◇SH0257◇銀行員30年、弁護士20年 第11回「融資課長として」 浜中善彦(2015/03/17)

法学教育そのほか未分類

銀行員30年、弁護士20年

第11回 融資課長として

 

弁護士 浜 中 善 彦

 
 

 30代半ば、時代でいうと昭和50年(1975年)年代前半に、八重洲口支店融資課長になった。八重洲口支店融資課は、大手企業を主たる取引先としており、課長代理のほか課員5名、うち1名は女性行員で住宅ローン担当であった。そのほか、事務担当の女性が1名の合計8名であった。丸ノ内支店融資課時代と異なっているのは、ローン担当者が専任でいるということである。10数年の間にリーテール部門の比重がそれだけ大きくなったということである。
 

 課長代理から、これまで多くの課長に仕えたが、仕事の持ち帰りをしない課長は初めてだといわれた。私は、融資課員のころは稟議を書くのに残業、今でいうサービス残業は随分やった記憶があるが、それは苦ではなかった。しかし、稟議の持ち帰りをして、休日も仕事をするということはしなかった。
 課長になってからは、課員を残して午後6時前には退社することにしていた。残業する必要もなかったし、課長が残業すれば、課員は用事があっても帰るのをためらったりして、余計な残業をさせることになりはしまいかと考えたからであった。
 

 当時まだ独身であり、酒は好きだったから、居酒屋で毎日飲んだが、課員を誘うことはしなかった。ノミニケーションと称して部下を誘う上司は少なくないが、私は、上司から誘われたら無理をしてでも付き合わされることになるだろうと思ってそうしなかったのである。しかし、誘われればいつでも付き合った。
 どういうきっかけだったか忘れたが、男性行員の中では唯一高校卒であるI君と一緒に飲んだ時のことである。最初はごく普通の世間話をしていたのであるが、途中で急に泣き出したので驚いて、どうしたと尋ねたところ、彼はこういった。
 私はこれまでいろんな上司の下で仕事をしましたが、学歴差別をしない融資課長は初めてですというのである。私は、そんなことは当たり前ではないか。仕事ができるかできないかで、学歴の問題ではないと答えた。その後、I君と会ったことはないが、都内の支店長になったことは 後から知った。
 

 O君は、20代後半の有名私立大学卒であったが、得意先課の課長とうまくいかなかったとかで融資課に配属になった。穏やかで円満なお人柄であった。あるいはそのことが、積極性に欠けると評価されたのかもしれない。しかし、そんなことはなく、稟議を書くのもすぐ飲み込んで、過不足のないわかりやすい文章を書いた。私は、人事考課では、何でもできると書いた。その後彼は、八重洲口支店から総合企画部へ文字通り栄転した。
 

 途中で、事務担当の女子行員が交代になった。後任は、20歳か21歳だったかと記憶するが、遅刻常習の女性行員であり、各課をたらいまわしになったあげくの配置換えであった。2週間ほど黙ってみていたが、1週間に1、2回は遅刻する。それも、せいぜい3分か5分程度である。
 そこである時彼女を呼んでこういった。遅刻するのは理由があるからだろうから、そのことはあれこれいわない。しかし、今後、遅刻するときは必ず事前に電話連絡をするように、と。それ以後、彼女の遅刻はなくなった。人事部出身で、人事には自信を持っていた次長(副支店長)が驚いて、どういったのだと問われたが、別に大したことをいった訳ではありませんとだけ答えた。
 
以上
 
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