第三者委員会の役割と機能
第三者委員会とは何か――その概要と役割 (第4回)
日比谷パーク法律事務所代表
弁護士 久保利 英 明
Ⅲ 報告書開示のあり方
1. 報告書の著作権
次に報告書開示のあり方を考えてみたいと思います。まず、報告書の著作権は誰にあるのかという議論があります。会社から依頼をされて作っているものではありますが、下請ではありませんから少なくとも法人著作ではないでしょう。明確にお答えするのは難しいですが、起案権が第三者委員会にあるということから、著作権は第三者委員会にあると考えることもできるのではないか。あるいは、単独ではなくても、会社との共有であるという考え方もあり得ると思います。
2. 開示する権限と責任
次に開示する権限と責任は誰にあるでしょうか。もし会社にあるとすれば、報告書の内容が気に食わないから開示しないということができてしまいます。第三者委員会として、それを許してよいでしょうか。これらは、最初に申し上げた、まさに民事上の契約によります。第三者委員会を立ち上げるときに、会社とどのような内容の契約を結ぶかにかかっているわけです。
なお、先ほどのガイドライン解説書の末尾に、「調査並びに再発防止策検討の委託に関する覚書(案)」というものを付けています。あくまでも1つの案ですが、できるだけ第三者委員会の独立性を高めるような覚書を結ぶことにより、報告書の著作権の帰属や開示する権限といった問題も円滑に合意できるようになればという趣旨の下で作っています。たとえば、こういった覚書や協定書の内容に、会社に報告書を開示する義務があることや、開示方法、開示する期間などを盛り込んでおくのも1つの方法です。
3. 報告書開示後の第三者委員会と会社の関係
報告書を開示した後の第三者委員会と会社との関係も重要です。と申しますのは、第三者委員会の独立性というのは、調査をして報告書を出せばお仕舞いでよいのでしょうか。極端な例を挙げれば、責任の所在をうやむやにした報告書を書いた後で、第三者委員会の委員長が「あなたの会社のことを思って随分優しく書いたでしょう。以後、私をこの会社の顧問弁護士にしなさい」と会社に言い寄るとすればひどい話です。基本的に、第三者委員会に関与した以上、事後的にもその会社とは関与しないというのがモラルだと私は思っています。そのくらいの意識がないと厳しい、正しい報告書は書けません。そして、そのような報告書が必ず会社を救います。但し、第三者委員会の提言した再発防止策の進捗状況や効果についてモニタリングすることは許されるし、望ましいことと考えています。
報告書は書く側・書かれる側双方にとっての真剣勝負です。この後でも述べますが、真剣に書いたものだけがマーケットで評価されます。日本の証券市場は、それぐらい成熟していると私は信じています。その意味で、独立性は開示後も保たなければならないというのが私の持論です。顧問に就任したり、コンサルになったりすることはとんでもないことだと思っています。
Ⅳ 評価される報告書と評価されない報告書
1. 評価される報告書
(1) マーケットが評価する報告書
最後は「評価される報告書と評価されない報告書の違い」についてです。先ほどから申し上げておりますように、評価される報告書とはマーケットが評価する報告書です。実際、良い報告書が公表された後にはその企業の株価が下げ止まり、回復します。これは明快にわかります。もし皆さんがどの報告書が良いかを判断される際は、報告書の内容とそれが出たタイミング、その後の会社の株価を照らし合わせていただくとよいかと思います。
私と國廣さんとでゼンショーの第三者委員会を受けたとき、メディアからゼンショーは現代の「蟹工船」とまで言われていました。実際に我々も報告書で、48時間帰宅できずに働き続けるなんていうのはひどいなど、相当厳しい内容を盛り込みました。しかし、ゼンショーはその内容をきちんと受け止め、第三者委員会のあるべき姿をわかった上で報告書を公表されました。そうすると、報告書が出るまで下がり続けていた株価が一挙に回復しました。1200円から800円まで落ちていたのですが、あっという間に1200円台に回復し、今はさらに上がっています(1900円)。大変厳しいことを書かれても、断固として、この提言を全部やっていこうとする決意を見せる会社は、回復の見込みがあるのではないかと投資家から判断されたわけです。
逆に、非常に優しい、たった十数ページの報告書を受け取ったある外食産業があります。ゼンショーとともにブラック企業として有名になった企業ですが、そこは報告書が公表された後も株価の下落が続き、業績が本当に低迷してしまいました。虎の子である別の事業部門も売却せざるを得ない状況まで追い詰められました。もちろん、すべての低迷が第三者委員会報告書の影響によるものではありませんが、あのとき厳しい報告書が出て、それを全部やりますと言えば、今のような状況にはならなかったと私は思っています。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の覚悟です。
(2) 公共財として価値のある報告書、公的機関が依拠する報告書
公共財として社会が参考にする内容の報告書、これも評価される報告書だと思います。たとえば、業界の基準書として読まれるもの。食品に関するセキュリティはどうあるべきかに関して、アクリフーズの報告書は業界のスタンダードになりました。食べるものを安全に作って、それを売るために何が必要なのか、そのためのコンプライアンスはどうあるべきかについて、冷凍食品業者だけにとどまらず、食品業界の多くの会社の担当者がこの報告書を回し読みし、研修会を開いたと聞きます。
