◇SH0991◇『民法の内と外』(1b) 契約・債権・債務の売却ないし譲渡(下) 椿 寿夫(2017/02/01)

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連続法学エッセー
『民法の内と外』(1b)

京都大学法学博士・民法学者

椿   寿 夫

契約・債権・債務の売却ないし譲渡(下)

〔Ⅳ〕 フランス新法における若干の用語をめぐって

 (ア) 「債権債務の取引」はles opérations sur obligations の訳。わが民法の旧第3編第1章第3節の表題が「多数当事者ノ債権」であるのに中身は債務者複数が主であったのとは逆に、ここで「債務の……」とやれば≪①債権譲渡≫や≪③a債権者の交替による更改≫はどうなるかと言われて具合が良くない。以後、obligationは“債権債務”と訳す。opérationは母国でも曖昧だという指摘もあるらしいが、とりあえずは上記の言葉を選ぶ。

 (イ) 独・日では≪債務引受≫と言うが、仏新法は改正前の解釈にならってla cession de dette(債務譲渡)の名前で規定した。借金を売るなぞは言葉としてありえないという日常慣用から卒業できれば、債務の肩代わりも主体の移転・変更にほかならず、譲渡までは残る一跳びではなかろうか。

 (ウ) フ民第3編の内部は名称も組み立ても著しく変えられて、第3部「債権債務の発生原因」冒頭の第1下部(sous-titre)「契約」中に「契約の効果」の一つとして≪④契約譲渡≫が位置する。

 (エ) 「債権債務の取引」が含まれる「債権債務総則」(régime général des obligations)は、そのほかに態様・消滅・回復なども規定しており、わが債権総則と内包が近い。債権総則については、例えば債権総則規定の利用範囲が実用法理としても有益かつ必要な論点であり、“契約”と“債権”の相互関係とか、ある事項を両者のどちらに割り振るかも問題となる。④の立ち位置もそれで決まるわけだが、本稿ではまだ採り上げない。

 

〔Ⅴ〕 並列による関連性の認知

 (ア) フ民の改正にあたり、前記≪①債権譲渡≫・≪②債務引受≫・≪④契約譲渡≫は、譲渡人から譲受人への“移転”が行われ、債権または債務の同一性・連続性ありとされるから、オペラシオンという表現が多少の問題を持っていても、それらを一括りできる。しかし、≪③更改≫(お断りしたように<指図>は省略)は消滅原因とされていて移転ではない、との意見もあった。けれども、オペラシオンは移転そのものにはっきり限定されるべき表現ではないし、≪①債権譲渡≫と≪②債務引受≫のみならず≪③更改≫および<指図>をも“消滅”グループから外して“移転”視点に立つ一つの共通観念の下にまとめる立法化も行われた以上、この点はやがて解説に際して途中で少しだけ顔を出すのがせいぜいのところとなるであろう。また、≪④契約譲渡≫について、フ民は契約法へ置く組み立て方を採用した。これによって、≪②債務引受≫(仏法流に言えば<債務譲渡>)と≪④契約譲渡≫が離れた場所に置かれることとなり、そのことにつき新法の解説でもなにがしかの説明が行われている。私にとっては、両者の“繋がり”方に関心があり、当面は“無関係により生じる両者の峻別”が避けられるならば十分である。この点も詳細は後日の拙稿において紹介・検討したい。

 (イ) わが新法案は、債権法の第1章・総則の第4節に従来どおり≪①債権譲渡≫を置き、第5節で≪②債務引受≫を新設しようとするが、≪④契約譲渡≫は、≪契約上の地位の移転≫と題して、債権編第2章・契約の第1節・総則、第2款「契約の効力」に続いて第3款に1か条を置いた。従来の解釈は、おおむね②に付属させてきた。さらに、≪③更改≫は従来の債権総則第5節が②に取られて第6節となった「債権の消滅」の第3款に2か条削除して配置される。

 このように文章化すると読みにくいかと思うが、バラバラに置かれている――そして“繋がり”がただちには気付かれない――素材をピック・アップして並べ、それらの“関連”の有無ないし程度を考えてみようとするのだから、上記数行かの読みにくさは忍耐かつ克服していただかねばなるまい。

 (ウ) 私が、ここでとりあえず問題としておきたい事項の一つは、こうである。すなわち、ある複数の規定や観念がお互いに離れた個所に置かれていると、時が経つにつれ別個・無関係であるという認識が固定観念化しやすい。代物弁済予約が適切な例の一つであって、“債権消滅原因”である(民482)という立場・理由から“担保機能”を肯定しない見解がかつては少なくなかった。さらに遡ると、条文の置かれた場所が区別説の決定的な決め手であった。だが、現在では消滅“制度”も担保“機能”を帯有できることに対する反対は、支持を得られなくなっている。

 ジッドは1870年代の終りに、昔の更改と当時のそれとには差異がありうることを述べていたそうであるが、法律上の制度や概念も時が経過する間に内容そして重要な属性までが“変わり得る”ものであることをやみくもに排除すべきではない。見解の変更がその場限りの思い付きか否かは、制度史や概念史・理論史さらには複数の法制を採り上げる比較などを参考にして考究すれば判断できるのではないか。消滅原因に位置づけられた≪③更改≫は、すでに保有している要件・効果の内包から“巨細ともにつき一歩も動かない”と決め付ける必要はないし、①および②という“対比”観察が可能な観念・制度も現存する。とりわけ、古代生まれの③、近代早期と思われる①に比し、著しく若い②の登場(サレイユの債務譲渡論が1890年にある)は、こういう検討を行おうとする場合にプラスであった。

 (エ) 以上のようにして、更改の必要性が現在では強くないことにつき従来から論じてきた所を論究ジュリで念押しした。私の結論は“更改から譲渡・引受へ”と向かう。ドイツでは、19世紀の終わりに更改制度を採用せず、契約自由にゆだねた。その後、復活説が現われてはいないと思う。わが国では、1942年に川上太郎(国際私法学者)が外国法典双書・仏法において、今日では①と②によって十分目的を達しうるから、③の「効用は昔日の比ではない」と喝破し、私見も何度か③の機能衰退を強調しているが、①・②対③a・③bの意義・要件・効果における差異が関係当事者の利益状況に与える影響、とりわけ立法と解釈で①と③aならびに②と③bの“競合”をどう取り扱うかについては、別に論じる。

 

〔Ⅵ〕 エピローグ

 まだほかにも、≪⑤契約加入≫をどのように位置づけるかなどの問題も残っているが、ある新法解説書で、序説として述べられている言葉をごく簡単に紹介しておく。それによると、ナポレオン法典は“農業社会のための法律”であったが、まずは工業、次第に第3次産業という経済の需要にも対応する長所をこの1804年法は持っていた。しかし、1901年のド民、1930年のスイス債務法など、好評の、より現代的な立法に日が当たってきた、とある。これが本問とどのように繋がるかは、皆さんのほうで考えていただこう。もちろん私もやがて書く。

  (在ドイツ・マンハイム 2016年12月18日稿)
 
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