法のかたち-所有と不法行為
第十五話 自由-「私のもの」を守ること
法学博士 (東北大学)
平 井 進
2 人の本来的な権利 (1)-17世紀イギリス議会
上記の自然法的な抵抗理論は、王権による権限が人々の経済的な自由も圧迫する状況において、それに対抗する理論としても用いられるようになる。当時のイギリスにおいては、王権が付与する独占特権の濫用が盛んになされており、日用品を製造・販売する広範な自営業者がそれによって圧迫されていた。[1]
1601年の議会庶民院において、首相であったロバート・セシルは、独占のうちそれ自体が無効であるものとして、「臣民からその生来の権利(birthright)を奪う許可」について述べている。[2]
また、同時代に議会庶民院で活動していたエドワード・クックも、次のように述べている。「独占とは、(略)それによって、いかなる人・政治体・組織においても、彼らがそれ以前にもっていたいかなる自由も制約され、または合法的な生業(trade)が妨げられることである。(略)生業は人の生活を維持している。(略) 独占する者が人の生業を取り上げることは、その人の生命を取り上げることである。」[3]
このように、セシルとクックは、「人々がもつ本来的な自由・権利を奪うこと」とそれが「人々の生命を奪う」に等しいことの意味について述べている。そのような議論が先鋭化したのは1610年の議会である。[4]
さて、臣民の本来の権利は、王権によって奪うことができない領域であると議論すること自体、王権を侵害すると国王(ジェームズ一世)は主張する。それに対して、議会庶民院は、討議の自由と逮捕・拘禁されない自由を主張し、1621年に『抗議』(Protestation)を行う。そこでは、「議会の自由・特権・権限は、イギリス臣民の古来の疑うべからざる生来かつ伝来の権利(the ancient and undoubted birthright and inheritance)である」[5]とする。このように、この自由・権利の概念は、臣民が王権に対抗するための基本的な法概念として定式化される。
上記のような王権に対する制限は、1628年の議会による『権利の請願』(Petition of Right)の第1条において、「臣民は、税金・賦課金・援助金その他同種の負担の支払いを強制されないという自由を受け継いでいる(have inherited this freedome)」として、王権に対抗する臣民の自由として一般化される。
この時期のイギリス議会の動きは、王権に対抗してそれを制限するという形で人の自由の概念を確立することにおいて、一つの実践的な画期をなしていた。その経緯において、今日的にいえば、私法上の本来的な自由・権利という概念ができ、それを守るための枠組として、公法上の本来的な自由・権利という概念ができ、これはその後の革命を経て制度化していく。このように、イギリスにおいては、権力に対する私権保護の制度として公権と新たな公法が成立していくのである。
[1] 参照、平井進『技術開発における自由と正義』(東北大学博士論文, 2014)17-24頁。
[2] The Parliamentary or Constitutional History of England, Vol. 4, Tonson and Millar, 1763, pp. 465-466; Cobbett’s Parliamentary History of England, Vol. 1 (1806), Johnson Reprint, 1966, p. 932.
[3] Edward Coke, The Third Part of the Institutes of the Laws of England, 1644, Cap. LXXXV, Against Monopolists, Propounders, and Projectors, p. 181, Reprint, E. and R. Brooke, 1797.
[4] 1610年等の議会におけるクックその他による人の本来的な権利の議論について、次を参照。土井美徳『イギリス立憲政治の源流-前期ステュアート時代の統治と「古来の国制」論-』(木鐸社, 2006)338-354頁。土井は、私法領域で発達したコモン・ローが統治の基本構造としてのconstitutionとして初めて用いられるようになったのは、1610年議会においてであったとする。同426頁。
[5] The Protestation, 18 December, 1621. Rushworth, John, Historical Collections of Private Passages of State, Vol. 1: 1618-29, Browne et al, 1721, p. 53.この文章もクックが関係しており、彼はそのことによって王権によって拘留された。