冒頭規定の意義
―典型契約論―
1 冒頭規定の意義―制裁と「合意による変更の可能性」― (3)
みずほ証券 法務部
浅 場 達 也
Ⅲ 冒頭規定と諸法
上において、金銭消費貸借契約と請負契約を例として、「当事者の合意による変更・排除がどの程度可能か」について検討してきた。「ポイント(7) (8) (9)」をやや一般化すれば、次のようにいうことができよう。
ポイント(10) 諸法上の典型契約と合意による変更・排除 「冒頭規定の要件に則った」契約が、制裁を有する民法以外の法律の適用対象とする典型契約に該当することを、当事者の合意により変更・排除することは難しい。 |
この「ポイント(10)」を踏まえると、次のように考えることができよう。
ポイント(11) 「合意による変更・排除の可能性」の意識化 「当事者の合意によりどの程度の変更・排除が可能か」について、契約書作成者は、常に意識する必要がある。特に、民法と他の制裁を有する法律との組み合わせによって生まれる「合意による変更・排除が難しい規律」は、民法の条文解釈から直接的に導かれるわけではないので、契約書作成者が自らの頭の中で常に意識して契約書を作成することが重要である。 |
以下、各典型契約につき、冒頭規定が民法以外の法律にどのように取り込まれているかという観点から、簡単に諸法の概要をみておこう。これらは、あくまで検討の端緒というべきものであり、本格的な検討は、今後の課題である。(なお、印紙税法については、「諸法」に続いて、項を改めまとめて扱う。)
1. 諸法
これまでの検討を踏まえると、契約の成立要件に関する「当事者の合意の内容」と、冒頭規定の要件との関係については、まず次のようにいえよう。
ポイント(12) 当事者の合意と冒頭規定の要件 契約書作成者は、「リスク増大の可能性」を回避する観点から、多くの場合、「冒頭規定の要件に則った」契約書を作成する(「ポイント(3)」)。そして、「冒頭規定の要件に則った」契約書が制裁を有する民法以外の法律の適用対象とする典型契約に該当することを、合意により変更・排除することは難しい(「ポイント(10)」)。この結果、契約の成立要件に関する「当事者の合意」の内容は、多くの場合、「冒頭規定の要件に則った」内容となる[1]。 |
その一方で、例外的ではあるものの、別の方向の働きもある。例えば、贈与と売買を考えてみよう。両者の冒頭規定をみれば、それらの境界は明瞭であるようにみえるが、(下で検討するように、)当事者が売買としていても贈与と扱われることがある。その限りで当事者が選択した形式が強制的に変更・修正されることがある。
ポイント(13) 当事者が選択した形式の否定 「冒頭規定の要件に則った」契約書であっても、別の規律によって、当該典型契約に該当しないとされ、契約の成立に関して当事者が選択した形式が否定されることがある。 |
「ポイント(12)」は、「冒頭規定の要件に則る」方向の働きであり、「ポイント(13)」は、「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向の働きである。いずれも、「当事者の合意に対し、何らかの影響を及ぼす規律」であるが、方向としては、ポイント(12)とポイント(13)は逆を向いているといえよう。以下では、この2つ方向に焦点を当てながら、各典型契約を概観してみよう。
(1) 贈与
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
贈与に関連する法律としては、贈与税を規定する相続税法がある。相続税法中に、「贈与」の定義は見当らず、民法の冒頭規定の定義をそのまま取り込んだものと考えられる。相続税法1条の4は、「贈与により財産を取得した個人」は、贈与税を納める義務があるとしており、これに関する制裁として、同法68条で「偽りその他不正の行為により相続税又は贈与税を免れた者は、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」とする。冒頭規定の要件を変更した場合に、(変更の内容・程度にもよるが、)「偽りその他不正の行為」により贈与税の潜脱を図っていると課税当局にみられる可能性が生じうる。このため、契約書作成者としては、多くの場合(特に変更による利点・メリットが見当らない場合)、「冒頭規定の要件に則った契約書を作成する」という選択を行うだろう。そして、「冒頭規定(民法549条)の要件に則った契約」が相続税法上の「贈与」に該当することを、当事者の合意により変更・排除することは難しい。