Legal as a Service (リーガルリスクマネジメント実装の教科書)
第14回(完)法務の仕事に疲れたときこそ、初心に戻るリーガルリスクマネジメント
Airbnb Japan株式会社
渡 部 友一郎
合同会社ひがしの里・セガサミーホールディングス株式会社
東 郷 伸 宏
©弁護士・グラフィックレコーダー 田中暖子 2023 [URL]
1 共通の悩みの特定
最終回は、これまで学んできたリーガルリスクマネジメントが、個人の「法務」という仕事の初心や楽しさを思い出させてくれる可能性があることに触れたいと思います。法務の仕事に疲れたときこそ、初心に戻るリーガルリスクマネジメント、という最終回に私たちの希望と皆様への想いを込めたいと思います。
第1回からこの連載が一番大切にしたかったテーマは、私たち法務担当者が悩んでいる共通の事項を同じ目線で取り上げて、筆者ら自身も悩んでることを隠さず、一緒にその悩みを解決したいというものでした。
だからこそ最終回は、「法務」という仕事に疲れてしまったり諦めたりしている気持ちに対し、私たちなりに、寄り添ってみたいと思っています。法務担当者個人として疲れたり諦めたりそして目の前の仕事が単純作業に見えてしまうことは、私自身は、人間として自然な気持ちの一つであり、自分の努力ややる気だけではコントロールできない環境が、いつのまにか個人の楽しさややる気を奪ってしまうことがあることも承知しています。
では、少しセピア色になってしまう時がある「法務」という仕事において、今一度、リーガルリスクマネジメントというツールが、セピア色をカラフルに生き生きと蘇らせる可能性があることについてご提案をさせていただきたいと思います。
ポイントは、法務という仕事が、困っている誰かを助け、無限の可能性を導くものであり、リーガルリスクマネジメントに虚心坦懐に取り組むと、あの初心が(多分)蘇るというものです。
2 共通の悩みの分析
はじめに、法務部門での働き甲斐について考えてみます。
働き甲斐は、人によって考え方が異なり、嬉しい・楽しいと思える瞬間も個人によって異なると思います。また、法学のバックグラウンドを活かして法務で活躍する熱意と希望を持って法務部門に入った方もいれば、ジョブローテーションの一環としてもともと事業部門だった方が法務部門に配属されたというような入口の違いもあると思います。
さらに、法務部門に限らず、社会のどこであっても、果敢に挑戦して上昇志向が強い人もいれば、コツコツと目の前のことを大切にされている方もおられ、仕事上優先する価値もアプローチも異なります。さらに、同じ人間であっても、ライフステージによって、仕事が一番大切な時期もあれば、ご家族やご両親が一番大切な時期もあると思います。
以上のとおり、多種多様さの例は枚挙に暇がありませんが、法務部門の人材の価値観やバックグラウンド・変遷するライフサイクルにおけるプライオリティを考えると、何を優先して何を失うかは、常に人生がトレードオフであることと同義であると言えます。
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3 共通の悩みの評価
同時に、仕事は自由気ままな趣味ではないことも私たちは理解しています。
自己完結的な視点を超えて、私たち法務部門が、労務の対価として、会社から報酬を頂いているのは、経営陣・事業部門というクライアントに対して、その価値を発揮することを期待されている事実は否定できません。
では、個人の「法務」という仕事の楽しさを思い出させてくれる可能性は、どのようなトレードオフのもとに生まれうるのでしょうか。
4 共通の悩みの対応
リーガルリスクマネジメントを仕事における「トレードオフ」の視点で考えてみましょう。
はじめに、リーガルリスクマネジメントにより個人が失うものは、「従来の楽な仕事のやり方」「仕事の時間・工数」かもしれません。なぜなら、リーガルリスクの特定・分析・評価・対応、5x5のリーガルリスクマトリクス、Contingency Plan、リーガルリスクマネジメントの人材(適材適所)への応用、法務部門の定例会議の活性化など、本連載で取り上げたアイデアを実行するためにはextra effort(さらなる労力)を必要とするからです。
逆に、個人が得られるものは、①経営者・事業部門のクライアントがかつて前例がないほどの充実したinformed decision(十分な情報に基づく意思決定)により大きな成功を掴む支援ができること、②リーガルリスクマネジメントの考え方を取り入れたチーム作りにより、大切な同僚や部下が、チームレベルでも個人レベルでも、さらに高い価値を発揮してくれる土壌を形成できること、ではないでしょうか。
