ベトナム:「判例法」の導入!? と初の「判例」の選定
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 澤 山 啓 伍
2016年4月に、最高裁判所は、6件の裁判例を「判例」として選定したと発表した。これは、2015年10月28日に公布されたベトナム最高人民裁判所判事評議会の「判例」の選定・公布・適用プロセスに関する議決第03/2015/NQ-HDTP号(以下「本議決」という。)に基づいて初めて選定された「判例」である。
日本の法曹関係者にとって、最高裁判所による判例を含め、裁判所の裁判例を参照することの重要性は論を俟たない。裁判所のウェブサイトや判例集などで、明治以来の膨大な数の裁判例が公開されており、法曹関係者はそれを日々検索し、そこで議論されている法律の解釈論を検討し、法的な予測可能性を高めている。
しかし、ベトナムにおいてそのような意味で検討対象となる裁判例というものはこれまで存在してこなかった。ベトナムにおいては、法律の解釈は、最高権力機関としての国会の権限であるとされ、裁判所はその権限を持っていないものと考えられてきた。そのため、法律の解釈は、裁判所や法学者の間で議論されてこなかった。その結果、ベトナムにおける法律実務は、条文の文面解釈に徹するほかなく、成文法の欠缺を埋める方法が存在してこなかった。
このような状況の中で昨年公布された本議決は、ベトナムにおける法実務のあり方を根本から変更する可能性を持ったものである。本議決では、裁判例のうち、パブリックコメント手続きなどを経て最高人民裁判所判事評議会が選定し、最高人民裁判所長官が公布した「判例」について、裁判官は、①同様の事実、同様の法的事件に対して同様の解決を行うこと、②「判例」を適用する場合も、しない場合も、その理由を判決上に示すこと、③「判例」そのものが不適切であると判断した場合には、最高人民裁判所判事評議会に対して廃止を提案すること、などを定めている。これは、「判例」を法的な拘束力のある法源と位置づけているものであると考えられる。このような拘束力のある「判例」が数多く存在するようになれば、それが成文法の欠缺を埋める役割を果たすことはもちろん、そこに示された解釈論についての議論が生まれ、裁判所の判断の仕方への予測可能性が高まることも期待できる。
もちろん、そのような変化が短期間で生じるはずはなく、今後の判例、議論の積み重ねが必要である。その第一歩として、本議定に基づいて選定された「判例」の公表が待たれていたところ、今回その第一弾として6件の裁判例が公表され、6月1日から「判例」として適用されることになった。6件の裁判例はいずれも最高人民裁判所裁判官評議会による監督審(上告審に相当するもの)の決定であり、2010年から2014年に出されたものである。分野としては刑法に関するものが1件、民事関係のものが5件ある、後者のうち、土地使用権に関する紛争と相続に関するのが2件ずつとなっており、後の1件は、離婚後の財産分割に関するものとなっている。中でも、判例第02/2016/AL号となった裁判例は、国内在住のベトナム人の名義を借りて土地使用権を購入した在外ベトナム人と、名義を貸した国内在住ベトナム人との間の紛争に関するものであり、飲食店の経営などで使われることもある名義貸しの法律関係についても参考となりえ、興味深い。今後このような判例が積み重ねられ、ベトナムにおける外資企業のビジネス活動についても、法的予測可能性が高まることが期待される。