(第22号)
企業法務よしなしごと
・・・ある企業法務人の蹣跚・・・
平 田 政 和
Ⅲ.Juniorのために・・・広い視野をもとう(その2)
【なぜ契約書を作るのか】
我が国においては、契約は原則として、意思あるいは意思表示の合致のみで成立するとされている。それにも拘わらず、我々は重要な契約は全て書面にする。この理由はどこにあるのだろうか。
第一の理由は、当然のことながら“証拠”とするためである。口頭のみで書面がないと「言った」、「言わない」、「言ったけれどもこの内容ではない」等々の水掛け論になって結論が出ない。書面にはっきりと誤解のない表現で書かれておれば、この争いは発生しない。
第二の理由として言われていることは、かなり心理的なことである。口約束では契約が締結されたとは思われない。口約束よりも書面にした方が、それも立派な用紙にきちんとタイプした方が「守らなければならない」という意識、拘束感がはるかに強くなる、というものである。私自身はこの考え方には少し違和感、抵抗感があるが、このように考える人もいるのだろう。
第三の理由は、より実務的なものであり、契約書を立案する法務部員の立場からは納得性が認められる。それは「書面にすることにより“抜け”や“バランスが失している”ことが判明する。」ということである。文章にすることにより見落としに気が付いたり、より深い検討ができたりするというものである。私自身の体験、経験からもこの理由は肯ける。
契約交渉や会議が終わって、契約書案や議事録を作る段階で“ハタ”と立ち止まり「このことは議論していなかった。」、「どうするのか取り決めていなかった。」ということを経験しなかった人はいないだろう。
契約書について書かれた文章で記憶に残っているコメントがある。そこでは「日本人においては契約は同化を意味する」と題し「契約書があっても、契約書自体の内容はそれほど重要ではなく、契約書は、もっぱら約束があったという事実に関する証拠としての役割に終始し『お互いの間に契約がある』、そのことをより大切に考える。」と書かれていた。
契約当事者の署名捺印がなされた契約書は大事に金庫にしまい込まれ、相手方との間にその契約に関する事項についてのトラブルや意見の相違があったときでも、契約書の記載内容に戻ることなく、そのときの力関係、今後の取引期待や過去の取引・トラブル解決に際しての貸し借りなどを総合的に判断して解決を図ろうとすることを多く見聞きするが、「同化するための契約」という観点からは理解できる。
(以上)