◇SH3375◇シンガポール:シンガポールからみた日本仲裁法の改正(2) 青木 大(2020/11/10)

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シンガポール:シンガポールからみた日本仲裁法の改正(2)

長島・大野・常松法律事務所

弁護士 青 木   大

 

 本稿では前回に引き続き、シンガポールを拠点として国際仲裁実務に携わってきた筆者の視点から、現在検討されている日本の仲裁法改正の内容について、検討と考察を行う。

 

Ⅳ. 「暫定保全措置」の形式

 報告書においては、仲裁廷が下す「暫定保全措置」については、「命令(Order)」等の形式で出されるものが念頭におかれ、「仲裁判断(Award)」の形式で発令されるものは想定されていないとのことである。しかし、シンガポール仲裁においては、暫定保全措置は「中間的仲裁判断(Interim Award)」の形式で出されることも少なくなく、せっかく有利な判断を得られたのに形式面で執行力が認められないとなると目も当てられないので、注意が必要となる。

 

 なお、「報告書」においては、暫定保全措置を下す主体である「仲裁廷」にSIACやICC仲裁規則で規定される「緊急仲裁人」が含まれるかは明示的には論じられていない。しかし、正式の仲裁廷が構成されるまでには、仲裁提起後、1~2ヶ月は少なくとも要することが多く、緊急を要する暫定保全措置は緊急仲裁人に対して申し立てられることが近時はむしろ一般的である。緊急仲裁人の命じる暫定保全措置が執行対象から外れるとなると、実際の使い勝手は残念ながら非常に悪いものとなるといわざるを得ない。この点、シンガポール国際仲裁法第2条第1項は「仲裁廷」の定義上、当事者が合意した仲裁規則に基づき選任された緊急仲裁人が含まれる旨が明確に規定されており、緊急仲裁人が出す暫定保全措置についても執行力が認められている。

 

Ⅴ. 暫定保全措置の執行のための要件

 報告書は、暫定保全措置に基づく民事執行の場合は、裁判所の執行決定を要するものとし、11項に及ぶ執行拒絶事由を提示している。かかる執行拒絶事由には、仲裁判断の承認執行拒絶事由を基本的に踏襲するもののほか、①上述の暫定保全措置の要件を欠く場合、②仲裁廷が命じた担保提供の決定が遵守されていないこと、③暫定保全措置が仲裁廷、裁判所等により終了・停止させられたこと、④暫定保全措置が裁判所に与えられた権限と相容れないこと、という要件が含まれる。

 

 このように多岐にわたる事項について相手方は暫定保全措置命令を日本の裁判所において執行段階で争い得ること、特に暫定保全措置の要件の有無が改めて白地で裁判所により審議されるとすると、実質的に相手方による紛争の蒸し返しが執行段階で可能になり得るのではないかということが、実務的には懸念される。同じ要件について仲裁廷と裁判所の2重の審査を要するのであれば、申立人側としては裁判所における保全処分の方が基本的には使い勝手がよいということにならないであろうか(保全処分においても保全異議の手続があるものの、債務者が一旦下された保全処分の執行を停止したい場合には、保全異議とともに執行停止の申立てを行うことを要し、そこにおいては、①保全命令の取消しの原因となることが明らかな事情があること、及び②保全執行により償うことができない損害を生ずるおそれがあることについて、債務者側に立証責任が課されるという点で異なる。)。このほか、暫定保全措置で下された命令が日本の民事保全制度と相容れるものかどうかが審査対象となるところ、仲裁廷、特に職業裁判官ではない仲裁人に対して、日本語以外の言語で、日本での執行を想定した暫定保全措置を求める場合、求める救済内容が本当に日本の民事保全制度と相容れるものといえるかどうかについては、十分な注意を要する[1]

 

