【判示事項】
乳幼児期に受けた集団予防接種等によってB型肝炎ウイルスに感染しHBe抗原陽性慢性肝炎の発症、鎮静化の後にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害につきHBe抗原陰性慢性肝炎の発症の時が民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)724条後段所定の除斥期間の起算点となるとされた事例
【判決要旨】
乳幼児期に受けた集団予防接種等によってB型肝炎ウイルスに感染したX1及びX2が、HBe抗原陽性慢性肝炎の発症、鎮静化の後にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害については、次の ⑴ ~ ⑸ など判示の事情の下においては、HBe抗原陽性慢性肝炎の発症の時ではなく、HBe抗原陰性慢性肝炎の発症の時が民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)724条後段所定の除斥期間の起算点となる。
- ⑴ X1は、昭和62年12月、HBe抗原陽性慢性肝炎を発症し、抗ウイルス治療によって、平成12年頃までにHBe抗原セロコンバージョン(HBe抗原陽性からHBe抗原陰性への転換)を起こして肝炎が鎮静化したが、平成19年12月頃、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症した。
- ⑵ X2は、平成3年1月、HBe抗原陽性慢性肝炎を発症し、抗ウイルス治療によって、平成12年頃までにHBe抗原セロコンバージョンを起こして肝炎が鎮静化したが、平成16年3月頃以降、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症した。
- ⑶ B型肝炎ウイルス持続感染者の多くは、無症候性キャリアから活動性肝炎となり、HBe抗原セロコンバージョンを起こして肝炎が鎮静化し、非活動性キャリアとなり、この段階に至れば、肝細胞がん等への進行リスクは低く、長期予後が良好となって、具体的な治療の必要がなくなることから、HBe抗原陽性慢性肝炎においては、目指すべき短期目標をHBe抗原セロコンバージョンとして抗ウイルス治療がされる。
- ⑷ HBe抗原陽性慢性肝炎の発症後、HBe抗原セロコンバージョンによりHBe抗原陰性となり、非活動性キャリアとなったにもかかわらず、長期間が経過した後にHBe抗原陰性の状態でB型肝炎ウイルスが再増殖し、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症する症例も10~20%は存在するところ、HBe抗原陰性慢性肝炎については、線維化進展例が多く、自然に寛解する可能性は低い。
- ⑸ どのような場合にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症するのかは、現在の医学ではまだ解明されていない。
- (補足意見がある。)
【参照条文】
国家賠償法1条1項、民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)724条
【事件番号等】
令和元年(受)第1287号 最高裁令和3年4月26日第二小法廷判決
損害賠償請求事件(民集7巻54号登載予定)
原 審:平成30年(ネ)第167号 福岡高裁平成31年4月15日判決
原々審:平成20年(ワ)第2900号、平成24年(ワ)第772号 福岡地裁平成29年12月11日判決
【判決文】
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=90269
【解説文】
1 事案の概要等
X1及びX2(以下、併せて「Xら」という。)は、乳幼児期に集団予防接種等(集団ツベルクリン反応検査又は集団予防接種)を受けたことによりB型肝炎ウイルス(以下「HBV」という。)に感染して成人後にHBe抗原陽性慢性肝炎を発症し、鎮静化をみたものの、その後にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症した。本件は、Xらが、Y(国)に対し、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことにより精神的・経済的損害等を被ったと主張して、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めた事案である。