この結果、冒頭規定の内容を持ち、「贈与」の名を持つ契約書が多く作成されることになる。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が「贈与」としていても、その形式が否定される場合はあるだろうか。現在のところ、当事者が「贈与」としている取引に対して、実体が別の「○○契約」であるとの理由で、「贈与」という形式が否定されることは、あまりみられない。これは、贈与税率が高率であるため、わざわざ他の実体をもつ取引を、「贈与」という形式とするインセンティブがこれまで少なかったことによるものと考えられる。
ただ、今後については、政策的に世代間の財産移転が贈与を通じて推進されていく方向がみられる中で、当事者間では2つの贈与という形の取引(いずれの取引も、「基礎控除」や「特別控除」により[2]、贈与税を低く抑えるような取引が例として考えられよう)が、実体面で例えば「1つの売買」と扱われ、贈与という形式が否定される可能性もありうるだろう。
(2) 売買
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
冒頭規定(555条)の要件に則った契約が、「売買」であることを、当事者の合意により変更・排除することが難しいことがある。例えば、金融商品取引法上の金融商品の「売買」がこれに当たるだろう。また、独占禁止法上の「再販売価格維持」行為において、規制の対象となる取引は「商品」の「売買」(販売)であるとされており[3]、冒頭規定(555条)の要件に則った契約が、この独占禁止法上の「売買」(販売)に該当することを合意で変更・排除することは難しいだろう。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が「売買」としていても、その形式が否定される場合はあるだろうか。相続税法7条は、「著しく低い価額の対価」について、「みなし贈与[4]」とすることを定めている。すなわち、低額譲受による利益は、その対価と財産の「時価」との差額に相当する金額が、贈与によって取得したものとみなされる。ここで「時価」(相続税法22条)とは、「それぞれの財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われた場合に通常成立する価格」である[5]。民法555条は売買を「一方が権利移転を約し、相手方がこれに対し代金を支払う契約」と定めているが、売買の対象に「時価」がある場合、「権利移転に対し、代金を支払う」という取引でも、税法上「売買」に該当しないものがでてくることになる。われわれが売店で新聞を買ったり、スーパーマーケットで調味料を買ったりするとき、あまり「時価」は意識しない。しかし、不動産や有価証券のように、売買の対象に「時価」があるとき、その時価から乖離した「売買」は、その一部が贈与と扱われる可能性が高くなり、そのことを当事者の合意で排除することは困難である。すなわち、「時価」があるものについては、売買に関して、「当事者の合意による変更・排除が難しい規律」が作り出されるといえる[6]。
また、裁判例に眼を転ずると、当事者が「売買」とした取引を、「交換」とした裁判例がある(東京地判平成10・5・13。これに対する控訴審判決として、東京高判平成11・6・21[7])。「合意による変更の可能性」という観点から、1審及び2審判決それぞれが、興味深い内容となっているが、第1審は当事者による「売買」を否定して、「交換」だとした。(但し、私法上「売買」が否定されたのか(或いは税法上「売買」と扱うことだけが否定されたのか)については、明確でない。)この第1審の判決に対しては、「租税は法律にて定めなければならない」とする「租税法律主義」に照らすと、法律上の根拠がないにもかかわらず、当事者の選んだ契約形態を租税当局が組み換える結果をもたらすとの批判がなされている。第2審は、第1審を覆して、「交換」ではなく2つの「売買」であるとした。
覆されたものの、第1審のように、当事者の選択した契約枠組(売買)を否定して、別の契約(交換)とする考え方がありうることは、極めて興味深いことである。当事者による契約形態を尊重することを原則としつつも、それが何らかの法律の「潜脱」に当たる場合には、その契約形態は否定されるとする考え方が背後にあるように思われる[8]。
(3) 交換
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
