◇SH0706◇法のかたち-所有と不法行為 第十六話-1「古代・中世の定住商業における所有権の観念化」 平井 進(2016/06/21)

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法のかたち-所有と不法行為

第十六話 古代・中世の定住商業における所有権の観念化

法学博士 (東北大学)

平 井    進

 

 第一話において、ヨーロッパの近世以来、商業が観念的な権利によって発展したことを見た。ここでは、定住(定着)商業によって所有権の観念化が始まったと考えられ、それを古代のメソポタミアや東地中海の貿易に遡って見ることができること、古代の国家形成のあり方として、土地所有を主体とする陸上領域国家(帝国)と商品所有を主体とする海上貿易国家(都市)の二つのモデルが考えられることについて見ていきたい。

 

1  観念的な所有権概念-中世地中海貿易

 従来、所有権の重要な特色はその観念性にあるとされているが[1]、所有の観念性が端的に示されるのは、対象を占有できない場合においてである。ここで、理論的なモデルとして、「占有できない対象を所有する」と観念することを所有権概念の基準と見なすことによって、その歴史的な形成について考えてみたい。

 対象を占有しない状態における所有の観念性に関しては、二つの面がある。第一は、それまで占有していた対象を奪われたことに対して、それを取り戻そうとする者が、そのことが正当であるとする地位の概念である。これは、不法行為の場合と規範を共通する正当性概念である。

 このような正当性概念を前提として、第二は、現在占有していない対象を所有する地位をもつという観念であり、これは従来、他者が所有する地位にある(占有していない場合を含む)対象を自ら所有しようとすることにあり、このような対象の引渡を要さない観念性の故に、その取引も当事者間の共有された意思(合意)という観念によることになる。

 非占有の所有の例として、地中海の海上貿易について考えてみる。[2]当初、海上貿易は、商人がその商品を自ら持って船に乗り、移動することによって行っており、この段階では商人は商品を占有している。

 このような貿易のあり方が大きく変化するのは、海上交通の船便が頻繁になることによって海上通信システムができるようになり、ある地の市場の情報について、商品を売買するためにその地に赴かなくとも、他の地において早く把握されるようになることである。

 このような通信システムによって、商人は都市に定住しつつ、船長に商品の輸送を依託し、また海外の各地に代理人(支店)を置いて取引業務を依託し、彼らから各地の市況情報を得ることにより、どの商品をどの場所で買い、どの場所で売るかということを判断して取引を行うようになる。このような商業活動は、例えば14世紀前半において、フィレンツェの大商会がコンスタンティノポリスからロンドンにかけて各地に支店を置いて行っていた活動に見ることができる。[3] 

 そこでは次のようになる。ヴェネチアに住む商人Aがその商品を船に積んでアレクサンドリアの代理人Bに送る場合、Aはその船の積荷として商品を所有し、BはAの名義においてその積荷を受取る。[4]このとき、ヴェネチアで船の公証人はその積荷・荷受人等を記した書類を作成し、Aに対してその積荷の受取書類を渡し、Aはその書類を別の船便で直接Bに送り、荷を積んだ船がアレクサンドリアに到着した時に、Bはその書類を船長に提示して(真正な受取人として)積荷を受取る。[5]Aが予めアレクサンドリアにおける買主を指定していた場合(この場合、買主に受取書類が送られる)を除き、BはAの販売代理人としてその地でその商品の買主を見つけ、その取引が成立するとその時に商品の所有が移転する。[6]

 Aは、各地の市況情報によって、例えばその商品をコンスタンティノポリスで売る方が有利であると判断する場合、改めてそこに送るようにBに指示する。一方、BがAの購入代理人としてアレクサンドリアで買った商品をコンスタンティノポリスに送って売る場合、Aはその所有する商品を一度も見ることはない。

 このような海上貿易において、対象を占有しない所有の権能を見ることができ、観念的な所有権概念は、このようにして現れている。定住商人による商業活動は、陸上貿易においても同様であるが、システムとして顕著に発達したのは海商法(海事法)においてである。[7]

 従来、所有権法の歴史に関する教科書的な記述は、それを土地の法関係においてとらえ、中世以来の封建関係との葛藤という構図となるが、この「占有する対象を所有する」土地所有における社会関係においては、なぜ所有権が観念化する必要があったのかということがとらえられない。

 従来、中世の商人の法とされるlex mercatoria (law merchant)は、一般私法とは別の独自の法として存在していたとして理解されてきているが[8]、これは、従来の民法学が商業を起源とする法概念の発達を適切にとらえられていないことによる。

