管轄移転の請求が訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかである場合における刑訴規則6条による訴訟手続の停止の要否
管轄移転の請求が訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかである場合には,刑訴規則6条により訴訟手続を停止することを要しない。
刑訴法17条、刑訴規則6条
令和3年(あ)第964号 最高裁判所令和3年12月10日第三小法廷決定決定 脅迫被告事件(刑集75巻9号1119頁) 棄却
原 審:令和2年(う)第153号 高松高裁令和3年6月8日判決
第1審:令和元年(わ)第320号 高松地裁令和2年10月6日判決
1 事案の概要
本件は、被告人が、服役していた刑務所内から書面を郵送して裁判官及び検察官を脅迫したという被告事件である。被告人は、第1審及び控訴審において、極めて多数の管轄移転の請求(刑訴法17条)を繰り返していた。本件では、第1審及び控訴審が、上記管轄移転の請求にもかかわらず、刑訴規則6条による訴訟手続の停止をしなかったことの適否が問題となった。
2 審理の経過
⑴ 第1審において、被告人は、公訴事実を争うとともに、管轄移転の請求をしていたにもかかわらず裁判所が訴訟手続を停止しなかったことは違法であるなどと主張した。
第1審判決は、被告人が多数の管轄移転の請求に及んだ経緯や経過、各請求の理由等に照らせば、各管轄移転の請求はいずれも訴訟を遅延させる目的のみでされたものであることが明らかであり、このような場合にまで刑訴規則6条を形式的に適用するのは、適正かつ迅速な刑事裁判の実現という刑訴法の目的に大きく反するから、本件について同条の適用はないとした。
⑵ 被告人が控訴して訴訟手続の法令違反、法令適用の誤り、事実誤認、量刑不当を主張し、また、控訴審においても管轄移転の請求をしていたにもかかわらず、裁判所が訴訟手続を停止しなかったことは違法であるとも主張したところ、原判決は、刑訴規則6条の適用に関し、本件においてされた管轄移転の請求は、いずれも訴訟の遅延のみを目的としたものであり、刑訴規則1条2項に違反するから、刑訴規則6条の適用はないとし、その余の控訴趣意もすべて排斥して、被告人の控訴を棄却した。そこで、被告人が上告した。
⑶ 本決定は、被告人が、第1審及び原審において、本件に関する高等裁判所に対する管轄移転の請求及びその管轄移転請求事件等に関する最高裁判所に対する管轄移転の請求を繰り返していたところ、これらの管轄移転の請求に及んだ経緯や経過、各請求の理由等に照らせば、遅くとも第1審裁判所が令和2年5月22日に第2回公判期日を指定した時点以降において係属していた管轄移転の請求は、いずれも訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかであったという原判決及びその是認する第1審判決の認定を前提として、決定要旨のような職権判断を示し、上告を棄却した。
3 説 明
⑴ 問題の所在
刑訴規則6条本文は、「裁判所に係属する事件について管轄の指定又は移転の請求があったときは、決定があるまで訴訟手続を停止しなければならない。」と規定する。同条ただし書は、「但し、急速を要する場合は、この限りでない。」とするが、それ以外に例外は規定されていない。この点は、忌避申立てに関し、申立てがあったときは訴訟手続を停止すべきことを原則としつつ、急速を要する場合のほか、訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかであるとしてこれを簡易却下する場合にも訴訟手続を停止することを要しない旨規定している刑訴規則11条とは違いがみられる。他方で、後記のとおり、管轄移転の請求と忌避申立てとは、公平な裁判所の裁判を受ける権利を保障する制度であるという点において共通点がある。そこで、訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかである場合のように、忌避申立てであれば簡易却下により処理できるような場合にまで、管轄移転の請求については訴訟手続を停止しなければならないのか(本論点)が、実務上問題となっていた。