あるいは、取引所や行政庁が、事案の真相はこれであろうと認め、これに依拠してさまざまな対応を進められるなと思ってくれる報告書も評価される報告書だと思います。たとえば、行政庁が業務改善命令を出すというときに、出される会社側が第三者委員会報告書に書かれていることをきちんと説明し、実行する旨を伝えたところ、行政庁側が改善報告書としても十分この内容が機能し得るねと認識してくれるならば、社会からも評価されるはずです。そうではなくて、行政庁が、この報告書は不十分だ、自分たちが最初から調べ直そうと思うようなものはダメです。実際にも、行政庁からそういった指摘を受けて、第三者委員会が詰めの甘さを認めて再対応しますと言ったところ、行政庁からもうやらなくてよい、我々がやると一喝された第三者委員会もあったと聞いています。
2. 評価されない報告書
逆に評価されない報告書とはどのようなものでしょうか。典型例は東芝の報告書です。別に東芝さんの悪口を言いたいわけではありませんし、東芝以外にも評価されない報告書はいくつもあります。たとえば、我々の格付け委員会の評価で圧倒的にFをとったのは朝日新聞社の報告書です。では、評価されない理由はどういった点にあるかをご説明していきましょう。
(1) 会社や経営陣からの独立性に欠ける報告書
最も典型的であるのは、独立性に欠ける報告書です。たとえば、委員の任命直前まで子会社の顧問をしていた弁護士が親会社の第三者委員会の委員に入っている場合です。
それから、顧問弁護士の方が第三者委員会の委員の選任を仕切っていた場合。たとえ選ばれた委員がきちんとした方であったとしても、顧問は、その会社にとって民事代理人であったり、刑事弁護人であったりするわけですから、その会社を守るために一生懸命やっておられる。しかし、日ごろ、一生懸命に現状の会社、さらに言えば現経営陣を守ろうとする人が行った人選に対して、世間が独立性や中立性を感じるでしょうか。顧問弁護士ご自身が委員にならなかったとしても、その方が差配して人選をした委員会の独立性には疑問符がつくだろうと思います。以上のような委員会による報告書は評価されません。
(2) 調査範囲が会社によって決められている報告書
次に、どの範囲で調査するかを会社側が決めている報告書です。この範囲で調査してください、ほかのはやらないで結構ですと言われてしまうと、第三者委員会は何もできません。不祥事が起きた場合、会社全体のどこかに問題が潜んでいるからです。
最も典型的な例を申しますと、取締役、社長の選任方法、あるいは監査委員会の活動そのものに明らかに問題があるのに、ある特定の業務部門だけを名指しで調査してくれと言われるケース。会計監査については触れないでほしいとか、巨額のM&A投資の現状は対象にしないなど会社がスコープを決めるのもダメです。これらの場合、真因に迫ることができません。そして、そのような報告書は評価されません。
(3) 第三者委員会が設定した調査範囲が狭く、深度が浅く、真因に迫っていない報告書
(2) とは異なって第三者委員会が自ら調査範囲を決めたが、範囲が狭く、調査の深度が浅くて真因に迫っていない報告書も評価されません。たとえば創業者である会長さんがいて、この人が利益至上主義を人事政策の中に持ち込んだ、そして、内部統制制度も構築されなかった。それにもかかわらず、この会長さんには責任がないとした報告書がありました。これはリソー教育という会社です。報告書がこの統制環境を損なっている状態に言及しない以上、我々の格付け委員会でもF(不合格)とする評価が多かったケースです。
(4) 再発防止策が抽象的
そして、再発防止策が抽象的かつ一般的で、当該会社の個別的な対策として有効と言えないものを羅列するだけの報告書。これも評価されません。繰り返しになりますが、トップの資質が問題だ、企業風土に問題があったなどというのは、誰でも書けるわけです。真の問題は、どうしてそのような人がトップになれて、なぜこれまで解任されなかったのかということです。これはあるメーカーの会長さんのご発言ですが、東芝のような会社が信じられない、なぜこのような性質の人たちが3代も続いて社長になったのか、しかも、誰も解任されずにやり続けられたのか、あり得ないという話をされていました。おそらくこの会長さんの会社では、役員の選任に関するガバナンスがきちんと機能しているのでそう発言されたのでしょう。そして、では、東芝のようなガバナンス不全はいつから生じたのか。土光敏夫さんがいたころからではないだろうと誰しもが思うわけです。第三者委員会としては、そこまで追及しない限り真因を明らかにしたと言えません。
Ⅴ おわりに
以上のように、少なくとも独立性が確立していて、調査の範囲や深度は第三者委員会が自らきちんと判断して、徹底して事実、真因を探究して、最終的にその会社に即した再発防止策の提言を行う報告書が、誰からも評価されるものであろうと思います。そして、そのような報告書を作らせた会社の経営陣というのも、度量のある立派な人であって、仮にその報告書によってトップの座を退くにしても潔いではないか、立派だという評価にいずれなります。
逆に、曖昧模糊とした、なれ合いのような第三者委員会をお作りになるのは会社も経営陣も最終的に損をしますから、おやめになったほうがよい。会社としては、やる以上は厳しい報告書を作る人物を選んで、会社を立て直そうとするべきです。第三者委員会はオールステークホルダーのためにのみ行動すべきです。
そして、会社からのこの要請に応え、自らもそのように行動できる第三者委員会が必要だと考えております。
私の講演はこのあたりで終えたいと思います。ご清聴ありがとうございました。