上でその2つが重要な論点だと私は考えています。
角田:
どなたか発言されたい方が、むずむずしていらっしゃる方がいると思うのですが、ではSteffek先生、お願いします。
Steffek:
はい、少し法律の観点から申し上げたいと思いますが、法律には二つの機能があると思います。一つは規制をする。もう一つは法律がなければできないことをやらせてくれるという法律もあるわけです。会社法がなければどのようにして会社を作ることができるのでしょうか。それからもう一つ、どちら側を走るべきなのかという制限を法律が設けてくれます。あるいは、我々に義務を教えてくれます。そして、こういうことをやってはならないということも法律は教えてくれるわけです。もしやったとしたら、私たちは刑務所に入れられるわけです。イノベーションに関して言えば、その点、切り分けるのが大切だと思います。では、いつ法律を使うべきなのか、いつ法律ではなくて「こうしなさい」という法律をいつ使うのか、「こうしてはならない」という法律をいつ使うのか。Simon先生もおっしゃっていましたが、自由意志を行使し、そして自分たちの好みで関心に従ってやったとしたら、私たちは集団として良い解決策に至れなくなってしまいます。左側に立つ人もいいし、右側に立ちたい人は立つということになると、走り抜けていくことができなくなってしまうわけです。そうなると、規制が入ってきた方がいいのかも知れません。個人が、自分で決めるのが一番良いという社会であれば、国は一番ソフトな規制を課すわけです。でも、それが常に破綻するのであれば、今度は国家が、ではもう一段厳しくしようと、もう少し制限、義務を設けてみようということになるわけです。もちろんこれはラフな話ではありますが、容易にする法律と制限する法律、我々個人が自分たちの意思で、あるいは集団としてちゃんと行動できないのであれば規制をしなければならないかも知れない。でもまずはソフトなところから始めて、もしソフトなものがうまくいかない場合にのみより厳しくするということだと思います。
角田:
ガバナンスの大家がお二人おられますが、いかがでしょうか。コメントをいただければと思うのですが。ではDeakin先生、お願いします。
Deakin:
先ほどの赤旗法に関して少しお話しをしましょう。一つ、この赤旗の興味深い問題提起は、新しいテクノロジーに対する信頼がどのように生まれてくるかということです。車の前を人が歩くというのは馬鹿げたことに見えるかも知れませんが、19世紀当時には普通のことだったわけです。とくに当初においてはそうです。何か新しいものができてきた時、私たちはそれに対して完全に理解できないという点において困惑します。ですので、すぐに信頼することはできません。そうなってくると、イノベーションなどの会社などが、そういったリスクを伴うようになるわけです。ですので、先ほどFelixさんが言ったように、法律というのは制約要因になり得ます。そしてまた、法律というものがイノベーションの促進役になる場合もあるわけです。そして、例えば安全性におけるイノベーションなどを起こしていくこともできるでしょう。新しい側面、例えば商品やサービスなどに関するイノベーションと同様に、それは大切なことだと思います。AIなどを見てみますと、当初はかなり厳しく、例えばブロックチェーンなどを制約することによってまずはやっていかなければいけない。そして、いずれはそれについて普通のことになってくるのかも知れません。ブロックチェーンのすべてを私たちはまだ理解しきれていない部分が当初はあったとします。今はっきりと、すべて深く理解できている人といえば、数学者ぐらいのものだと思います。そして、暗号の技術などというのも小さな技術ではありません。そして、自動車の仕組みにしてもどうして走るのかをよく知っている人は少ないでしょうし、ラップトップなどの仕組みもよくわかっていないが、私たちはもはやそれらを信頼するところまでにはきていると思います。AIが何ができるのかということについてなどにも、例えばマシンラーニングを再現しようと思ったら、ちょっとやそこらの数学者では無理です。AIについては理解ができないかも知れないが、新しいテクノロジーが完璧に理解できないまでも信頼をするということは可能なわけです。ですので、先ほどのレッドフラッグ法に関して言うならば、新しいテクノロジーの人々が慣れるまでのものでありました。そしてまた、そうこうしているうちに人々はそういった技術に対する信頼感を育みます。ただ最初は、そういったルール作りを法律ですることで、各企業がセイフティなどを製品デザインに組み込むようなナッジができるようにしていかなければいけないと思います。イノベーションを起こしていくためには、例えばインターネットにおけるイノベーションを起こしていくためには、企業からライアビリティーからの解放が必要ではないかと考えています。そして、北米の90年代のインターネットの発展を見てみても、いろいろな免責が企業に与えられました。反トラスト法に関しても除外されて大きくなることが許されました。その他、名誉毀損その他関連の法律に関しても免除されたことで、例えば民事責任が免除されるといったセーフ・ハーバー措置がその法律を作る上で重視されました。そういった免責を受けるための手段を与えるということは重要であったと思います。例えば大企業に対して信頼が欠けているという問題が昨今出ています。5年前であればグローバルなテクノロジー企業が信頼されていましたが、ここ2年3年ということに関しては大きく後退してしまいました。特に大企業のテクノロジー企業がテクノロジーの乱用やデータのマネタイゼーションをしたことによって信頼を失ってしまいました。加えて、意見や世論の捻じ曲げといったこともあって、バランスが完全に完璧なわけではなかった、許認可においてもそうであったのかも知れないという考えに到りつつあります。過剰な規制もリスクでありますが、規制不足というのも新しいテクノロジーにとってはリスクだと思います。企業が関心を示していくためには、信頼のおけるテクノロジーに発展するような法律環境を作っていくことが必要だと思います。
角田:
