銀行員30年、弁護士20年
第8回 社債受託業務
弁護士 浜 中 善 彦
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3回目の転勤で経理部証券業務課に配属になり、社債受託業務を担当することになった。社債受託業務の具体的仕事の内容は、社債発行の担保の評価、信託契約その他の契約書の作成、社債券の印刷の立会等、社債発行に関する一切を担当するほか、償還するまで、半年毎の利札請求事務等社債に関する事務まで担当する。
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当時、社債発行は、戦後の傾斜生産方式と呼ばれる重化学工業重視の考え方をそのまま持ち込んだ適債基準によって、発行会社や発行条件が決められていた。社債はすべて担保付きで、発行会社は電力、鉄鋼等大手メーカーに限られていた。有担保主義は、戦前の金融恐慌時、社債のデフォルトが相次いだため、買入消却制度とともに、社債浄化運動の結果採用された原則である。
運用も、受託会社である銀行によって発行会社、発行金額、利率その他のすべてが決定されており、公募債といっても、実際は主力銀行団による協調融資といってよいものであった。受託銀行は、原則3行までで、いずれも発行会社の主力銀行であった。
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ところで、支店時代は、読書といえば、司馬遷の「史記」、ヘロドトスの「歴史」や高木彬光の推理小説等好きなものを読んだが、証券業務課時代は、専門書を読むことに決めており、歴史その他の趣味の読書は一切しなかった。鴻常夫先生の「社債法」(有斐閣)のほか、証券市場論や不動産鑑定に関するものなど30冊以上を読んだ。当時、社債法に関しては、鴻先生の著書以外に本格的な著書、論文はなかった。社債法に関しては、現在でも、これを超える本格的な著書はないのではないか。
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証券業務課時代、1番の出来事は無担保転換社債の発行が認められたことであろう。これにより、商社も社債発行ができるようになった。第1号は、三菱銀行単独受託の三菱商事だったと記憶する。無担保といったが、留保物件付きであり、質権設定はしないが、発行額に見合った担保(有価証券)を留保することが条件であり、完全無担保ではなかった。
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私自身も、第2号の富士銀行単独受託の丸紅の社債発行業務を担当した。これまでの普通社債の場合は契約書は定型的なものが確立していたので契約書を作成するといっても、発行会社や発行条件欄を入れ替えればいいだけの話であったが、今回は新規に契約書を作成する必要があるので、受託銀行間や発行会社とで協議をする必要があった。その際、何社かの法務部と接触する機会があったが、法務専門部署がある会社は少なく、たいていは、総務部の一部門という例が多かったと記憶する。それらのなかでは、三井物産文書課は、大手渉外事務所も及ばない蓄積された実力があったという印象であった。しかし、同社に限らず、法務部門はマイナーな部門という位置づけであったと思われ、その点は改善されつつあるようであるが、コンプライアンス強化とともに、法務部門の強化と社内での位置づけの改善は今後の課題であると思う。
以上