法のかたち-所有と不法行為
第十一話 自然と所有の法-伝統社会、環境・生態系
法学博士 (東北大学)
平 井 進
5 植民地の土地運営-インドネシアの強制栽培制度
ヨーロッパによるそれ以外の地域に対する植民地支配は、大別して、北アメリカ等のようにヨーロッパ人が入植して開拓する場合と、それ以外のように現地の土地と住民を支配して利益を本国に送る場合とがある。いずれも現地の伝統的な社会・文化は大きく変化するが、ここでは後者の例としてオランダが支配したインドネシアの例を見ていく。[1]
大航海時代までのインドネシアは、ヒンドゥー文化とイスラム文化をもつ高地の焼畑と低地の稲作の社会であった。17世紀にオランダが進出し、19世紀初にオランダ本国がフランスに併合された時期にイギリスが支配したが、1816年に再びオランダが支配することになる。
オランダは当初、インドネシアから胡椒等を得ることを目的としていたので、それらの産品の供出を現地に義務付けていたが、18世紀初から現地になかったコーヒー栽培を導入し、また従来の稲作水田で砂糖キビを輪作させるなど、輸出用の商品作物の栽培を導入する。
1830年にオランダからベルギーが独立したことにより、オランダは先進工業地帯を失い、深刻な財政難に陥る。そのために、インドネシアで導入したのがコーヒー・砂糖キビ等を強制的に栽培させる制度であり、それによって得た巨額の利益はオランダ本国の財政赤字を解消したのみならず、新たな産業革命等の財源ともなる。1840年代にジャワで大規模な飢饉が発生するが、これは上記の強制栽培による農地の疲弊と、主として砂糖キビ栽培による食糧米の減産によるとされる。
オランダが強制した商品作物農業により、現地住民は従来の自給自足の生活を続けることができず、農園での賃労働に移行することになり、また貨幣経済の導入により生活必需品を購入する生活となる。この自立的生活の消失と労働の商品化は、従来の伝統社会になかった社会的な不平等と貧困を生むことになる。
このような商品作物栽培の強制・管理・独占は、イギリスが支配するインド(アヘン用のケシ等の栽培)等、多くの植民地支配において共通して見られたものである。[2]
上記の住民生活の大きな変化と社会問題は、土地利用の大きな変化によってもたらされている。植民地支配の基本的な問題は、現地の伝統的生活における既成産物を収奪することによって起こるのではなく、その土地の農業システムを変化させ、住民の自立していた生活を支配国の経済システムに組み込むことによって起こる。
それが住民の意向や厚生と無関係であるのは、前述のようにそのような事情を捨象する土地の観念的な支配により、その経済価値を最大にすることが評価軸となることによる。