リーガルリスクマネジメントのフレームワークは、個人の経験と勘による仕事を、汎用的な枠組みにより開かれた、双方向のディスカッションやアイデアの交換が可能な仕事へチーム全体をいざないます。これまでの連載で見てきたとおり、5x5のリーガルリスクマトリクスの活用などにより、事業部門は、法務部門が信頼できる「ビジネスパートナー」であることを自らのリアルな体験として実感することでしょう。
もしも仕事に疲れたとき、新しいやり方を模索したいとき……是非この連載をもう一度思い出してやっていただけないでしょうか。きっと皆様のライフステージにより異なる優先順位やトレードオフの中で、もう一度大切にしたい物を思い出していただけるきっかけになるのではないかと確信しております。最後に、法務の仕事に何度疲れ果てて(ときには限界だなとか辞めたいなとか考えて)も良いと私は思います。クライアントの笑顔をもう一度見たいから、私は仕事を続けております。
(以上、渡部)
本連載で取り上げたアイデアを実行することで、あなたは企業・組織において、新たな事業や価値の創造に大きく貢献するENABLEな存在となることができるでしょう。心理的安全性の高い組織内での活発な議論からさまざまなアイデアが生まれ、実現していきます。効果的な人材育成の枠組みの中で大きく成長し、たくさんの感謝が寄せられる日々の仕事にやりがいを感じられるはずです。 たしかにこれからの法務機能には希望が満ち溢れていますが、障害もたくさんあるはずです。壁にぶつかることもあるでしょう。しかし心配はいりません。あなたは一人ではなく、同じ悩みを共有する私たちのような仲間がたくさんいることを忘れないでください。ご自身や大切なことを守るためには、逃げることもあっていいでしょう。勇気ある撤退は負けではないのです。疲れたときには休みながら、じっくりと向き合うことが大切です。あなたの気持ちや状態を特定・分析・評価・対応してみませんか。あなたにとっての働き甲斐に必要となる縦軸と横軸を選択すれば、解決・改善の方策が見つかるはずです。 強者と弱者、多数派と少数派、仕事とプライベートなど異なる事情や立場、環境や価値観を融合させる時代です。トレードオフとはならない選択もできるかもしれません。リーガルリスクマネジメントがあなたの仕事だけではなく、生活や人生も豊かにしてくれることを祈っております。 (以上、東郷) |
リーガルリスクマネジメントは喜びを増やす
まずは今回このような機会をいただき、心から感謝申し上げます。渡部さんとの議論を通じて、私自身かけがえのない学びとあらたな感動体験を得ることができました
感謝はこちらの言葉です。東郷さんとディスカッションをしていて、私もこれまで十分に気がついていなかった大きな可能性について気がつくことができました。 リーガルリスクマネジメントは冒頭から述べているとおりあくまでもツールです。そして、ツールであるからこそ使い方の工夫次第によって、使っている人(法務部の私たち)自身、使うことにより便益をもたらそうとしている人々(クライアント)の双方にとり、色々な効果があるということがわかりました。東郷さんは、何か全体で大きな気付きというもので特筆すべきものがあれば、改めてご紹介いただけないでしょうか
リーガルリスクマトリクスの多様性ですね。活用場面が非常に多いことに驚きました。具体的な活用方法をお伝えできたので、多くの会社や組織で再現性高く取り組んでいただけるのを楽しみにしています
なるほど。続いてお伺いしたいのですが、今回のテーマでもある、法務部門の仕事に少し疲れてしまったということは東郷さんにもありましたでしょうか
何度もあります(笑)。少しではなく、とても疲れてしまったこともありますね。その経験が法務部門の仕事をより良くしたい、法務部門をより良い場所にしたいとの原動力にもなっています。渡部さんはいかがですか
私も率直に、辛い時期がありました。そして、私がリーガルリスクマネジメントの可能性を見出したのは、単にツールとして有用というだけではなく、利用すればするほどクライアントからの感謝が増え、私たち法務部門で働く人間がおそらく喜びの糧にしているであろうクライアントの喜びが倍増していくのを目の当たりにしたからです
クライアントの喜びが倍増していく、分かる気がします
エアビーアンドビーに入ってからは毎日がジェットコースターと申しますか、毎月毎年やっていることがどんどん変わってくるので、日々幸いにも大きな成長を感じています。したがって、法務部門の仕事について嫌だなとか、やめたいな、と思ったことはありませんでした。もちろん、日本のリーガルリスクについて一人法務という重責があり、初期の頃は怖くて眠れないということもございましたが、今ではだいぶ肝も据わったのではないかなと思っています
法務の仕事はお好きですか?
