給与所得に係る源泉所得税の納税告知処分について、法定納期限の経過後に当該源泉所得税の納付義務を成立させる支払の原因となる行為の錯誤無効を主張してその適否を争うことの可否
給与所得に係る源泉所得税の納税告知処分について、法定納期限が経過したという一事をもって、当該源泉所得税の納付義務を成立させる支払の原因となる行為の錯誤無効を主張してその適否を争うことが許されないとはいえない。
所得税法183条1項、国税通則法36条1項、民法95条
平成29年(行ヒ)第209号 最高裁平成30年9月25日第三小法廷判決 納税告知処分等取消請求事件 上告棄却(民集72巻4号登載予定)
第2次第2審:平成27年(行コ)第30号 広島高裁平成29年2月8日判決
第1次上告審:平成26年(行ヒ)第167号 最高裁平成27年10月8日第一小法廷判決
第1次第2審:平成25年(行コ)第9号 広島高裁岡山支部平成26年1月30日判決
第1審:平成24年(行ウ)第6号 岡山地裁平成25年3月27日判決
1 事案の概要等
本件は、権利能力のない社団Xが、理事長Aに対し、借入金債務の免除(本件債務免除)をしたところ、所轄税務署長から、これに係る経済的な利益(本件債務免除益)がAに対する賞与に該当するとして、給与所得に係る源泉所得税の納税告知処分等を受けたため、国を相手に、その取消しを求める事案である。
本件は、本件債務免除益が給与所得に該当すると判断した最一小判平成27・10・8集民251号1頁により差し戻されているところ、本判決は第2次上告審として、これとは別の判示事項記載の点について判断したものである。
2 事実関係の概要等
(1)ア Aは、債権回収会社との間で、借入金の一部を弁済した場合にはその余の支払義務の免除を受ける旨合意して分割弁済し、平成17年、同社から、残債務の免除を受けたが、その後は後記(2)の債務の免除を受けた同19年12月まで、Aの資産に増加はなかった。
イ 所轄税務署長は、平成19年8月、Aの平成17年分の所得税の更正処分等についての異議申立てに係る決定の理由中において、上記アの債務免除益について平成26年6月27日付け課個2-9ほかによる改正前の所得税基本通達36-17(本件旧通達)の適用がある旨の判断を示した。本件旧通達は、債務免除益のうち、債務者が資力を喪失して債務を弁済することが著しく困難であると認められる場合に受けたものについては、各種所得の金額の計算上収入金額又は総収入金額に算入しないものとする旨を定めていた。
(2) AのXに対する借入金債務の額は、平成19年12月10日当時、55億円余であったところ、Xは、Aらから、不動産を総額7億円余で買い取り、その代金債務と上記借入金債務とを対当額で相殺するとともに、Aに対し、上記相殺後の上記借入金債務48億円余を免除した(本件債務免除)。
(3) 所轄税務署長は、Xに対し、本件債務免除益がAに対する賞与に該当するとして、平成19年12月分の源泉所得税につき、納付すべき税額を18億円余とする納税告知処分等をした。
(4) Xは、前記(1)イの決定において、Aについて「資力を喪失して債務を弁済することが著しく困難と認められる場合」に当たるとして本件旧通達が適用されたため、本件債務免除益についても本件旧通達の適用により課税の対象とならないと考え、Aとその旨確認の上、本件債務免除をしたのであるから、本件債務免除益が納税告知処分の対象になるのであれば、XとAが確認した前提条件に錯誤があり、これは要素の錯誤であるから、本件債務免除は無効である旨主張している。
3 訴訟の経過等
(1) 第1審は、本件債務免除益につき本件旧通達の適用があるとし、第1次第2審は、本件債務免除益は給与所得に該当しないとして、Xの請求を認容すべきものとしたが、第1次上告審は、本件債務免除益は給与所得に該当するとして、破棄差戻しの判決をした。これを受け、原審は、本件旧通達により、本件債務免除益の一部は源泉所得税額の計算上給与等の金額に算入できず、本件債務免除によりAが得た経済的な利益は12億8000万円余、源泉所得税の額は4億8000万円余であるとして、Xの請求の一部を認容し、一部を棄却する判決をした。原審は、前記2(4)のXの主張につき、法定納期限の経過後に源泉所得税の納付義務の発生原因たる法律行為につき錯誤無効の主張をすることは許されないとして排斥した。
(2) 最高裁第三小法廷は、Xの上告受理申立てを受理した上、判決要旨のとおり判示し、原審の判断は、法令の解釈適用を誤ったものであるとしつつも、結論において是認することができるとして上告を棄却した。
4 説明
(1)ア 租税法は、種々の経済活動ないし経済現象を課税の対象としているところ、それらの活動ないし現象は、第1次的には私法によって規律されているから、課税は、原則として私法上の法律関係に即して行われるべきであると解されている(金子宏『租税法〔第22版〕』(弘文堂、2017)122頁)。
もっとも、課税の前提となる私法上の法律関係についての行為が無効であるとしても、課税対象が私法上の行為それ自体ではなく、それによって生じた経済的成果(例えば所得)である場合には、その原因たる私法上の行為に瑕疵があっても、経済的成果が現に生じている限り、課税は妨げられないと解されている。この点に関し、譲渡所得発生の基因となった土地持分譲渡契約が後に合意解除されたが、当該持分価額相当の金員が契約の相手方に返還されておらず、契約によって生じた譲渡収入は現実に消滅していないという事案において、上記合意解除の存在を前提とせずにされた更正処分等を適法と判断したものとして、最二小判平成2・5・11訟月37巻6号1080頁がある。
