◇SH2875◇民事司法改革シンポジウム 民事司法改革の新たな潮流 ~実務をどう変えるべきか~⑤(2019/11/08)

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民事司法改革シンポジウム
民事司法改革の新たな潮流~実務をどう変えるべきか~⑤

◇開催日 2019年3月23日(土)午後1時~午後4時

◇会 場 弁護士会館2階講堂クレオ

 

コーディネーター・出井 それでは、この課題の議論の締めくくりとして、安岡さん、有田さんからそれぞれ簡単に補足があればいただきたいと思います。

安岡 先ほど宗像長官の御講演にもありましたけれども、中国に対抗して、安倍総理はいつも法治という価値観のもとに集まっている我々と中国は違うんだということをおっしゃるんですけれども、果たして生活上の困りごとを国民が法律で解決しようとしない。それから、その道が閉ざされている、今の日本が法治国家といえるのか、政府の方はその辺十分考えていただきたいと思います。

有田 IT化に対して反対するだけでは司法アクセスは改善されないと言うことは承知しています。しかし、絶対に問題が起こらないということはないでしょうし、何事もリスクゼロはあり得ない。反対するというよりも、問題点が多々ある中を拙速に進めてほしくないと言うことです。問題が起こらないように対応しながら、どうIT化を進めていくかということを考えていただきたい。
 それから、やはりフェイス・ツー・フェイスとおっしゃったように、その文字や人間の感情を受け止めてもらい、どうしたらいいかということで、心に傷をもって、誰かに相談したらいいかわからないけれど解決を望んでいる人にとっては、感情を受け止めることも非常に重要なことだと思っています。
 それから、IT化について、20年前も国際知財のこともずっと取り上げられていました。今回あまり広がってしまって、話が散漫になるので書きませんでしたが、 20年前も言われていて、20年後もまた新しいことのように言われているということは、非常に何か不思議でなりません。

コーディネーター・出井 ありがとうございました。司法アクセスの問題、いろいろな問題があるということ、それから、いくつか新たな立法課題も浮かび上がったと思います。
 それでは、次の課題に移りたいと思います。民事訴訟法等法的手続の中での証拠・情報収集の問題でございます。では、三木さん、問題提起をお願いいたします。

