◇SH1581◇実学・企業法務(第106回) 齋藤憲道(2018/01/15)

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実学・企業法務(第106回)

第3章 会社全体で一元的に構築する経営管理の仕組み

同志社大学法学部

企業法務教育スーパーバイザー

齋 藤 憲 道

 

(4) バブル経済崩壊期から「日本再興戦略 改訂2014」まで  1990~2014年

 1989年~1990年に行われた日米構造問題協議では、米国側から日本の商法に関して、株主権の強化や株主保護強化のための措置が求められた[1]

 1990年代に入って、高騰した地価や株価[2]等が大幅下落[3]に転じ、土地・株式を担保にしていた銀行の融資に担保不足が発生し、不良債権が増大してバブル経済の崩壊が始まった。銀行自身が多額の不良債権を抱えて経営危機に直面していたことから、メインバンクが融資先企業の経営状況を監視して適切に経営指導する機能を発揮する力は大幅に減少した。

  1. 1991~92年(平成3~4年) 証券取引法等の改正・制定
  2.    1991年に証券会社による損失補填問題等の不祥事が発生したことを受けて、関係法の制定・改正が行われ、①1991年に証券取引法等が改正[4]されて損失補填の禁止が規定され、②1992年の公正確保法(通称)[5]で証券取引等監視委員会(8条委員会[6])が設置されるとともに、証券業協会・証券取引所の機能が強化され、③1992年の制度改革法(通称)[7]で、投資者保護の徹底、及び、銀行等の子会社による証券業業務の参入(競争促進)が定められた。
  3.  (注) 1990~1992年に、証券会社による損失補填問題や飛ばし問題、暴力団との取引、巨額の無担保債務保証、総会屋への利益供与等[8]の企業不祥事が明らかになった。
  4.  
  5. 1993(平成5年) 商法改正、商法特例法改正
  6.    バブル経済の余韻が一部に残る[9]1993年に、商法と商法特例法が改正された。
     商法改正では、監査役の任期が3年(以前は、2年)に伸長[10]されるとともに、株主代表訴訟の提起が容易化(手数料低減[11])された。この後、同訴訟件数が増加する[12]
     商法特例法改正では、「大会社」について、監査役3名以上(うち1名以上は社外監査役)が義務化されるとともに、監査役会制度(個々の監査役の独任制を前提とする)が導入され、会計監査人の選任には監査役会の同意を要し、監査役会が取締役に会計監査人選任決議案の提出を請求できることとされた[13]

〔バブル経済崩壊と資本市場改革〕1990年代後半

 銀行は、返済を見通せない企業への融資を押さえる(貸し渋り)一方で、債権回収(貸し剥がし)に努めたが、融資先の多くが経営危機に陥って返済が困難な状況にあり、1990年代後半には、多数の金融機関が破綻する[14]金融危機が発生した。

 1998~1999年に、政府は、大規模な公的資金を銀行に注入する[15]

 この時期に、連結決算の重視、及び、企業情報の適時・適切な開示が強化された。

 

  1.  (注) 金融システム改革(日本版金融ビッグバン)[16]と証券取引法改正(連結重視と開示強化)
  2.    1996年(平成8年)に内閣が、日本の金融市場を世界の主要な国際金融市場として機能させることを目標に掲げ、“Free,Fair,Global”を理念として、日本版金融システム改革を2001年(平成13年)まで5年間で行う取り組みを開始した。

    (1) 1998年(平成10年) 金融システム改革法[17]制定
    金融システム改革法により、証券取引法・銀行法・保険業法その他の合計24本の改正が一括して行われた。これにより、①資産運用手段の充実、②銀行・証券・保険間の相互参入(子会社方式等)の促進、③私設(電子的)取引システム導入、④連結ベースのディスクロージャー制度の整備、⑤インサイダー取引規制の整備(不正利得没収等)等が進む。

    (2) 1998年(平成10年) 証券取引法改正
    連結情報を主とする開示強化の方針が具体化され、連結重視の開示への移行、発行価額5億円未満の少額募集等に対する開示規制の強化、持株会社解禁・連結重視の開示への移行に対応するインサイダー取引規制強化、等が行われた。

 

  1. 1997(平成9年)独占禁止法改正 純粋持株会社の解禁
     
  2. 1999(平成11年)産業再生法 MBO支援・税優遇措置、金融支援、国有特許の民間移転促進等
     
  3. 1999(平成11年)商法改正 株式交換・移転制度(機動的企業買収、持株会社設立に対応)


[1] 「日米構造問題協議と商法改正<特集>」民商法雑誌(1993)479~598頁

[2] 日経平均株価は、1989年12月29日の38,915円87銭を天井として下降に向かい、1990年10月に一時20,000円を割った。

[3] 1990年初から株式・債権・円が値下りし、「トリプル安」と呼ばれた。ただし、円(対米ドル)は、1990年初145円、4月2日160円、10月24日124円と円高に転じた。

[4] 証券取引法及び外国証券業者に関する法律の一部を改正する法律(平成3年10月)

[5] 証券取引等の公正を確保するための証券取引法等の一部を改正する法律(平成4年5月制定、6月公布、7月施行)

[6] 国家行政組織法8条及び大蔵省設置法7条に基づいて大蔵省に置かれた合議制の機関

[7] 金融制度及び証券取引制度の改革のための関係法律の整備等に関する法律(平成4年6月制定)

[8] 中東正文=松井秀征編著『会社法の選択』(商事法務、2010)443~444頁

[9] 1990年12月26日の日銀総裁の定例記者会見で総裁は「これまでの速すぎたスピードが安定的な巡航速度に移行する過程」だと述べたが、経済成長率(前年度比)は91年度2.2%、92年度1.1%、93年▴1.0%と低下した。

[10] 平成5年改正商法273条1項

[11] 平成5年改正商法267条4項。平成5年当時は一律8,200円、平成15年改正により一律13,000円。

[12] 1996~2015年の間、毎年60~100件の株主代表訴訟が提起されている。(商事法務資料より)

[13] 平成5年改正商法特例法18条1項、18条の2第1項、3条2項、3条3項

[14] 1991年7月に東邦相互銀行が破綻したのに続き、1992~1994年度に2信用金庫、5信用組合が破綻。1995~1999年度の5年間に16銀行(北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行等)、10信用金庫、76信用組合が破綻。2000~2001年度の2年間に2銀行、15信用金庫、53信用組合が破綻。2002年度以降の破綻は2003年度の1銀行のみ。

[15] 金融機能安定化法(金融機能の安定化のための緊急措置に関する法律=旧安定化法と略。平成10年2月18日法律第5号)により1998年3月、1兆8,156億円を大手21行に注入。金融早期健全化法(金融機能の早期健全化のための緊急措置に関する法律。平成10年10月22日法律第143号)により1999年3月、7兆4,592億円を大手15行に注入。

[16] 1980年の米国・金融制度改革及び1986年の英国・証券市場改革(通称、ビッグバン)がモデルになった。

[17] 「金融システム改革のための関係法律の整備等に関する法律」の略称。

 

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