1 事案の概要
本件は、被告人が、平成24年4月25日午後5時50分頃、和歌山市内で起きた自動車との接触事故を装った治療費名目の詐欺1件(以下「本件公訴事実」という)のほか、同種詐欺2件で起訴されていずれも公判前整理手続に付され、本件公訴事実につき明示したアリバイ主張に関し、その内容を更に具体化する被告人質問等がされようとしたのに対し、原々審裁判所がこれを制限した措置の適法性が問題となった事案である。
2 訴訟の経過
公判前整理手続中、本件公訴事実につき、弁護人は、公判期日でする予定の主張として、犯人性を否認し、「本件公訴事実記載の日時において、犯行場所にはおらず、大阪市内の自宅ないしその付近にいた。」旨の主張を明示したが、更に具体的には主張せず、第1審裁判所もその点につき釈明を求めなかった。その上で、第1審裁判所は、本件公訴事実に係る争点の整理結果を「争点は、被告人が本件詐欺行為を行った犯人であるか否かである。」と確認した。
そうしたところ、公判手続中、被告人質問において、被告人が、「その日時には、自宅でテレビを見ていた。知人夫婦と会う約束があったことから、午後4時30分頃、西成の同知人方に行った。」などの供述をし、更に詳しい弁護人の質問・被告人の供述が行われようとした(以下「本件質問等」という)。これに対し、検察官の異議を受け、第1審裁判所が本件質問等を制限した。そこで、本件公訴事実を含む3件とも有罪認定した第1審判決に対し、被告人が控訴し、前記制限が違法である旨を主張したところ、原判決は、第1審の前記制限が刑訴法295条1項に反するとまではいえず、仮に違法であったとしても判決に影響を及ぼすものではないとして控訴を棄却した。
これに対し、被告人が上告し、原審における主張と同様の法令違反の主張をした(他に憲法違反、単なる法令違反、事実誤認の主張もされた。)ところ、第二小法廷は、適法な上告理由の主張はないとし、所論に鑑み、決定要旨のとおり職権判示した上、第1審裁判所の前記制限の違法が判決に影響を及ぼさないとの原判決の結論は相当である旨を述べて上告棄却の決定をした。
3 説明
刑訴法295条1項の規定によれば、裁判長は、訴訟関係人の被告人に対する供述を求める行為(質問)及び被告人のする供述につき、「事件に関係のない事項にわたるときその他相当でないとき」は、訴訟関係人の本質的な権利を害しない限り制限できることとされている。
ところで、公判前整理手続は、充実した公判審理を行うため、事件の争点及び証拠を整理するための公判準備の手続であり(刑訴法316条の2第1項)、訴訟関係人は、その実施に関して協力する義務を負う(同条の3第2項)上、被告人又は弁護人は、同条の17第1項所定の主張明示義務を負うのであるから、公判期日においてすることを予定している主張があるにもかかわらず、これを明示しないということは許されない(最一小決平成25・3・18刑集67巻3号583頁)。他方、司法制度改革推進本部の裁判員・刑事検討会では、当初、被告人を含む当事者の公判前整理手続終了後の新たな主張を制限する規定を置く案が示されたが、被告人が公判で新たな供述をした場合、その発言を禁止して主張をやめさせるというのは適当でないという理由から、被告人については主張制限の定めを置かないという消極意見が多数を占め、さらに、被告人には主張制限の定めを置かず、検察官及び弁護人に主張制限を設けるとの案も提示されていたところ、被告人が公判期日において新たな供述をした場合に、弁護人がこれに依拠した主張ができないとするのは、弁護人の立場との整合性に問題を生じ得ることなどが指摘され、最終的に、主張制限の規定を一切置かないこととされた。このため、被告人が公判期日で新たな主張に沿った供述を始めた場合の刑訴法295条1項による制限の可否・範囲という問題が残された。法案の立案担当者が、公判前整理手続の趣旨・目的や、その実効性担保のために主張明示義務、証拠調べ請求義務、立証制限の制度が設けられたことに鑑み、同手続終了後の主張の変更は本来許されないことであり、これを差し控えるべき義務がある旨を解説していたことなどもあり(落合義和ほか著「新法解説叢書21 刑事訴訟法等の一部を改正する法律及び刑事訴訟規則等の一部を改正する規則の解説」(法曹界、2010)200頁〔落合義和=辻裕教〕。後記広島高岡山支判の評釈である研修720号115頁〔森田邦郎〕も基本的に同趣旨と思われる)、これを全面的に踏襲した広島高岡山支判平成20・4・16高検速報平成20年度193頁なども現れていた。
