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本件は、業務災害による休業中の反訴原告が、反訴被告から打切補償として平均賃金の1200日分相当額の支払を受けた上で解雇されたことにつき、この解雇は労働基準法19条1項本文に違反し無効であるなどと主張して、労働契約上の地位の確認等を求めた事案である。
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本件の事実関係は、次のようなものである。
反訴被告において勤務していた反訴原告は、平成15年3月13日に、頸肩腕症候群の診断を受け、同年4月以降、この疾病を理由として欠勤を繰り返すようになり、平成18年1月17日から長期にわたり欠勤した。平成19年11月6日、所轄の労働基準監督署長は、平成15年3月20日の時点で上記疾病は業務上の疾病に当たるものと認定し、反訴原告に対し、療養補償給付及び休業補償給付を支給する旨の決定をした。これを受けて、反訴被告は、同年6月3日以降の反訴原告の欠勤につき、反訴被告の災害補償規程に従って業務災害による欠勤に当たるものと認定し、その後、平成21年1月17日から2年間の休職とした。この休職期間満了後も反訴原告が職場復帰をしなかったことから、反訴被告は、平成23年10月24日、打切補償金として平均賃金の1200日分相当額である1629万円余を支払った上で、同月31日付けで反訴原告を解雇する旨の意思表示をした。
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労働基準法19条1項は、業務災害による休業中の労働者については、その休業期間及びその後30日間は解雇してはならない旨を定めるが、その例外として、使用者が同法81条の規定によって打切補償を支払う場合はこの限りでないと定める(同項ただし書)。同法81条は、同法75条の規定によって補償を受ける労働者が療養開始後3年を経過しても疾病等が治らない場合においては、使用者は平均賃金の1200日分の打切補償を行い、その後は、労働基準法による補償を行わなくてもよい旨定めるところ、この同法75条の規定による補償とは、使用者が行う業務災害に対する療養補償のことである。
これらの規定によれば、使用者が労働基準法に基づき自ら災害補償を行っている場合には、同法81条の要件を満たす労働者に対し打切補償を行って同法19条1項ただし書の適用を受け、当該労働者を解雇することができることになるが、労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づく保険給付(以下、「労災保険給付」という。)を受けている労働者に対して打切補償を行うことにより、労働基準法19条1項ただし書が適用されて同項本文の定める解雇制限が解除されるかどうかは労働基準法や労災保険法の規定の文言からは明らかではなく、この点が本件の争点となった。労災保険給付が行われる場合、使用者は自ら災害補償をする義務を免れるところ(労働基準法84条1項)、現在、業務災害に対する補償が行われるべき場合については、ほぼ全ての場合において、労災保険給付が行われ、使用者が自ら災害補償を行うことはほとんどなくなっていることから、労災保険給付が行われる場合につき同法19条1項ただし書が適用されるかどうかが争われる事例が生じてきたものと解される。
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本件の原々審及び原審は、労災保険給付について何ら触れていない労働基準法81条の文言等からすれば労災保険給付を受けている労働者について打切補償を行うことができるとは解されず、反訴原告に対する解雇は、同法19条1項に反し無効であるなどとして、反訴原告の地位確認請求を認容すべきものとした。これに対して、反訴被告が上告及び上告受理申立てをした。
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最高裁判所第二小法廷は、まず、労災保険法の制定の目的並びに業務災害に対する補償に係る労働基準法及び労災保険法の規定の内容等に鑑みると、労災保険法に基づく保険給付の実質は、使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであると解するのが相当であり、労災保険法12条の8第1項1号から5号までに定める各保険給付は、これらに対応する労働基準法上の災害補償に代わるものということができるとした。そして、労働基準法において使用者の義務とされている災害補償は、これに代わるものとしての労災保険給付が行われている場合はこれによって実質的に行われているものといえ、使用者による災害補償が行われている場合と労災保険給付が行われている場合とで、労働基準法19条1項ただし書の適用の有無について取扱いを異にすべきものとはいい難く、また、労災保険給付が行われている場合においては、打切補償が支払われても労災保険法に基づき必要な療養補償給付が続くこと等も勘案すれば、使用者による災害補償が行われている場合と労災保険給付が行われている場合とで労働基準法19条1項ただし書の適用の有無についての取扱いを異にしなければ労働者の利益の保護を欠くことになるともいい難いとした。その上で、労災保険法に基づく療養補償給付を受ける労働者は、労働基準法19条1項ただし書の適用に関しては、同法81条にいう同法「75条の規定によって補償を受ける労働者」に含まれ、このような労働者につき同法81条の要件を満たす場合は、使用者は、当該労働者に打切補償を支払って同法19条1項ただし書の適用を受けることができるものと判示した。
これらの検討を経て、第二小法廷は、同法81条の要件を満たして打切補償の支払を受けた反訴原告については同法19条1項本文の解雇制限の適用はないとし、同項本文により反訴原告の解雇が無効になるとした原判決を破棄し、本件解雇の有効性に関する労働契約法16条該当性の有無等について審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻す旨の判決をしたものである。
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労災保険給付を受けている労働者に対して打切補償を行うことにより労働基準法19条1項の解雇制限が解除されるかどうかについて判示した裁判例は、地高裁のものも含め、本件以外には見当たらない。また、学説上も、本件の原々判決及び原判決に対する判例評釈を中心として、労災保険法及び労働基準法の沿革等を重視し業務災害による休業が長期にわたることにより使用者が受ける負担が過重なものとなることを強調して解雇制限の解除が認められるべきであるとする肯定説と、労災保険法等にこれを肯定する明文の規定がないことを重視し、業務災害に遭った労働者の職場復帰の機会を保護すべきことを強調して解雇制限の解除は認められるべきではないとする否定説がある状況であった。
このような状況のもとで、本判決は、労災保険法の制定の経緯や目的、労働基準法における災害補償に関する規定の内容と労災保険法における保険給付に関する規定の内容の関係等について検討し、労災保険法に基づく保険給付と労働基準法上の災害補償義務との関係について述べた最三判昭和52・10・25民集31巻6号836頁の説示も参照しつつ、労災保険給付は労働基準法上の災害補償に代わるものということができ、労災保険給付が行われている場合と労働基準法上の災害補償が行われている場合とで、同法19条1項ただし書の適用の有無につき取扱いを異にすべきものとはいい難いなどとして、労災保険法に基づく療養補償給付を受ける労働者について打切補償が支払われることにより労働基準法19条1項ただし書が適用され、同項本文の解雇制限が解除されると判示したものである。
なお、本件においては、反訴原告に対する解雇が労働基準法19条1項に反し違法であるかどうかという点のほか、当該解雇が労働契約法16条に違反して無効であるかどうかも争点とされているが、この争点については、原々審及び原審においては審理されていないため、第二小法廷は、この争点等についての審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻したものと解される。本件のような場合に、同条の定める解雇権濫用法理の適用に当たって、どのような事情がどの程度考慮されるべきかという点については、本判決は何ら述べていない。
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本件の争点とされた点、すなわち労災保険給付を受けている労働者に対して打切補償を行うことにより労働基準法19条1項ただし書が適用されて同項本文の解雇制限が解除されるかどうかという論点については、従来裁判例もなく、労災保険給付と労働基準法の災害補償義務との関係をどのように理解するかにも関連して肯定否定の両説があったところ、本判決は、この論点につき当審が初めて判断を示したものであり、理論上も実務上も重要な意義を有すると思われる。