Xらが本件訴訟を提起したのは、HBe抗原陰性慢性肝炎の発症の時からは20年を経過する前であったが、HBe抗原陽性慢性肝炎の発症の時からは20年を経過した後であったことから、Yは、HBe抗原陽性慢性肝炎の発症の時が民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)724条後段所定の除斥期間の起算点であって、Xらの損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅したと主張した。したがって、本件においては、Xらの損害賠償請求権の除斥期間の起算点が主要な争点となった。
2 事実関係の概要
⑴ ア B型肝炎は、HBVに感染することによって発症する肝炎であり、慢性化して長期化すると、肝硬変や肝細胞がんを発症することがある。
イ HBVに感染すると、HBe抗原(HBVの複製過程において肝細胞内で大量に産生されるたんぱく)等の抗原及びこれらに対応するHBe抗体等の抗体が血中で検出される。慢性B型肝炎の時期には、HBe抗原量とHBe抗体価は相互に連動しながら変化を示し、HBe抗原量が低下するとHBe抗体価が上昇し、逆にHBe抗原量が上昇するとHBe抗体価が低下する。
ウ 乳幼児期は免疫応答が未発達のため、この時期にHBVに感染すると持続感染に至る。その病期は、次のとおり、主に4期に分類される。
① 免疫寛容期
乳幼児期に持続感染に至った場合、多くは無症候性キャリアの状態が持続する。
② 免疫応答期
成人になると免疫応答が活発となり、活動性肝炎となるが、多くの場合、HBe抗原陽性からHBe抗体陽性(HBe抗原陰性)への転換(HBe抗原セロコンバージョン。以下、単に「セロコンバージョン」という。)を起こす。セロコンバージョンは、HBVの野生株の減少と遺伝子変異株(HBe抗原非産生変異株)の出現によってもたらされるものであり、HBe抗原が陰性化することで完結する。セロコンバージョンを起こさず、HBe抗原陽性の状態が長期間続くとHBe抗原陽性慢性肝炎となる。
③ 低増殖期
セロコンバージョンを起こした場合、その多くは、肝炎が鎮静化し、非活動性キャリアとなり、低増殖期に入る。
④ 寛解期
セロコンバージョンを経た症例の一部(年率約1%)では、HBVの表面抗原であるHBs抗原が消失するなどして、臨床的寛解となる。
エ セロコンバージョンを起こして肝炎が鎮静化し、非活動性キャリアとなった症例のうち10~20%は、長期間が経過した後にHBe抗原陰性の状態でHBVが再増殖し、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症する。HBe抗原陰性慢性肝炎は、自然に寛解する可能性は低い。HBe抗原陰性慢性肝炎は、HBe抗原陽性慢性肝炎と比較して、高齢での線維化進展例が多いため、より進んだ病期とされる。どのような場合にHBe抗原陰性の状態でHBVが再増殖し、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症するのかは、現在の医学ではまだ解明されていない。
オ HBV持続感染者は、その多くが無症候性キャリアから活動性肝炎となり、セロコンバージョンが起こった後に、肝炎が鎮静化し、非活動性キャリアとなるところ、この場合、肝細胞がん等への進行リスクは低く、長期予後は良好である。
カ 現在の慢性B型肝炎の治療ではHBVを完全に排除することは困難であり、その治療目標は、免疫監視又は抗ウイルス治療により肝炎を鎮静化させ、肝硬変や肝細胞がんへの進行を防ぐことである。HBe抗原陽性慢性肝炎については、抗ウイルス治療で目指すべき短期目標はセロコンバージョンである。
⑵ ア X1は、昭和33年4月生まれで、昭和34年9月までに受けた集団予防接種等によってHBVに感染し、昭和62年12月、HBe抗原陽性慢性肝炎を発症し、抗ウイルス治療によって、平成12年頃までにセロコンバージョンを起こして肝炎が鎮静化したが、平成19年12月頃、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症した。
イ X2は、昭和27年9月生まれで、昭和34年9月までに受けた集団予防接種等によってHBVに感染し、平成3年1月、HBe抗原陽性慢性肝炎を発症し、抗ウイルス治療によって、平成12年頃までにセロコンバージョンを起こして肝炎が鎮静化したが、平成16年3月頃以降、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症した。