三木 情報収集手段の拡充ということについて、我が国では、主として情報というよりも証拠収集手段のほうですけれども、ここ何十年かの間、ずっといろいろな議論がされてきました。その中には、部分的に立法に取り入れられたものもありますが、しかし、大きな流れとしてみると、技術的な改革にとどまっており、国民や司法関係者にとって、目に見えるほどの改革にはなっていないというのが現状であります。
 そういう中で、例えばアメリカのディスカバリーにあるデポジションという制度がありますけれども、そういうのを導入してはどうかとか、そういった外国の証拠収集手段の日本には持っていないツールを導入してはどうかという議論があります。
 もちろん、そういった議論が意味のない議論だとは思っておりませんし、私自身が代表を務めている研究会の報告書でも、デポジションの導入も提言したりしているので、それを否定するということはもちろんありません。しかし、改めて腰を据えて大きく考えてみますと、例えばデポジションが仮に導入されたとしても、日本の民事訴訟が劇的に変わるということはないんだろうと思います。
 それは、なぜかというと、デポジションに限らず、いかなるツールであれそうですが、それは、枝葉であって幹ではないからです。比喩的に言うと、現状は、水の漏れるバケツに水をつぎ足しているような状態です。今ある柄杓では水があまり汲めないので、より優れた柄杓をつくろう、それが例えばデポジションだとすると、確かに以前より水はたくさん汲めるようにはなります。しかし、肝心のバケツの穴はふさがっていないので、抜本解決にはならないというようなことではないかと思います。
 では、そのバケツの穴というのは何かということですけれども、我々は、ややもするとアメリカのデポジションとか、あるいは他の国のいろいろな制度を見て、ツールやデバイスに目がいきがちですけれども、1個1個のツールというよりも、そのもとにある情報や証拠収集の大きな仕組みというか、考え方の部分が重要なのだろうと思います。
 そのことを説明するために、私は、 今日のこのチラシにもちょっと書きましたが、よく金魚すくいと地引き網という比喩を使います。これは、かなり乱暴な比喩です。情報収集手段というのは、非常にテクニカルな要素が大きくて、わかりにくいこともあるので、正確性はちょっと犠牲にしております。つまり、日本の情報収集制度というのは、いわば金魚すくいのようなものだということです。これに対して、アメリカのディスカバリーというのは、いわば地引き網型です。もちろん先ほど言いましたように、乱暴な比喩ですので不正確な部分もあります。
 金魚すくい型ということで何を言いたいかというと、大きく二つです。日本の証拠収集制度というのは、透明な水の中で底も浅い桶の中に泳いで、見つけやすいというか、見える金魚をピンポイントですくっているようなものです。それに対してアメリカのディスカバリーというのは、海の中に何がいるかは見えないので、魚群探知機を使って、何がいるかとか、どのぐらいいるかとか詳細はわからないけれども、そこにバサッと網をかけてとってくるというやり方です。
 もう一つは、金魚すくい型である日本のシステムは、網が脆弱であって、魚がかかってもすぐに破れます。金魚すくいのポイのように網が強くないので、魚が簡単に網を破って逃げやすいということです。それに対して、アメリカのディスカバリーは、地引き網型のしっかりした網であるということです。
 では、なぜ日本の制度は金魚すくい型なのかというと、日本の民事訴訟法の大きな考え方というか、構造がそうなっているからです。どういう構造かというと、裁判において事実認定のために必要な証拠を集めるのが証拠収集制度だというものです。そういうように言うと、我が国では、何の疑問も持たれないわけです。証拠収集制度というのは、裁判官が事実を認定するために必要な証拠を集めるための制度だというのは常識です。でもその前提を疑う必要があるわけですね。
 アメリカのディスカバリーは、そこが違います。裁判において、事実認定のために必要な証拠というのは、ある程度審理が進まないとわかりません。もちろん事件にもよります、すぐにわかる場合もありますけれども、多くの場合は争点整理をして事件の内容がある程度明らかにならないとわからない。争点整理というのは、訴訟の中で、時間的に6割とか7割ぐらいの大きな比重を占める部分ですけれども、その争点整理をやってみて初めてどの証拠が必要かが具体的にわかる。つまり、ピンポイントでこの証拠がいるとわかるのは、かなり審理が進んだ後です。
 しかし、日本の証拠収集制度では、この証拠を出してくれと具体的に特定する必要があります。金魚すくいのように、特定の魚を具体的に指定して、ピンポイントでピックアップしないととれないという仕組みになっているのです。だから、争点整理そのものに必要な情報はとれないわけです。争点整理を効率的かつ適正に進めていくために必要な情報は、訴訟が始まった直後の段階で必要になってきます。しかし、その段階では、この証拠という形でピンポイントで押さえられないものはいっぱいあるわけです。
 これに対し、アメリカのディスカバリーというのは、この問題を克服しています。訴訟が始まった直後であるから、どのような証拠が必要かは、ピンポイントではまだよくわからない、わからないから、バサッと網をかけるということを許しているというのが、日本の制度との大きな違いであります。
 つまり、金魚すくい型がもたらす問題点は、網が脆弱なために十分な証拠や情報が取れないということはもちろんですけれど、それに限らないということです。証拠や情報を収集することができる時期の問題も重要です。日本で、文書証拠の収集のために一般に使われる制度は、文書提出命令という制度ですけれども、文書提出命令は、事件とか証拠によっては、ある程度争点整理が進まないと、使えないことが多いのです。この文書を出してくださいと具体的に特定しなければいけないわけですが、その特定ができる時点というのは、どうしても時期的に後ろ倒しになりやすいからです。
 それに対して、アメリカのように大きく網をかける制度であれば、たくさんとれるというだけではなくて、争点整理を始める前に争点整理をよりよく行うために情報を集めるということが可能になる。実際、アメリカのディスカバリーは、ややもすると証拠をたくさんとってくることができるというところに目が行きがちですけれども、この早い段階で使えるというところが重要です。
 こうしたアメリカのディスカバリーの目的は、判決の内容をより真実に即したものにするということだけに重心が置かれているわけではありません。現実を見るとむしろ、判決のことはあまり考えられていない。というのは、アメリカの訴訟は、連邦裁判所と州の裁判所によって、あるいは州ごとに違いますけれども、連邦で言うと95%以上の事件は和解で終わっています。判決までに行くのは数パーセントです。州裁判所ではちょっと比率が落ちますけれども、それでも90何%は和解で終わっている。