イ 私法上の行為に錯誤があった場合の一類型として、その錯誤が税負担に関する錯誤であった場合にも、錯誤無効となるかどうかという問題があり、本件はこの点が問題となる事例である。
私法上の行為や取引を行う場合に、それに伴って生ずる税負担について思い違いがあり、更正・決定により当初予定していたより重い税負担を負うことになった場合に錯誤を理由として更正・決定の無効を主張し得るかにつき、税負担問題は、私法上の意思決定において考慮に入れるべき最も重要なファクターの一つであるから、平均的経済人の立場から見てそれが合理的であると認められる場合には、これに関する錯誤を意思表示の無効原因と考えてよい場合があると考えられている(前掲・金子123頁)。私法上の行為が税負担に関する錯誤により無効となる場合があることを前提とするものとして、最一小判平成1・9・14集民157巻555頁がある。
(2) 本件は、源泉徴収方式の租税について、法定納期限の経過後にその納付義務を成立させる支払の原因となる行為の錯誤無効を主張することの可否が問題となる事案であるところ、この点が問題となった裁判例は見当たらない。もっとも、申告納税方式の租税について、同様の点が問題となった裁判例として、大阪高判平成8・7・25税資220号272頁、大阪高判平成12・11・2税資249号457頁、大阪高判平成17・5・31税資255号10042、高松高判平成18・2・23訟月52巻12号3672頁等があり、納税者側から上告や上告受理の申立てがされているが、いずれも上告が棄却され、上告不受理とされている。
これらの裁判例においては、我が国は、申告納税方式を採用し、申告義務の違反や脱税に対しては加算税等を課している結果、安易に納税義務の発生の原因となる法律行為の錯誤無効を認めて納税義務を免れさせたのでは、納税者間の公平を害し、租税法律関係が不安定となり、ひいては申告納税方式の破壊につながるとした上、法定申告期限の経過後に課税負担の錯誤が当該法律行為の要素の錯誤に当たり、それが無効であることを主張することはできない旨が判示されており、本件の原審も同旨の判示をしている。
(3) 課税は原則として私法上の法律関係に即して行われるべきであるから、法律行為が無効であって当該行為により生じた課税対象である経済的成果が消滅している場合には、当該法律行為により一旦は生じた経済的成果に対して課税することはできないのが原則となると思われる。
しかるに、申告納税方式の下において、法定申告期限の経過後に納税義務の発生の原因となる法律行為の錯誤無効を主張することが許されないとする見解は、その理論的根拠を十分に説明できていないように思われる。
また、給与所得に係る源泉所得税の納付義務に関し、それを成立させる行為が錯誤により無効であることについて、一定の期間内に限り錯誤無効の主張をすることができる旨の法令の規定は見当たらない。そして、源泉徴収に係る国税の納付義務は何らの確定行為を必要とせず自動的に確定するものであり、納税告知処分はそれ自体として税額を確定させる行為(課税処分)ではない(最一小判昭和45・12・24民集24巻13号2243頁)ところ、この場合における法定納期限は、その経過によって具体的納付義務を確定させるような効果を有するものではない。
本判決は、以上のような点を考慮して判決要旨のとおり判断をしたものであろう。
(4) もっとも、本判決は、上記の点の原審の判断に法令の解釈適用の誤りがあるとしつつも、Xは、納税告知処分が行われた時点までに、本件債務免除により生じた経済的成果がその無効であることに基因して失われた旨の主張をしていないことを指摘して、Xの主張をもってしては、納税告知処分等のうち原審が適法とした部分が違法であるということはできない旨判示している。
これは、前記(1)アで述べたように、課税の原因たる私法上の行為に瑕疵があった場合であっても、これによる経済的成果が失われていない場合には課税が妨げられないところ、本件では、経済的成果が失われた旨の主張がされていないため、いずれにせよ上記部分が違法とはならないとしたものと考えられる。
(5) 本判決には、そもそも本件における錯誤の成立には種々疑問があるとし、この種の錯誤無効の主張があった場合における錯誤の成否の審理方法について述べる山﨑裁判官の補足意見が付されている。山﨑裁判官の補足意見は、課税処分等の適否を争う訴訟において、錯誤無効の整理を審理判断するに際し、具体的事実に基づいて慎重に検討すべきことを指摘するものであり、今後、この点の判断を要する訴訟の審理において参考となろう。
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本判決は、給与所得に係る源泉所得税の納税告知処分について、法定納期限の経過後にその納付義務を成立させる支払の原因となる行為の錯誤無効を主張してその適否を争うことの可否について、最高裁が初めて判断を示したものであり、実務的に重要な意義を有すると考えられる。