◇SH0956◇冒頭規定の意義―典型契約論― 第41回・完 むすび 浅場達也(2017/01/10)

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冒頭規定の意義
―典型契約論―

むすび

みずほ証券 法務部

浅 場 達 也

 

むすび

 1990年代以降、さまざまな契約理論が公けにされてきた[1]。それらは、「意思自律」を基本とする古典的契約像の限界を踏まえて、何らかの別の原理に基づく契約像を対置し、現代的な問題状況への対応を模索してきたと捉えられるだろう。

 これに対して、本稿では、、当事者の意思・合意に介入してくるさまざまな制裁が存在することを示し、「当事者の合意による変更・排除が難しい規律」が契約規範として我々の行動に影響を与えることについて検討してきた。

 最後に、本稿のこれまでの検討を踏まえた上で、今後の課題として考えられる点について、簡単に述べておこう。(これまで、随所で「今後の課題」としてきた点については、ここでは繰り返さない。)

 本稿では、「契約法体系化の試み」の各論として、贈与・消費貸借・組合について若干の検討を行ったが、それ以外の典型契約(売買・賃貸借・請負・委任等)については検討を行っていない。これらも今後の課題といえよう。また、冒頭規定と関連法令等の制裁によって生み出される「合意による変更・排除が難しい規律(特に合意による内容変更が難しい「概念」)」について、本稿で挙げたもの以外にどのようなものがありうるかにつき検討を加えることも、今後の課題であろう。

 こうした個別の論点に加えて、次の点も今後の課題となろう。平井宜雄教授の論稿の中に、「実際、企業の法務部にいる人たちは、民法の契約法の体系書など読んでもひとつも役に立たないとおっしゃいます[2]」との記述がある。この企業の法務部の人の発言が、どのような文脈においてなされたかは不明だが、本稿で批判的に検討した、「ある契約がどの典型契約の概念に包摂されるかはたいして意味がない」旨の見解(来栖三郎博士の体系書の記述だが、鈴木祿彌博士の体系書にも同旨の記述がみられる)は、平井教授の「役に立たない」との表現を通り越して、「有害」である。こうした見解を、契約書の作成にある程度馴染んだ人が鵜呑みにすることはまずないであろうが、契約書をあまり作成したことのない人にとっては、上の旨の見解は、極めて有害であろう[3]。こうした見解に対して、更なる根拠をもって批判的に検討していくこと。これも今後の課題といえるだろう。

以上



[1] 主な文献としては、第32回注[3]に掲げた論稿を参照。 

[2] 平井宜雄「不動産取引と不動産市場の特質――売買を中心として」『民法学雑纂――平井宜雄著作集Ⅲ』(有斐閣、2011)425頁を参照。また、平井宜雄『債権各論 Ⅰ上 契約総論』(弘文堂、2008)はしがきⅱ頁にも、「第一線の契約実務家(いわゆる企業法務部に属する方々)の多くから、『契約法の体系書など参考にならないから読んだこともない』と言われた」との同旨の記述がある。

[3] こうした見解に対する本稿からの批判的コメントは、【来栖三郎博士の記述(2)】【鈴木祿彌博士の記述(1)】に対する【本稿からのコメント】を参照。

 

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