冒頭規定(586条)の要件に則った内容を持つ契約が、所得税法58条の「交換」であることを、当事者の合意で変更・排除することは難しい。(租税特別措置法36条の5等の「交換」も同様である。)
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
「交換」か「売買」かについては、上述の裁判例(東京地判平成10・5・13及び東京高判平成11・6・21)を参照。
(4) 消費貸借
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
既にみたように、冒頭規定をそのまま取り込んだ出資法、貸金業法、利息制限法が金利規制を行っている。金銭消費貸借契約については、冒頭規定を通じて、これら諸法のリスクが契約書の中に持ち込まれ、結果として「合意による変更・排除が難しい規律」を作り出している(「ポイント(9)」)。またこれらの法は、「元本」「利息」等の概念の内容を固定する働きを持っており、当事者が合意によりこれらの意味内容を変更することは難しい。この結果、これら諸概念の内容も、「合意による変更・排除が難しい規律」となっている(1Ⅰ1. (3)を参照)。(なお、「冒頭規定の要件に則らない合意」がありうることについては、「いわゆる『諾成的消費貸借』」の検討(→1Ⅰ2. )を参照。)
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者による「消費貸借」との主張にもかかわらず、「贈与」とされた裁判例があることに留意が必要だろう。例えば、大阪地判平成15・2・6においては、取引の実体が贈与であり、贈与税を免れる目的で形式的に「借用書」が作成された場合に、金銭消費貸借という形式が否定され、贈与と認定された。
(5) 使用貸借
使用貸借の冒頭規定の要件をそのまま取り込んだ重要な法律は見当らない。我が国の取引社会においても、使用貸借は必ずしも大きな意義を持っていないと思われるので、省略する。
(6) 賃貸借
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
借地については、税法上、さまざまなルールがある。特に上地権と底地権の価値評価をめぐって、恣意的な権利金の設定を防ぐため、さまざまな税法上の規律が存在する。これら税法上の規律は、賃貸借の冒頭規定(601条)の要件を前提として組み立てられており、借地契約につき、同条の要件を安定させる方向に働くといえるだろう[9]。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が「賃貸借」としていても、その形式が否定される場合があるだろうか。賃貸借の形式を使って行われてきた取引として、「ファイナンス・リース」が広く知られている。近時、当事者が賃貸借という形式を選択して契約しても、会計上、賃貸借との扱いが否定されて、売買として扱われる方向となっていることに留意が必要である[10]。
(7) 雇用
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
雇用に関しては、近時「労働契約法」が制定され、「労働契約」の内容規制が行われている。「労働契約」は、「雇用契約」と同一の契約と解すべきとの考え方が有力であり[11]、「労働契約」の内容規制により、雇用の冒頭規定の要件の安定性は、増大すると考えられる。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
「雇用」なのか、それとも「請負」なのかが争われることがある[12]。「雇用」であるためには、「使用者の指揮命令に服すること」が必要とされている。この点については、下の【雇用・請負・委任の区別のメルクマール】で、雇用・請負・委任の3つをまとめて検討する。
(8) 請負
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
請負契約との関連では、取引社会に広く浸透しているという観点から、建設業法が重要である。同法19条は、建設工事の請負契約の内容について定めており、これを基に、建設請負約款が作られている。冒頭規定(632条)の内容を持つ建設に関わる契約が、建設業法上の「請負」であることを、当事者の合意で変更・排除することは、難しいだろう。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が「請負」としていても、その形式が否定されることはあるだろうか。「仕事の完成」が契約の目的となっていない場合、否定されることがあるだろう(下の【雇用・請負・委任の区別のメルクマール】を参照)。