ありがとうございます。貴重なコメントをありがとうございました。小塚先生、何かありますか。
小塚:
Steffek先生やDeakin先生が言われるとおりだと思うのですが、やはり技術に対する信頼をどのようにして社会の中に作り出していくかというのは非常に重要なことだと思います。人間というのは合理的ではないので、イギリスから来た先生方の前で失礼ですが、人間が合理的でしたら多分Brexitを投票するなどということは起きなかったはずです。そうすると、何か技術に対する不信感のようなものがあると、AI-exitではありませんが、「AIなんて社会から追放しろ」というようなことを言いだすかも知れない。それは多分、社会にとってはプラスではないのです。ですから、やはり一般の社会の構成員にとってAIだけではありませんが、テクノロジーがプラスになるのだと確信を持ってもらうというのは非常に大事なことだと思うのです。
野間先生の問題提起については、私は逆襲するわけではないのですが、ここではプロレスをするという話なので逆襲をしますと、もちろん、どこまで法律で決めないといけないかというのがわかっているというのは非常に重要なことです。格好良く言うとそれはいわゆるマルチステークホルダープロセスということで、法律やルールを作るところに最初から企業の代表も消費者の代表も技術者の代表も入れて、それで「ここまではルール化しましょう。ここはしない」というようなことを議論していく。きれいに言えばそういうことなのですが、企業組織の中でリスクの取り方のようなところの問題がありまして、「最後に残るリスクは企業として取るけれども、それでも実行した方がよいのだ」という決断をする人がいれば、法律に不明確なところがあっても、技術開発やそれへの投資は進むのです。ところが組織の中で、皆がリスクを取りたくない、自分が社長の時に投資をして、それが後で会社に損害を与えたと言われたくないというような判断がなされると、むしろ技術に対する投資が進まないということが起こるのではないか、むしろ日本企業の組織面の問題というのが大きいのではないかと思っているのですが、いかがなものでしょうか。
角田:
では、プロレスを展開していただくためにも、野間先生、よろしくお願いします。
● イノベーションに対する法律家のコミットメントの仕方
野間:
私が悪役レスラーみたいな役割を担っていますが、まさにおっしゃるように日本企業の組織的課題もあります。今月、アリババ、アントフィナンシャルに行って、最も私が衝撃的だったのは、アリババの子会社でアリペイや決済サービスを提供しているアントフィナンシャルには法律家が250人もいるという点です。アントフィナンシャルの本社は杭州にありますが、法律家はかなりの頻度で北京に出張して、政府と一緒になって法律を作っているそうです。まだ法律が存在しない分野があるので法律を作っている。この事例と日本を比較すると、例えば日本のメガバンクにいる法律家は20名弱でしょうか。メガバンクにおいても法律家は少ないですが、例えばメルカリなどはグループ全体で法律家が5人しかいないのです。メルペイには2人か3人。日本企業と中国企業とでは、企業内における法律家の人数に圧倒的な差があります。またGoogleのリーガルデパートメントにいたっては1千人規模の法律家がいます。Googleは、肖像権や個人情報など、法的に明確ではない点をある程度無視してGoogle Mapも作りました。米国企業や中国企業と比較すると、日本企業の中での法律部門の位置付けは相対的に低い。例えば、日本でも3.11以前は、電気事業連合会、電力業界が自ら法律を作って霞が関に持って行っていたと聞いたことがあります。しかし現在、デジタルイノベーションやフィンテックの領域で、霞が関と民間が一緒に法律を作っているということを寡聞にして聞いたことがありません。この辺りは法律の先生方から見てどうなのでしょうか。日本企業内における法律家の位置付けや、官民による立法という点についてお聞きしたいのですが、いかがでしょう。
角田:
どなたでも結構なのですが、小塚先生、まずお願いいたします。
小塚:
私も同じような経験をしまして、先ほど少し私の話の中でも申し上げた政府の命令でデバイスのロックを解除させることができるかという問題があった時に、あるところで国際ルールを作ろうという話があったらMicrosoftの社内弁護士の方が来られたのです。「Microsoftの弁護士と知り合いになれた」と言って名刺を交換して喜んでいたら、「いや、自分は700人の弁護士の内の一人だ」と言っていたのです。ですので、一社でやはりそれぐらい弁護士が社内にいるわけです。日本では確かに、野間先生がおっしゃるように、弁護士資格を持った人が社内に20人いれば多い方だと思いますので、法律家の役割がまったく違う。特に日本では、やはり法律家というのは、まず紛争対応、訴訟対応、そして何か不祥事が起こった時に調査をして、謝罪会見する社長の隣にいる役というような認識が強いのです。最近では契約書を見るとか、M&Aを実施するときは必ず大きな弁護士事務所を使うということも増えましたが、やはり政府に働きかけるとか、ここまでが取れるリスクだということを会社の中で判断するとか、そういうところにまだなかなか弁護士資格を持った方、法律家としての専門知識を持った方の関与が少ないのではないかと思っています。逆にフィンテックなどの分野ですと、何人か非常にお詳しい弁護士の先生を私も存じ上げているのですが、その一握りの方にしか見えていないというのもそれはそれで怖い話で、もっと色々な企業なり、色々な関係者から、色々な法律的な意見が出てきて議論が活発に進む方がいいと思っています。そこは実は、プロレスと言いつつ、結構同感してしまっているのです。
角田:
Deakin先生も中国のフィンテックにお詳しいとお聞きしているのですが、アリババグループの中で一つの会社に250人もの法律家が所属していて、しかも政府と連携しながら企業の活動をしているということなのですが、中国でいったい法律家がどういう役割を果たしているのかということについて何かご紹介をいただければと思うのですが、いかがでしょうか。
④につづく