⑶ X1は平成20年7月に、X2は平成24年2月に、本件訴訟を提起した。
3 第1審及び原審の判断
第1審(福岡地判平成29・12・11判時2397号59頁)は、XらがHBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害については、その発症の時が除斥期間の起算点となり、Xらの損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅していないとして、Xらの請求を認容した。
これに対し、原審(福岡高判平成31・4・15判時2429号23頁)は、次のとおり判断して、Xらの損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅したとして、Xらの請求を棄却した。
慢性B型肝炎が、セロコンバージョンをもたらすHBVの遺伝子変異の前後を問わず、HBVへの免疫反応であることに変わりはなく、XらのHBe抗原陰性慢性肝炎は、HBe抗原陽性慢性肝炎が長期の経過をたどった結果、肝硬変や肝細胞がんへの進行リスクのある年齢で慢性肝炎が再燃したものにすぎない。したがって、HBe抗原陰性慢性肝炎の病状と、HBe抗原陽性慢性肝炎の病状とは、質的に異なるものではなく、HBe抗原陰性慢性肝炎の発症によって新たな損害が発生したとはいえない。よって、Xらについては、HBe抗原陽性慢性肝炎を発症した時点において、後にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症することによる損害を含む全損害について、B型肝炎を発症したことによる損害賠償請求権が成立したというべきであり、HBe抗原陽性慢性肝炎の発症の時が除斥期間の起算点となる。
4 本判決の概要
Xらが上告受理申立てをしたところ、最高裁判所第二小法廷は、上告審として事件を受理し(ただし、除斥期間の起算点に関する点以外の部分を排除した。)、本判決において判決要旨のとおり判示して、Xらによる本件訴訟の提起時には、いずれも除斥期間が経過していなかったとして、原判決を破棄し、Xらの損害額について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻した。
5 説明
⑴ 民法724条後段は、起算点を固定的な「行為」時に置き、被害者が「損害及び加害者を知」ることなくして年月が経過した場合でも、それから20年を経過すれば損害賠償請求権を行使し得ないものとして、法律関係を確定しようとしたものであり(四宮和夫『事務管理・不当利得・不法行為(下)』(青林書院、1985)651頁)、判例は、同条後段の規定について、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解している(最一小判平成元・12・21民集43巻12号2209頁、判タ753号84頁等)。そして、判例は、除斥期間の起算点につき、加害行為時を原則としつつ、損害の性質上、蓄積進行性又は遅発性の健康被害に当たる場合には、損害発生時が起算点となるという修正をしている(最三小判平成16・4・27民集58巻4号1032頁、判タ1152号120頁〔以下「平成16年4月最判」という。〕、最二小判平成16・10・15民集58巻7号1802頁、判タ1167号89頁、最二小判平成18・6・16民集60巻5号1997頁、判タ1220号79頁〔以下「平成18年最判」という。〕)。この考え方によれば、Xらが乳幼児期に受けた集団予防接種等によりHBVに感染してB型肝炎を発症したことによる損害賠償請求権については、その損害の性質上、除斥期間の起算点は、加害行為である集団予防接種等の時ではなく、損害の発生の時となる(平成18年最判もB型肝炎を発症したことによる損害賠償請求の事案であった。)。
⑵ そうすると、Xらの主張する「損害の発生の時」の意味が問題となるが、これについては、消滅時効の起算点に関する最三小判平成6・2・22民集48巻2号441頁、判タ853号73頁(以下「平成6年最判」という。)の考え方が参考になる。平成6年最判の事案は、被告が経営していた炭鉱の従業員として炭鉱業務に従事し、じん肺に罹患した患者等である原告らが、被告に対し、雇用契約上の安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償を求めたというものである。