実学・企業法務(第83回)
第2章 仕事の仕組みと法律業務
同志社大学法学部
企業法務教育スーパーバイザー
齋 藤 憲 道
企業法務の形成とその背景
3)法務と知財の重要性が増大した背景
③ コンプライアンス活動の浸透
日本では、特に1990年代のバブル経済崩壊以降、社会が著しく変化した。経済変動及び価値観の変化に伴って多くの法律が制定・改正され、自由・公正・透明の理念を基調とする新しい社会秩序が醸成されて、法令違反を許さない風潮が強まった。それまで黙認・看過されてきた慣習の弊害も、厳しく指摘されるようになる。
企業の法令違反や事故等の不祥事が発覚した場合は、事実関係を調査・分析して原因を究明し、応急措置を講じたうえで恒久措置を検討し、併せて関係者の社内処分を行うことが求められる。再発防止を目的とする社内教育においては、法令遵守(狭義のコンプライアンス)を企業の最低限の義務と位置づけ、社会の要請に応える企業倫理(広義のコンプライアンス)を実践することを求めるようになった。
企業内のこのような取組みを社会に説明するように求められることが多くなり、特に不祥事に対応する際は、全ての経営判断について法的分析の裏付けが欠かせなくなった。
公益通報者保護法の制定(2004年)と独占禁止法の改正(2005年の課徴金減免制度導入)は、企業におけるガバナンスとコンプライアンスのあり方に大きな影響を与えた。両法は、企業内部に隠蔽されて外部に露見しない不祥事情報を、内部者が社外に流出(内部告発)させるように促すものであり、個々の企業内の自浄作用の強化、及び、社会全体として不正の排除を推進する強力な機能を有している。
多くの企業が、常設の法務部門や適宜設置の第三者委員会等を整備して、コンプライアンスの定着・説明責任の実践・内部通報制度対応等のリスク・マネジメントの役割を与えた。
上場企業のコンプライアンス確保の状況は、事業年度ごとに内閣総理大臣に提出する「内部統制報告書(金融商品取引法24条の4)」及び、証券取引所が開示を求める「コーポレート・ガバナンスに関する報告書」に記載される。
④ 知財立国に向けた動き
2002年2月に首相が施政方針演説[1]で「我が国は、既に、特許権など世界有数の知的財産を有しています。研究活動や創造活動の成果を、知的財産として、戦略的に保護・活用し、我が国産業の国際競争力を強化することを国家の目標とします」と述べてプロパテント政策の実行を宣言した。その中で、イノベーション、コンテンツ、ブランドを経済成長の原動力として魅力・活力がある日本を実現するためには、(1)知的創造活動を刺激し、(2)活性化するとともに、(3)その成果を知的財産として適切に保護し、(4)有効に活用することが必要である、という日本の知的財産戦略の基本が示された。
この方針に基づいて同年の3月に知的財産戦略会議が発足し、7月に知的財産戦略大綱が定められ、11月に知的財産基本法が成立して、知的財産立国の枠組みが作られた[2]。
日本の知財戦略の具体的な内容は毎年更新される知的財産推進計画に記され、知的財産の創造・保護・活用、コンテンツの振興、人材育成等、多岐にわたる施策が実行されている[3]。
どの企業にとっても、ブランド・イメージの中心を占める商標や会社名の確立・維持は経営の重要テーマである。メーカーでは、自社の市場競争力を確保し、出荷・通関の差止並びに損害賠償のリスクを回避するために、他社の特許権・実用新案権・意匠権を調査して侵害を避け、必要な権利を自ら取得して権利行使(又は防御)する。
1998年に米国でビジネス・モデル特許が認められる[4]と、それまで特許に関心が薄かった金融機関等の間でも、特許が大きな関心事になった。
また、著作権を取り扱うビジネスでは、権利処理が日常業務として行われているが、ICTの浸透に伴ってその処理量が増大し、同時に、経営上の重要性も増している。
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(注) 権利処理
権利関係(権利者、保護国、存続期限、用途、補償金等)の調査、著作権者の許諾の必要性の判断、契約締結(利用、譲渡等)等の一連の作業。
今日の企業の経営では、自社が有する知的財産権の行使、事業再編や業務提携で行われる知財交渉、知的財産の価値評価、職務発明制度の整備、模倣品海賊版対策等、経営において知財部門が果たす役割は大きい。
[1] この方針では、日本を取り巻く環境変化について、a.世界経済の成長において技術革新・イノベーションが果たす役割の重要性が増している、b.科学技術・コンテンツ・ブランド等の広い意味での知的財産が国家の魅力を高めている、と認識している。
[2] 例えば、2011年に東京で署名された「偽造品の取引の防止に関する協定」(Anti Counterfeiting Trade Agreement〔略称ACTA〕)は、2005年に英国グレン・イーグルズで開催されたG8サミットで日本が発案した条約である。2011年10月1日に外務省飯倉公館で11の国・地域が参加し、国内手続きを終えた8カ国(豪州、カナダ、日本、韓国、モロッコ、ニュージーランド、シンガポール、米国)が署名した。2016年12月現在の批准国は日本だけである。
[4] 1998年7月米国連邦控訴裁判所(連邦巡回区)ステート・ストリート事件判決。2000年6月に日米欧三極特許庁会合で厳格な審査基準に基づくビジネス・モデル特許を認めることが確認された。