1 事案の概要
(1) 本件の概略
本件は、広島市に投下された原子爆弾により被爆し、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)に基づき被爆者健康手帳の交付を受けた被爆者ら3名(以下「本件被爆者ら」という。)につき、その居住国である大韓民国で受けた医療に関して同法18条1項に定める一般疾病医療費の支給の申請がされたところ、大阪府知事により、在外被爆者(同法1条所定の被爆者であって日本国内に居住地及び現在地を有しないものをいう。以下同じ。)に対して同項の規定を適用することができない旨の理由でそれぞれ却下処分(以下「本件各却下処分」という。)がされたことから、上記の被爆者又はその相続人であるXらが、大阪府を相手に、本件各却下処分の取消し等を求めた事案である。
(2) 関連訴訟
被爆者援護法は、被爆者に対する医療費の支給として、17条1項に基づく医療費の支給(原子爆弾の傷害作用に起因する負傷又は疾病に関するもの)と、18条1項に基づく一般疾病医療費の支給(上記の負傷・疾病や遺伝性疾病等の所定の疾病等を除いた負傷又は疾病に関するもの)の2種類を定めている。これまで行政庁は、在外被爆者には上記各項の規定は適用されないという前提に立って、支給申請を却下するなどの対応をとってきた。本件は、韓国に在住するXらが大阪府知事のした却下処分の取消しを求めたものであるが、本件のほかにも関連訴訟として、韓国在住者が長崎県知事のした処分の取消しを求める訴訟(長崎事件)、米国在住者が広島県知事のした処分の取消しを求める訴訟(広島事件)が提起され、長崎地裁及び広島地裁による請求棄却の各判決を受け、本判決当時はそれぞれ控訴審に係属中であった。なお、本件及び広島事件では、被爆者援護法18条1項に基づく一般疾病医療費のみが対象とされているが、長崎事件では、一般疾病医療費のほか同法17条1項に基づく医療費も対象とされている。
2 原審及び本判決
原審(大阪高裁)は、在外被爆者にも被爆者援護法18条1項の規定は適用され、本件各却下処分は違法であるとして、Xらの取消請求を認容すべきものとした。
原判決に対し、大阪府が上告受理の申立てをしたところ、最高裁第三小法廷は、その上告を受理し、被爆者援護法18条1項の規定は在外被爆者が日本国外で医療を受けた場合にも適用されるものと解するのが相当であるから原審の判断は是認し得るとして、その上告を棄却した。
3 説明
(1) 被爆者援護法は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和32年制定、以下「原爆医療法」という。)と原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和43年制定、以下「原爆特別措置法」という。)とが平成6年に一本化されたものであり、給付内容等につき若干の拡充がされたほかは、これらの法律(原爆二法)の内容が基本的にそのまま引き継がれている。
海外居住者に対する医療費や健康管理手当等の各種手当の支給について、かつての行政見解は、日本国内に居住地(生活の本拠)を有しない者には原爆二法の規定は適用されずその規定に基づく給付を受けられないとしていた。その後、いわゆる孫振斗事件の1審判決(福岡地判昭和49・3・30。その上告審が、本判決でも引用されている最一小判昭和53・3・30民集32巻2号435頁である。)を経て、日本国内に居住地を有していなくても現在地を有していれば足りるとする見解に改められた(昭和49年7月25日衛発第416号厚生省公衆衛生局長回答)ものの、他方において、手当の受給権者が日本国の領域を越えて居住地を移した場合には受給権は失権するという取扱い(失権取扱い)が行われてきた(昭和49年7月22日衛発第402号厚生省公衆衛生局長通達)。しかし、上記の失権取扱いにより出国後に健康管理手当の支給を打ち切られた者について、打切り後の手当の支給を求める請求を認容すべきものとした大阪高判平成14・12・5判タ1111号194頁)を受け、上記の失権取扱いは廃止された(平成15年3月1日健発第0301002号厚生労働省健康局長通知)。
このようにして、被爆者援護法1条所定の「被爆者」として健康管理手当等の諸手当の受給権を取得するためには、日本国内に居住地を有する必要はないのみならず、現在地も有する必要はないとする解釈が定着し、今日に至っている。被爆者健康手帳の交付の申請を日本国外から領事官を経由して行うための手続規定も整備された(平成20年法律第78号による改正後の被爆者援護法2条2項、同年政令第381号による改正後の同法施行令1条の2)。韓国に在住していた本件被爆者らも、これらの新設された手続規定に従って被爆者健康手帳の交付を受け、同法1条所定の被爆者となったものであろう。