(9) 委任
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
委任に関しては、(あまり一般的な法律ではないが、)「任意後見契約」が重要であろう。任意後見契約の契約文例として、「甲は○○を委任し、乙は受任する」とするものが多い。公正証書の作成・家庭裁判所の関与が予定されており、任意後見に関し、委任の冒頭規定(643条)の内容を持つ契約が、任意後見契約に関する法律2条の「委任」に該当することを、当事者の合意により変更・排除することは難しいと考えられる。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が「委任」としていても、例えば、何らかの「仕事の完成」を目的とする場合、「請負」とされることがある。特に、一定の成果を出すことを含む委任である場合、印紙税法上、「請負」と扱われることは、(課税当局の指摘等を通じて、)少なからずみられることである。
【雇用・請負・委任の区別のメルクマール】
上で検討した「雇用」「請負」「委任」は、「一定の役務の提供」に対し「報酬の支払い」が行われるという共通点を持っており、それらの境界は必ずしも明確でないといえるだろう。これまでの裁判例は、それぞれの契約の要件として、雇用であれば「使用者の指揮命令に服すること」(「労務に従事すること(民法623条)」)、請負であれば「仕事の完成(民法632条)」、委任であれば「自己の裁量による事務(民法656条)の処理」を大筋において要件と考えてきた[13]。その結果、冒頭規定(またはそれに準ずる656条)の文言の一部が強行的な効力を持ち、「当事者の合意による変更・排除が難しい規律」が作り出されてきたといえるだろう。このため、当事者が契約の形式を「雇用」「請負」「委任」とした場合でも、その内容としてそれぞれ「指揮命令に服すること」「仕事の完成」「事務の処理」という内実を伴っていない場合(例えば、「雇用」であれば、「指示に対する諾否の自由があったとき」、「請負」であれば、「仕事の完成を目的としないとき」、「委任」であれば、「事務の処理を目的としないとき」)は、裁判において、それぞれ「雇用」「請負」「委任」という形式が否定されることになるだろう。
(10) 寄託
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
銀行の普通預金は、金銭消費寄託である。預金保険法第2条2項1号において、預金保険の保護対象の1つとして「預金」が挙げられるが、その「預金」とは、「預金契約に基づき預けられた金銭ないし預金払戻請求権をいい、その法的性格は金銭の消費寄託(民法第666条)である[14]」とされている。すなわち、冒頭規定(657条)の要件は、預金保険の保護対象とされるか否かを画する概念であり、多くの場合、「預金」関連の契約書作成者は、寄託の冒頭規定の要件に則るだろう。消費貸借と同様に、(要物性をはずした)諾成的寄託契約も理論的にはありうるが、そのようにしてまで、預金保険の保護対象となるメリットを失うような危険を契約書作成者が冒す可能性は、高くないだろう。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が寄託としていても、その形式が否定される例は見当らない。
(11) 組合
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
不動産特定共同事業法は、あまり一般的な法律といえないが、1つの例であろう。すなわち、冒頭規定(667条)の内容を持つ、一定の不動産流動化に関連した契約が、不動産特定共同事業法2条3項1号に定める契約(「任意組合契約」)であることを、当事者の合意で変更・排除することは難しい。ここで、課されうる制裁は、税法上の「課税の繰延べ」とならないことである。
