実学・企業法務(第13回)
第1章 企業の一生
同志社大学法学部
企業法務教育スーパーバイザー
齋 藤 憲 道
4) 海外展開で求められる現地への適応
労働に関する法制・慣行は、国・地域により異なるので、社内制度の制定や個々の労働問題への対応は、現地の専門家を起用して行うことが必須である。
各国の労働問題の背景にある特徴的な社会課題の例として、日本の雇用身分格差(非正規社員問題)・男女差別、米国の不法移民・人種差別、中国の戸籍制度(都市戸籍をとれない農民工問題の原因)・人権問題、インドのカースト制(ヴァルナ[1])・男女差別等が挙げられる。
〔一国内に存在する複数の法制度〕
アメリカ合衆国のような連邦においては、一つの国の中に連邦と州の労働法制が並存する。同国では、連邦の全国労働関係法・失業保険の設計基準等は州法に優先(先占)するが、労災補償・秘密保持義務・競業避止義務等は各州が独自に規制し、労働時間・最低賃金[2]・安全衛生・差別禁止・医療休暇等の事項については両法が重複[3]して規制する。
〔国際的な動向〕
多くの国・地域において労働環境の向上を図る取り組みが行われており、国際的な活動が活発であることに留意しなければならない。
労働条件については、国連の世界人権宣言[4]、及び、ILO(国際労働機関)[5]の(1)「ILO条約(国際労働条約)」及び同条約と同時に補完的に採択される「国際労働勧告」[6]、(2)労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言(1998年)、(3)ILO多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言(1977年。2006年改訂)に適合するための努力が各国で行われている。
国際規格であるISO26000(社会的責任に関する手引き)は、「労働慣行」を7つの中核主題[7]の一つにしている。そして、その具体的課題として、(1)雇用及び雇用関係、(2)労働条件及び社会的保護、(3)社会対話、(4)労働における安全衛生、(5)職場における人材育成及び訓練を挙げ、民間、公的及び非営利のあらゆる種類の組織(政府組織を含む)が、ISO26000を活用して、これまで以上に社会的に責任を果たすことを奨励する[8]。
さらに、人種・宗教・国籍・性別・年齢等にとらわれないダイバーシティ・マネジメントの必要性の認識も各国に浸透しつつある。
各事業拠点における人事制度構築や労務管理については、現地の法制・慣行だけでなく、グローバルな潮流にも配慮しなければ、企業の想定外のトラブルが発生するおそれがある[9]。
[1] 4つのヴァルナ(バラモン、クシャトリア、バイシャ、スードラ)と、これに属さないアチュート(不可触賤民と訳される)に分けられる。
[2] 州の規定額の方が連邦より高額の例が多い。
[3] 集団的解雇に関する法の運用は州政府が行う。
[4] 1948年12月10日に第3回国連総会で採択された。人権および自由を尊重し確保するために、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準を宣言したものである。
[5] 1919年に設立され、第2次大戦後に国連の専門機関の1つとなった。政府代表・労働者代表・使用者代表の3者で構成される。
[6] 条約と勧告は、それぞれ約200件ある。
[7] ①組織統治、②人権、③労働慣行、④環境、⑤公正な事業慣行、⑥消費者課題、⑦コミュニティへの参画及びコミュニティの発展
[8]「ISO 26000(2010)社会的責任に関する手引」22頁 ISO/SR 国内委員会監修・日本規格協会編 日本規格協会
[9] 1997年にナイキ・グループが生産委託していた東南アジアの工場の労働環境が劣悪である(児童労働・低賃金労働・長時間労働・セクハラ等)ことが問題になり、米国で大規模な同社製品の不買運動・訴訟等が発生した。