そして、平成6年最判は、雇用契約上の安全配慮義務違反による損害賠償請求権が、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となり(すなわち進行し〔民法166条1項〕)、かつ、じん肺の所見がある旨の最初の(管理2以上の)行政上の決定を受けた時に少なくとも損害の一端が発生したことを前提としつつ、その時点では、全損害が発生しているとは考えず、後日、更に重い行政上の決定(管理3又は4)に相当する病状が顕在化したときには、これを別個の新たな、いわば「異質」の損害(権利侵害)と捉え、実体法上別個の損害賠償請求権が発生すると考えて、最終の行政上の決定に関する損害賠償請求権の消滅時効は、その行政上の決定を受けた時から進行するとした。これは、実体法上、最初の損害が発生した時点で将来生ずるべき損害を含む全損害が発生しているとみるべきとの従来の判例(最三小判昭和42・7・18民集21巻6号1559頁、判タ210号148頁)の考え方の例外を認めたものである(倉吉敬「判解」最判解民事篇平成6年度243頁)。
平成6年最判は安全配慮義務違反の債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点に関する判例であるが、異質の損害につき、損害の発生自体が遅れるという平成6年最判の考え方は、不法行為に基づく蓄積進行性又は遅発性の健康被害に関する損害賠償請求権の除斥期間の起算点にも妥当するものであり、平成16年4月最判が、じん肺り患を理由とする国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権の除斥期間の起算点について、平成6年最判の考え方を採用した原審(福岡高判平成13・7・19判タ1077号72頁)の判断を正当として是認したのは、この趣旨をいうものと考えられる(宮坂昌利「判解」最判解民事篇平成16年度(上)335頁)。
⑶ 本判決は、このような考え方を前提として、判決要旨に掲げられた事情の下においては、XらがHBe抗原陽性慢性肝炎を発症したことによる損害と、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害とは、質的に異なるものであって、HBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害は、HBe抗原陰性慢性肝炎の発症の時に発生したものであり、その損害については、HBe抗原陽性慢性肝炎の発症の時ではなく、HBe抗原陰性慢性肝炎の発症の時が民法724条後段所定の除斥期間の起算点となるとしたものと考えられる。Xらが、HBe抗原陽性慢性肝炎の鎮静化後、期間が経過してからHBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことや、セロコンバージョンにより非活動性キャリアとなったにもかかわらずHBe抗原陰性慢性肝炎を発症する割合が10~20%と必ずしも高いとはいえないこと、HBe抗原陰性慢性肝炎の発症のメカニズムが現在の医学では未解明であることなどがポイントとなっているものと思われる。
「質的に異なるもの」か否かとの関係で、検討すべきは飽くまで法的な損害の異質性の有無である。したがって、HBe抗原陽性慢性肝炎とHBe抗原陰性慢性肝炎とがセロコンバージョンをもたらす遺伝子変異の前後を問わず、HBVに対する免疫反応による炎症を起こした状態(肝炎)であるという、医学的な病態の同質性を重視し過ぎるのは妥当ではなかろう。
⑷ なお、いわゆるB型肝炎訴訟は、一般的に、特定B型肝炎ウイルス感染者給付金等の支給に関する特別措置法(以下「特措法」という。)の枠組みに従って提起されており、本件も同様であると思われるところ、三浦裁判官の補足意見は、本件における損害賠償請求権の除斥期間の起算点の理解と特措法との関係等について述べたものである。
6 本判決の射程
本判決は、事例判断ではあるが、Xらと同様の経過をたどったHBV感染者については、同様に解することになるものと思われる。しかし、HBV感染以外の被害者についてはもちろんのこと、HBV感染者であっても、Xらと異なる経過をたどった者については、本判決の射程外であり、平成6年最判や本判決を踏まえつつ、損害の異質性の有無について個別に検討する必要があるものと考えられる。
7 本判決の意義
本判決は、XらがHBe抗原陽性慢性肝炎の発症、鎮静化の後にHBe抗原陰性慢性肝炎を発症したことによる損害という個別的な損害についての除斥期間の起算点に関する事例判断であり、上記のとおり、本判決の射程自体は限定されると思われるものの、全国で提訴されているB型肝炎訴訟の一つの論点に関する判決であって、理論的にも実務的にも重要な意義を有するものと考えられる。