類似するスキームとして、航空機リース・船舶リースなどがあり、匿名組合契約と並んで、民法上の組合が、そのストラクチャーの一部として、用いられることがある。この場合も、「課税の繰延べ」が否定されるという不利益(=制裁)を課される危険を冒してまで、冒頭規定の要件を変更するメリットがある場合は必ずしも多くないと考えられるため、結果として多くの場合に組合の冒頭規定の要件がそのまま採用されることになるだろう。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が「組合」としていても、「利益配当契約」であるとして争われることがある。航空機リースに関する裁判例[15]がその例といえよう。税務当局が、「課税の繰延べ」を否定することを目的として、訴訟を提起した例である。
(12) 終身定期金
終身定期金という契約自体、我が国の取引社会の中で大きな意義を有するとはいえないため、省略する。
(13) 和解
ア 「冒頭規定の要件に則る」方向
和解は、互いに譲歩して争いをやめることを約する契約である。「争いの蒸し返しを許さないという効果(確定効)を生じさせるため(民法696条)、和解契約の成立については厳格な要件が要求され」るといわれる[16]。それらは、冒頭規定(695条)の要件を前提として、更に当事者の合意に一定の制約を加える規律といえる。
例えば、和解契約上、「損害賠償金として」或いは「和解金として」、金員が支払われた形となっていても、課税庁から実態面での権利関係を問われ、結果的に、「譲渡所得」或いは「一時所得」としての課税対象とされることがある[17]。これは、当事者が選択した形とは異なる税務処理がなされうることを意味している。「当事者の合意による変更・修正が難しい規律」という観点から、こうした税法上の規律も和解に関する契約規範と考えられるだろう。
イ 「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向
当事者が「和解」としている形式を否定する例は、見当らない。
以上のように、「冒頭規定の要件に則る」方向の働きが多くみられる一方で、主として税法等を潜脱する目的で「冒頭規定の要件に則る選択を否定する」方向もみられる。後者については、主に悪性が強い場合において認められることに留意する必要があろう。
2. 印紙税法
印紙税法は、契約書を作成するすべての人に何らかの形で関わる点、制裁を有するという点、単独の法ながら多数の典型契約に関連する点、そして古い歴史を持つ点において、契約書作成者にとって極めて重要な法律であるといえよう。そこで、以下では、「諸法」の中から特に印紙税法を取り出し、その現在と沿革について、概観しておこう。
(1) 現在
現在の印紙税法上の課税文書において、民法の典型契約と直接関連するのは、次のものである。
表2 印紙税法上の課税文書と典型契約
課税文書 | 典型契約 |
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これらすべてについて、「冒頭規定(549条、555条、586条、587条、601条、632条、657条)の要件に則った」契約が印紙税法上の各契約書に該当することを、当事者の合意によって変更・排除することは難しい(過怠税を課されるリスクが高い)といえるだろう。
また、1989年の印紙税法改正まで、「賃貸借又は使用貸借に関する契約書」と「委任状又は委任に関する契約書」も課税文書であったこと(使用貸借・委任の冒頭規定についても、「それぞれの要件に則った」契約が印紙税法上の使用貸借・委任に該当することを、当事者の合意によって変更・排除することが難しかったこと)に留意すべきだろう。
(2) 過去
印紙税法は、典型契約と密接に関連する法律としては、長い歴史を有する点に特徴がある。そこで、本稿の問題意識の範囲で、過去の印紙税法について概観しておこう。
ア 概要
我が国の印紙税法は、明治6(1873)年に創設され、その後、何回かの大きな改正を経て今日に至っている。本稿の視点からみると、明治32(1899)年に改正され、その後昭和42(1967)年まで続いていた印紙税法が、最も重要なものである[18]。
イ 明治32(1899)年改正後の印紙税法[19]
①典型契約の取り込み
本稿の観点から最も重要な特徴は、この明治32年改正の印紙税法が、明治期の民法制定の内容を踏まえて、典型契約の多くをそのままの形で取り込んだことである。この前段階の「證券印税規則」(明治17年)において、委任状・約定證文等が課税対象となり、金額の記載のある契約に関しては「諸般の契約證書」という形で一般的に課税文書が定められていたのに対し、明治32年改正法では、使用貸借、賃貸借、雇庸、寄託、組合等の典型契約が課税文書となっている。(この後の改正において、消費貸借、請負が加わった。)
