日本企業のための国際仲裁対策
森・濱田松本法律事務所
弁護士(日本及びニューヨーク州)
関 戸 麦
第42回 暫定・保全措置その4
5. 裁判所による暫定・保全措置
(1) 仲裁合意との関係
国際仲裁手続と、同じ権利を対象とする裁判所での訴訟手続は基本的に両立せず、仲裁合意がある場合には、後者の訴訟手続は却下されるのが基本である(妨訴抗弁に基づく却下。日本の仲裁法14条1項参照)。しかしながら、暫定・保全措置に関しては、第39回で述べたとおり、裁判所の手続が仲裁合意によって排除されることはない。
この点、日本の仲裁法15条は、「仲裁合意は、その当事者が、当該仲裁合意の対象となる民事上の紛争に関して、仲裁手続の開始前又は進行中に、裁判所に対して保全処分の申立てをすること、及びその申立てを受けた裁判所が保全処分を命ずることを妨げない」と定めている。
また、裁判所に暫定・保全措置を申し立てることは、仲裁合意上の権利を何ら放棄することにはならず、仲裁合意に基づく仲裁廷の権利に何ら影響を及ぼすものではない。すなわち、裁判所による暫定・保全措置は、仲裁合意と完全に両立するものとして位置づけられており、裁判所における訴訟とは全く異なる扱いである。
仲裁機関の規則においても、裁判所による暫定・保全措置と仲裁合意が両立することが確認されている(ICC規則28.2項、SIAC規則30.3項、HKIAC規則23.9項)。
(2) 裁判管轄
仲裁合意によって裁判所による暫定・保全措置が妨げられないからといって、裁判所に常に管轄がある訳ではない。裁判所における管轄の有無は、案件毎に個別に判断されるものであり、何らかの裁判管轄の根拠がなければ、裁判所による暫定・保全措置は認められない。
日本の裁判所の場合、暫定・保全措置である仮処分命令又は仮差押命令を発令するための裁判管轄は、「日本の裁判所に本案の訴えを提起することができるとき」又は「仮に差し押さえるべき物若しくは係争物が日本国内にあるとき」に限り認められる(民事保全法11条)。このうち前者については、仲裁合意がある場合、日本の裁判所に「本案の訴え」すなわち通常訴訟を提起することはできないため、満たす余地がないようにも思われる。しかしながら、東京地決平成19年8月28日(判例時報1991号89頁)は、ここでいう「本案の訴え」には仲裁手続も含まれ、仲裁地が日本国内である場合には前者の要件を満たすとの考えをとっている。
また、同判決は、上記の要件をいずれも満たさない場合であっても、「我が国で裁判を行うことが当事者間の公平、裁判の適正・迅速を期するという理念に沿う特段の事情」がある場合には、日本の裁判所の裁判管轄が認められるとの考えをとっている。
同判決の考えによれば、日本の裁判所に暫定・保全措置を申し立てるための裁判管轄が認められるのは、次の4つの場合である。
- ① 仲裁地が日本国内である場合
- ② 仮差押命令の対象となる財産が、日本国内にある場合
- ③ 仮処分命令の対象が、日本国内にある場合
- ④ 我が国で裁判を行うことが当事者間の公平、裁判の適正・迅速を期するという理念に沿う特段の事情がある場合
(3) 仲裁規則による制約
裁判所による暫定・保全措置について、ICC及びSIACの仲裁規則が一定の制限を課している。仲裁廷による暫定・保全措置との役割分担を意識してのものと思われる。
すなわち、仲裁廷が構成される前の時期においては、仲裁廷による暫定・保全措置が行えないため、当事者が裁判所に暫定・保全措置の申し立てをすることは何ら妨げられないものの、仲裁廷が構成された後は、一定の要件を満たさなければ、かかる申し立てをすることができない。仲裁廷による暫定・保全措置を求めることが、基本と考えられているためである。裁判所に暫定・保全措置を申し立てるための要件は、ICC規則では「適切な場合(in appropriate circumstances)」(28.2項)、SIAC規則では、「例外的な場合(in exceptional circumstances)」(30.3項)と定められている。
また、ICCの規則では、裁判所に暫定・保全措置を申し立てた当事者は、ICCの事務局(Secretariat)に速やかにそのことを報告する必要があり、その後、ICCの事務局から仲裁廷にそのことが報告される(28.2項)。
なお、HKIAC及びJCAAの規則には、上記のような、裁判所に対する申立を制限する規定はみられない。