 また、海上貿易を中心としていた古代のフェニキアやギリシャの法の解明がいまだ限られているにせよ[9]、実際には、中世に至るまで、法学全体においてその中心は、ギリシャ世界である東ローマ(および滅亡後のその地域)にあった。[10]

 


[1] 参照、川島武宜『所有権法の理論』(岩波書店, 1949)第3章。

[2] この地域の貿易について、Eliyahu Ashtor, Levant Trade in the Middle Age, 1984の研究がある。

[3] 概説として、次を参照。斉藤寛海『中世後期イタリアの商業と都市』(知泉書館, 2002)第2部第1章, 第3章。

[4] 代理人は、その業務を依託した者の代りにその名(権限)において行為する。参照、亀長洋子『中世ジェノヴァ商人の「家」-アルベルゴ・都市・商業活動-』(刀水書房, 2001)213-215頁。そのような業務の実例について、次を参照。斉藤寛海「定着商業における取引手続-中世後期のヴェネツィア商業における-」『イスラム圏における異文化接触のメカニズム-市の比較研究-1』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所, 1988)48-59頁。

[5] 受取書類が荷物とは別送されていた例(14世紀のダティーニ商会)について、次を参照。イリス・オリーゴ(篠田綾子訳)『プラートの商人-中世イタリアの日常生活』(白水社, 1997)170頁。このような書類として知られる古いものは、1390年のものである(ある者の名義で船積された荷物が、船が着くピサにおいてある者に渡され、その荷物がそれを受けた者の代理人に送られることを記す)。Cf. Enrico Bensa, The Early History of Bills of Lading, 1925, p. 8. この書類の歴史的な沿革について、例えば次を参照。Richard Aikens, et.al, Bills of Lading, 2 ed., 2015, 1.1-1.11.

[6] シチリアのパレルモの税関において貨物の所有者を登録し、公開していたことについて、1350年前後のジョヴァンニ・ボッカッチョ『デカメロン』第8日第10話を参照。その貨物を担保に借金するときに、税関書類において所有者を貸主に書換えていた(倉庫の鍵は借主がもっていたので、これは抵当関係に当たる)。

[7] バビロニアのハムラビ法典やインドのマヌの法典において、海法規定が存在する。紀元前4世紀頃のロードス島の海法として知られるものは、その後ローマ法に入り、ローマ法の商業規定の多くは海法に関係していたとされる。参照、田中誠二『海商法詳論・増補版』(勁草書房, 1979)6-7頁。ロードス海法について、Walter Ashburner, ed., The Rhodian Sea-Law, 1909を参照。 中世の最も有名な海法であったコンソラート・デル・マーレ(13世紀頃)について、樋貝詮三『海の慣習法』(良書普及会, 1943)を参照。

[8] これに対する疑問として、例えば次を参照。Emily Kadens, “The Medieval Law Merchant: The Tyranny of a Construct,” Journal of Legal Analysis, (June 26, 2015). 1473年のイギリスのStar ChamberのChancellorによって論じられていたように、law merchantは自然法である (p. 4)。

[9] 近年の成果として次を参照。Edward E. Cohen, Ancient Athenian Maritime Courts, 1973; C. M. Reed, Maritime Traders in the Ancient Greek World, 2003.

[10] ローマ時代の前半にアテネとアレクサンドリアが学問の中心であった時代の後は、法学の中心は(フェニキア以来の)ベイルートにあり(5世紀初までに、その言語はラテン語からギリシャ語に戻る)、6世紀にその地が地震で破壊されるまで続く。Cf. Paul Collinet, Histoire de l’école de droit de Beyrouth, 1925. その後、東ローマ帝国のコンスタンティノポリスが法学の中心となる。ユスティニアヌス帝の時代の法学校はこれらの2校であり、ユスティニアヌス法典の編纂はこれらの法学教授による(Digestを公布した533年のConstitutio Tanta)。この功績により、ベイルートはBerytus Nutrix Legum(ベイルート、法の養育者)と称されている(533年のConstitutio Omnem)。
 東ローマ法(ビザンティン法)の概観について、栗生武夫『ビザンチン期に於ける親族法の発達』(弘文堂, 1928)第2章、船田享二『近代訴権理論形成の史的研究』(刀江書院、1930年)126-127頁を参照。なお、不動産物権法について、シリア法はローマ法に優っていたとされる(栗生29頁)。

 

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