②包括網羅主義
印紙税法は、その創設時(明治6年)から、1つの特徴を持っていた。それは、すべての経済的証書類を課税の対象とする「包括網羅主義」が採用されていたことである。明治6年の時点では、法文上その旨が明記されていたとは言い難いが、明治32年の改正法では、「財産権ノ創設、移転、変更若ハ消滅ヲ証明スヘキ証書、帳簿及財産権に関スル追認若ハ承認ヲ証明スヘキ証書」を課税文書としており、これは「包括網羅主義」を規定したものとされている[20]。その後、昭和2年の改正により、個別の課税文書の後に「前各號以外の証書」との文言が入り、包括網羅主義を明記した。(これに対しては、課税範囲が明確でないとの批判がなされたため、昭和42年に「限定列挙主義」の現行法となる。)石原論文(前掲注[1]619頁)は、包括網羅主義について、次のように述べる。
「創設時の印紙税法は、――その規定の仕方は限定列記主義を採用せず、あらゆる経済的証書類に課税する包括網羅主義を採用していたと見てよい。――わが国の印紙税法は後述するように昭和42年まで包括網羅主義を採用するが、創設時から包括網羅主義であったことは記憶に留められるべきであろう――。」
契約書作成者の立場に立てば、作成している何らかの(経済的証書である)契約書は、印紙税法上の課税文書に(
③制裁
印紙税法の処罰は、創設以来、かなり厳しいものであった。明治17年の改正で、制裁として「科料・罰金」という文言が使用されたが、刑法の不論罪の規定が適用されないため、過失による不貼付も罰則の対象になるという厳しい制裁だった。次の引用は、この点に関するものである[21]。
「証書、帳簿に相当印紙を貼用しなかったり、税印の押捺を受けなかった場合は、脱税高20倍の科料又は罰金に処された(同法11条)。また、前述したように、刑法の不論罪の規定が適用されないことから、過失の印紙不貼付も処罰された。極めて厳しい制度であった。」
民法の典型契約の多くが課税対象であったこと、そして、包括網羅主義が採られていた上に罰則として刑罰を科される対象となったことを考えると、この時期の契約書作成者は、刑罰を回避するために、作成している契約書を、無理にでも印紙税法上の課税文書にあてはめる必要があった[22]。こうしたことを1つの背景として、「はじめに―課題の設定―」の2つ目の疑問点において言及した、「どれかの典型契約に入れようと苦心する傾き」が生じたといえるだろう。
典型契約と関連法令等、そして現在の印紙税法の課税文書の関係をまとめたのが、次の表3である[23]。
表3 典型契約と関係法令等
(注) 使用貸借及び委任も、1989年改正まで、印紙税法上、課税文書であったことに留意。
表3にみられるように、冒頭規定の多くが、「関連法令等」又は「印紙税法」に取り込まれており[24]、我が国社会に広くみられる「冒頭規定の要件の一定の安定性」を作り出してきたといえるだろう。
[1] この点は、後に「契約の拘束力の根拠」の検討において、参照することになる。
[2] これらの「控除」がメリットやインセンティブを作り出す点については、後に(→1Ⅳ3. (1)ア)で言及する。
[3] 実方謙二『独占禁止法〔第4版〕』(有斐閣、1998)275頁を参照。
[4] 「みなし贈与」には他に生命保険・損害保険(相続税法5条)、定期金(同法6条)等があるが、ここでは典型的な7条のみを例とする。
[6] 一般に、当事者の選択が否定されるのは、その背景に徴税等の潜脱目的がある場合等、悪性が強い場合が多い。それとは対照的に、「みなし贈与」は、当事者の目的に悪性が弱い場合でも、当事者の「売買」とする形式が否定される点が重要である。
[7] 両判決の内容については、谷口勢津夫「私法上の法形式の選択と課税――売買か交換か」『租税判例百選〔第4版〕』(有斐閣、2005)38頁を参照。
[8] また、売買に関する「合意による変更・排除が難しい規律」として、証券化ビジネスにおける「真正売買」の要件が挙げられよう。売買とする当事者の合意に加え、価格の妥当性、対抗要件の具備、対象資産への権限の有無、買戻義務の有無等が問題とされ、これらに関して一定の要件を充たさない場合、(売買でなく)「担保権設定」等として扱われることになる。文献としては、岡内幸策『証券化入門〔第3版〕』(日本経済新聞社、2007)83頁を参照。
