◇SH1745◇インタビュー:法学徒の歩み(3) 伊藤 眞(2018/04/04)

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インタビュー:法学徒の歩み(3)

東京大学名誉教授

伊 藤   眞

西田法律事務所・西田法務研究所代表

弁護士 西 田   章

 

 

 前回(第2回)は、伊藤眞教授から、学部生時代に刑法が苦手だったなどの司法試験の受験体験談から始まり、研究者としての仕事をスタートされた後も、法解釈学の意義への疑問が解消されないままでいたところ、アメリカ留学を契機として、実務に根ざした理論構築を心がけるようになられた経緯などをお伺いしました。今回(第3回)は、アメリカ留学が、その後の伊藤教授の研究活動と教育態度にどのように影響を与えたかについて語っていただきます。

 

(問)
 アメリカ留学では、何を中心に専攻されたのですか。

  1.    1年目のハーバード大学で、まずは「民事訴訟法の講義を聞かなければならない」と考えて受講しました。しかし、民事訴訟法の講義は、管轄から始まります。連邦と州の裁判所の管轄の区別などは、日本法の研究者にとってそれほど有益なものとは感じませんでしたので、早々に受講をやめてしまいました。そして、「証拠法」に切り替えて、受講し、勉強するようになりました。
     

(問)
 アメリカ留学2年目は、何を専攻されたのですか。

  1.    2年目に伺ったミシガン大学には、連邦破産法改正の中心的存在であった、フランク・R・ケネディ教授がいらっしゃったので、ケネディ教授の授業を聞いて、連邦破産法の勉強をしました。
     

(問)
 留学時代の米国法の勉強は研究者として役に立ちましたか。

  1.    はい、研究者としての人生にとって大きな意味があったと思います。というのも、自分の研究活動を振り返ってみると、論文を書いてあたらしい考えを打ち出すことができたのは、「証拠法」と「倒産法」の2つの分野が主だからです。他の分野でも論文を書いてはきましたが、この2つ分野ほどは挑戦的なことは実現できていません。
     

(問)
 アメリカ留学中は、語学の苦労はなかったのですか。

  1.    外国語には今でも苦労しているだけではなく、歳をとってますますマルドメ(まるでドメスティック)化しています。私がよく言い訳にしているのは、「外国語が上手な人はみなさん音楽の才能がある」です。周りの方々を見ても、当てはまります。私が語学を苦手なのは、音楽の才能がないからです。そのために、ピアノの先生に始終、折檻されています(笑)。
     

(問)
 留学2年目に教わったミシガン大学のケネディ教授は、教育者としても優れていた、と書かれていますが(「法科大学院三年間を振り返って」東京大学法科大学院ローレビュー2号(2007年)、伊藤眞『千曲川の岸辺』(有斐閣)25頁)、どのような点で優れていたのでしょうか。

  1.    よくできる学生は、教員が教えなくても、自分で本を読めば理解できます。それに対して、勉強の意欲はあるのに理解できない、平均を超えるレベルに達することができない学生もいます。授業の目的は、そういう学生を引き上げることにあると思います。私自身も、留学前は漫然と授業をしていましたが、ケネディ先生の授業を受けて、そういう配慮が必要なんだ、ということを痛感しました。
     

(問)
 授業の進度は遅くならないですか。

  1.    そうかもしれませんが、授業とは、基本原理、基本概念を正確に理解させて、それを発展させるために応用できる力を身に付けさせてあげれば足ります。あとは、自分で勉強することができるようになるわけですから。
  2.    ですから、平均レベル、または、平均レベルにも辿り着けない学生の理解力を引き上げてあげることが最も大事だと思います。
     

(問)
 ミシガン大学でのケネディ教授の英語の授業でそれを感じることができたのですか。

  1.    私の拙い英語聞き取り能力でも、先生が学生に質問する姿、学生の答えに対する先生の対応を見ていると、ケネディ先生がそれを意識されていることがわかりました。
  2.    アメリカのロースクールの授業でもそれがすべて実現できているわけではありません。「わかる学生だけがわかればいい」という雰囲気の授業もありました(笑)。
     

(問)
 アメリカ留学中は、勉強が大変だったのですか。

  1.    私の場合は、弁護士が留学する場合とは異なり、学位を取る必要はありませんし、米国弁護士資格を取る必要もありませんでした。自分なりには勉強しましたが、自分の研究のためでしたので、ストレスはありませんでした。
     

(問)
 いまは、インターネットも普及して、文献情報を得るためだけに留学する意義は薄れているとも思います。今の若い人が、費用と時間をかけてまで留学する意味はあると思いますか。
 