Ⅵ. 最後に

 仲裁廷の暫定保全措置に執行力を持たせることはシンガポール、スイス、イギリス、韓国、香港等においては既に法制化されており、これらの国々からみても遜色ない仲裁法制を制定するという点においてかかる改正には意義がある。しかし、執行力が認められることになるのは、国内仲裁に限らず外国仲裁で下された暫定保全措置についても同様であり、そうであるとすると、本改正は当事者に対して日本を仲裁地と選択させるインセンティブを喚起するものとはいいがたく、果たしてかかる改正が日本の国際仲裁を振興するものとなるかは疑問が生じる余地もあろう。

 

 また、仲裁地がどこであれ、日本に所在する当事者・財産に対しては、相手方は仲裁合意がある場合であっても日本の裁判所における保全処分(仮処分・仮差押)の申立てが基本的に可能であり(仲裁法第15条)、これまでは裁判所における保全処分の方が安価・迅速・確実であると考えられることが多かったように思われる[2]ところ、報告書が示す本改正の内容は、このような考え方を一変させるほど仲裁廷による暫定保全措置の魅力を高めるものにはなっていないように思われる。

 

 そうすると、本改正はむしろシンガポール仲裁その他外国仲裁において下された暫定保全措置が日本において執行できることになることの方に実務上大きな意義が出てくることになるように思われる。日本当事者と外国当事者との間の外国仲裁を想定すると、外国当事者が日本において保全執行対象財産等を有することは、日本の当事者よりは少ないであろうから、この改正はどちらかというと外国当事者を利する改正ということになる。

 

 仮に、日本の国際仲裁を振興するものとは必ずしもいえず、さらに外国仲裁において必ずしも日本の当事者に資するものとはいえない改正であるとすると、果たしてこれを実現することにどのような意義があるのかについては、今後法制化の中で議論になっていくのかもしれない。日本の国際仲裁の振興に重点を置くのであれば、執行力を認めるのは日本を仲裁地とする場合に限るという政策判断もあり得るようには思われる。そうすれば、仲裁合意の交渉の際、他国側当事者に日本を仲裁地とするインセンティブを与える一つの要素になり得るからである。

 

 少なくとも仲裁法制のアップデートとしては意義ある改正だというのは前述の通りであるが、先の仲裁法の改正から20年近くが経った今、日本における国際仲裁の活性化を目指し仲裁法を見直すということであれば、この点以外にも世界のベストプラクティスにならった改正案や、更には日本の国際仲裁独自の魅力を増すような斬新な改正案がもっと遡上に上ってきてもよいようには思われる。

 


[1] この点、UNCITRALモデル法第17I条は、「裁判所が、当該措置を執行するため、その実質を変更することなく、自らの権限及び手続に適合させるのに必要な範囲において、暫定保全措置を再構成する旨の決定をした場合」には、仲裁廷の下した暫定保全措置に変更を加えることができることを規定するが、「実務上、裁判所からの示唆を受けて当事者において仲裁廷に対し暫定保全措置を執行可能な形に変更してもらうなどの対応をとることが可能であると考えられる」ことから、この規定に対応した規律は設けないことを報告書は提案している。仲裁廷に改めて変更を申し立てることは可能は可能であろうが、そのような対応で果たして緊急性ある保全措置を適切に確保できるかは実務上は不安が残る。

[2] 例えば、裁判所での保全処分は本訴提起前にも可能であるが、SIAC仲裁規則上、緊急仲裁人に対する暫定保全措置の申立ては、本仲裁の提起と少なくとも同時でなければならない。ICC仲裁規則は申立て前の10日前からの提起を可能とするが、緊急仲裁人の判断は緊急仲裁人に一件記録が回付されてから原則として15日以内とされており、密行性において保全処分に劣る。

 

 


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(あおき・ひろき)

2000年東京大学法学部、2004年ミシガン大学ロースクール(LL.M)卒業。2013年よりシンガポールを拠点とし、主に東南アジア、南アジアにおける国際仲裁・訴訟を含む紛争事案、不祥事事案、建設・プロジェクト案件、雇用問題その他アジア進出日系企業が直面する問題に関する相談案件に幅広く対応している。

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