[9] 税法上、借地権が設定された場合、その上地の部分が譲渡されたと考えるのが原則であり、権利金の授受が無い場合でも、「相当の地代」に基づいて算出される借地権の割合に応じて権利金の課税認定がなされる。こうした借地権の課税関係は、「税法の一分野を形成するほど複雑」であるといわれており(三木・後掲注[16] 『実務家のための税務相談(民法編)』(有斐閣、2006)180頁を参照)、そうした課税の算定における「借地権」は、「賃借権」の冒頭規定に則ることが前提となっているといえるだろう。
[10] 企業会計基準委員会「リース取引に関する会計基準」企業会計基準第13号(2007)及び「リース取引に関する会計基準の適用指針」企業会計基準運用指針第16号(2011)を参照。これは、会計基準が制裁(この場合は、(オフバランスを許さず)バランスシートに計上させるという不利益)を有する場合、私法上の取引に影響を与えることを示唆しているといえよう。こうした影響自体が妥当でないとする考え方については、中里実「資金調達に伴う課税」ジュリ1445号(2012)56頁の「あまりに当然のことであるが、会計的論理により、法律の解釈が行われたり課税上の問題が解決されるわけではない。会計処理は、取引により生じた経済的結果の事後的記述でしかない」との記述を参照。本稿においては、賃貸借契約という形式を選択することによりバランスシートからはずそうとしても、会計上、売買契約で自社物件としたと同様にバランスシートに計上されるという制裁が課されるリスクが作り出されること(その結果、私法上の契約としても「賃貸借」でなく「売買」とすることが多くなるであろうこと)を指摘するに留める。
[11] 土田道夫『労働契約法』(有斐閣、2008)46頁を参照。
[12] 労働省職業安定局編『雇用保険法解釈総覧』(労働法令協会、1988)70頁を参照。
[13] 高橋眞「623条」篠塚昭次=前田達明編『新・判例コンメンタール・民法8』(三省堂、1992)1-2頁を参照。
[14] 佐々木宗啓編著『逐条解説 預金保険法の運用』(金融財政事情研究会、2003)27頁を参照。
[15] 名古屋地判平成16・10・28を参照。
[16] 三木義一編著『実務家のための税務相談(民法編)〔第2版〕』(有斐閣、2006)223頁を参照。
[17] 東京弁護士会編著『法律家のための税法 [民法編]〔新訂第7版〕』(第一法規、2014)288頁を参照。
[18] 制裁を中心とした印紙税制度の沿革を概観する貴重な文献として、石倉文雄「印紙税制度の変遷と過怠税制度等について」金子宏先生古稀『公法学の法と政策(上)』(有斐閣、2000)613頁以下を参照。
[19] 印紙税の歴史については、田中秀吉『印紙税法の起源と其の史的展開』(第一書房、1937)を参照。
[20] 石倉・前掲注[18] 624頁を参照。
[21] 石倉・前掲注[18] 624頁を参照。
[22] 法規範の内容を確認することは重要だが、他方、その法規範の実効性がどの程度のものであったかについても、同じく重要であろう。ただ、印紙税法の制裁の当時の実効性については、実証的な記録は見当たらず、新聞等の媒体からエピソード的な記録を確認するほかはない。次の読売新聞の昭和2(1927)年の記事は、印紙税法の制裁が、ある程度の実効性を持っていたことを示しているといえるだろう。読売新聞昭和2(1927)年1月23日朝刊7頁上段「一文惜しみの百知らず―印紙をおしんで罰せらるる違反者が近頃増加― 最近印紙税法違反の罪で略式命令により罰金刑に処せられるものがメッキリ多くなって、東京区裁判所で取扱う数だけで一日七八十件に及んでいるが、規程の印紙を不足に貼る横着な者が多いのである。――」
[23] 民法上の典型契約だけでなく、商法上の典型契約(商事売買、匿名組合等)についても、同様の検討が可能であることにつき、留意が必要であろう。
[24] これら関連法令等及び附随する規律が、個別の典型契約の内容に影響を与えること(例えば、印紙税通達による「請負」概念の実質的拡張(→1Ⅱ1. (2)))に対しては、「本来そうした影響は法律によってなされるべきである(税法の通達等のレヴェルにおいてなされるべきでない)」との批判がありうるだろう。そのような批判は、本稿の視点からも妥当性を持つと考えられるが、「附随する下位の規律の影響に基づいたリスク」は(そのような批判が妥当である場合でも)実際に存在するわけであり、契約書作成の際にそうしたリスクを認識・測定する必要があることに変わりはない。本稿では、そうしたリスクを明確化・言語化・最小化することを、さしあたりの目標としている。