  1.    研究者について言えば、かつては、「外国法のほうが進んでいる」「進んでいる外国法の議論を日本に持ち帰る」というのが明治以来の伝統でしたが、現在は、必ずしもそうではありません。
  2.    しかし、留学の意義は、外国法を学ぶことだけにあるわけではありません。留学すれば、日本法の内容とか考え方を、少し距離をもって見るような姿勢を育てることができます。日本法の考え方を相対化してみる機会を得るためにも、留学の意義は今でも大きいと思います。
     

(問)
 留学前と留学後では、勉強の仕方や研究姿勢には変化がありましたか。

  1.    年齢的に、30代半ばを過ぎて40歳が近づいてきて、「あと30年間の研究生活の中で何ができるのか」を考えるようになりました。
  2.    「この分野における体系書を10年後に出そう」「この分野の体系書を15年後に出そう」という目標を設定して、「ならば、今、どういう論文を書けばいいか」という問題意識を持って研究をするようになりました。
     

(問)
 体系書を書く、ということを、意識的に目標として設定されたのですね。

  1.    我々の世代の研究者には、体系書を書くことが共通の目標になっていたと思います。先程お話しした石田穰さんの民法総則、物権法、担保物権法(信山社)もそうですし、菅野和夫さんの『労働法』(弘文堂)、江頭憲治郎さんの『株式会社法』(有斐閣)、中山信弘さんの『特許法』(弘文堂)などは、いずれも(年齢に数年の違いはあっても)同世代の研究者の著作です。
     

(問)
 先生方が、法律の体系書を執筆された最後の世代かもしれませんね。

  1.    他の法分野を見れば、私よりも若い世代で、中田裕康さんの『契約法』(有斐閣)、潮見佳男さんの『新債権総論』(信山社)、田中亘さんの『会社法』(東京大学出版社)など、優れた体系書が公刊されていますので、民事手続法でも、次の世代の手による体系書が出てくることを期待しています。
     

(問)
 中長期的に体系書の執筆を見据えながら、日々の研究活動の成果を論文として発表されていたのですね。

  1.    体系書は、故 田宮裕先生(刑事訴訟法・元 立教大学教授)の名言によれば、10割の内容のうち、8割は、通説・判例に即した内容になります。ただ、あとの2割に、自分の考えを書く、それが少数説でも、単独説でも構わないので、それを盛り込まないと、体系書は成り立ちません。
  2.    その2割部分の自説が、どうやって形成されるか。あたらしい説を唐突に体系書に載せるわけにはいきません。まずは、論文を発表して、それに対する批判を浴びる、ときには、積極的な評価を受けられるかもしれない。いずれにせよ、そのようなやりとりを経て、もう一度、「ではどう考えるべきか?」を問い直した上で、体系書の中に取り込むことになります。関連問題に関する論文の発表が先行していなければ、体系書の2割部分を書くことはできません。
     

(問)
 そういえば、先生も、民事執行法だけは体系書を出されていませんね。

  1.    はい、私が民事執行法の体系書を書いていない理由は、まさに今申し上げたことにあります。民事執行法の分野では、論文の名に値するものはせいぜい5,6本しか公表できていません。その程度の数の論文では、体系書を書くことはできないと感じています。
  2.    民事執行法の体系書を出すならば、それは、中野貞一郎先生の『民事執行法』(青林書院)を正面に据えて、たとえ超えることはできなくとも、それに匹敵するだけの本でないと意味がないと思います。中野先生の本に対峙できるだけの民事執行法の体系書を書くことは、私には無理でした。
     

(問)
 伊藤先生は、40歳過ぎ頃から、数ヶ月に一本のペースで論文を公表されていましたが、そういう背景があるのですね。

  1.    それは公刊を引き受けていただいた出版社のご厚意によるものと感謝しています。論文を書く意欲がいくらあっても、それを公にする媒体がなければ、議論を深めることはできません。大学にも紀要がありますが、それでは、読者も限られてしまいます。NBLのように、実務家を含めて広い範囲の読者に目を通していただいて、批判を受けられる媒体は、研究者にとって本当にありがたい存在です。50年の研究生活を振り返ると、法律雑誌の編集者の方々には、外交辞令ではなく、心から感謝しています。
     

(問)
 論文を書くのは楽ではないと思うのですが、自分で自分にノルマを課しているのですか。

  1.    裁判官には手持事件の圧力が、弁護士には依頼者からの圧力があります。研究者には、外部からの圧力がありません。あるのは、「自律」だけです。それがなくなってしまうと、論文を書かなくなってしまいます。

(続く)

 

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