⑵ 管轄移転の請求・忌避申立て
管轄移転の請求という制度は、裁判が不可能である場合(刑訴法17条1項1号)、あるいは裁判の公平が維持できない場合(同項2号)において、管轄を移転することによって障害を除去し、公平な裁判を行い得るように環境を調えようとする制度である(中山善房ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法(1)〔第3版〕』(青林書院、2022)183頁[永井敏雄])。特に、同項2号についてみると、「地方の民心、訴訟の状況その他の事情により裁判の公平を維持することができない虞があるとき」とは、管轄裁判所を構成する個々の裁判官に忌避等の理由があって不公平な裁判をするおそれがある場合をいうのではなく、その地方の民衆の感情とか、訴訟の状況、その他裁判所を取り巻く客観的状況からみて、その裁判所全体につき公平な裁判を期待できない事情をいう。これは、憲法37条1項の「公平な裁判所」の裁判を受ける権利を保障する意味を持ち、「いわば裁判所全体に対する包括的忌避を認めたものといえる」(河上和雄ほか編『注釈刑事訴訟法(1)〔第3版〕』(立花書房、2011)146頁[小林充=前田巌])とも説明されている。
前記のとおり、刑訴規則6条は、管轄移転の請求があったときは、決定があるまで訴訟手続を停止すべき旨を規定しているが、その趣旨は、管轄移転の請求に理由があるのに審判手続が続行された場合、管轄移転後にこれをすべて是正することは困難であり、裁判に対する信頼にも大きな打撃を与えるおそれがあることから、そのような事態をあらかじめ回避するところにあると解される(中谷雄二郎・最判解刑事篇平成9年度137頁参照。なお、刑訴規則6条と同趣旨を定めていた旧刑訴法(大正11年法律第75号。以下、単に「旧刑訴法」という。)22条についても類似の説明がされている。赤羽凞『新刑事訴訟法註釋』(巌松堂書店、1928)125頁等)。
これに対し、忌避申立ての制度は、裁判官が職務の執行から除斥されるべきとき、又は不公平な裁判をするおそれがある場合に、その裁判官を当該訴訟手続から排除する制度である(刑訴法21条)。前記のとおり、忌避申立てにおいては、当該申立てが「訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかである」(以下、このような目的を「明らかな訴訟遅延目的」という。)場合には、忌避された当の裁判官がこれを却下できるという簡易却下の制度が存在しているが、これは旧刑訴法29条においてはじめて設けられたものである。この制度は、忌避権の濫用により訴訟手続の進行が阻害されないようにするためのものであって、訴訟遅延目的が客観的に明白である場合に限り適用することができる規定である旨説明されており(第45回帝国議会衆議院刑事訴訟法案委員会議事録第2回3頁)、現在の実務においても、そのように運用されている。そして、そのような簡易却下制度の趣旨・目的に照らせば、訴訟遅延目的が明らかであって簡易却下すべき濫用的な忌避申立ての際にもなお一旦訴訟手続を停止しなければならないとするのは、背理である。それゆえ、刑訴規則11条が忌避申立てを簡易却下すべき場合に訴訟手続を停止する必要がないとするのは、同条により創設された例外ではなく、当然の事理を確認しているにすぎないものと解される(最二小判昭31・3・30刑集10巻3号422頁参照)。
なお、どのような場合に明らかな訴訟遅延目的が認められるかについて、最一小決昭48・10・8刑集27巻9号1415頁は、忌避制度の趣旨・目的に照らし、審理の方法や態度に対する不服を理由とする忌避申立ては、受け容れられる可能性が全くなく、これによってもたらされる結果は訴訟の遅延と裁判の権威の失墜以外にはあり得ないから、このような忌避申立ては、訴訟遅延のみを目的とするものとして簡易却下されるべきである旨判示する。ここでは、制度の趣旨・目的に照らして明らかに認容される余地がない忌避申立ては、訴訟の遅延という結果しかもたらさないのであって、そのことを知悉した上でされた申立ては、結局訴訟遅延のみを目的としたものと解するほかない、という考え方が採用されているといえる(近藤和義・最判解刑事篇昭和48年度259頁参照)。