 それには様々な要因があって、ディスカバリーだけが要因ではありませんが、しかし、地引き網型の情報収集制度が大きな役割を果たしています。というのは、ディスカバリーでは、たくさんの情報や証拠を取得することができる、そして、それが手続の早い段階でできるということの他に、早い段階で情報や証拠を取ってくると、その時点で大体事件の見通しがつくということがあります。これ以上頑張っても負けそうだとか、勝ちそうだとか、あるいは判決はこういう内容になりそうだということがわかると、事件の落としどころが見えますので、早い段階で和解が成立するわけです。
 このように早い段階で和解が成立して、かつその和解は、情報や証拠に基づいた和解ですから、当事者としても納得がいくわけですね。自分は納得がいかないのに、裁判官から押し付けられる和解ではないということで、早期の和解の達成にも寄与する。そして、争点整理が効率的にできるとか、和解の早期解決ができやすいということは、全体として裁判の迅速化にも役立つことになります。つまり、訴訟手続の全体に影響が及ぶので、私が冒頭に申し上げた1丁目1番地にあたるわけですね。
 ところが、日本の証拠収集制度は、残念ながら、1丁目1番地の制度たらしめないようになっているわけですよね。だから、文字どおりの意味で情報収集制度を1丁目1番地の制度として本来あるべき姿にもっていくことが、情報収集制度の拡充ということの大きな意義ではないかと思うわけです。
 もちろん、それをより実効的に行うためには、情報という魚を捕らえる網を強化する必要もあります。これは、いわゆる制裁の問題になります。その話をする時間はおそらく今日はないと思いますので、これ以上触れることはないですけれども、制裁手段の強化という問題もあるということは、申し上げておきたいと思います。
 あえて、改革の順番付けをするとしたら、私は、以下の順番だと思います。一番大事なのは、金魚すくい型から地引き網型に変えるということです。これが一番大きく、かつ重要なテーマです。ピンポイント型から大きく網をかけるほうに変えるというのが第一です。これだけで、劇的に日本の裁判は変わると思います。もちろん、劇的に変わることを好ましく思わない人たちはいると思いますけれども、善であれ悪であれ目に見える変化はあるかと思います。
 その次にくるのは制裁手段の強化です。さらに、3番目としてデポジションの導入などのツールの問題になると思います。我が国の情報収集制度の実効性を高めるというか、裁判の景色を本当に変えようと思えば、その順番になると思われます。
 長くなりましたので最後になりますが、最初に乱暴な比喩だと申しましたけれども、アメリカのデポジションを地引き網になぞられるのは、実はあまり正確ではありません。あくまでも、わかりやすさを追求した比喩です。なぜかというと、地引き網というのはいらない魚も一杯とってくるというイメージにつながるからです。そこで、とられる魚の側は大変ではないかと、そういう議論があるわけですね。つまり、例えばデポジションを採用しろというと、被告の、特に大体企業側が被告になると企業の皆さんは思っておられるので、被告のほうの保護が必要ではないかという議論になります。
 もちろん、アメリカの制度が何でもかんでもいいというつもりは全くありませんけれども、アメリカのディスカバリーに関して言いますと、そのためのセーフティネットは何重にも設けられています。先ほど宗像長官がおっしゃった制度は、おそらくアメリカのディスカバリーも参考にしていると思いますけれども、今国会に出されている制度で入っている補充性も要件に入っています。つまり、他の手段で情報が取れれば、その場合にはディスカバリーは使えないということです。あるいは相当性という要件もあります。これは、あまりにも相手方に過大な負担がかかるんだったら、そのディスカバリーはできないというものです。それ以外にも、一定の情報に秘匿特権を与えるとか、様々あります。そして、何より大きいのは、これが一番私は大事だと思いますけれども、ディスカバリー・カンファレンスという仕組みがあります。つまり、ディスカバリーをかける側とかけられる側で、最初にちゃんと話合いをしなさいという制度です。この話合いをしないと、ディスカバリーはそもそもやってはいけないという仕組みになっているわけです。
 ディスカバリー・カンファレンスでは、両当事者の合意によって、ディスカバリーの範囲とか、証拠や情報を出す際のその出し方とか、いろいろなことを取り決めます。そして、双方がある程度納得した上で、ディスカバリーを行うわけです。もちろん、そこで協議が整わない場合には、裁判所に判断をもらうことになります。
 そういうことで、アメリカの制度が完ぺきな制度だということはもちろんありませんけれども、世間で思われているよりも、相手方の保護というのは十分に考えられています。派手な事件でたまにディスカバリーの紛争が目に付くことがありますけれども、ほとんどの事件は、私がアメリカで調査したところでは、大きな問題なく運用されています。アメリカのディスカバリーがなくなったらどう思うかと聞くと、アメリカの司法関係者からは、今よりも悪くなると、そういう答えが返ってきます。
 このようなことで、もちろんアメリカのディスカバリーをそのまま日本に無修正で入れろと言うつもりはありませんが、金魚すくい型を改めるというのが、大きな意味での私の提言ということになります。

コーディネーター・出井 ありがとうございます。日本の証拠情報収集制度の現在の問題点を、比喩を交えて、わかりやすく御説明いただきました。また、改革の方向性についても、立体的に提言いただいたと思います。三木さんのお話は、今日お配りしておりますパンフレットのコメントを御覧ください。コメントの後半ですけれども、「これを改善するためには、訴訟提起後、裁判所の関与の下、速やかに紛争に関する情報を広範に収集し、その中から証拠となるものを選び出し、それによって十分な情報と証拠に基づく争点整理と協議を行い、適正かつ迅速な和解または判決による紛争の解決を行えるように必要がある」というところです。ここに凝縮されているかと思います。
 さて、三木先生から包括的な提言をいただきましたが、それぞれ有田さん、長谷川さん、ユーザーサイドから一言ずつコメントをいただいて、その上で、実務家サイドで小林さんからコメントをいただきたいと思います。

⑥につづく

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