裁判所による暫定・保全措置の内容、判断基準、手続等は、各国の法令によるものであり、本項では詳細には立ち入らない。但し、少なくとも日本裁判所における民事保全等と比較すると、第39回の2項(1)と、第40回の3項(2)で述べたとおり、内容、判断基準は、仲裁廷による保全措置と大きくは異ならず、また、手続が迅速に進められることも共通である。
もっとも、違いとして、次の3点を指揮することができる。
第1に、裁判所による暫定・保全措置には、上訴がある。日本の民事保全については、保全異議、保全抗告、許可抗告といった上訴がある。これに対し、仲裁廷による暫定・保全措置に上訴はない。
第2に、裁判所による暫定・保全措置は、裁判所が所在する国内において、執行することが可能である。仲裁廷による暫定・保全措置は、第40回の3(4)で述べたとおり、執行力が認められない可能性があるため、執行力の面では裁判所による暫定・保全措置の方が優れていると言いうる。
第3に、裁判所による暫定・保全措置は、相手方当事者に知られずに、いわば秘密裏に発令を受ける余地がある。これは、当該裁判所の所在地の法令によるものの、少なくとも日本では、民事保全命令(仮差押命令又は仮処分命令)を相手方当事者に知られずに得る余地がある。これに対し、仲裁廷による暫定・保全措置は、第40回の3項(3)で述べたとおり、基本的に、相手方当事者に反論の機会を与える必要があり、「ex parte」(一方当事者のみ)という手続で秘密裏に進めることはできない。
6. 3つの暫定・保全措置の使い分け
第39回以降述べてきたとおり、国際仲裁手続による紛争解決を前提とした暫定・保全措置には、①仲裁廷によるもの、②緊急仲裁人によるもの、③裁判所によるものの、3通りがある。この使い分けであるが、基本的には、仲裁手続の枠組みの中にある①と②によることが多いと思われる。すなわち、仲裁廷が構成された後は、①仲裁廷による暫定・保全措置を求め、仲裁廷が構成される前は、②緊急仲裁人による暫定・保全措置を求めることが多いと思われる。その理由としては、仲裁機関の下で仲裁手続が進行することを考えると、それとは別に裁判所での手続を進めることは迂遠であり、負担が増加すると考えられることがある。また、当事者が仲裁合意を締結したということは、紛争解決方法として、裁判所での手続よりも、仲裁手続が望ましいと判断したと考えられ、この考えを前提とすると、暫定・保全措置の場面においても、仲裁手続の枠組みの中にあるものを選択することが多くなると思われる。
但し、次のような場合には、③裁判所による暫定・保全措置を選択することになると考えられる。
第1に、前回(第41回)において述べたとおり、ICC及びHKIACにおいては、緊急仲裁人の制度が導入された時期(ICCは2012年1月1日、HKIACは2013年11月1日)より前に仲裁合意が締結された場合には、原則として、緊急仲裁人による暫定・保全措置を求めることができない。これを求めることができなければ、仲裁廷が構成される前は、裁判所による暫定・保全措置を求めるよりほかない。
第2に、暫定・保全措置に執行力を持たせることに、重要な意味がある場合がある。例えば、信用力に問題がある相手方に対して金銭債権を請求しており、その回収のために相手方の資産を差押えることが必要になる場合には、裁判所の暫定・保全措置として相手方の資産に対する仮差押を行い、当該資産の散逸を確実に防ぐことが考えられる。仲裁廷又は緊急仲裁人による暫定・保全措置の場合には、裁判所による執行が認められない限り、相手方が暫定・保全措置に違反して資産を譲渡等してしまう可能性を排除することができない。そうすると、仲裁手続で請求が認められたとしても、強制執行での満足が得られない可能性がある。これに対し、裁判所による暫定・保全措置の場合には、その執行として不動産登記への記載、第三債務者への通知等を行うことによって、対象資産が散逸する可能性を排除することができ、強制執行による回収を確実なものとすることができる。
第3に、相手方が資産の隠匿等に及ぶおそれがあるため、相手方に知られることなく暫定・保全措置を得る必要がある場合が考えられる。仲裁廷又は緊急仲裁人による暫定・保全措置は、第40回の3項(3)及び第41回の4項(4)で述べたとおり、基本的に、相手方当事者に反論の機会を与える必要があるが、裁判所による暫定・保全措置は、前記5(4)のとおり、相手方当事者に知られることなく得る余地がある。この点を理由に、裁判所による暫定・保全措置を選択することが考えられる。
以 上