◇SH1417◇『民法の内と外』(4c) 複数者が主体となる債権・債務の諸形態(下) 椿 寿夫(2017/10/02)

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連続法学エッセー『民法の内と外』(4c)

複数者が主体となる債権・債務の諸形態(下)

京都大学法学博士・民法学者

椿   寿 夫

 

〔Ⅴ〕 不可分債権・不可分債務

 (ア) 新428 条では、債権の目的が「その性質上不可分である場合」に連帯債権の規定を準用し、新430 条でも、同じく「性質上不可分である場合」に連帯債務の規定を準用する。旧規定には連帯債権がなかったから、具体的に当事者間の関係を記述していたが、ここでは、債権者複数の場合については、“特約(意思表示)による不可分”が法文から消えて、“性質上不可分”だけが残ったことと、債務者複数の場合については、単に「数人の債務者があるとき」と条文上なっていたのが“性質上不可分”と明示されたこととに注目したい。

 旧規定における不可分の債権・債務に関しては、1965年の時点でその全体像を概観したが(椿・旧注民〔11〕33頁以下参照)、“特約不可分”は裁判例でも稀有だったように見え、旧430条の不可分債務につき、共同賃借人の賃料債務は反対の事情が認められない限り“性質上の不可分債務”と認めた大審院の公式先例もあれば、目的物の返還義務不履行による損害賠償は分割負担を命ずべき特殊事情がない限り各自が全部につき支払い責任を負う(当時の判例用語では学説のいわゆる不真正連帯債務に該当するか?)と説示する非公式先例もあった。

 (イ) 今回の改正作業に関与した人たちは、不可分債権も不可分債務もひっくるめて“割るに割れない”場合に不可分を限定する心算ではないだろうか。私見は、鎌田委員会報告の傍聴感想記において「不可分債務から連帯債務への流し込み」という表現をしただけでなく、「もっと突っ込んで言えば、連帯債務自体を相対効事由の原則化により不可分債務へ近づけ、後者との差異がほとんどない不真正連帯債務を消去する方向さえ窺い得る」ことも述べた(椿・NBL907号36頁)。

 私事にわたるが、民法研究の財産法側面は、連帯債務から入り、私法学会のデビュー報告も不真正連帯債務について行った。私見は、1957年に書いた最初の論考時より「不真正連帯の概念は、明文がないために賠償負担の関係で不公平を生ずる全額単独責任の競合が発生するのを防止する、より積極的な、しかも過渡期的な理論である、と見ることはできないものであろうか」と問うている(椿・民商34卷3号→椿寿夫著作集Ⅰ 63頁ほか)。われわれ世代の代表的民法学者・星野英一の言であったと記憶するが、上記NBL誌で簡単に紹介したように、不真正連帯債務を連帯債務の対極に置くという色付けが定着した観念はフランス法の全部義務に置き換えようとの提案は、少々仏法への入れ込みが強過ぎではないか。不真正連帯債務も全部義務も共に存続させるか否かという形で対処するべきであろう。

 (ウ) 今回の改正により、私見のように“解釈連帯”という観念を媒介させるかどうかはともかくとして、多数当事者の債権関係を“単純化する方向”自体は、注目に値する動きと評価できよう。その皮切りを行った立法委員会のキャップ鎌田は、“一層の発展を”と最近の雑誌で希望していた。その作業に際しては、本稿で採り上げた連帯債権規定の必要性と並んで不可分債権の未来図も詳しく示されるのを待望する。長い間フランス民法から全くと言ってよいほど離れていて、同国の新法を辞書片手に恐る恐る眺めたに過ぎないが、ある条文を読んでいて現在およびそれ以後もはたして有用ないし必要か、不遜にも疑念の生まれた規定ないし制度が幾つかある。新法下のフ民体系書にも obligation in solidum の観念を説明するものがあり、ぼつぼつ検討してみたい。

 

 

 〔余滴〕 最初に自己紹介をNBL誌掲載の拙稿から転記してもらったが、どこかの個所を「ん?」と感じた向きもあるらしく、若干補足させていただく。中身はご存じの方も多いであろうし、大した事項でもないが、悪しからず乞うご一読。

 (ア) 筆者は、学制が変わるすぐ前の昭和20年、全国に散在した高等学校(秦『旧制高校物語』文春新書)の地名スクールの一つに中学校4年卒業(4卒)というたぶんその年度限りの変則形態(伝統は5年かけて卒業)で入学し、昭和23年に大学へ進学した。これが旧制大学であり、研究者として得る学位は、われわれ法律系統の者ならば何も付かない「法学博士」が与えられた。現在は「博士(法学)」となっているが、これら二つの中間期に授与大学名を博士の前または後に付ける何年間かがあったらしい。もちろん新制学位であり、長ったらしくても公式にはこのように名乗るようにと学部事務室かどこかで聞いた。

 多少へそ曲がりの私は、端境期の生まれだから旧制出身とわかる単純な博士という学位がなくなったのも不運で仕方がないと思っていたところ、ある大学でたまたま管理職を命ぜられ、研究面での代表者が無学位では変だという陰口が耳に入った。大学ランキングとかいう雑誌でそのころ論文数が全国1位になった年度もあり、数だけは結構あるから悪口なぞ放置しておいてよかったが、そこが若気のいたりで立腹して、母校にさっそく申請し京都大学法学博士号を頂いた。この件はそれで気持も落ち着き、その大学もたしか1年後に転勤退職して終わった。

 (イ) 後日、別の勤務先を定年で退職してからは、どう名乗ればよいかわからず、「元教授」では何か犯罪でもやらかし勤め先を追われた者のように思われたら不愉快だから(以前そのような筋書きのテレヴィ番組を偶然見たことがある)、「民法学者」が専攻もはっきりしていてよろしいとの結論に達して、それを愛用してきた。ただ、親しい星野英一は「勤務年限が短かければ通算という方法もあるはずだから名誉教授をもらいなさい」とアドヴァイスしてくれ、高名の元高級官僚の方からは皆がなるのだから一度申請してみてはとご親切にも勧められたが、勤務先それぞれの事情が違うであろうし、在職中誰もそういう話を私にした記憶もなく、そもそも手続きを知らないからとお返事しておいた。後日談だが「民法学者は職業ではない」と言った役人もいたらしい。目下、名誉教授でない不利益は図書館で借用できる書籍の数が著しく少ないことくらいであり、3,4種類の論考を並行作成している現在、これではかなり不便なので、現役の人に改善方を依頼している。

 ところが、さらに注意を友人の近江幸治からももらった。たまたま彼が私法学会で強行法に関するシンポジュウムを申請した際、その推薦人というふうの役割で、書類に民法学者と書いていたら、近江がそれは“私称”で、学位という公式称号があるではないかと言い、書き直しをさせられたのである。これは一本やられた。本シリーズ冒頭の経歴はこの注意に依拠した次第である。そう言えば、急病入院で一時帰国ができなくなって失礼した2016年の私法学会シンポジュウムでは、雑誌『私法』79号の冒頭表題中に“民法学者”と記載してくれていた。どなたの手によるか知らないが、多謝します。

 (ウ) なぜ転々と勤務先を変えたのかも、酒席などで時折尋ねられるが、事情を説明する機会が出てきそうだから、それはまた別に書こう。 (2017-09-18記)

 

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