渡部さんのご活躍を拝見していると、何か使命感のようなものを感じるのですが、法務の仕事は好きですか
法務の仕事は好きです。実際に、東郷さんに巡り会えたことも、この連載をサポートしてくださっている商事法務の皆様に出会えたことも、素敵なグラフィックレコードを書いてくださっている田中さんとお仕事ができることも、法務の仕事に一生懸命取り組んできたから与えて頂いたものなのかなと思っています。東郷さんは法務の仕事はお好きですか
私も好きですね。法律という確立しているようで不確定なものを扱いながらも、人と向き合い続ける仕事であること。社会における役割としても非常に重要な転換点を迎えており、チャレンジすることが求められていることからも、とてもやりがいを感じられる魅力的な仕事だと思っています
前半の質問とも重なりますが、法務の仕事が嫌いになることも許されると思いますか。私たち人間は誰しも生きていく中で興味や優先度が変遷していくということはあるかと思いますが、個人のせいではなく、環境が法務部門の仕事をつまらなくしているということは考えられないでしょうか(誰かを責めるという趣旨ではなく、見過ごされてきた点がないかという意味で)
もちろん許されます。残念ながら現在そのような環境の中で悩んでいる方もいらっしゃるでしょう。今回の議論を参考に仕組みや方法を変えることで環境を改善することができます。ぜひ私たちも一緒にその悩みに立ち向かっていきたいですね
私も同感です。この連載に関係するすべての方々とこの企画をご相談した際に、私たちのミッションとして「時代遅れだ」「あなたのここが駄目だ」のようなアプローチではなく、私たち自身に脆弱性があることをしっかりとわきまえて、一緒に、この「法務」という困難な道なき道を踏破していけるような企画にしたいと全員で合意しました。まさに、今回の議論を参考に仕組みや方法を変えることで環境を改善することができたら冥利に尽きます
本当にそうですね
ところで、現在、法学部やロースクールの人気というものが低下しているという報道に接することがあります。法務部門での仕事が楽しく魅力的になり、その結果、経営陣から大きな投資を受けて我々の待遇がさらに改善されるのであれば(そしてプロフェッショナルとして尊敬され信頼されるのであれば)、また新たな局面というのは見えてくる可能性はありますでしょうか
得られる資格の価値、難易度、コストなどを総合的に勘案すると、法律を学び、法律を仕事にすることをリスク分析した結果、リスクが高いと評価されているのかもしれません。この状況に対して法務部門の在り方が有効なリスク低減策となれば、局面を打開できる可能性があります。これも一つのテーマとして、また別の機会に議論したいです
初心(法務のサービス提供者として弛まぬサービス向上に務める)
渡部さんも激務の中で疲れ果ててしまうこともあると思いますが、心を支え、奮い立たせてくれる初心や思い出などがありましたら教えてください
法律事務所をやめて、事業会社の法務部門に初めて入った時、「看板を背負って仕事をする」と意気込んでいました。もちろんだだっ広いフロアに並ぶステンレス製の机に自分の看板があるわけでもなく、あくまでもバーチャルな心の持ちようということですが、法務部門という組織に甘えることなく、自ら提供するサービスに責任を持つということを誓いました。具体的には、組織の一員であっても、一人のプロフェッショナルとして、提供したサービスにご満足いただけるかどうかということに常に関心を持っていました
法務部門A・B・Cの競争をイメージせよ、の話にもつながりますね
おっしゃるとおりです。すごく簡単な話です。現在、法務部門のクライアントは相談する法務部門を自由に選べません。たとえば、来週から、現在の法務部門と同等の能力を持った人員を備えた法務部門B・法務部門Cが、社内に作られたとします。クライアントである事業部門は3つの法務部門から自由に相談先を選べることができるとします。この時に、現在のクライアントは果たして自分のところに来てくれるだろうか、胸に手を当てて自問してみると、大抵の方が不安になるのではないでしょうか。相手が急いでいたのに無視してしまった。もっと優しいメールが書けたのに厳しい言葉で退けてしまった。もっと踏み込めてリスクの低減策が提案できたのに、これが考えられる全部ですなどと言って簡単なレベルの法律のアドバイスを返してしまったこと。普通の法務部員であれば、きちんとした対応ができたはずのさまざまな場面が思い起こされるのではないでしょうか
