企業法務への道(19)
―拙稿の背景に触れつつ―
日本毛織株式会社
取締役 丹 羽 繁 夫
《ニッポン放送株式インサイダー取引事件控訴審判決の検討-東京高判平成21・2・3》
世情を大いに賑わせた村上ファンドによるニッポン放送株式インサイダー取引事件について、私は、第一審判決(判例集未登載)の評釈「ニッポン放送株式インサイダー取引事件判決-東京地判平成19・7・19の批判的検討」NBL894号(2008.12.1))及び控訴審判決(判タ1229号99頁)の評釈「ニッポン放送株式インサイダー取引事控訴審判決の批判的検討-東京高判平成21・2・3」NBL913号(2009.9.15))を、それぞれNBL誌に寄稿した。後者は、前述の企業判例研究会の第1回の報告となった。本件事案の詳細については、これらの拙稿に譲るが、控訴審判決(以下、この稿では「本判決」という)の第一審判決との相違は、突き詰めると量刑事情の判断における、被告人の違法性の判断についての本判決独自の推認に求めることができる。
本判決は、「本件は、そのインサイダー取引に係る買付額は巨額であり、被告人はファンド・マネージャーという立場にあったもので、株式取引のいわばプロによる犯罪であって、被告人らの刑事責任は軽視することができない。被告人は、フジテレビに対してTOBを働きかけるなどしながら、その一方で、ライブドアにこれと両立しないニッポン放送株の取得を勧誘し、結果的にはフジテレビのTOBにも応じず、ライブドアに対してその保有するニッポン放送株の約半分のみを売却しつつ、残りの保有株を市場で高値で売り抜けて巨額の利益を上げており、こうした行為は、市場操作的な行為であって、到底証券市場における健全・公正な活動とはいえない」と判断したにもかかわらず、「平成17年1月6日のライブドアとの会議までは、被告人の得ている情報がいわゆるインサイダー情報に該当するとの被告人自身の認識自体もそれほど強いものではなかったものと考えられる[1]。被告人は、決定(ニッポン放送株式に対する株式公開買付を行う、というライブドアの決定:筆者注)の伝達を受けた当初は、株式の5%を超えて取得するとのもっと具体的な決定がなければこれがインサイダー情報に該当しないとの法解釈のもとに行動していたのではないかと思われる。被告人としては、(ライブドアとの2回目の会議となる:筆者注)平成16年11月8日の時点ではライブドアから伝達を受けた『決定』の内容がインサイダー情報に該当するとは明確に意識せずにニッポン放送株の購入を進めたのではないか」と推認し、結論として、「被告人が当初からインサイダー情報を利用して利得を得ようとしたものではなかったこと、当初は、被告人の得ている情報がいわゆるインサイダー情報に該当するとの認識自体も強いものではなかったこと、そこでは、被告人が法に違反しているとの明確な認識の下に行動していたとは思われないこと、そのような認識状況の下に購入したニッポン放送株が起訴にかかる購入株の大きな部分を占めている(この間のニッポン放送株購入数は159万9190株[2])ことは、犯情として十分に考慮すべき」であるとして、原判決の量刑は被告人に対しその懲役刑に執行猶予を付さなかった点において重過ぎるとして、原判決を破棄した。
しかしながら、本判決は、ライブドアのH社長及びM専務が、村上ファンドとの再度の会議(平成16年11月8日に開催)の設定に了承を与えた段階において、同社に対する調査と買収資金の調達に関する一応の目処を踏まえ、同ファンドの協力の下に本件株式の3分の1の獲得を目指す旨を決定したものであり、この段階での決定は、投資者の投資判断に影響を及ぼし得るもので、証券取引法167条2項にいう「決定」に該当する、と判断した。本判決は、被告人がその「決定」の「伝達」を受けたこと、被告人に当該決定の伝達を受けたことについての「故意」があったことも、関係証拠から十分に認定できるとした。即ち、本判決は、「決定」及び「伝達」についての「故意」は認定したものの、犯罪事実そのものについての「故意」の明確な認定を行わないで、専ら量刑の判断事情として、被告人の行為についての違法性の認識の有無を推認しており、平成17年1月6日のライブドアとの3回目の会議までの被告人の行為の違法性を阻却する合理的な事由があるのか否か、また、被告人の罪となるべき行為の範囲についても、明確に認定しなかった。
現在の定まった刑法学説では、「違法性の意識は、行為が法的に禁止されるという認識であるが、それはあらゆる犯罪に共通であるから、違法性の意識こそが故意の本質であるとするなら、構成要件に該当するという認識は独自の意義を失」[3]うので、判例においても、違法性の意識は犯罪の成立要件ではないとする考え方が伝統的に採られてきた[4]。
このような判例・学説の考え方によれば、本件においても、被告人の構成要件に該当する犯罪事実の範囲を、平成17年1月6日の3回目の会議以降の株式取得行為に加えて、本判決がその行為について被告人の違法性を推認しなかった平成16年11月8日の2回目の会議以降の株式取得行為をも含めて構成した上で、後者の株式取得行為についての違法性の意識の存否を、責任要素として、量刑の判断事情の中で考慮すべきではなかったかと考える。
違法性の意識(又はその可能性)の存否は、犯罪の成立要件ではなく、責任阻却事由に該当する可能性があり、「故意は責任構成要件であり、刑訴法335条1項にいう『罪となるべき事実』に属し、検察官が立証責任を負うが、違法性の意識の可能性の不存在は責任阻却事由であって、刑訴法335条2項にいう『犯罪の成立を妨げる理由』にあたり、被告人側が証拠提出の責任を果たしたときのみ、検察官はその不存在を立証すれば足りる」[5]ので、裁判所が、平成16年11月8日の2回目の会議以降の株式取得行為について被告人に違法性の意識が存在しなかったと推認するためには、被告人に、違法性の意識を欠いていたことに相当の理由があったことの挙証を求めた上で行うべきであったと考える。
[1] 本判決は、平成17年1月6日のライブドアとの3回目の会議以降においては、被告人は、ライブドアがニッポン放送株の大量取得に向けて現実に動き出していることを明確に認識したといえるので、その段階で同株を購入することがインサイダー取引に該当すると判断することは十分に期待できた、と判断した。
[2] 村上ファンドは、平成16年11月9日から平成17年2月7日までの間に、本件株式193万3100株を買い付けており、この内、平成16年11月9日からライブドアとの3回目の会議が行われた平成17年1月6日の前までに、159万9190株を買い付けていた。
[3] 山口厚『刑法総論』215頁(有斐閣、初版、2001年9月)。
[4] 「自然犯たると行政犯たるとを問わず犯意の成立に違法の認識を必要としない」(最三小判昭和25年11月28日刑集4巻12号2463頁)。
[5] 西田典之『刑法総論』242頁(弘文堂、第2版、2011年3月)。西田教授は、「構成要件該当事実(あるいは犯罪事実)の認識の有無は、行為者の反規範的人格態度が直接的か間接的かを区別するものとして、責任非難に質的差異をもたらすが、犯罪事実の認識がある以上は、本来違法性を認識すべきものであるから、現実に違法性の意識があったか否かは、責任非難の質的差異をもたらすものではない。したがって、故意があれば、たとえ現実に行為の違法性を認識していなくても故意犯の責任を免れ得ない」、と述べておられる。