⑶ 判例・学説等
本論点に関して明示的に論じた文献は見当たらない。また、裁判例としても、「訴訟手続の遅延を目的とした管轄移転の請求は、そもそも刑訴法の想定するところではなく、それがために刑訴規則6条により訴訟手続を停止することは、適正かつ迅速な刑事裁判の実現という刑訴法の目的に反する結果になるといえるから、同請求については同条の適用はない」とした東京高判平24・3・27東時63巻1=12号45頁がみられる程度であった。
⑷ 本決定について
本決定は、判旨のとおり、管轄移転の請求が訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかである場合には、刑訴規則6条により訴訟手続を停止することを要しないと判示した。
前記のとおり、刑訴規則6条の趣旨は、管轄移転の請求に理由があるのに審判手続が続行された場合、管轄移転後にこれをすべて是正するのが困難であることから、そのような事態をあらかじめ回避するところにあると解される。そうだとすれば、管轄移転の請求が認容される余地がないといえる場合には、そのような事態が生じるおそれはないから、必ずしも訴訟手続を停止する必要はないと解することが可能であり、合理的でもある。
そして、前記⑵のとおり、管轄移転の請求という制度は、その性質において忌避申立てと共通点があるところ、管轄移転の請求が、忌避申立てであれば簡易却下すべきものとされるような明らかな訴訟遅延目的による濫用的なものである場合には、そのような請求はおよそ認容される余地がないから、刑訴規則6条の趣旨・目的に照らしても、これにより訴訟手続を停止することに合理性は見いだせず、同条により訴訟手続を停止することを要しないと解して差し支えないと考えられる。
なお、前記のとおり、訴訟手続を停止することを要しない場合につき規定する刑訴規則11条は、そのような濫用的な忌避申立ての際にもなお一旦訴訟手続を停止しなければならないとするのは背理であることから、当然の事理を確認したにすぎないと解されるものである。したがって、同条は、その定めるところ以外には一切訴訟手続を停止しないことを認めない趣旨ではないし、そのような定めのない手続において、訴訟手続の停止を要しない場合があると解することを一切否定する趣旨でもないと理解するのが相当であろう。
本件の被告人は、特定の裁判官について公平な裁判を期待できないとか、勾留されている刑事収容施設において不当な扱いを受けているから当該施設を管轄する裁判所においては公平な裁判が遂行できないなどと主張して多数の管轄移転の請求に及んでいたもののようであるが、前記のとおり、管轄移転の制度は、その裁判所全体につき公平な裁判を期待できない事情があるときに、管轄を移転することによって障害を除去しようとするものであるから、上記の主張はおよそ管轄移転の請求の理由となり得るものではなく、その請求が認容される余地がないことは制度趣旨に照らして明らかである。前掲最一小決昭48・10・8の考え方は管轄移転の請求についても妥当し、本件の管轄移転の請求は、明らかな訴訟遅延目的によるものと認められる。
なお、管轄移転の請求の中には、明らかな訴訟遅延目的の請求のほか、既に棄却された請求と同一の理由に基づく請求や、そもそも実質的な理由の記載を欠いている請求なども想定し得る。このような請求も、その理由とするところに照らして認容される余地がないことが明らかであるから、同様に刑訴規則6条による訴訟手続の停止は不要であるとすることも十分考えられ、本決定もそのような余地を排除したものではないと解される。
もっとも、前掲最一小決昭和48・10・8の考え方によれば、そのような請求についても明らかな訴訟遅延目的が認定できる場合がほとんどとなり、実務的にはおおむね本決定により適切な対処が可能になるのではないかと思われる。
4 本決定の意義
本決定は、管轄移転の請求が訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかである場合には刑訴規則6条により訴訟手続を停止することを要しない旨判示した初めての最高裁判例であり、実務上重要な意義を有するものと考えられるので、紹介する次第である。