ところが、被爆者援護法17条1項に基づく医療費及び同法18条1項に基づく一般疾病医療費の支給については、その後も、在外被爆者には上記各項の適用がないとする行政見解に基づく運用が続いていた。その一方、法の枠外の援護措置としての「在外被爆者保健医療助成事業」が平成16年度以降実施され、居住国の医療機関において必要な医療を受けた在外被爆者につき同事業に基づく保健医療助成費の支給が行われていたが、助成費の上限額が設定されるなど被爆者援護法に基づく支給とは異なる面もあったため、これを利用する在外被爆者には不満もあり、そのことが本件訴訟及び関連訴訟の提起につながったものと推測される。このような中、本判決は、在外被爆者が日本国外で医療を受けた場合にも同法18条1項の規定が適用されるとの判断を示したものである。
なお、本判決の判示において、「在外被爆者が日本国外で医療を受けた場合」とされているのは、日本で医療を受けた(その時点では日本国内に現在地を有していた)がその後に居住国に戻ったため支給申請時には日本に現在していなかったという場合については、当然に被爆者援護法18条1項の規定が適用されることを前提に、日本国外で医療を受けた場合にも一般疾病医療費を支給し得るか否かが論じられていたため、本件で問題とされている場面が「日本国外で医療を受けた場合」であることを明らかにする趣旨によるものと解される。また、逆に、日本に居住する者が海外旅行中に医療を受けた場合にも、同項の規定は当然に適用されるものとされている(平成12年12月28日健医企発第34号厚生省保健医療局企画課長通知参照)ため、本判決は、「在外被爆者が」日本国外で医療を受けた場合について判断したものと解される。
(2) 本判決の理由の概要は、次のようなものである。
すなわち、①被爆者援護法18条1項は、その支給対象者として「被爆者」と規定するにとどまり、被爆者が日本国内に居住地若しくは現在地を有すること、又は日本国内で医療を受けたことをその支給の要件として定めていない、②同項にいう「一般疾病医療機関(同法19条1項の規定に基づき都道府県知事が指定する医療機関)以外の者」につき、日本国内で医療を行う者に限定する旨の規定はない、③在外被爆者が医療を受けるため日本に渡航することには相応の困難を伴うのが通常であると考えられるところ、在外被爆者が日本国外で医療を受けた場合に一般疾病医療費の支給を一切受けられないとすれば、同法が、原子爆弾の放射能に起因する健康被害の特異性及び重大性に鑑み、被爆者の置かれている特別の健康状態に着目してこれを救済するという目的から被爆者の援護について定めた趣旨(本判決は、同法の趣旨につき、同法前文のほか、同法の前身である原爆医療法の趣旨について述べている前掲最一小判昭和53・3・30を引用して説示している。)に反することとなる、というものである。上記①及び②は同法の規定の文言からみたものであり、③は同法の趣旨からみたものであるといえるが、これらがあいまって、判旨の解釈が導かれたものと解される。
(3) なお、本判決は、被爆者援護法18条1項が、一般疾病医療機関以外の者から医療を受けた場合の一般疾病医療費の支給につき「緊急その他やむを得ない理由」を要件としていることにも言及し、「被爆者の居住地又は現在地の付近に一般疾病医療機関がないため近隣に所在する一般疾病医療機関以外の者から医療を受けることとなった場合には、上記の要件が満たされるものと解され、在外被爆者が日本国外で医療を受けた場合にも、これと同様に解することができる」としている。これは、原審において「緊急その他やむを得ない理由」の要件の該当性が主要な争点の一つとなっていたことに鑑み、その要件該当性をめぐって本判決後に新たな紛争が生ずるおそれがあることも考慮して、念のため、この点に関する当審の考え方を示したものと解される(したがって、本判決の説示のうち上記の要件の該当性に関する部分は、同項の規定の適用の有無に関する直接の根拠となるものではないと考えられる。)。そして、ここに示された解釈は、被爆者の居住地又は現在地の付近に一般疾病医療機関がないため近隣の医療機関で医療を受けた場合にも上記の要件を満たすという異論のない解釈につき、在外被爆者が日本国外で医療を受けた場合にも同様に解されるとしたものであり、当然の理を示したものといえよう。ただし、在外被爆者がその居住国で医療を受けず、日本以外の第三国へ渡航して医療を受けた場合(例えば、韓国に居住する者が米国で医療を受けた場合)など、極めて例外的なケースの場合には、上記の要件の該当性が改めて検討されることとなるものと解される。本判決の示した上記の解釈は、在外被爆者がその居住地又は現在地で医療を受けるという通常のケースを想定して示されたものと解されよう。
4 本判決の意義等
本判決は、在外被爆者に対する被爆者援護法の適用に関する最後の主要な課題であるといわれていた同法18条1項の規定の適用の有無につき、最高裁として初めての判断を示したものである。また、関連訴訟(長崎事件)で問題とされている同法17条1項の規定の適用の有無については、本判決は直接には言及していないものの、本判決に示された理由に照らせば、同項についても同様の解釈が導かれるものと解され、このような意味において、関連訴訟にも影響が及ぼされるものと解される。加えて、事柄の性質上、報道等により社会的にも注目された事件である。これらのことに照らし、本判決は実務上重要な意義を有するものとして、ここに紹介する次第である。