3つの法務部門の中から選ばれないといけないわけですよね
はい、おっしゃるとおりです。しかし、これは読者である法務部門の方が外部法律事務所に対して毎日行っていることです。外部法律事務所は毎日競争にさらされ、選ぶ方は気楽なものですが、選ばれた方は常に緊張感をもってサービスを提供しています。ところが、会社の中になると、通常は法務部門がその業務を独占しているわけですので代替手段がないわけです。そのような中で、想像したくないケースですが、謙虚さを失った法務部門というのは、お客様を忘れ、自分たちに都合のよいようにサービスを提供してしまっています。そのような法務部門が、来週から3つの法務部門という競争に晒されたらどうなるでしょうか。たとえば、法務部門Cに行けば、全員が笑顔で、しかもプロフェッショナルにリーガルリスクマネジメントの技法を駆使して、素晴らしい代替案を毎回提案してくれる。「リーガルリスクがあります(完)」は法務部門Cの部長が許さない。法務部門への依頼をコストとして計上することまで想定すれば、依頼者は、自然と法務部門Aから離れていくでしょう
競争をイメージするためにも、外部との交流は非常に重要です。自社の現状を謙虚に受け止め、他社の法務部門等における好事例を積極的に取り入れていく。やはり日々競争の中に身を置くことで、人と組織も「これまで」から脱却して「これから」に変わることができるのではないでしょうか
おっしゃるとおりです。人により価値観は多様ですが(心理学の領域でも)変えられないものが2つあり、1つは過去、1つは他人、という考えがあります。私たち自身の法務部員としての過去、そして究極的には変えられない他人の気持ち・考えに対して、まずは自分が実践するということに焦点を当てることが重要だと常々思います。卓越したサービスを提供していたら、お客様がより喜んでいただき、周りのサービス提供者も自然と真似を始める、そういう長い目が大切なのだと思います
これまで連載を読んでいただいた方とも一緒に議論ができたように感じます。次回はぜひみなさんとお会いして、感想をいただいたり、さらに議論を深めたりしたいですね
おっしゃるとおりですね。今回の連載をきっかけに、新しいご縁をいただけることを願っています。本当に毎回勉強になりました、皆様、本当にありがとうございました
次回、乞うご期待!(続)
少年誌の「私たちの冒険は、はじまったばかりだ―東郷先生・渡部先生の次回作にご期待ください」ですね。引き続き一緒に勉強してまいりましょう。(なお、疑義のないようにお伝えしますと、連載打ち切りではなく、予定どおりの第14回でのフィナーレとなります。)
(完)
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(わたなべ・ゆういちろう)
鳥取県鳥取市出身。2008年東京大学法科大学院修了。2009年弁護士登録。現在、米国サンフランシスコに本社を有するAirbnb(エアビーアンドビー)のLead Counsel、日本法務本部長。米国トムソン・ロイター・グループが主催する「ALB Japan Law Award」にて、2018年から2022年まで、5年連続受賞。デジタル臨時行政調査会作業部会「法制事務のデジタル化検討チーム」構成員、経済産業省「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会」法務機能強化実装WG委員など。著書に『攻めの法務 成長を叶える リーガルリスクマネジメントの教科書』(日本加除出版、2023)など。
(とうごう・のぶひろ)
金融ベンチャー役員を経て、2006年サミー株式会社に入社。以降、総合エンタテインメント企業であるセガサミーグループの法務部門を歴任。上場持株会社、ゲームソフトウェアメーカー、パチンコ・パチスロメーカーのほか、2012年にはフェニックス・シーガイア・リゾート(宮崎県)に赴任。部門の立ち上げから、数十名規模の組織まで、多種多様な法務部門をマネジメント後、2022年には組織と個人の競争力強化を目的とする合同会社ひがしの里を設立。2023年からはセガサミーグループにおける内部監査部門を担当。