本決定は、決定要旨に係る説示に先立ち、まず、公判前整理手続の意義、訴訟関係人の協力義務、被告人又は弁護人の主張明示義務を確認している。これらの諸規定が、事件の争点が明確にされ、充実した公判の審理が継続的、計画的かつ迅速に実現されるための事前準備に協力すべきことを図ったものであって、本件の問題についても、このことを踏まえた検討がされるべきであることを念頭に置いた説示と解される。その上で、本決定は、公判前整理手続終了後の新たな主張を制限する規定はなく、新たな主張に沿った被告人の供述を当然に制限できるとは解し得ない旨を説示した。刑訴法は、前記とおり被告人の主張明示義務と証拠調べ請求義務を定め、公判前整理手続終了後の証拠調べ請求について「やむを得ない事由によって」同手続において請求できなかったものに制限しているが、あえて主張については制限する規定を置いておらず、両者を区別していることが明らかといえる。このような刑訴法の規定によれば、公判前整理手続終了後の主張の変更を差し控えるべき義務があるとか、合理的理由のない限りそのような主張の変更を認めないとの解釈には無理があるといわざるを得ないように思われ(また、そのような解釈が争点整理の実効性を上げ、公判前整理手続の長期化を防ぐという観点から明らかに優れているとまでいえるのかについても議論の余地があるように思われる。)、そうすると、新たな主張に沿った被告人の供述を当然に制限できるとは解し得ないことになる。本決定が前記のような説示をした背景には、以上のような考慮があるのではないかと思われ、判示事項ではないが、重要な説示になるものと解される。
以上を踏まえ、本決定は、裁判所の求釈明に対する釈明状況を含む公判前整理手続における被告人又は弁護人の予定主張の明示状況、新たな主張がされるに至った経緯、新たな主張の内容等の諸般の事情を総合的に考慮し、主張明示義務に違反し、かつ、新たな主張に関する被告人質問等を許すことが公判前整理手続を行った意味を失わせるものと認められる場合には、新たな主張に係る事項の重要性等も踏まえた上で、被告人質問等が刑訴法295条1項により制限されることがあり得るとし、決定要旨のとおり、必ずしも十分でない明示主張に対する求釈明もなかったなどの本件公判前整理手続の経過等に照らすと、同手続で明示された主張の内容を更に具体化するものにとどまる本件質問等を、同条項により制限することはできない旨の事例判断をしたものである。
被告人質問等が刑訴法295条1項により制限される場合があること自体は、本決定を待つまでもなく、同条項の文理上明らかといえ、本決定もそのことは当然の前提としている。しかし、本決定が、前記のように種々の要素を挙げて諸般の事情の総合考慮の上で刑訴法295条1項による被告人質問等の制限があり得るとしていること、被告人質問等の制限がされる場合の例として、公判前整理手続において、裁判所の求釈明にもかかわらず、「アリバイを主張する予定である。具体的内容は被告人質問において明らかにする。」という限度でしか主張を明示しないという、殊更に主張明示義務に違反していることが明らかな場合を挙げていること、さらに、「新たな主張に係る事項の重要性等も踏まえた上」との留保を付していることなどからすると、本決定は、本条項による被告人質問等の制限が幅広く行われるという事態を想定したものではないと思われ、また、当然のことながら、新たな主張に係る事項の被告人質問等を制限した結果、事実認定を誤ってもよいなどということはおよそ想定していないものと解される。
4 本決定の意義等
本決定は、公判前整理手続終結後に被告人が公判期日で新たな主張に沿った供述を始めた場合の刑訴法295条1項による制限に係る総合的な考慮要素に言及しつつ、本件の訴訟手続の経過等に即した具体的な事例判断を示したものであって、同条項による制限の可否の外延を考える上で実務上の参照価値が高いと思われる。また、本決定には、本件の第1審の訴訟遂行に関し、公判前整理手続における争点整理等のあり方や、当事者の訴訟活動のあり方などといった観点から具体的に指摘した小貫芳信裁判官の補足意見が付されている。本件は裁判員裁判ではないが、公判前整理手続が裁判員裁判にとって極めて重要な意義を有することからすれば、その適正な運用のためには法曹三者の協力と力量が問われている旨を説く本補足意見は、裁判員裁判の運用を考えるに当たっても参考になるところが多いと思われる。